For an Oath -last
楓の村に、旅人がひとり。@1790年代
エラーブル、というのは、楓、という意味だ。
秋の夕暮れ、久しぶりに訪れた村。その墓地、地面に突き立って並んだ木の墓の前に屈んだ。
知った名前が並ぶ。
冒険者には根無し草も多い。どこに落ち着くかは、残された人が考えるしかない。拠点のある冒険者なら、そこがさいごの地となることが多い。とは言っても、生死不明のことだって、身体が残らないことだってある。選べれば幸運だと、いえるかもしれない。
あの戦いの後、ルシェンとルナティアはここに帰ってきて、エルナの隣に埋められた。アルフェとエルディンは、城の敷地内だ。エルディンはすでに丁寧に埋葬されていた。
崩御と、大まかな戦いのこと、王位継承のことを公表し、エドワードが王位を継いだ。
風は少し冷たい。
旅人は、吹かれるまま、そこにじっと屈んでいる。墓の方に向いた目は、ずっと遠くか、ずっと近くか、ここにはない何かを見つめる。
足音が彼に近づいて、止まった。
「よう」
声をかけられて初めて、旅人は我に返った。隣を見ると、エルフがいた。旅人と同じように墓の前に屈んでいる。
「フィオさん」
「奇遇だな、リーフ。元気してたか?」
フィオはリーフの隣、近すぎず、話すには支障がない程度のところで、そこにいる言い訳のようにゆっくり落ち葉を拾う。暖かく深い茶色の瞳がリーフを見た。
彼は剣を携えていなかった。冒険者の格好ではない。依頼ではなく、他の用事で村に来ていたのだろうか。
「お久しぶりです。この通り、生きてます」
「そりゃ何より」
フィオは満足気な微笑みを浮かべて、紅葉を指先でくるくるっと回して弄んだ。
「お一人で?依頼か何かですか?」
「いや?今日は休日。特に理由はない」
「そうですか」
それ以上、ここにいる理由を話し合う必要はなかった。
風と葉の音だけが聴こえていた。日と楓の橙や赤、それに微風が、郷愁を誘う。
エルフのフィオと、ハーフエルフのリーフ。見た目なんか、年月が過ぎてもほとんど変わらない。まるであの戦いの後に戻ったような錯覚すら覚える。
しかし、時間は確かに、何かを変えてきた。
不意に思いついて、リーフはたずねる。
「みなさんお元気ですか?」
「ああ。双子は相変わらず元気いっぱい。コロナは補助魔法の腕をさらに上げたなぁ。オルトは、長いこと戸惑っていたが――」
オルトは、悪魔シュラインとの契約を、しなかったそうだ。あの戦いの最後、それを決断した。リーフは詳しいことは聞いていないが、契約をしないと決めたことで、シュラインは去ったという。オルトにとっては、これまで当然そこにいたシュラインがいなくなったのだから、戸惑って然るべきだろう。悪魔、とはいえ、親や家族や、それよりももっと近くにいて当然の存在だったのだろうから。
「――もう大分、気持ちの整理が出来たんじゃないかな」
「…それは、何よりです」
フィオの言葉を借りながらも安堵を滲ませたリーフ。またくるくると楓を回して、フィオは続けた。
「『空の鈴』の名前は、わりとよく聞くようになっただろ?」
「ええ。アイカさんたちが頑張っているんですね」
「うん。あの後すぐは、そもそも同盟立ち上げたばっかりだったし、メンバーも少ないしで大変だったみたいだ。今は余裕が出てきて、レイキやメンバーたちと楽しく頑張ってるよ」
「そうですか」
少ない言葉で応えるリーフの表情は穏やかだ。エルフは楓ごしのそれに、”時間”を視る。
それでも、まだ、思い出にするには早すぎる。
「まだ追ってるのか」
フィオが問う。
「ええ」
リーフは言葉だけで肯定する。
時間は過ぎて、変えたいことも、変えたくないことも、一瞬前とは少し違う何かに、常に変化させる。肯定したリーフの心はその一時、追憶の中にあった。
リーフの中にただひとつ、あの時に決めたことが残り続ける。空虚だったそれは、涙か、あるいは例の黒い魔法のようなもので満ちていたが、いつの間にか、一つの柱のような塊となって在り続けていた。
「どうせ奴は、僕が行こうが行くまいが、悪巧みをしているんですよ。とっとと挫いて、思い通りにいかないように適当に弄りに行きます」
流れるように出た台詞に、フィオは思わず笑う。
「言うなぁ」
リーフは何でもないことのような顔をしてみせる。
「全力で倒しに行こうとするのは、奴の思うツボのような気がしまして」
「そうなり得るな」
やっていることはさらに冒険者じみてきたようだ。フィオはふとたずねる。
「相変わらず旅人なのか?」
やはりリーフは頷いた。
「ええ、案外この方が楽ですよ。護衛とか頼まれないし、こちらから関わらない限り関係ができませんから。どこぞの馬の骨ともしれない輩に大事な依頼しないでしょ?」
「なるほどな。逆に、関わりに行って追い払われることはないのか?」
「ありますけど、それならそれでいいです。ダメだったら相手から頼ってきます」
フィオは少し意外そうにリーフを見た。くるっと素早く回った楓が指先で止まる。
リーフの声には、皮肉でもなんでもなくただそう思って、頼るなら頼ってくればいい、自分なしで解決するならそれはそれでいいという、穏やかな意志があった。
「そうか」
「ええ」
またふたりはそれぞれどこかを見ていた。
「…ちょっと、遊ばれてる気はします」
不意に、リーフがぽつりと言葉にした。フィオは黙っている。
「奴を…追うこと自体が…思うツボなのかもしれません、でも僕はこうと決めたから、僕の意志に従っている、と思います」
敵を見ている目だった。同時に、自分の内面を。煙のように指の間をすり抜ける疑いがある。
「リーフは今、どうしてあいつを追ってるんだ?」
「ルナのために…」
言いかけてリーフは考え直した。
「いや、…それは始まりの理由で…というか…。…答えにならないかもしれませんが、こうして考えると、あなたに言われたことを思い出します」
「俺?…なんだっけ?」
「守るべきものを守ればそれでいいだろ、ってやつですよ。憎むなとは言わない、忘れるな、って」
「おお、打ち合いの時の!だったか?」
「そうですよ」
リーフはまだ答えを言葉にしようと模索する。
「力不足はもちろんですが…いろんなことを間違えたと思います。
悪魔は、あんなやつにまでなると、滅ぼせないでしょうけど…まして僕は剣士ですし。だけど…。…放っておけないんです」
簡単な理由だった。そして、それだけなのだ。それだけの中に、全てがある。
「俺たち冒険者だって、悪魔を放っておけなかった、傍から見れば命知らずの集まりさ」
フィオは、とん、とリーフの背を叩いた。
「遊ばれてやったって構わん。自分に従ったとき、放っておくなんて道はないんだから。
侮れない相手だが、相手を認識した時点で、リーフにとっては負ける相手ではない。恐ろしいのは、気がつかないうちに相手の手中にあることだ」
「…そうですね。…気をつけます」
死ぬな、という声が、今ここにいるフィオの声と重なって蘇った。ルナティアが思い浮かぶ。まるで彼女がそう言っているように。今もそんなつもりはない、とリーフはそっと応える。それから脳裏に浮かぶのはルシェン。そんなつもりは、なかっただろう。だが、自分から向かっていく道を選んだのは、いつだったのだろう。
冷たい風が吹いた。いつの間にか日が陰ってきている。葉の音は、雨の音にも似ている。
「エラーブル村に、『盾』(うち)のサポーターがやってる食堂があるんだ。宿の隣。もう日も暮れる、来るだろ?」
立ち上がりながら言ったフィオに、リーフは頷いた。最後に墓に視線を落とす。立ち上がるとフィオを見上げ、微笑んだ。
「お言葉に甘えて、ありがたく」
さっきまでいた場所に背をむけて歩き出す。他愛もない会話が、村への帰り道を過ぎていく。
「そういえば、あの時の木彫り見せてくださいよ」
「あれはまだ半分しか出来てない」
ええっ?とリーフは驚く。あれから何年経ってると思ってるんですか、と。
ふたりの声が遠ざかる。
秋、楓の村が色付いて、冷たい風が吹く頃。
そこに屈んで、いつかを見つめる。
変わるもの。変わらないもの。
いつの間にか置いていってしまうもの。どうしても置いていけないもの。意図してか、意図せずか。
ひとつだけ変わらずに、旅人はもってゆく。
思い出にする時が来るのか、まだ皆目見当がつかなかった。
「For an Oath」Fin.
and...
next is...
「エナ外伝」
「R・E・Asterisk」.