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For an Oath -Ⅳ

     冒険者と悪魔の戦いが始まる。精鋭部隊は城内への侵入を試みる。

      目指すは『神の石』、契約者、そして悪魔リューノンの討伐。@1770年

 

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 明ける前の紺色の空。東のほうから、朝の気配が近づく。青は白み始める。色づく空を隠すように、灰色の雲が広がっている。

 メア城は、その中に黒くそびえていた。ひときわ高い二つの塔は、敵に魔法を打ち込む砲台となる場所だ。

 侵入を察知する魔法の外側に、『琥珀の盾』『緋炎の月』『旋風』『空の鈴』そして無所属の、腕利きの冒険者たちが集っていた。各パーティごとに、城を囲むように待機する。

 そんな中、オルトは一人だった。

 城下町から城へ通じる道を、ひとり、歩いた。当然そうすべきだと疑いもせず歩む姿は、早朝に一人城へ向かう不自然さを打ち消していた。メア城の守りの魔法にもまるで気がついていないように、その範囲へ足を踏み入れる。誰よりも、城へ近づいた。

 オパールの瞳は城の影を、それを包む敵の気配を捕えて輝く。その瞳の奥に、もうひとつの人格が現れる。悪魔シュラインは、悪魔リューノンへ殺意に似た黒い感情を燃え上がらせていた。

 白く白く、揺らめく光はオルトを包み、そして姿が鳳へと変化していく。光の中に羽毛のシルエットが揺れる。瞳は猛禽類の鋭いそれに変わる。

 応えるように、城からその上空へは黒い光が収束し、翼のあるなにかを形作る。

 それをおびきだして、戦うことが、オルトの役割だった。そして、役割など関係なしに、シュラインとオルトは、リューノンを滅ぼしてやると静かに燃えていた。オパールの瞳は黒い光から成ったそれを瞬きもせずに捉え続ける。

 悪魔たちの間で、悪魔と契約者だけに聞こえるやりとりが行われる。

『滅びの時だ、宿敵よ』

『わくわくするなぁ、運命の友!』

 

 まだ明けない空。白く輝く鳳は、太陽よりも一足早く、月星を霞ませてまばゆく、圧倒的な存在感を示す。

 それと唯一対等であれたのは、城の上空に現れた禍々しい暗黒の悪魔だった。

 

 

 精鋭部隊は城の裏側のほうに待機していた。城に至る道筋は急な岩の斜面で、有事には魔法トラップが発動するようになる。その斜面の、岩で死角になるところに、エドワードとルナティアが使った抜け道がある。他の岩場に紛れるほど自然にそれはある。足場は、良くもなく悪くもない。奥へ進めば、城の地下へ繋がっているという。

 日の出と共に、クレィニァが魔法塔を襲撃する手筈だった。太陽を背景に、スザクが飛ぶのだ。そこから、全てが動く。

「始まったな」

 フィオが呟いた。メンバーの視線は、白い鳳と、暗黒の、竜のような影に向けられている。リーフは悪魔の影を憎々しげに睨む。

「…あれが…」

 エドワードがそうこぼした。あれが、城に居た、悪魔。アイカも、悪魔から目を離せない。初めて目の当たりにする敵の姿。

 やがて、太陽が顔を出す。幸い、このとき雲は朝日をほとんど遮らなかった。

 ふたつの悪魔は絡み合いながら、魔法塔から遠ざかった――オルトの作戦だ。

 それを見計らったように、太陽を背にした炎の鳳が飛んできた。精鋭部隊の待機場所からならそれが見える。

 うわあ、と、ため息に近い感嘆の声をもらしたのはスーラだ。

 エルフの目には、スザクの姿もよく見えた。全身燃えるような朱。尾羽や翼の先に金色が混ざる。

「しくじるなよロード」

 願うようにレスターが呟いた。

 クレィニァはまっすぐ魔法塔へ飛んだ。この合図と同時に、精鋭部隊を除くほかのパーティも行動開始したはずだ。城は、突如空と地上の両方から攻撃を受けた形になる。

 侵入を察知する魔法を張っているとはいえ、まさか空から奇襲をかけられるとは、相手方も思っていなかっただろう。クレィニァに対する反応は鈍かった。あと数秒もすれば魔法塔に突っ込む、というところでようやく魔法が放たれた。《炎の玉》の効果を上乗せしたような魔法だ。

 クレィニァは、まだ魔法封じも解けず防御もできない中、全く動じず直進した。スザク――炎と風を司る空人に、《炎の玉》など通用しない。

 玉は解けてクレィニァを避け、離散する。かと思うと、収束し、クレィニァはそれを纏ったまま魔法塔へ飛んだ。ぶつかる、その瞬間城壁に沿うように上昇する。纏っていた炎だけが魔法塔へ突っ込み、一瞬大きく燃え上がった。

 クレィニァは朱の翼を翻して器用に旋回し、炎が収まりつつある魔法塔へ、何かを降ろすように一時空中で羽ばたきながら留まった。魔法陣破壊部隊のレフィーヤとシャルアを降ろしたのだろう。

 よし、とレスターは小さくガッツポーズをする。

 魔法塔はふたつ。一箇所目はなんとかなりそうだ。

 その一箇所目に、《転移先》が持ち込まれる。アイカは精鋭部隊のメンバーと共に、そこへテレポートする――予定だ。

 炎が収まった魔法塔を、アイカは真剣な眼差しで見つめた。

 《転移先》を持ち込み、塔の兵士を戦闘不能にしてから、クレィニァのパーティは二箇所目の攻略に移る。また、ほかの場所ではセルとココルネが城を覆う《魔法封じ》の解除を進めているはずだ。一箇所目の魔法塔攻略と、《魔法封じ》解除が済み、《転移先》が設置されれば、いよいよアイカのテレポートだ。

 塔の攻略や、解除に時間がかかりすぎれば、精鋭部隊は抜け道を使って城内へ入る。

 精鋭部隊の面々は、息を詰めて魔法塔を見守り、城の周囲で始まった戦いの気配を感じた。

 解除が終わるまで…あるいは、定まった時間がくるまで、精鋭部隊は動けない。

 

 二箇所目の魔法塔がクレィニァに攻撃を開始した。

 黒い城壁の塔、その最上部から雷が迸る。《魔法封じ》の範囲外であらかじめかけておいた防御の魔法がクレィニァを守った。一撃目をそうして防ぐと、クレィニァはスピードを上げた。狙われにくい塔の側面を飛び、相手の詠唱阻害が出来るときには炎で反撃する。塔の魔法使いは細やかに防御と攻撃を使い分け、クレィニァを狙い撃つ。クレィニァは自らの一部である炎を目くらましとしても使いながら、雷撃の狙いを逸らし、ひらりひらりと舞った。

 続く攻防の最中、不自然な緑色の光が瞬いた。レフィーヤからの合図だ。

 あとは魔法解除が完了すれば、テレポートが出来る。

 クレィニァが下降して雷撃をかわした直後、炎でも雷でもない光の槍が注いだ。上空で戦う悪魔たちの魔法が流れてきたのだ。シュラインのものであったそれは、塔の防御と相殺する。

 それを好機と見たクレィニァは塔に沿って上昇した。次の詠唱をさせまいと、炎が塔の魔法使いを襲う。魔法なしでは威力が低いが、防御魔法が破れた直後なら効果は絶大だ。

「はぁー、ラッキー…!」

 アーシェが思わず呟いた。

 そのときだった。城を覆う魔法の気配が、ふうっと溶けるように緩んだ。

 アイカにはそれが分かった。魔法使いたちもはっとする。

「解けた?」

「解けた!」

「よしっ」

「流石…!」

 双子とスーラ、コロナまでも、思わず感嘆の言葉を漏らす。アイリーンは驚きながらも少し複雑な表情だ。

「解けるんだ…」

 アイカの耳に届いた小さな呟きは、恐らくそんな言葉だった。

 一番城に近いところで様子を伺っていたフィオがぱっと振り返った。

「よし。ココルネとセルがやってくれたな。ここからが俺たちの正念場だ。気合い入れていくぞ」

 その熱を帯びたような声と、力に満ちた目。

 アイカは、感じた――テレポートはとても難しい。みんなのためにも失敗したくない。だが、テレポート出来なければ別の作戦が残されている。

 魔法解除は、違う。さっきの魔法使いたちの歓声や、アイリーンの呟き、フィオの表情や、この場の空気で、アイカは分かった。

 魔法解除の失敗は、参戦者全員の命のリミットを決めてしまうもの。失敗は許されない。ところが、それは、きっとテレポートよりもずっと難しいことだったのだ。解除の担当者が、セルや、ドマール族のココルネであっても、驚くほどのことなのだ。

 

 ここから先、それを、引き継ぐ。

 魔法塔では、レフィーヤが《転移先》を展開して待っている。

 アイカは宣言した。

「いきます」

 精鋭部隊のメンバーが出来るだけまとまったことを確認して、アイカは魔法を開始した。

(イネイン、いきます)

 無言の了承を感じ取って、アイカは順序だって空間魔法を進めていく。

 メンバーがここにいる。

 呼ぶものが、《転移先》があちらにある。魔法塔、高い、あの場所に。

 《転移先》のおかげで、アイカは簡単に道を作ることができた。

(さあ――)

 飛ぼう、というアイカの意思に待ったをかけたのは、イネインと、大きな爆発音だった。

 

 

 魔法封じが解除されるなり、レイキは補助魔法を受ける。召喚獣や後衛とも連携して相手に立ち向かう。

 メアの兵士との攻防。それは、戦争や、攻城戦、と呼ぶにふさわしくないものだった。

 メアの戦士たちは、バラバラだった。連携も、戦略もなにもない。ただ侵入者に恐怖するあまり力を振りかざしている、そんな印象だ。個人の実力や攻撃の威力が、相手の普段の実力を推察させる。数の上では明らかにこちらが不利だが、広範囲魔法の連携も、大規模不意打ち作戦も、レイキが聞いていた作戦のほとんどは使われずに終わるかもしれない。

 両腕に鉄爪を装備した戦士、ビュッと空気を裂く音共に振り下ろされた鉄爪は、レイキの左腕に装備した盾に当たって鈍い金属音を響かせる。鉄爪に付与された魔法効果は白く鋭い電気を生じさせ、一方魔法盾は一瞬淡く発光し、魔法の発動を知らせる。

 魔法カウンターを警戒した兵士がぱっと距離を取った。

 

 爆発音が轟いたのは、そのときだった。

 爆発はメアの兵士たちにとっても予想外のものだったらしい。ほとんどの戦士は、敵も味方もなく、塔を視界にとらえた。爆風と共に、塔の内装部分だろうか、破片が吹き飛び、幾筋かの電光が風に混ざって閃いた。

 魔法防御の染み込んだ城壁は、それでも崩れ落ちなかった。魔法塔の上部が形を保っていることが驚きだ。

 

(嘘だろ…)

 《転移先》をつぶす為の自爆だろう。それはともかく、あの場に誰がいたのか、どうなったのか、レイキには結果のほうが重要だった。

 全身が凍りつくような思いで一瞬動きを止めたレイキは、閃光と、激しく何かを引き裂くような音で我に返る。

 レイキの視界で光ったそれは、広範囲の雷撃だった。紫がかった白い雷が暴れまわる。あのあたりはたしか、『旋風』のロード・アルルがいるはずだ。彼女の魔法に違いない。動揺で止まった戦場、その一時の隙をついての発動だ。

 レイキは先ほどまで刃を合わせていたメアの戦士に集中した。

魔法盾には、セルを初め魔法使いたちが施した、悪魔の影響を弱めるような魔法がかかっているそうだ。ここまでの間にも、何人かに効果を発揮している。

 鉄爪の戦士は、ふらついたものの、また構えた。まだ敵意も戦意もあるらしい。

 もう一発、というレイキの思いと重なって、パーティの仲間が声を張った。

「もう一発かませ!」

 おう! とレイキも声を張り、魔法盾のカウンターを仕掛けに、距離を詰めた。

 

 

 捉えていた《転移先》の気配が消えた。

 道が揺れる。到着地が曖昧になる。《転移先》のないテレポートは、半歩先も見えない暗闇の中に飛び込むような感覚だ。

 アイカは、何を思うよりもまず、探した。

 

 探した。

 

 どこかに飛べるところがないか。導を。

 本来、《転移先》の有無に関わらず城内へのテレポートは不可能だが、アイカにはメア国の主精霊イネインがついている。

 真っ暗闇の中、手探りでイネインの力を広げる。

 見つけなければならない。なにがなんでも。

 力の限り、ここで戦線離脱することになったとしても、探し続ける。

 

 ふ、と、“視野”が広がった気がした。その中に、うっすらと光る存在が、ある。

 どきりと胸が鳴る。イネインは飄々と、呟いた。

『おやおや…誰かが魔力を通しておいたようだね』

(行こう!)

『落ち着きなさい。さあ、道を作って』

 道は再び形作られる。先程と違って、魔方陣の力が弱いのか、河の流れのような道をアイカ自身がイメージして作らなければならなかった。

 長い道。繋がった。

(さあ、行こう)

 アイカは思うともなしに目を開けて魔法の範囲を確かめ、確定し、精鋭部隊全員を巻き込んで、流れの中へ飛び込んだ。

 長い道を一瞬で通り抜ける。

 空気が変わった。朝の湿った空気、土のにおいは消え、古い埃のにおいが鼻先を掠めた。

 

 足が着いた場所は、紺色のカーペットの上だった。

 高い天井は半球型のようだ。壁一面に高さの違う板が無数にあり、その上に壷や人形や、幾何学的な何だか分からない置物、、さらには花まで、様々なものが置かれ、保管されている。それぞれの板に敷かれた様々な色・柄の布が賑やかだ。対して、床全面を覆う敷物は紺一色。一切模様はない。しかし、その下からうっすらと光の柱のように、形が浮いていた。それはテレポート直後の一瞬だけ現れて、すぐに消えてしまった。

「城の、中…?」

 アイカは少し不安になりつつ、エドワードやアイリーンに視線を送った。二人とも、他のメンバーと同じく部屋を見回していた。

「恐らく…隠し部屋でしょう」

 アイリーンは紺一色の敷物に目を落とした。

 やった! と双子が声をそろえてハイタッチし、やったねアイカ! と誇らしそうに笑った。アイカもほっとして大きくうなずいた。

 うまくいったんだ!ひとまず、胸をなでおろす。エドワードと目が合って、頷きあった。

「おい、暗くなってきたぞ」

 レスターがひとり焦った様子で天井を見上げていた。見ると、どこからともなく溢れる薄明かりに包まれていた部屋が、上のほうから徐々に暗くなってきている。

「あ、これが光源かも。使うときだけ部屋が明るくなるオートの仕掛け?」

 メルが分析しながら、床を指差す。

「いいから、ライト《照らす光》頼む」

 レスターが言うか言わないか、ライナスが、コロナが、順々に《照らす光》を唱え、部屋は暗闇から逃れた。

 その光の中で改めて部屋を見回すが、あるべきはずのものがない。

 

 扉がない。

「アイリーン」

 フィオに促され、アイリーンは頷いた。

「ここは緊急の場合に用いられる部屋でしょう。私が知っている部屋ならば、緊急避難のためのものですが…あの部屋は、メアの主精霊のうち、闇の精霊の名を持つ者と、権限を与えられた者だけに開かれる部屋。こちらの部屋は、空間の精霊の名が鍵になっている部屋かと」

 説明しながらも何か納得しきっていない様子だが、それでもアイリーンは続けた。壁に飾られた無数の品を見回す。

「精霊の名は、入るときの鍵です。出る為には…この魔法具の中のどれかが、城内のどこかへ通じる鍵になっているはずです」

 難しい表情のアイリーン。ややあってから、えっ、と言ったのはアーシェだ。リーフも言いかけたが先手を取られた。

「これ全部魔法具? この中から…どれか、なんとかいい場所に出られる鍵探すってこと??」

 それって、とメル。

「下手なやつ選んだら、…だからさ、あたしたちって外から侵入してるわけじゃない? 牢屋みたいなとこに出ちゃったりとかするんじゃない?」

「その通りです」

 あっさりとアイリーンは頷いた。

「外部からのテレポートは…内部の者が手伝わないと、本来不可能のはずですから…精霊の名があると、例外なのかもしれませんが」

 アイカは、はっとイネインの言葉を思い出した――誰かが魔力を通しておいたようだ。

「いいえ、例外じゃありません!誰かが、この敷物の下にある《転移先》に魔力を通しておいてくれた…だからここを見つけたんです。だから、もしかしたらその人が、何か残してくれているかも…!」

「んー! そっか。よし、ちゃっちゃ探しますか」

「そうだな」

 スーラとフィオを筆頭に、メンバーは動き出す。探すといっても、壁面にある様々な物か、紺色の敷物しかない床か、それぐらいしかない部屋だ。

 本当に手がかりがあるのだろうか。アイカは、誰かが残してくれていると、さっきは確信をもっていた。しかし、その確信に根拠はない。

 探し始めて数分、アイカは自分の言葉を疑い始めた。まだ信じる気持ちのほうが強いが…。それに、不確かなアイカの言葉を仲間たちはすぐに信じて行動に移してくれた。それがなんだか無言の同意のように感じられて心強くもあった。

「ねえ、これ剥がしてみようよ」

 メルが敷物を剥がす提案をして、何人かが手伝う。敷物をくるくるとまとめながら、レスターが毒づいた。

「くそ、誰だか知らねえが手伝うなら手伝うで、分かりやすいところに残せよ」

 コロナも、冗談か本気かわからないことを言い始める。

「スーラ、壁が薄いところを爆破してもいいんじゃない?」

「それはともかく、最悪《再現》で視てみるのも手かもねぇ…初っ端から消耗するのは避けたいけど」

 スーラの言葉に双子は悲鳴を上げた。

「えぇえ!? もうちょっと場所絞れないと!」

「そうなんだけど、このままだとねぇ」

 手伝ってくれた…はずだ。アイカはひやりとする。イネインの言い方も、《転移先》を捉えたタイミングも、アイカたちに協力してくれている、ような気がするものだった。

 

(罠…だったりするのかな…? でも、テレポートは予想外のはずじゃ…でも、手伝ってくれるってことは、予想外じゃなかったってことで…)

 アイカは頭をふるふると振って、考え方を変えた。

(城内には入れた。…ええと、だから、あとはどれかを選んでどこかに行けばいい。その手がかりがあるかどうかは分からないけど…残すなら、どこに? 私たちを手伝ってくれたなら、イネインの名を持つ者が来ると分かっていたなら、どう残す?)

 アイカは、壁を調べているエドワードを見つめた。

(もうひとつの隠し部屋は、エドの精霊の名前が鍵で、入れる。エドだったら、どうするだろう…)

「どうしたのだ、アイカ…?」

 エドワードの気遣わしげな声に、アイカははっとした。

「エドなら、どうやって出る?」

「む?」

 あ、ええと、とアイカは考え直した。咄嗟に発した疑問は、言葉が少なすぎた。

「アイリーンさんが、もうひとつの隠し部屋は、エドの精霊の名前が鍵になっていて、それで入れるって言ってたよね。そっちの部屋に、もしエドが入ったら、どうやって出ようとするかなって…精霊の名前をもってる、王子さまとして、どんな方法を、思いつくかな、って…」

「私なら…」

 すぐに何か思い当たったようだ。しかし、すぐに否定してしまう。

「いや、だが…」

「教えて、エドならどうする?」

 うむ、とエドワード。

「私一人だったなら、名乗り、道を示せと命じているだろう。私には肩書きと名前しかないがゆえ、それしか出来ぬのだ」

 少しだけ恥ずかしそうにしたエドワードに対し、アイカは納得して頷いた。周りに人がいる今、盛大な独り言を言うことになるのだ、というところには思い至らない。外に出る、これだけだ。

「ああ、そっか!」

 早速、どこか適当に見上げて息を吸い込んだアイカに、エドワードは慌てた。

「あ、待て、アイカ、名前のことだが」

「―…え?」

「恐らく、鍵になっているとすれば真名ではない」

「え?」

 アイカは目をぱちくりした。城の中にいる誰かが手伝ってくれたのだとすれば、その人は「アイカ」という名前は知らないはずだ。真名以外に、何があるのだろう。

「“真名だと思われている名前”があるのだ。アイカ、真名を知っているのは、アイカ自身と、私と、アイリーンだけなのだよ。私が、父上や母上よりも早く、名づけを行ったのだ」

 

 意味が理解できなかった。一瞬の後、思わずイネインに呼びかけていた。

(違ったの??? フェリシアっていうのは、違ったの??)

『真名はフェリシアだ。親がつけた名は別にある』

 フェリシア・アルフェリア・イネイン。それが真名であることは間違いない。しかしそれは、両親から名付けられたものではなく、悪魔に真名を知られることを避けるためエドワードが名付けたものだったのだ。これまで両親から与えられたものだと信じていただけに、衝撃は大きかった。

(違ったんだ…エドがくれたんだ…)

「じゃあ…」

 戸惑いながらも促すと、エドワードはすまなそうにしながら教えてくれた。

「父上と母上が名づけたのは、オルフィリア、だ」

「…オルフィリア…」

 初めて出会ったはずの名前は、不思議と、心の深くに馴染んだ。

(オルフィリア…。オルフィリア…アルフェリア・イネイン)

 名前をつぶやき、抱いた。その時、背後で仰天の声が上がり、二人はぱっと振り返った。

 声を上げたのはメルだ。その視線の先では、リーフがペンダントのような何かを手に、空を見ている。

 壁に飾られた物のひとつ、泉を模した銀色の盆から、何かが現れた。

「あれは…」

 形のはっきりしない、黒っぽいもや。目を凝らし、エドワードは思わず近づいた。アイカも、他のメンバーも注目する。もやは、なんとか、人の形に近いものになっていた。

“あなたのお名前は?”

 顔のあたりが動き、もやから男の声が発せられる。柔らかいが、沈んだ低めの声。

 息を呑んでそれを見ていたエドワードは、はっとしてアイカを促した。呆然としていたアイカも、あ、と我に帰る。

「…オルフィリア、です」

 名乗る声が消えて、しん、と静まった。もやは無音のまま、ゆっくりと流れ、どうにか形を保っている。不意に崩れて、何も起こらないまま終わるのではないか…そんな予感がし始めた時、再び男の声が話し始めた。

 

“エルディンと同じく空間の精霊名を受け継いだ姫君、ご無事でなによりです。

 私は、友人のルナティアを解放しに向かいます。そしてアルフェを討ち取ります。

 この部屋も安全でしょうが、悪魔の影響は多少あるかもしれません。守護魔法使いシルファーの元ならば安全です。そこでお待ちください。

 濃紺に金の刺繍が施された布の上に、銀の砂時計がございます。それに触れてセエル オブ トゥリア ラ オウスと唱えてください。意味は、三つの誓いの間、です。王族と、守護魔法使い、そして精霊との約束の証が守られている部屋が、そこにあります。移動した先、巨大な扉の向こうは、ウィザード・シルファーの領域です”

 

 一方的にそう告げると、もやは形をほころばせ、空に解けて消えた。

「ルシェンか…!」

「ルシェン殿…!」

 リーフとエドワードの声が重なった。ちらっとお互い目線を交差させる。

「ルシェン殿ならば、信頼に足る人物です。最後に会ったときは、悪い影響を受けていたものの…見た限り、今は正常なようです」

 うなずいたフィオの後ろで、コロナは壁面を見上げた。

「あれですね。濃紺に金の刺繍、その上に銀の砂時計」

 銀の輪の中に、回転させることのできる砂時計が吊るされていた。銀の砂が輝きながら落ちている。フィオはそれを確認し、メル、スーラに目を向ける。

「《再現》でこれを使った痕跡があるか見れるか?」

「それすると、あたし、しばらく足手まといになる」

 メルは応え、スーラは銀の砂時計を見つめて難しい顔だ。

「私が《再現》します」

 凛とした声でアイリーンが名乗り出た。

「一回なら大丈夫です。空間移動なら、効果を落としてもマナが動くはず」

「頼む」

 アイリーンはうなずいた。スーラはすかさず声をかけた。

「ありがと。私たちが読むから、アイリーンは集中してやって」

「お願いします」

 アイリーンは《再現》を詠唱する。すると、銀の砂時計の周囲のマナが動いた。アイカにはそれがよく分かる。

 

 よく分かる…銀の砂時計、それ以外のところでも、微かにマナが動いたことも。

 

 やがてマナは、我に返ったように、ひっそりと気配なくそこに漂う。

「いけるね」

「ああ、これで行ける。間違いない」

 魔法使いたちがうなずき合う。

 アイカは戸惑った。魔法使いたちは、他の場所にも感じられた、空間魔法の痕跡を感じなかったのだろうか?

 フィオはメンバーを見回して言った。

「行こう。移動の後、俺たちは『神の石』を確認する。ライナスのチームは先にアルフェを目指し玉座の間へ向かってくれ。俺たちは目的の後、ライナスのチームを追う班と、魔法陣破壊班の援護班に分かれて動く」

「あの」

 アイカはつい声を上げた。

「あれもです。あれも、最近使われたんだと思います。多分…」

 指したそれは、臙脂(えんじ)色に銀と黒の装飾が入った布、その上に、赤や緑のガラス窓が連なり、空気の円柱をなぞって2,3の螺旋となったようなオブジェがある。

(ねえ、そうでしょ、イネイン? あれはきっと…)

 応えの代わりに、再び、そのマナの変化が思い出された。そして、《捕らえる闇》と、詠唱が聴こえる。それはアイカの頭の中だけのことだったのか、本当にもう一度《再現》されたのか、はたまたイネインの考えたことだったのか。しかし、それでアイカは確信をもった。

「一番最近使われたのは、あれです…移動のための詠唱は、《捕らえる闇》」

 フィオはアイカの視線をまっすぐ受けた。

「ということは、あれは、ルシェンの目的地に通じている…アイリーン」

「はい」

「ルナティアという方が捕らわれている場所から、玉座は近いと思うか?」

 アイリーンは逡巡した。

「…ルナティア様…もし、塔の上の牢ならば、遠いです。地下牢ならば…『神の石』の間と変わりません」

 フィオは、うなずいた。決まった。全員、銀の砂時計で『神の石』の間へ移動し、それから別行動だ。

 行動は変わらなかった。それでも、重要になりうる情報を得たアイカへ、フィオはフォローするように頷いてみせた。アイカも一応頷き返す。アイカは、戸惑っていた。自分が思うよりも、マナの動きがよく分かる…。

 では、とライナスが進み出た。

「先に行かせてもらう。また向こうで会おう。スーラ、レスター、コロナ、エドワード、順に続け」

「了解」

 ライナスは銀の砂時計に向かい、淀みなく《三つの誓いの間》と唱え、姿を消した。

 スーラはアイカにひとつウインクを残し、レスターはエドワードと一時目を合わせ、コロナは「お先に」と断る。

 エドワードも銀の砂時計の前に立ち、アイカへ、何も言わないまま、目を合わせた。アイカも同じように、返す。エドワードの視線は移り、リーフへ向いた。そしてひとつ頷くと、先に行ったメンバーと同じように唱えて、消えた。

 すぐに、フィオは自分の班に号令をかける。

「よし、行こう。メル、アーシェ、リーフ、アイカ、順に続いてくれ」

「フィオさん」

 意を決した硬い声で呼び止めたのは、リーフだった。

 

「僕に、ルシェンを…追わせて下さい」

 続く言葉を探し、しかし言葉にならずに、リーフは思い切り頭を下げた。

 フィオは一瞬、間を取った。それは、迷ったためではない…アイカはそう感じた。フィオは一切の戸惑いも、意外だという表情もなく、リーフの様子を見ている。返事をしなかったその一時は、リーフが離脱することで戦力が減ることや起こりうる事態を、リーフに思い至らせるための一時だった。

 フィオの応えは、きっと決まっていた。

「行ってきてくれ」

 間があったにしても早い決断。リーフは驚きと共に頭を上げた。一切の笑みもないまま、フィオは続ける。

「いざとなれば、ルシェンを止める主力は、リーフ、お前だ。アルフェや悪魔に近づかせるな。ルシェンは、アルフェを止めると言っていたが、オルトや俺たちの見解では、ルシェンはもう悪魔と戦えない可能性が高い。なんでもいい、足止めしておいてくれ。ディル族の魔法使いを敵に加えるな」

 リーフは息を呑み、パーティリーダーの指令に居住まいを正した。

「了解」

 ばし、と、肩にフィオの手が置かれる。

「しっかりな」

「はい」

 リーフはひとり、ルシェンが使ったであろう螺旋形のオブジェに向かう。

「《捕らえる闇》、です」

 思わず声をかけたアイカに、リーフは頷いた。

「ありがとう。ご無事で」

 リーフは《捕らえる闇》と唱え、消えた。

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