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For an Oath:Reverse -Ⅱ.アイカ

     王子の側近魔法使いと、王子の妹。そして、悪魔と共に生きてきた少年。

      ラティスからの知らせの後、『琥珀の盾』に二人が加わる。@1744~頃

 

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 クロスローズは、メア城の北方にある大都市だ。冒険者ギルドのメア国本部があり、メアで冒険者資格を取るならば一度はここへ来る必要がある。

 ギルドへ向かう大きな通り、人々のざわめきの中に、レイスはいた。赤毛の頭、親しみやすそうな雰囲気。剣士の装い、胸元には琥珀が光る冒険者証。彼に目的地はなく、道中の出会いこそが目的だった。

 

 まだギルドには少し遠い道、レイスはふと立ち止まった。ざわざわと通り過ぎていく人の流れ。彼は何気なく、ぱっと振り返った。躊躇なく、引き返す。 

 たくさんの気配の中に、ひとつだけはっきりと向けられる意識があることを感じていた。振り返ると同時に消えた気配を、レイスは思い出して辿る。

 屋外にあるカフェの席、丸テーブルのひとつに、幼子を抱えた女性が座っていた。

 長い外套を羽織り、フードを被っている。その下から覗く紫色の瞳は、下方、どこか虚空を見つめていた。旅人魔法使いに見えなくもないが、それにしては軽装だ。子供は二歳くらいだろうか。女性の膝の上で抱かれて眠っているようだった。

 レイスは迷いなく、その人へ近づいた。女性はレイスを見上げる。その視線が、冒険者証に埋め込まれた琥珀にちらりと走った。レイスはそれに気がつく素振りもなく、ただ穏やかに挨拶する。

「こんにちは」

「こんにちは」

「ここに座っても?」

「どうぞ」

 レイスが席に着くと、「座るなら注文しろ」と言わんばかりの店員がやってきた。目に留まったコーヒーを注文する。特別こだわりのあるコーヒーらしく、説明と、コーヒーにしてはなかなか高い“9”の数字が添えられていた。店員も満足だろう。

「お子さんを連れての旅ですか?」

 レイスの言葉に女性は頷く。

「はい」

 返事はそれだけだった。代わりに、質問が飛んでくる。

「『琥珀の盾』所属の冒険者様ですね?」

 女性は再びレイスの冒険者証に視線を送った。

 円形・銀色の冒険者証に、琥珀が埋め込まれている。これは『琥珀の盾』の幹部の証だ。この裏面には、冒険者のレベル・剣士などの職・悪魔討伐数・冒険者歴などの数値が刻まれている。

「ええ」

 レイスも短く答えた。

「ロード・エルミオがどこに拠点を構えておられるのかご存知ですか?」

 女性の質問に、うーん、とレイスは少し首をかしげた。

「拠点という拠点はもっていませんよ。メンバーの家にお邪魔するか、そうでなければ依頼をこなすか、勧誘をするか、旅をするか、といったところですね」

「そうですか…」

 女性はあからさまに肩を落とした。

「何かお困りですか?」

 女性は逡巡した後、口を開いた。何気なく、だがしっかりと注視されていることをレイスは感じる。

「ロード・エルミオに依頼したいことがあるのです。会わせていただけませんか?」

 『琥珀の盾』ではなく“ロード・エルミオ”に直接依頼とは、一体どういう依頼だろう…レイスの脳裏には、これまであった直接の依頼がぱっぱっと閃くように蘇った。単に信頼できるから個人に依頼したという単純なものから、エルミオにしか真実を知られずに大人数を動かしてほしいという訳あり依頼まで。

「…『琥珀の盾』のロードに会わせてほしいと頼まれたメンバーは、私のような剣士ではなく魔法使いであったなら、自ら判断してロードの元へあなたを連れて行くでしょう。

 残念ながら私は剣士です。魔法を見破る力がありません。あなたを『琥珀の盾』の魔法使いの元へ連れて行くか、あるいは今、あなたの話を詳しく聞くことしかできません」

 女性はそれを聞いて気を悪くするどころか、納得したように頷いた。ほっとしたようにも見えた。

「分かりました。『琥珀の盾』の魔法使いの方に会わせてください。その後、可能ならロード・エルミオに会わせてくださいますね?」

「ええ、もちろん。案内する前に、ギルドで用事があるので、そちらを済ませていいでしょうか?」

「はい…ただ、私たちはここで待たせてもらいます」

 レイスは頷く。

「では、ちょっと行ってきますね。申し遅れましたが、私のことは、レイス、とお呼び下さい」

「アイリーンです。レイスさん、よろしくお願いします」

 レイスは微笑んだ。アイリーンが大切に抱いている幼子は、眠ったままだった。

 

 

 

 冒険者で溢れるギルドを、レイスは急ぎ足で歩く。同盟幹部、主にロードが利用する窓口へ真っ直ぐ向かった。

 窓口の向こうの魔法使いへ、レイスは声をかけた。

「『琥珀の盾』ロード・エルミオです。至急、空間転移鞄でガーディアンへ手紙を送りたいのですが」

「速達ですね。冒険者証の提示をお願いします」

 窓口の魔法使いは、レイス――エルミオの冒険者証に触れ、目視し、最後に、冒険者証が本物で、エルミオ本人の物であることを魔法で確認する。窓口の魔法使いは詠唱破棄でこの魔法を行うので、ギルドの特定のメンバーしかこの魔法を使えない。

「はい、結構です。手紙はお持ちですか?」

「すぐなので、紙とペンをお借りしても?」

「ええ、どうぞ」

「ありがとうございます」

 早速エルミオはペンを走らせる。空いている窓口で良かった。

 たった二行だけ走り書きし、エルミオは折っただけのその紙を魔法使いに渡した。

「『琥珀の盾』ガーディアン・セルへお願いします。恐らく、トラジェにいると思います」

「かしこまりました。トラジェですね」

 魔法使いは慣れた手つきで、窓口の向こう、道具がきちっとしまわれている棚から道具を出す。

 水晶の板に、複雑な魔法陣が刻まれている。その上にエルミオの手紙を置く。

 窓口の向こうには手が届かないようになっている。魔法使いは集中して、これもまた詠唱破棄し、一部分だけ声に出して唱えた。

「《―――『琥珀の盾』ガーディアン・セル…―――空間転移》」

 ふっ、と手紙は何かに吸い込まれるように消えた。

 魔法使いは集中を解いて、ぱっと道具をしまった。

「送信しました。トラジェ方面におられましたよ」

「そうですか、ありがとうございます」

「はい。料金は130リアンです」

 エルミオは財布を確認した。『琥珀の盾』のお金ではなく、正真正銘自分のお金だ。

 大きな銀貨は500リアン。この財布にはあと、10リアン単位以下の銅貨しか入っていない。

「…530リアンでお釣りを頂いても?」

「かまいませんよ」

 もし今回の件がラティスからの知らせの件と無関係ならば、『琥珀の盾』のお金から貰おう、エルミオはそう考えつつ、それが出来そうもないことをすでに感じていた。

 

 

 

 こだわりのコーヒーが冷めてきていた。

「お待たせしました。これ、飲んでいっていいですか?」

「どうぞ」

 アイリーンは小さく微笑んだ。

 焦りはないようだったので、エルミオはあまり遠慮せずコーヒーを味わった。アイリーンは見るともなしにエルミオを視界に入れている。しかし、エルミオにからすれば明らかに、注視されていると分かる。観察されている、といったところか…焦りはないようだが、警戒はしているようだ。

 あまり弾まない雑談をしながら、エルミオはコーヒーを飲み干した。支払おうとしたら、いつの間にかアイリーンが払ってくれていた。返そうとしたが2度断られたので、エルミオは素直にお礼を言った。

「リャンへ向かいます。大変ですが、テレポートはできません」

 これまでと変わらない様子でエルミオはアイリーンに告げた。

 テレポートが出来ないのは当然のことだった。エルミオは剣士だ。街には《転移先》の魔法陣があるが、それはあくまで魔法をサポートするもの。剣士がテレポートを使えるようになる魔法陣ではないのだ。街の魔法使いに頼めばテレポートさせてもらうことも可能だが、料金がかかる。また、形式上ではあるが、身分証明や目的を明かす必要がある。それ以外の方法としては、テレポートの魔法を込めたスペルストラップなどがあれば、剣士でもテレポートが使えるが…。

 アイリーンはすぐに反応しなかった。当然と思える”レイス”の言葉にどういう意図があるのか考えていたのだ。

 やがて、言った。

「かまいませんが、危なくなれば、私にレイスさんを助ける余裕はありません」

「ええ、その子とご自分の身をしっかり守ってください。もしもの場合は、リャンかクロスローズ、近いほうで合流しましょう」

 「子供は私がおぶりましょうか?」と、エルミオには言えなかった。どんなに大変でも、アイリーンがその子供を赤の他人に任せることはない。多くの親がそうだし、それに、大切なものを赤の他人に任せることは非常識だ。

 少し心配していたエルミオだったが、アイリーンはあっさりと、《浮遊》を詠唱し、子供にかけて抱き上げ立ち上がった。

 エルミオは微笑んだ。

「では、行きましょうか」

 二人と、子供は、クロスローズの西の門から、隣町のリャンへ向けて出発した。

 

 

 馬車二台がぎりぎりすれ違える程の道幅が続いた。

 アイリーンはエルミオの半歩後ろを歩いて着いてくる。二人はそのまま、たまに言葉を交わしながら歩き続けた。

 アイリーンは『琥珀の盾』のことを聞きたがった。方針や、具体的でちょっとしたエピソード、普段は何をしているのかなど、エルミオは細かに話す。

 クロスローズとリャンの間、小さな旅人の小屋で休憩をとり、また歩き始める。出発してから2,3時間ほど経っていた。

「これから会う魔法使いは、『琥珀の盾』ができた当初からのメンバーなんですよ。私が知る限りで、最高の回復術士です」

「回復術士、ですか…。ディル族かエルフ族のお方ですか?」

「ええ、エルフ族です」

 エルミオはそこまで、にこやかに答えてから、声のトーンを落とした。

「来てますね」

 背後に気配があった。魔物か、悪魔か…人以外の何かのようだ。

 アイリーンも小さく頷いた。そこでエルミオは確信する――アイリーンは手練の戦士だ。

「ひとまずこのまま進みます」

「レイスさん、あれを完全に倒せませんか? 魔法使いの方をこちらに呼べませんか?」

「このまま進みます。大丈夫」

 アイリーンはひとまず”レイス”に従ってくれた。

「私が最も信頼している一人です」

 雑談をする調子で、エルミオは言った。アイリーンは不安を押し隠しつつ、目だけで問い返す。

「回復術士のことです。はじまりは、5人でした。その5人のうちの一人が、回復術士の彼です――ほら」

 エルミオは警戒を解いて振り返った。アイリーンも気がついて、驚き、振り返る。追ってきていた気配が、消えた。代わりに、道の脇の木々の間から、二人、歩いて出てきた。

 一人は、背の高い、エルフの男。長い黒髪を三つ編みにしている。もうひとりは、ふわっくるんっ、とした髪とぱっちりした目の、ハーフエルフの女。どちらも魔法使いのようだ。なにやら言葉を交わして笑い合って、アイリーンとエルミオのほうへやってくる。

「彼がセル。彼女はコロナ。『琥珀の盾』のガーディアン・ウィザードたちです」

「レイス」

 セルはそう呼んだ。

「やけに統率のとれた魔物、4匹だった。全て倒したよ」

「そうか、ありがとう」

 セルは優しいとも、気弱ともとれる笑顔でアイリーンにたずねる。

「遅くなりました、『琥珀の盾』のセルと申します。お怪我はありませんか?」

「はい。…あの…」

 アイリーンはすでに察していた。この”レイス”が何者なのか、何か言いたげな顔でセルやコロナ、”レイス”を見る。

「ティラは?」

「多分ルサック。間に合わないから二人で来た。急がないと」

「私たちじゃ火力不足もいいとこです」

 コロナはそう言ってから、アイリーンにちらっと微笑んだ。すぐ真顔になる。

「『琥珀の盾』コロナです。あの魔物と同じようなものたちが、多分あなたを、追ってきます」

 アイリーンは驚きを隠すこともしなかった。

「それは…ええ、そうでしょう、でもどうしてそれを?」

 申し遅れました、と、戸惑うアイリーンに”レイス”は向き直る。

 

「『琥珀の盾』ロードの、エルミオです。騙すこととなり失礼しました」

「なにをご存知ですか? なにかを、なさっているのですか? 私も何かできませんか?」

 まくしたてるアイリーンに対して、エルミオは落ち着き払っていた。アイリーンと真剣に向き合い、低いトーンではっきりと話す。

「まだ、事態を把握していません。昨年、エトラニアの『中央騎士団』からメア王家について知らせを受けました。エトラニア王は、メアのお世継ぎとお会いしたことがないとか。

 最悪の事態を想定して、『盾』と『月』が警戒しています。アイリーンさん、何かご存知ですね? あなたはどなたですか? こちらのお子様は一体?」

 アイリーンは逡巡して、一瞬セルとコロナに視線をやったが、やがて早口で話し始めた。

「私は、エド――」

「待って」

 コロナが鋭く止めた。

「あまり直接的な言葉は《探索》にひっかかるかもしれません。少なくとも今はまだ、あなたは探されています。固有名詞は出さないで下さい」

 アイリーンは頷いた。

「そのメアのお世継ぎにお仕えする魔法使いでした。非公開ですが二年前に妹君がお生まれになりました。この方が、そうなんです」

 ずっと抱いている女の子に視線を落として、アイリーンが示す。

「私は、私が仕えていた方の命で、この方を連れて二度と戻らない外出をしています。私たちがいた、あの方が今いらっしゃる、あの場所には…悪魔がいるのです」

 メア城に悪魔がいる。

 想定していた最悪の事態が、現実となった。

「契約者は、あなたが仕えていた方ではないようですね?」

 エルミオの問いかけにアイリーンは即座に頷いた。

「あの方はメアの精霊に守られています。契約者は、あの方の母君です。私は十年以上前に、…あの方の父君にご用命賜り、側近となりました。私の固有精霊ならば、あの城の中、あの方の側近となっても、悪魔の影響を受けずに済むから」

「この方を悪魔から遠ざけるために、外出を命じられた?」

「そうだと思います。あの方はまだあの場所に一人…」

 アイリーンはつらそうに顔を歪めて、歯を食いしばった。だがすぐに、ぱっとエルミオを見た。

「お願いします。この方を、預かって頂けませんか? 私と一緒にいるのでは見つかる可能性も高くなる上に、私一人ではこの方を守りきれません。どうか、『琥珀の盾』の庇護下においてください…!」

 エルミオはしばし考えた。それから、言葉を選ぶように話す。

「私は、母親にはなれません」

 一旦言葉を切ったエルミオ。セルもコロナも、黙ってその先を待っていた。

「命の危険からこの方を守ることを最優先にしたとき、親に代われる者はいません。

 私たちは恐らく、冒険者に関わる道しか示すことができないでしょう」

「そのつもりで、」

 間髪をいれずアイリーンは言った。

「あなたを探していたのです、『琥珀の盾』のロード」

 アイリーンの声はきっぱりしていた。心を決めている目をしていた。それでも、震えているのは気のせいではない。

「いつか、敵が動いたとき、真実を知ったとき、この子には力が必要となるでしょう。…師が必要です」

 アイリーンが見ていたのは、未来だった。いつ来るのか分からない未来を見据えて、アイリーンはエルミオを探していたのだ。

 この決断で、アイリーンは、一人の生きる道を決めてしまう。冒険者に預けることをせず、戦いからかけ離れた中、母親や悪魔の真実も何もかも知らないままで生きていく道を与えることも可能だったはずだ。それでも、アイリーンは、この道を選んだ。

「私も、短期間ですが、冒険者の経験があります。どういう職業か、分かっています。いずれあの敵と相まみえるのなら、冒険者としての学びは役立つはずです…いいえ、必要となるはずです。だから…」

「母親にはなれませんが…」

 再びエルミオは言った。

「…『盾』の幹部に適任者がいます。

 無事に、人として、冒険者として、育てましょう。約束します」

 ほーっと、アイリーンの体が緩んだ。エルミオは続ける。

「敵はいつか尻尾を出します。そのとき、然るべき方法でこの子に真実を知らせます。それまでは、全てを秘密にします。敵のことは『盾』と『月』の幹部にしか知らせません。敵に悟られず、好機を逃さないためです。

 この子は『盾』の庇護下で、主に旅をして過ごす事になるでしょう。十歳を超えてから頃合を見て、この子の思い次第ですが、冒険者の道へ誘ってみましょう」

 アイリーンはしっかり頷いた。

 それから、子供を抱きしめて、額に唇を寄せ、優しく何かを囁いた。

「《眠り》を、解きます…。…妹君を…お願い致します」

 アイリーンはエルミオに、子供を抱き渡した。何か大役を終えて力が抜けてしまったようなアイリーンに、エルミオの言葉が鋭く飛んだ。

「あなたも、よろしくお願いしますよ」

 え、という表情でアイリーンはエルミオを見る。

「この子のことは私たちが受け継ぎましたが、いつかくる戦いのときをあなたは予感しておられる。私もそのときは来ると感じている。

 あなたが導いた道、私たちが与える力で、この子は戦っているかもしれない。そのとき、あなたの力が必要になるかもしれない。あなたが仕えている方を助ける力か、一戦力か、この子の支えか、わかりませんが、あなたの役目はまだ終わっていません。この子を助け、あなたの主や私たちの王を救うことは、まだ終わっていませんよ。

 だから、お逃げください。あなたの痕跡はここで断ちます」

 言葉が、アイリーンを満たした。それは生気となって、再びアイリーンを奮い立たせた。力強い目と覚悟の表情を取り戻して、アイリーンは小さく微笑んだ。そして、エルミオに返したい気持ちに応じるふさわしい言葉が見つからず、ただ深く頭を下げる。

 エルミオは微笑んだ。

「またいつか、ともに戦う日に」

「はい。いつか来るその時まで…皆様、どうか、ご無事で」

 セルは微笑んだ。コロナも周囲を警戒しつつ、アイリーンに笑いかけた。

 

 アイリーンがテレポートしてしまう寸前に、エルミオは大切なことを思い出してたずねる。

「この子のお名前は? 書いてくだされば、そう呼ぶようにします」

 アイリーンは、首を横に振った。

「まだ、真名と、偽りの”真名”でしか呼ばれたことがないのです。両親からの名づけの前に、私のお仕えする方が名づけを行いました。本当の真名を知っているのは、私のお仕えする方と、私だけ。

名前は、決めてあげてください…私には、そのような資格はありません」

「アイ…。…アイカ、かな」

 エルミオの言葉に、皆注目した。名前を決めるには、あまりにも早かったからだ。

 ん? とエルミオ。

「あなたのお名前から少し文字を頂いて、アイカ。私はこれがいいと思うのですが、いかがですか?」

 アイリーンは照れるように、泣きそうに、笑った。

「…はい。…でも、来るべき時まで、私はその名を知らない者として過ごします」

 もう行って、と突然コロナ。

「お元気で。痕跡は私が操作します」

 コロナのその言葉と同時に、セルはアイリーンに一礼し、森へ入っていく。近づいてきた気配を、消すためだ。もう時間はなかった。

 コロナはマントの下にある魔法補助のアイテム、マナの石を指でなぞって確認しながら早口で言った。

「エルミオ、メアソーマでいいですね? 多分双子がいるはずです」

「うん。手伝ってもらう。そこからルサックへ向かうよ」

「アイリーン、あなたはトラジェへ飛ばします」

 街に《転移先》があるとはいえ、とんでもない長距離のテレポートだった。空間魔法を専門にしている魔法使いでなければ不可能だ。

 別れの言葉はもう交わした。再会を約束した。アイリーンはただ頷く。

 コロナは集中し、詠唱し、やがて、アイリーンはマナに包まれ、魔法の道を一瞬で通り抜け、街の魔法陣の上に立っていた。

 

 

 そして、来るその時まで、アイリーンは名前を変えて、待ち続けた。心の底にはいつでも、アイリーンの名前から文字をとったあの子と、城に置いてきた主のことがあった。

 

 

 アイカは、ハーフエルフの双子・アーシェとメル、それに、放浪の詩人ティラが主に面倒を見た。誰かがクエストに行っていても、必ず他の誰かがアイカの傍にいた。時に笑い合って、叱って、抱きしめた。

 騒がしかったハーフエルフの双子は、アイカのおかげで落ち着くべき時に落ち着けるようになった――これは本人たち以外が特に感じた。ハーフエルフの双子は、母というより姉や女友達だった。

 ティラは落ち着きのある態度でアイカに接した。もともと、雑学や事実はいくらでもしゃべり続けるが、自分のこと、特に感情は直接な表現をしないのがティラだ。微笑み、思いやりをもって接し、一番よくアイカを抱きしめた。それがティラの表現方法だった。言葉で教えたことは、専ら知識だ。

 アイカは「お母さんは誰?」とは言わなかった。何かを感じ、なんとなく知っていったのだった。冒険者と深く接するアイカは、両親がいないことに寂しさを感じつつも、違和感を覚えることはなかった。誰も、少なくともアイカの前では、自分の親のことを話す人はいなかった。

 アイカにとっての親は、『琥珀の盾』だった。

 十五歳のレイキが『琥珀の盾』に入りアイカと出会ったのは、1763年のことだった。

 

 真面目な少年だった。

 自分に厳しく、冒険者歴の割にレベルが高い剣士。なんとなく近づきにくい雰囲気があった。しかしアイカは、その雰囲気に押されるどころか、興味をもった。レイキが意図してか、無意識にか、作ってしまっているその壁の向こうが知りたかった。『盾』に育てられ、いろんな人と出会ってきたが、壁を超えると案外仲良くなれることが多いのだ。

 アイカは少しずつ遠慮を減らしていった。自分も剣士であることから、流れで戦い方を教えてもらうこともあった。そこから、壁の向こうが見え始めた。レイキが一番頑張っていることは、冒険者・剣士だったのだ。

「俺の親は二人共冒険者だった。冒険者やってて、冒険行ってそのまま死んだ」

 レイキがどんな気持ちでそう言ったのか、何を思って冒険者を頑張っているのか分からないが、アイカはただ、漠然とした寂しさを覚えた。

 両親の気持ちが知りたかったのか。――どうして冒険者をやめて一緒にいてくれなかったのか。冒険者以外で稼ぐことができなかったのか、冒険者がそれほど魅力的だったのか。

 知り得ない本当を、知りたくて、一生懸命なのだろうか。

「私の親は、『琥珀の盾』だよ」

 別の機会に、アイカはレイキに言ってみた。

 レイキは少し驚いてアイカを見た。アイカはどう反応すべきか分からないまま、ちらっと笑った。レイキはいつも難しそうな表情の仮面を被っている。その時は、それが外れた。

「そうか」

 言葉はそれだけだった。もっと何か言おうとしてくれているのは、レイキの様子から分かる。アイカにはそれで十分だった。感情は、言葉以外からのほうが分かりやすい。

「大丈夫! ありがとう。一緒に冒険者しよう。そうしていたら、私、ちゃんと楽しくて、寂しくなんかないよ」

 

 

 

 

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