For an Oath:Reverse -Ⅲ.魔法使いたち
強大な悪魔を相手に、魔法使いたちは何を成し、思うのか。
待ち続けた魔法使い。宝石の瞳の変身術士。騎士団の変人魔法使い。@1770~
For an Oath:Reverse ( Ⅰ / Ⅱ-1 / Ⅱ-2 / Ⅲ / Ⅳ / Ⅴ-1 / Ⅴ-2 )
城の周辺の街から、離れることはなかった。
アイリーンは二十六年間、リーンと名乗り、少しだけ魔法が使えるただのハーフエルフとして過ごした。生活に役立つ魔法を扱う魔法使いのフリをすることも考えたが、戦闘や研究で扱う魔法と、日常生活で扱う魔法では、イメージが違ったので、すぐに馴染むことができなかったのだ。一般人のフリをするほうが楽だった。
準備はしていた。
城の外に、あの方が少しでも出てきたならば、迎えに行くのだ。本来転移先のない村、フィウメの外れに、アイリーンは魔法陣を隠していた。《転移先》の魔法陣だ。専門外の魔法だが、何年も街魔法使いの勉強をし、描くことができた。正常に作動するかどうかは、自分の身で検証済みだ。
どうやってあの方を見つけるのかは、『琥珀の盾』のコロナの言葉を聞いたときに決めていた――「あまり直接的な言葉は《探索》にひっかかるかもしれません。少なくとも今はまだ、あなたは探されています。固有名詞は出さないで下さい」
《探索》はそれほどレベルの高い魔法ではない。その代わり、性能も良くはない。家の中で財布をなくしたときに使うくらいの魔法だ。
それを応用し、二つの魔法を併用するのだ。
ひとつは、蜘蛛の巣のように張っておくタイプのもの。広範囲に魔法陣を作って、どうにか実現させた。いつでも注意を払って、城から外に向かう者を見つけなければならない。
もうひとつは、城周辺でそれらしき動きがあったときにだけ使う魔法。こちらには、コロナが言ったような条件を付ける。
客観的な事実を条件に入れて、《探索》をする。その条件があの方に当てはまるように、条件付けをする必要がある。よく使われるのが、コロナの言った、言葉だ。具体的な、固有名詞を話した者を探す、というものだ。
真名があれば、簡単に人物を特定して《探索》できるのだが、あの方にそれは使えない。アイリーンは、”アイカ”の真名は知っているが、自分の仕えているあの方の真名は知らなかった。
あの方が、城を出たときに言いそうな、固有名詞。
私を呼んでくださいと、言い残せば良かった。そんな後悔をしても仕方がない。
可能性があるのは、「ルナティア」と「ルシェン」、「アルフェ」「エルディン」だろう。しかし、後者二つの名前は他の一般人もひっかかる可能性が高い。さらに言えば、前者二つも、城の者なら、ありうる。
アイリーンの出した結論は、四つの名前のどれでもなかった。「ルナティア」「ルシェン」と言葉にする状況ならば、逆に、エドワードを呼ぶ人物が――ルナティアかルシェンが――傍にいる可能性が高い。そして、万が一、エドワードが一人だった場合に言葉にするとすればやはり、妹君の名前だろう。
条件は、「エドワード」「フェリシア」だ。
この条件で、二回《探索》をする。三回以上行うことは、アイリーンには難しかった。見つけたとしても、逃げるための力を残しておかなければならない。
朝に、昼に、夜に、アイリーンの集中力に余裕があって時間があるときに必ず、癖のように《探索》を行った。少しでも精度を上げたかったのだ。城周囲の魔法封じは、魔法の効果を阻んでいた。蜘蛛の巣の魔法にひっかかっても、ひっかかったこと自体をアイリーンが見落とす可能性がある。何度も《探索》を行い、「エドワード」は何回かひっかかったが、城付近にきたメアソーマの住人がほとんどだった。
やがて、アイリーンはテレポートリングを手に入れた。テレポートの魔法が込められた、魔法の指輪。レベルの高い冒険者が、緊急避難用に持つことがあるものだ。これがあれば、何回かは自分の力を使わずにテレポートを行うことができる。詠唱が必要になるし、テレポートの痕跡を残さないようにするために自分の力が必要だが、それだけで済む。
それらしき動きを見つけたときには、直接テレポートすることはできない。城の周囲には魔法封じが張り巡らされていて、その外にしかテレポートできないのだ。それも、《転移先》がなくてはならない。あの方が《転移先》を持っているはずがないし、持っていてはいけない。普通、《転移先》は、誰にでも有効なのだ。見つかりさえすれば、敵も使えてしまう。アイリーンは、城の周囲何箇所かに《転移先》魔法陣を描き、それを隠すように、見た目の面では幻術の一種である《隠蔽》をかけ、そしてマナの変化を隠すようにマナ操作を施した。何箇所も《転移先》を描き、隠す。何日もに渡る大作業だった。
何年かする間に、《転移先》は何箇所かバレては消された。描いたのがアイリーンだと知られることはなかったので大事には至らなかった。
そうして、待っていた。
二十六年目だった。
蜘蛛の巣の魔法に、微かな揺れがあった。
《探索》を詠唱する。感覚の波が、城周辺の広い範囲に広がる。いつもは、暗く静まった水面のように、何も見つからずに終わる。
その水面で、光る水滴が落ちたように、それを見つけた。
”エドワード”
誰かが呼んだ。これまで何度か外れだったにも関わらず、アイリーンは考える前にテレポートする。その光る水滴に最も近い《転移先》へ。
森の中。冷たく澄んだ空気。アイリーンは駆け出す。《早く》を何度か使って継続させながら、走る。あの水滴が落ちた感覚は、まだアイリーンの中に残っている。
もうすぐ城の魔法封じの範囲に入る、というときだった。全身全霊で探しながら走っていたアイリーンの視界の端で何かが駆けた。
アイリーンはすぐに方向転換し、それを追う。《早く》《跳び駆けよ》を唱えて。
すぐに追いついた。そのふたりを、アイリーンは見間違えることがない。
「エドワード様!」
城に置いてきたあの方が、そこにいた。ルナティア様と共に、城を出たのだ。ようやく、だった。ようやく、再び、お側でお守りすることができる。ようやく、事が動く。
ひとりで戦ってきたアイリーンの、本戦が始まった。
*
アイリーンとエドワードがクロスローズへ居たことは、偶然ではない。
二十六年前、アイリーンがエルミオに出会ったのがクロスローズだった。事が動いた今、エルミオが約束を覚えていてくれるなら、ここでまた出会える可能性が高いと考えたのだ。
「妹君は、アイカという名で冒険者を生業としておられます」
アイカ、とエドワードは呟いた。慣れないのだろう。今日までの長いあいだ、何度心の中で「フェリシア」を呼んだことだろう。慣れなくて当然だ――アイリーンはただ主を見守った。
エドワードももちろん、偽名を使った。宿に泊まる時になって一瞬口ごもったエドワードに代わり、アイリーンが咄嗟に言った。
「私はリーン。彼はエルド。部屋は隣が良いのですが、空いてます?」
「相部屋じゃなくていいのかい?」
宿屋のジョークにアイリーンはどうにか可笑しそうに笑った。
「旅の仲間ですよ」
無事部屋をとって、後に食事をしているときに、エドワードはアイリーンをまじまじと見た。
「リーンと名乗って暮らしてきたのか?」
「はい。リーンとお呼び下さい。私も、しばらくは、エルドと呼ばせていただきますね」
「うむ、そうだな」
リーンとエルドの旅の仲間ごっこは、案外早く終わることとなった。身分を隠す必要がなくなったからだ。
「すみません、噂をご存知ですか」
声をかけてきたのは、どことなく、アルフェに、そして雰囲気はエルディンやエドワードに、似ている女性だった。
アイリーンは話に割り込んで尋ねる。
「失礼。私はアイリーンと申します。貴方のお名前を伺ってもよろしいですか?」
リーンと名乗る必要はない。そう思った。この街で、この人と出会うことを知っていたかのように、アイリーンは強い確信を持っていた。
「『空の鈴』同盟ロード、アイカです。駆け出しですが…」
フェリシアは、不思議そうにそう言った。
エドワードは動揺した。アイリーンにはそれが分かって、逆に落ち着いた。落ち着かなければならなかった。
あの子が二十六年経ってまたこの街にいて、アイリーンと再会した。ロード・エルミオは、覚えていてくださったのだ。
アイリーンは全てを押し隠して微笑んだ。真実を告げるのは、アイリーンではなくエドワードであるべきだと、随分前から決めていたことだった。今、何かを悟られることは避ける。
「アイカさんは、『琥珀の盾』のロード・エルミオともお知り合いでしょうか? 現実的に考えて、あの方とも協力できると良いと思うのですが」
そう言いながらアイリーンの頭の中を様々なことが駆け巡った。
エルミオは既に動いていた。城の外部でも動きがあったようだ。アイリーンとエドワードが知ることと、エルミオやアイカの知ること。それらを合わせて、協力する。アイリーンには、不謹慎ながらも、今の状況は、最悪ではない…むしろ、かなり上手く事が運んでいるように感じていた。順調に、出会うべき人に出会えている。運が悪ければ、こうはいかない。エドワードは見つからず、アイカに出会わず、『琥珀の盾』と合流できない。最悪だ、想像するだけで吐き気がする。二十六年間、エドワードが見つからない悪夢を何度見たことか。
アイリーンは、強くあることができる。決意は、二十六年前に既に固まっていた。
***
ティークの荒地でマナの変化を感じた瞬間、シュラインの感情がオルトの中で爆発的に膨れた。オルトはその一瞬、シュラインが本当に“悪魔”なのだと感じた――こんなにも誰かを憎み消してやりたいと本気で思うなんて。その感情で、オルトを塗りつぶしてしまいそうになるなんて。
相手が誰なのか一瞬で分かった。
あいつだった。永い間対立してきた悪魔だ。シュラインが最後に会ったのは、70年前のエルフとヒューマンの戦。思うだけで、串刺しにして、切り裂いて、引き裂いて、叩き潰して、粉々にして、抹消してやりたくなる。
「来る」
オルトとシュラインは言った。
オルトは、残っていた自分の意思でエルミオの元へ、文字通り飛ぶように駆けた。
そして、オルトは初めて、シュラインは何度目かの遭遇をした。
悪魔リューノンと。
*
《転移先》魔法陣の建物から出て、オルトはエルミオに謝った。
「ごめん…気付かなくて…」
エルミオはオルトをいたわるように、小さく首を振る。
「この国には大勢のウィザードが居る。その誰も、気が付くことができなかったんだよ、オルト」
「オレには、シュラインがいるのに」
さっきまで、アイカやレイキ、ティラがいるときには言えなかったことをオルトが語る。オルトの隠しごとを知る数少ない者の一人が、エルミオだった――正確には、オルトの隠し事を知っている、とオルトが思っている人物の一人がエルミオだった。ティラをはじめ『琥珀の盾』の幹部レベルの冒険者は、ほとんどがオルトの秘密を知っている。
ともかくオルトは、エルミオを信頼していた。
「奴があんなに近くにいたのに。おとなしすぎたんだ。ずっと準備していたんだ。シュラインも、オレに構ってて気付かなかった。メアの城の中に悪魔が入るわけないって思ってた…」
「そうだろう。皆、そう思っていたんだよ。
そして、今、全てが終わったわけではないんだ。
オルト」
呼ばれてオルトは顔を上げる。
「それに、悪魔シュライン。お願いがある。貴方達の秘密を公にし、この戦の主戦力になってくれないだろうか?」
エルミオの真剣な目を見返したのは、幼いオルトの目ではなく、冷徹な悪魔のオパールの瞳だった。オルトの声で彼は言った。
「エルミオ。この子を世間の棘の中へ放り込もうというのか?」
「悪魔シュライン、今まで俺が貴方の大切なオルトにどのように接してきたか知った上で、そう訊ねるのか」
「ヒトは悪魔の顔を持っているものだ。例外はない」
「では、あの悪魔を放置しろと? 悪魔シュラインよ、オルトの心はどうなる? 聞かせてくれ」
オルトの目から冷徹さが消える。おびえて、悲しんでいる。見ている方が泣きたくなってくる。
「…オレたちが、あいつと…あの悪魔と戦うのが一番いいだろうね」
「理由をきいてもいいかい?」
あいつはね、とオルトは少し顔をしかめる。
「シュラインと対の悪魔だよ。シュラインが大嫌いな、悪魔…リューノン。長く存在する悪魔で、四大悪魔を除けば、最強の部類のやつ。
オレ達が戦って、アルフェさんを倒して、そこにいる悪魔を倒しても、それはリューノンの一部だけ…完全には滅びない。強い悪魔だから」
強大な悪魔は、ひとつの場所に自分をまとめて置いたりしないのだ。悪魔は、存在の性質は魔法に近いもの。個をもっていても、肉体のように縛られたりせず、分けておくことができる。といっても、ある程度力がなければ、分けてしまうと個・意思を統一して保つことができずに、本当に分離してしまう。自分のまま、複数に分かれて存在するということは、力のある悪魔の証なのだ。そんな力のある悪魔でさえ、分けた全ての自分に意思を持たせておくことは難しい。例えば三つに分かれていたら、ひとつは活動し、二つは眠って有事にそなえる、というようになるのが普通だ。
リューノンもまさにそれだった。滅ぼしたと思っても、それはリューノンの一部。ほかの場所にあるリューノンに意思は継がれ、目覚めるのだ。
「だけど、あいつは、今回力を注いでる。城に、誰にもばらされずに、ずっといたんだから」
「ずっといた?」
オルトは頷く。
「アルフェさんはもう戻ってこられない。長く契約しすぎた。シュラインが言ってた」
オルトはまたうつむいた。それでも話し続ける。
「だから…対抗するなら、オレたちが適任だよ。リューノンはどれくらいの力を出してるか分から…いや、5割くらいらしいけど。オレたちなら、オレたちだけでリューノンと戦える。だって、シュラインは全部オレと一緒にいるから」
オルトはエルミオにちょっとだけ笑って見せた。
「いいよ。俺が悪魔と契約してるって皆に言って。じゃないと、作戦、できないでしょ?」
エルミオは微笑んで、深く頷いた。
「ありがとう、オルト。悪魔シュライン」
「この子が望むなら仕方あるまい? 道はなかったのだ…私の大切なこの子に危害が及べば、ロード・エルミオよ、覚悟せよ」
エルミオは頷いたが、その頃にはシュラインではなくオルトに戻っていた。
オルトはへにゃっと笑う。
「大丈夫だもん。俺のこと、エルミオは最初から全部知ってたのに、友達になったんだから」
*
オルトが物心ついたころから、シュラインはいた。いや、シュラインしかいなかった。
だからオルトはシュラインに、一緒にいてくれと求めた。それが契約になりえるとは知らずに。その時、オルトはシュラインから何も求められなかった。契約によってシュラインが何を得たのか、オルトは知らない。
その後だった。エルミオたちと出会ったのは。
悪魔は冒険者が倒すべきもの。悪魔にそそのかされて契約してしまった者もまた、倒すことになる場合がほとんどだ。
契約者は、悪魔に願ってでも手に入れたいものがある場合が多い。その想いを、歪んだ形で実現させてくれるのが悪魔だった。
悪魔に支払う代価は、命やそれに準ずるもの、あるいはそれ以上のものである場合が多い。
故に、悪魔とその契約者に向けられる世間の目は、敵を見る目か、哀れみの目だ。
宿のとある窓から、オパールの瞳が満ちかけた月を見ていた。
オルトは晴れた夜が好きだった。こういう夜に飛ぶのは気持ちがいい。
(シュライン…)
オルトが心の中で呼び掛けると、自身の中に何か別のものが現れた感覚があった。もう慣れた、安心感すら覚える感覚。
『アルフェのことか』
オルトにだけ聞こえる声がした。シュラインの本当の声を、オルトだけが知っている。オルトにとってだけ当たり前の、二人だけの世界。
(シュライン…オレ、気が付かなかった)
呟くと、シュラインが労わってくれているのを感じた。
『私が迂闊だったのだ。ルーキスよ、お前に落ち度はない。自分を責めるな』
ルーキス、というのはオルトの真名だった。親を知らないオルトは、それをシュラインから教えられた。真名は、ルーキス・カルス・ミライジュ。そうして父親の名がカルスというのだと知った。シュラインとオルトだけが知っている、大切な秘密だ。
(うん…)
冷たい夜風が吹いた。
オルトはベッドから毛布をはがすと、くるまって窓際へ戻った。
(リューノンは悪い奴なんだね)
『悪魔に良い奴などいない』
(でも、シュラインはいい人だよ)
オルトの心からの言葉に、シュラインは複雑な気持ちになる…シュラインとオルト、お互いの気持ちは筒抜けなのだ。
『どうだろうな。悪魔への信頼は身を滅ぼすだけだぞ、ルーキス』
(うーん…)
悪魔か、とオルトは考える。
シュラインは悪魔だ。
悪魔と、魔道士が召喚する使い魔は、性質は同じもの。使い魔は、精霊使いが精霊と契約するのと似ている。生涯のパートナーになることが多い。しかし、悪魔と契約した者は、そのほとんどが悪魔に心を蝕まれ、悲惨な結末を迎える。
シュラインと契約して数十年。オルトはオルトのまま、だと思う。だがシュラインは使い魔ではなく、確かに悪魔だった。
オルトにとって、シュラインは他の悪魔とは違う。だが、使い魔ではない。シュラインは、使い魔のようにオルトを『主』とは言わないし、尽くすこともない。シュラインはしたいようにする。ただ、シュライン自身がオルトを過保護なほどに贔屓しているだけだ。
リューノンに対してのシュラインの感情は、シュラインが悪魔なのだと思わざるを得ないものだった。しかし、はじめはびっくりしたものの、納得できるものだ。わからないが、オルトは分かる。シュラインのことなら、伝わってくるのだ。
(シュライン以外には、そうだね…いろんな人がいるみたいに、いろんな悪魔がいるんじゃないかなぁ…)
『悪魔は悪魔だ。忘れるな、ルーキスよ』
(うん…)
今日、晴れてるなあ、と星や月を眺めた。それから、闇色のドレスの、アルフェを思い出した。
(アルフェさんは…)
『残念だが』
(…うん)
ごめんね、とオルトはそっと呟く。
(あの悪魔は、なに?…なんでさ…)
ぐるぐると胸の中で渦巻く思いや気持ちが、うまく言葉にならない。息苦しくなるような重い気持ち。
シュラインはそれを残さず掬い上げ、オルトに教えてやる。
『奴は…悪魔リューノンは、派手な戦を好む。エルフとヒューマンの戦のときも、手を出さないまでも、人々の絶望を喰らって喜んでいた。
わざわざ『琥珀の盾』ロードであるエルミオのところへ赴いたのも、戦を出来る限り大きなものにするためだろう。エルミオの力は大きい。人を集めることができる。
エルミオならば奴が何もせずともメア城を取り戻しに行っただろうが…奴はエルミオをよく知らない。確かめに来たのだろう…そして、アルフェも、それを望んでいたのだろう』
(…アルフェさん、助けてって、言ったね)
『そうかもしれぬ』
(まだ、いるんだね、ちゃんと)
『悪魔がヒト一人を完全に消してしまうことは、恐らくできない。どんなに歪めて、変えてしまったとしても、やっていることは全て、悪魔ではなく本人の意思によるものだ』
(…いやだね…ごめんね…)
アルフェ。それでも、倒すことになるだろう…オルトは分かっていた。もうあの人は取り戻せないだろう。
オルトはふるふると首をふって、毛布を手放す。そして、窓枠に足をかけた。
悪魔を倒す者、冒険者。悪魔やモンスター。アルフェ。戦う相手、敵となるものたち。
(オレたち、別の世界にいたら、争わなかったのに…)
シュラインは何も言わなかった。
オルトは窓枠を強く蹴って、空へ飛び出した。
白く光る鳥が夜空を駆けて、遠く、高く、別の世界を目指すように飛んでいく。
月が西の海へ沈むまで、オルトは戻らなかった。
*
エルミオがリーフとエドワードを会わせたあの日、エドワードと一緒に部屋から出ながら、オルトは内心ほっとしていた。
リューノンが掛けた呪いは全部解いた自信はあった。リューノンはリーフを殺すつもりだったから、むしろ呪いは少なかったのだ。
それでもリーフは目の前で大事な誰かを奪われた。戦えなかった、と涙するほどには、傷を負っていた。
エドワードにとっても、ルナティアは恩人なのだろう。そのことに、リーフも恐らく気づいている。
(エドワードの言葉によっては、簡単にリーフの心は崩れただろう)
オルトだけの判断では、リーフとエドワードを会わせなかっただろう。それどころか、この戦いにリーフを参加させなかったかもしれない。
エルミオが提案したから、リーフとエドワードを会わせたのだ。
アイカのこともそうだ。本当はアイカだって参加させたくなかった。それに、リーフを精鋭部隊に入れるのだって、反対だった。あれはフィオが言ったから、オルトはただサポートした。
*
「疲れた?」
エルミオに聞かれて、リーフは、いいえ、と少し笑って見せる。リーフは割り当てられた部屋に戻ろうとしたところだった。夕食後、今日の片付けはオルトが当番だ。
「大丈夫です」
「そう?」
リーフは少し落ち着かなくなる。エルミオの、そう?の一言と微笑みが、何もかも見透かしているように感じたのだ。
(でも、本当に、僕は大丈夫だ。大丈夫じゃないのは…)
メア城にいるであろう人のことが頭をよぎる。
(無事でいてくれよ…早く、僕がもうすぐ行くから…)
リーフが知らず知らずのうちに握ったこぶしを、エルミオは何気なく視界の中に見つけていた。
その頃台所では、オルトと、それを手伝うフィオが食器を拭いていた。
オムライス美味かったな、という話をしていたのだが、そのままの調子でフィオは言った。
「リーフにあのアイテムあげられないか?」
オルトはきょとんとした。
「あのアイテムって?」
「あれ、悪魔の呪い防ぐあれ」
「ああ…」
オルトは返事をしながら嫌な予感がする。
「リーフを精鋭部隊に入れるんだね?」
フィオは頷いた。
正直、やめたほうがいいとオルトは思っていた。百歩譲って戦いには参加させるとしても、それは千の中の一戦士としてであって、リューノンと対峙させるつもりはなかった。
オルトの暗い表情を見て、フィオは加えた。
「俺と同じチームで、神の石を目指すほうだ。アルフェとリューノンを目指すほうじゃない、あっちはライナスのチームだ」
「うん」
オルトは黙って皿を二枚ほど拭いた。
「リューノンに見つかったらまずいよ」
オルトの言葉に、フィオは黙って頷いた。
「リーフは死んだって思ってるはず。それが生きてるってわかったら…色々…利用してくるだろうから」
ああ、とフィオは頷いた。
「あいつは使いやすいだろうからな」
じゃあなんで? とオルトはフィオを見上げて無言で抗議した。
「それでも戦わなければ、あいつはこれからちゃんと生きていけないだろう」
「ちゃんと生きる前に、最低限命をもってないと、生きていけないよ」
「だから、悪魔の呪いを防ぐあれが欲しい。できれば精鋭部隊全員分欲しいんだが、誰よりも、リーフには必要だろ?」
オルトはもどかしげに、不満げに、フィオを見ていたが、やがて言葉を見つけて組み合わせ、発する。
「フィオが死ぬのも嫌だからね。できるだけみんなの分作るけど、セルにもできれば協力してもらうけど…」
ふ、とフィオは笑った。
「ありがとな」
むう、とオルトはむくれる。前衛のことは、フィオに敵わない。リーフが精鋭部隊に必要だというなら、そうなのだろう。でも、一応言葉にしておこう、と、オルトは口を開いた。
「リーフが精鋭部隊に必要?」
「ああ」
あっさりフィオは頷いた。
「エルミオから、リーフがリューノンとやりあったことや、そこまでのこともざっと聞いた。あいつは、この戦い、強いぞ」
オルトはその言葉をぐるぐると頭の中で繰り返して、つっついて、眺め回した。
「強い、かな…」
フィオは、にっと笑った。
「弱くもなりえる。だけどそん時には、俺たちが守ってやる。相手が強い悪魔であるときほど、理由のない力を信じきることだ」
シュラインが鼻で笑う。それはオルトの心の中で聞こえたが、それが気にならないほどに、フィオの言葉がオルトの中にすとんっと落ちた。
*
本当は、みんなみんな逃げて欲しいし、戦いたくなんてなかった。冒険者なんてなくなって、悪魔とも別々の世界で、仲良くなれないなら会わないまま、みんな仲良く暮らせばいいんだと思った。
だけど世界はこんなで、オルトはここにいて、シュラインもここにいて、冒険者も悪魔も同じ世界にいる。
みんなと会えたのは嬉しい。戦いは嫌いだ。それはどちらも、出会ったから起こることで、オルトはわけがわからなくなった。どうしてみんな仲良くならないのだろう。それは、きっと、オルトが甘いものが好きでお酒も好きだけど、エルミオは甘いものは好きでお酒が苦手だっていうことと、似たようなことなのかもしれない、と、オルトは思った。
難しく考えるのも、好きじゃなかった。
ともかく、オルトは『琥珀の盾』のみんなが好きだった。みんなが、みんなの大好きなものや場所を守るために頑張っているのだとわかっていた。だから、みんなと一緒に頑張ることにした。
***
エトラニア国のとある冒険者ギルドで、女が奇声を発して小躍りした。視線が集まるが、そんなことはいつものこと、我関せず、と女はほとんどスキップしながら外へ出る。
そして立ち止まると、ギルドから受け取った手紙を両手で大切に持ち、穴が開くほど見つめた。
メア国『緋炎の月』サブロード・ココルネから。
エトラニア国『中央騎士団』所属 ウィザード・カローラへ。
(きたきたきたきた来たーーー! やっと来たーー!!)
この二十七年間、気になって気になって仕方が無かったのだ。カローラが『中央騎士団』のガーディアンでなかったなら、とっとと同盟を抜けて身軽になって、メアの城へ単独乗り込み、悪魔なのかなんなのか真相を解き明かすところだ。
(種明かしだね~! ココルネちゃん!)
大急ぎで、カローラはゆっくり手紙が読める細い路地に入り込み、歩きながら手紙を開いて速読し、立ち止まって熟読する。
(詳しいことは書いてない、ってことは…やっぱり悪魔だったわけね~! この文面から察するに、ちょっと大きい役割振ってくれそうね~。遠征してなければアルル“サマ”も居るだろうなぁ。私も大砲魔法使いやりたいな~アタッカー振ってくれないかな~)
どうやって悪魔が入り込んだのか? 大悪魔レベルのやつなのか? メア城の守りに穴があったということだから、それは一体どういうものなのか? しかし、あそこの魔法封じをどう解くのか?
(ココルネちゃんなら勤勉で大真面目なドマール族だけど、それでも力不足な気がするけどねえ。何人かでやるしかなさそうなもんだけどねえ。さてさて見物ですわよ~~)
「くふふふふふふ…」
カローラは手紙をたたみ、思考の濁流をひとまず塞き止めて、どこかへ急いだ。町の《転移先》を使ってまでして、ある家までやってくる。ドンドンとドアを叩いて、おーいと呼びかけた。
「マックスー! マックスー! いるんでしょ出てきなさいよ。手紙の件で話があるのよ。それともまだ受け取ってないの? 超緊急よ。ちょっとー、大きな声で話して言いわけー? 手紙ってのはねー…」
そこまでで、ドアが開いた。言葉よりもまず鉄拳が飛んでくる。
「いでっ」
わざとらしくしゃがんだカローラ。『中央騎士団』のガーディアン、エルフ族のマックスは冷静だ。
「頭とこぶしの間に俺の手ひとつ挟んでやったんだから痛いわけ無いだろ」
「げへへそうでした長老ー」
「中で話そう。ちなみにもう受け取ってる」
「あら早~い。分身の魔法でも覚えた?」
「お前よりも早く手紙が来てたんだろう」
「嘘つきダウト針千本~」
「で、なんだ話って」
玄関扉を閉めて、マックスはたずねる。カローラは、ん? と首をかしげる。
「いえーい私んとこには手紙来たぴょーん、あんたどうせまだ貰って無いだろ~やーいやーい、って自慢と嘲笑しに来たら、案外マックスのほうが早く受け取っててやることなくなった」
「ああ、悪かったな」
「ぷー」
「メアの兵士相手か。悪魔も絡むとなると、本当に油断出来んな」
「マナの石ざらっざら持っていてあげるんだー★」
「それは騎士団のものではなくお前個人の物で間違い無いな?」
「え? キコエナーイ」
「おい」
「はいはい私の溜め込んでるマナの石ですよ、ヘソクリちゃんですよ」
カローラはふくれっつらをしてみせたが、すぐに調子を戻す。
「くふふふ、メアの兵士と公の場で堂々と戦えるなんてねえ。こんな機会がないと、兵士とバトったら騎士団辞めて人生辞めるも同然よねえ」
「不謹慎な言動はメア入国してから絶対するなよ、騎士団辞めて人生辞めることになるぞ」
「もー、あんたほんっとうに冷静になったよね。ツッコミエネルギーが枯渇してるぷー」
「過労死予防だ。おまえ、そのノリでメア行くなよ」
「なんで」
「戦いの前に死人が出るからに決まってるだろ」
「ツッコミで死ぬかいぼけぇ! って私が突っ込んでどうすんねん!」
「おー寒い寒い」
「もー! 涙出る! 目から半月まん出る!」
「ラティス歓喜だな」
「ああぁいやーんこんなエルフよりココルネちゃんを弄りたい~もう帰る~」
「また向こうでなー」
ひらひらと手を振ったマックスに見送られ、涙のない泣きまねをしたカローラはぱたん、とドアを閉めた。ご機嫌な鼻歌が、マックス家から遠ざかっていった。
マナの石の在庫を確認していたココルネは、不意にぞくっとした。なんだろう。不安はないが、悪寒がする。
そういえば、カローラにも手紙を送った。あの魔法使いの腕は確かだ。しかし、もしもカローラが『中央騎士団』ガーディアンでなければ、呼ばなかっただろう。『騎士団』所属、それもガーディアンということは、集団行動ができるということの何よりの証拠だった。…何よりの証拠、のはずだ。
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