For an Oath -Ⅲ
For an Oath - Ⅲ( 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 )
*
”畑荒らし探し”の依頼は、予定より一日早く解決した。
魔法使いたちは戦いのあったその日、たっぷり休み、結局全員でもう一泊させてもらうことになった。
「それ、彫らないんですか」
リーフはついに訊ねた。またフィオは木片を見つめていたのだ。小刀は出しているものの、刃は仕舞われたま、傍らに投げてある。昨日と同じように、それぞれベッドに腰掛けてのそっけない会話だ。
「んー。まだだな」
「…まだ?」
フィオは手の中で木片をくるっと回して弄んだ。
「これは、色んな事が一段落したら、彫り始めるんだ。こうやって眺めていたことを思い出して…その時のことが形になって見えたら彫り始める」
フィオは目を上げて微笑んだ。いつもはどことなく意地悪っぽい顔が、穏やかな笑顔だった。
「俺の約束事だ」
芯のある穏やかな声は、いかにその約束事が大切なものか物語っていた。誰との約束なのか、どういう約束なのか、そんなことは聞く必要もない。きっと生きていく上で自らに決めていることなのだと、リーフはなんとなく感じた。
あっという間にいつものいたずらっぽいような表情に戻って、フィオは付け足した。
「そんないっぱいあっても守れないからなー。ほとんど唯一の約束事だ。もう癖みたいなもんだけどさ」
「…変わった約束事ですね」
リーフは「?」と疑問符が見えるくらいの表情のまま、そう言って流した。人のことにあれこれ言わないけど理解はできない。彫刻なんてリーフには分からない。芸術には興味がない…理解できない楽しみや崇高さがあるんだろうなぁ、と思う程度だ。
約束事をする、ということが理解できないのではない。リーフにも、決めていることくらいある。それが果たして、フィオの彫刻と同じことか分からないが、区切りをつけて、次に進む為の約束、というのなら、同じかもしれない。
リーフの約束事は、受けた依頼は完遂することだ。完遂、というのは、ただその内容を終わらせることではない。依頼に含まれない後始末や、考えうる事態の予防もできる限りやることだ。そうしなければ、依頼をこなす意味は半減すると感じていた。
考えて決めたわけではない。そうしないと、後味が悪かったからだ。依頼を終わらせた気がしない。報酬を受け取りにくい。やがてその約束事を意識してするようになった。
だから、面倒なのだ。
乗りかかった船には、最後まで乗るしかない。乗らないか、最後まで乗るか、どちらかだ。たまには妥協もするが、それは部外者にはどうしようもないと感じたときや、明らかにリーフの手に負えない時なんかだ。
そうしてひとつこなしては、紹介や、小耳に挟んだ気になる話、関係ないが出てきた地名…それを目指して次へ進んでみるのだ。
今回の船は、もう降りられない。降りようと思わない。ルナティアを助けることも、悪魔を倒すことも、エドワードやオルフィリア――アイカを守ることも、全ては繋がっている。今回の畑荒らしの依頼もだ。
(なのに、どうして…)
リーフは不意に、白い剣を意識した。
ずっと前からリーフを巻き込んでいた、この白い剣を、抜く気にならないのだ。
旅に出る前に、エルディンから貰い受けた剣。ルシェンが封じた剣。ルナティアに見せた剣。望みが叶う、とされている謎の剣だ。
抜く気にならないどころか、こうしてふと気にかかるのはいつも、使わなくていい時だけ。
ルナティアに止められたから、というのは抜かない理由のひとつだったが、それほど強制力はないと感じていた。いざとなればリーフはこれを抜く。抜くつもりだ。だが…実際にはそうならない気がしていた。妙なことだが、剣が協力してくれていない、という感じがするのだ。
今回の戦いで戦力外と言っても過言ではない自分が役立つとしたら、こういう特別な力によるものが大きいだろう。悔しいがそうなのだ。
しかし、いざ戦いになったり、悪魔の気配があったりしたとき、白い剣のことは全く考えなかった。実際に白い剣なしで今回は切り抜けたから問題なかったが…全く考えに浮かばないというのはどういうことだろう――そう問いかけるとやはり、剣が協力してくれていないという答えに至るのだ。
(どうしてかな。…どうしてですか?)
リーフは傍らに置いた白い剣の柄を撫でた。ルシェンの魔法のせいで、持ち主であるリーフ以外は、意識の中に置いておくことも難しい剣。だが、リーフでも抜くことはできない。
(もし…)
リーフは、村に残って悪魔と戦ったライナスたちのパーティを思った。
(あっちのパーティにいたら、僕はこれを使っただろうか?…白い剣、あんたを抜いただろうか…抜けただろうか)
「なんだ、それ…あれ? ずっと帯びてたか…?」
フィオの戸惑ったような声に、リーフは顔を上げた。白い剣を持って、どうやっても見えるように目の前に持ち上げてみせる。
「これですか」
「ああ…んーなんか…俺の不得意分野だな。誰かに見せたことは?」
「ありますよ。オルトさんはこれを見たことがあります。…きちんと認識して見たということですよ」
「ああ。なら安心か。剣なのに、俺の不得意分野だなんて、妙な感覚だ…」
興味深そうに、フィオは剣を見つめる。
ルシェンの魔法の布に包まれた剣は、人に意識されることを回避する。だからフィオは妙だと言ったのだろう。
「どうも俺はそいつに好かれていない感じがするなぁ」
「好かれていない?」
剣が協力してくれていない、という感覚と似た何かを感じて、リーフは問い返した。剣が協力してくれていない、というのは恐らく魔法のせいではない。フィオも、ルシェンの魔法のせいではなくて、剣の何かを感じていたのかもしれない。
フィオは肩をすくめる。
「ああ。なんだろうな? リーフしか持ち主はありえないんだろう。どんな事態になっても、俺とは合わないみたいだ」
フィオの声に混じった不機嫌な響きを感じ取って、リーフは意外に思った。
すぐにフィオは笑った。自然に、だが明らかにごまかすように。そうしてしまってから、苦笑して言った。
「そんなこともある。ああ、なんだ、俺は未だに、調子に乗る癖が治らないんだよなぁ…こうやって、ぶっちゃける技術は手に入れたんだが」
「調子に…乗ったんですか?」
ふう、とフィオは今度こそ素直に、むすっとして剣を睨んだ。
「俺に扱えない片手剣…気に入らない。それがさっき湧いてきた気持ちさ。どうってことない風にごまかそうとしたけど、ごまかしきれなかった。
こういうこともある。
ともかく、今の俺にそいつは必要ないし、好かれてなかろうが関係ない。いつか巡り巡って、もしもそいつを手にする日が来たら、存分に振るってやるさ。
存分に負け惜しみも吐いたことだ、俺は寝る」
「うわぁ」
「なんだ、うわあって」
「つい心の声が途中まで出ました。うわあ、素直だ、って」
「なんだ賛辞か。素直って難しいもんだ」
フィオはすっかりいつもの調子でベッドにごろんっと横になった。少しの間じっとしていて、不意に首を回してリーフを見た。にっといたずらっぽい笑みを浮かべる。
「エルフも意外と人間だろ?」
まさにリーフが感じていたことを言葉にして、エルフは《照らす光》を終了した。部屋の明かりが半分になる。
リーフは、エルフにびっくりさせられることにはもう慣れていた。呆れつつ言い返す。
「その一言でやっぱりエルフはエルフだなって思いましたよ」
「あれっ!? 失敗失敗。おやすみー」
「…おやすみなさい」
リーフも《照らす光》を終了し、横になる。
長く生きたエルフも意外と、人間だった。
ダークエルフの彼女だって、そうだろう。
暗闇の中、リーフはこぶしを握り締め、歯を食いしばった。
*
まどろみの中で、いろんな声がした。女性、男性、穏やか、鋭い、ゆったり、早口。本当にいろんな声が混ざって重なって、言ったのだ。
悔しいの?
憎いの?
埋もれちゃってるね。
心がそうなってしまっているならば、時間が必要だ。
死なないで。
私を振るうのに死んではいけないよ。俺は知っている。自分の命の…言葉にしては、ありきたりで薄くなってしまう、その意味を。
私を抜いても、まだだめだよ。
俺では守れない。
私たちの望みとあなたの望みがまだ重なりきらない。
俺たちの望みとあんたの望みがまだ重なりきらない。
*
目覚めたリーフの心には、剣を使うという考えや、なぜ剣を抜けないのかという疑問の、その痕跡だけがあった。痕跡だけしかないことに、違和感はなかった。白い剣は、まだ抜けない。
かまわない。それでも、やり遂げるだけだ。
***
翌朝、冒険者たちは村を後にした。陽が出たばかりの早朝で、見送りは少なかったが、それも考えてのことだった。村魔法使いを殺したということは動かない事実だ。
しばらく道を歩いたところで、一行は立ち止まった。
「では、アイカさん」
コロナが声をかける。アイカは頷いた。
帰りは、アイカが全員を連れてテレポートするのだ。
この二日間、コロナと一緒に訓練してきた。イメージの仕方、マナがどう動くのか、感覚をつかむこと。そして、自信を持って最後まで飛ぶこと。その二点がアイカにとって重要だった。魔力不足や実際のマナ操作はもともと精霊頼みだ。
戦いまであと三日。これが最初で最後のテストだ。
全員、アイカの視界に入るようにまとまる。
本番は、これよりもっと早い時間に魔法を使うんだろうな、アイカはそう思いながら、朝の澄んだ冷たい空気をはっきり感じていた。いざ目の前にすると、このメンバーの全てを、この一時担うのだと強く思う。頼もしいことに、メンバーの顔に不安は見えない。どちらかといえば、エルフたちは面白がっているか、成功も失敗も気にしていないという気配がする…フィオ、ライナス、スーラのことだが。アーシェやメル、コロナ、それにアイリーンは、それぞれ励まし応援してくれている。リーフとレスターは、どうなるのか、本当にできるのかとアイカに注目している。そしてエドワードは…アイカよりずっと緊張した面持ちだった。きっとエドワードは、テレポートの成否も含めた、アイカの気持ちのことをなにより心配しているのだ。失敗しても頑張って励ましてくれるのだろう。
だから、絶対成功させたかった。
意識を研ぎ澄ますと、五感が鋭くなる。そして、そのうち、マナを感じることに集中していき、今度は周りの何も入ってこなくなる。
目指す場所は、あちら…街の《転移先》。
(イネイン…)
精霊イネインの存在が、アイカの世界に現れる。
アイカは《転移先》のほうへ意識を向けて、道の端を掴む。
そして、マナのことばかりに気を使っていた意識を少しだけ視界のほうへむけて、メンバーを見る…この範囲を包んで、一緒に道を通り抜けるのだ。
マナが集まる。
さあ、飛ぼうか。
その一瞬、アイカの静かで滑らかな世界に、冷たいさざ波が立つように呪いの言葉が蘇った。
ソラリスの、あの自爆した使い魔の声。
「 お前たちは私たちを殺すかい? 」
『 止めなさい、飛んではいけない 』
ほとんど重ねて、イネインが言葉よりも意思でアイカに怒鳴った。
アイカがはっと我に返ったときには、集まっていたマナはほつれ、道の端はどこかへ飛んでいってしまった。
ほつれたマナが次にどう動くか、アイカも、魔法使いたちも予測できない。予測できないのだと、知っていた。大抵は、暴発するように動く。テレポートほどの魔法になれば、その威力は…。
スーラが、コロナが、アイリーンが、反応の早かった魔法使いたちはマナの暴走を防ぐべく咄嗟に適当な詠唱を始める。しかし、テレポートのために集まったマナは膨大で、詠唱の開始がいくら早くても、マナは詠唱に反応する前に迷子のように戸惑って揺れた。
(だめ、散らせて、穏やかに――)
ひやりとしながらもアイカは咄嗟にマナの散開を強く思い描いた。
ごう、と音を立て、マナの強い風が渦巻きながら散開していく。木々が揺れ、葉がざあっと鳴って、危機が去っていく音がした。
『良い判断だった』
イネインの声を聴きながら、アイカはその場にがくっと膝をついた。
静かになった。
失敗した。
(失敗した?…こんなときに?あと三日なのに?)
試せるのは、せいぜい1回なのだ。魔法に不慣れなアイカでは、精霊の力を借りることができたとしても、負担が大きすぎる。二回もやれば、精神的な疲れのためにしばらく眠ることになる。
この一回だけだったのに。
何も言えずに俯いたアイカの耳に届いたのは、ぴゅう、っという、賞賛するような口笛だった。スーラだ。
「上手だな、びっくりした…いや、素直にさ。マナの扱いが上手くてびっくりした。普通あそこまできたら、大爆発だ」
戸惑ってアイカが顔を上げると、コロナもゆっくり頷いた。
「そうですね。アイカさん、テレポートよりも難しいことをやってのけたんですよ」
「やれやれ、また一人無茶苦茶な魔法使いが増えたわけか」
前衛一筋のレスターはそう言って肩をすくめた。なんだその言い方、とスーラが小突く。
「ほーら、あたしのお姫様! 泣きそうな顔してるよ」
アーシェが手を差し伸べて、アイカを引っ張り上げた。メルも頷いた。
「テレポできなかったのは悔しいだろうけど、もっとすごいことやったわけだからね。今、練習でそれが分かって良かったじゃない」
アイカは分かっていた。みんな優しいのだ。言っていることだって、本心だ。だけど、それでも、テレポートは、本番でいきなりやることになってしまう。
テレポートで侵入する作戦は、もともと”賭け”だ。出来なければ”通常の作戦”通りに、自らの足で進んで城へ入ることになる。だが、テレポートで侵入できれば、外で戦う者たちを待たせる時間が激減し、潜入前に精鋭部隊が打撃を受ける可能性も、精鋭部隊に変わって他のパーティが打撃を受けることもなくなる。
アイカは、再び立ち上がるような気持ちで、精鋭部隊の面々に誓った。
「明々後日の早朝…必ず成功させます」
真っ直ぐにメンバーを見ることができずにいたアイカの肩に、とん、と手が置かれた。
エドワードだった。顔を上げたアイカと目を合わせて、エドワードはただ頷いた。
「うむ」
強い目だった。恐れよりも覚悟がそこに見えた。その力がアイカの心に宿った。
アイカが頷き返して、二人は神妙な表情の中、一瞬笑い合った。
*
ところが、翌日も、あの伝言が、アイカの頭から離れなかった。
「死は何も解き放たない…」
自爆して、アイカたちを殺そうとした、ソラリス。
そうではないんだ、と否定したい気持ちが湧く。だが次には、死が何かを解き放つ、と言いたいわけでもない、とも思う。何かがずれていた。
村魔法使いは死んでしまった。彼の召還獣も。
エラーブル村に暮らしていた彼らの死を、村人たちは嘆いた。一緒に畑の世話をする仲間。かわいい召喚獣たち。そういう存在だったのだ。
冒険者をやってきて、契約者を倒さざるを得ないことは何度かあった。今回もそれと同じだ。毎回、慣れない。慣れなくてもいい、と思う。
攻城戦、という規模の戦いは初めてだ。どれだけ死ぬのだろう、どれだけ、慣れないあれを重ねるのだろう。そしてその先には、ソラリスの伝言の通り、何も解き放たれない死があるのだろうか。
「主を助けて」
この一言が、一筋の光のように、曇りを晴らそうとする。
アイカたちの戦いの先には何があるのか。
考えるほど、自分が迷い道をさまよっていると感じた。あの光が、さまよっている、と自覚させてくれる。
呪いの言葉を跳ね返すように、素直な気持ちと少しの空元気で「悪魔と戦う」と言ったものの、アイカは自分が言葉の影響を受けていると分かっていた。
悪魔と契約していても、悪魔の影響を受けて元に戻れなくなっても、その人は、その人の欠片をもっている。少なくともアイカはそう信じていた。
そして、アイカは、そんな人たちに直接手を下すことが今までなかった。『琥珀の盾』で、アイカはどうあがいても主戦力にはならないのだ。
人を殺すことが怖くなった?
(今さらそんなこと思わない)
アイカは思うよりも早く否定の言葉を心の内で唱えた。
(ううん、ちがう、怖い。怖いのは、怖いけど…けど…。…それはそれでいいんだ。…そうじゃない…)
精鋭部隊の集まりも、ロードや各リーダーたちが集まる会議も、今日で終わりだ。
メンバーは徐々に、城付近の街へ移動、あるいはすぐに移動できる場所に集まってきていた。
一日中、ほとんど話し合い、最終確認、最後の詰め。『空の鈴』のロードとして、テレポート作戦の要として、アイカは振舞った。
アイカはメンバー集めやテレポートの練習などに集中していたが、他のところではいろんな人が動いて準備が整えられていた。アルルは宣言通り200名以上の戦士を集めていた。マナの石やスペルストラップ、武器防具など必要に応じて分配し、さらに、防具には魔法使いたちが魔法の守りを施した。戦闘で必要になると予測される古代語や魔法の知識をできる限り共有し、その魔法使いたちを配置した。
そうするうちに、気持ちが固まっていった。
この戦いの先に何があるのかとか、そういうことじゃなくて、もうやるしかないのだ。
背負ってきたではないか。
背負っていくしかないのだ。
このままにしておくわけにはいかない。動かなければ動かないほど、悪魔は城にいる人々や、この国の人々に悪影響をもたらすだろう。だから今、やれることをやらなければならない。
ソラリスを使い魔としていた術者も、きっと城にいるのだ。
村魔法使いを歪めた悪魔の、いわゆる本体も、城にいるのだ。
行かなければ。そして、悪魔と戦うのだ。
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