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For an Oath -Ⅲ

     

 

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 奥にいたのは、使い魔だった。

 使い魔は、性質は悪魔と同じものだ。しかし魔道士にとっての使い魔は、精霊使いにとっての精霊と同じようなもの。悪魔よりも穏やかなものがほとんどだ。

 薄く灰色がかった空色の使い魔は、どうにか形を保っている程度でそこにいた。人の形に近く、長い髪や、比較的はっきりした形を保っている上半身の形、服の広がり具合から、女性のように見える。ふわりと優しい姿かたちに反して、目は切れ長で少し釣り上がり、笑みはなく、暗い表情だ。

『戦うつもりはない。お前たちは何者だ?』

 あまりにも普通の問いかけ。低めの女性の声には、警戒も敵意も全く感じられなかった。フィオやアイカも、まだ剣を抜かなかった。声を届けるのに支障が出ない程度の距離を挟んで、フィオはまるで人と会話するように応じた。

「ああ、住処に土足で入って悪いな。俺はフィオ。あんた、この近くの村の畑を荒らした犯人か?」

『住処ではない。フィオ。琥珀の盾のフィオか?』

「ああ。あんたは?」

『…。私はソラリス。…私はお前たちに伝言しに来た』

「そのために、畑荒らして俺たちを誘ったってことか?随分雑なお誘いだったが」

 使い魔ソラリスはそれを無視して、低く、まるで何か読み上げるように言葉を紡いだ。

 

『 お前たちが動いていることは知っている 』

 そんな一言から始まった。

 メア城の悪魔のことが頭を過る。

『 私たちは、お前たちを迷うことなく殺すだろう。

 恐怖が、何にも勝る力となって、お前たちを追い詰める狂戦士の群れを作り上げる。

 お前たちは私たちを殺すかい?

 殺すしかないだろう。

 そうすれば私たちは永遠に恐怖の中だ。

 死は何も解き放たない 』

 

 それはまるで、呪いの詠唱のように響いた。腹の底まで、骨の髄まで、空気の振るえが伝わるようだ。

 その呪いにひびを入れるように、メルが唱える。

「 そうだろうか? 」

 古代語でもなんでもない。だが不思議なことに、それは魔法のように、絶望感や不安感、恐怖の壁を薄くする。魔法ではないこの一言は、使うべきときに、本当に疑問をもって発さなければ、なんの効果もない不思議な言葉だ。

「さあ、どうだろう。悪魔の作った恐怖の檻を壊し、お前たちを救えるのも、俺たちではないのか?ソラリス、俺たちはそう簡単に、思惑通りには動いてやらないぞ」

 メルに続いたフィオの言葉。笑みさえ浮かべてそう言った。これは、呪いに近い文句への、対抗方法だ。メルもフィオも、アイカもそうだと知っていた。対抗しよう、と思うのではなく、心から、相手の言葉に疑問をもち跳ね返すのだ。

 対抗するには、本当に思っていることでなければ効果がない。対抗できることを自然と思っていなければ対抗できないということだ。

 この使い魔が何なのか、なんとなく見当はついていた。メアの城の、魔法兵士の使い魔だろう。悪魔か、アルフェの指図でここまでやってきたのだろうか。

 ともかく、この使い魔もまた、恐怖の中にあるのだろうと思えた。

アイカは率直に言った。

「あなたたちを殺そうと思わない。私たちは、あなたたちと戦うのではない。悪魔と戦います」

 ソラリスは無表情だった。何も言わずに逡巡した後、あらぬ方向へ目を向け独白した。

『私は幸運だ。私自身のまま、主のために消え去ることができる』

 そして、フィオや、メルや、アイカに目を向けた。無感情の仮面のようだったソラリスの顔に、初めて表情が浮かんだ。半分諦めたようなのに、泣きそうにも見えた。

『伝えることは伝えた。私はあなた方を殺そうとしなければならない。もし生きていたら、主を、助けてくれ…さようなら、琥珀の盾のフィオ、仲間のお二人』

 少ないはずのマナが急速に集まった。人の身で魔法を扱う魔法使いと比べれば、使い魔や精霊は、素早く魔法を発動する。

 止める間もなかった。ソラリスは、あろうことか、周囲のマナに加えて、自らを構成するマナ――つまり自分の”体”を使って、ダンジョンの壁を爆破した。激しい爆発音と共に、爆風と小さな石の欠片が飛んでくる。ダンジョンの入口でアーシェがかけていた防御の魔法がそれを防いだ。

ソラリスが消滅した後、岩の壁に大きく穴が開いた。え、と、言葉にする時間もなく、穴から、大量の水が噴出し、流れ込み、押し寄せた。

 アイカもメルも動けないうちに、フィオだけがぱっと踵を返し、二人の腕を掴んで走り出した。そうすることしかできない。走っても、それは数秒ももたない。水は速い。

 

 アイカは腕を引くフィオと、引かれるメルを視界に捉えた。終わるわけがない、この人たちが死ぬところを想像できない、メルが魔法を使うには時間が足りない、テレポートリングはメルが装備している、でも、死ねない、やることがある、エドワードが待ってる、私がすることがある、まだ死んではいけない、絶対に――一瞬のうちに、頭の中を駆け巡る。

 そして、ふ、と、アイカの世界が静かになった。

 

 落ちた。

 びしょ濡れの三人は、《転移先》魔法陣の上に転がった。

 どうなったのか、誰もが一瞬把握できないままだった。とにかく長年の習慣で、フィオが真っ先に魔法陣の上からどいた。

「危ないぞ、早く外に出ろ」

 メルとアイカも、半ば這うように、とにかく魔法陣から出る。テレポートで”衝突”すると、酷い死に方をするらしい。

「アイカ、テレポートしたの?」

 メルにきかれ、アイカは首をかしげる。

「多分…あの、わかりません…でも、ここと”道”がつながって、飛んだような、気はしました…」

 ダンジョンの入口付近には、アイリーンが念のため描いた《転移先》の魔法陣があった。

 アイカは答えながら、魔法陣を振り返って見つめた。アーシェも魔法陣を振り返る。フィオも。

「これ…ちょっとまずいかも」

 メルは、水で濡れた魔法陣を見つめた。地面を深めに抉って描かれた魔法陣。水で濡れ、三人がそこに落ちたことで、線は薄くなっていた。

「描いたのがアイリーンだから、なんとかなるかもしれないけど、微妙…」

 まだ、ダンジョンの中に、アーシェが、リーフが、アイリーンがいる。

 ダンジョンは少しずつ下っていたから、水がどこまで行くか分からないが、ソラリスは「あなた方を殺す」と行って自滅してまで壁を破壊した。あの狭い穴で分断することも作戦のうちなら、後に続いてやってくる三人のことも殺すつもりでやった可能性はある。

「別のことで足止めを食らってるかもしれない。メル、リング貸してくれ。俺が見てくる」

「え、あたしも」

「いや、待っててくれ、回復使えるやつがいたほうがいいだろ?」

 渋々メルは納得して、テレポートリングをフィオに渡した。

 しかしその直後、あ、と言ってメルは振り返った。魔法陣の上でマナが揺らぐ。不思議と、アイカにもそれが分かった。

 ぱっ、とアイリーンとリーフが現れ、大急ぎで魔法陣から降りる。すぐに、アーシェも現れた。

 一瞬嬉しそうに目を輝かせたアーシェだったが、すぐにおかしそうに言った。

「ちょっと、びしょ濡れだよみんな! ギリギリじゃん! よく生きてたねー!」

 メルとアーシェは駆け寄りあって、構いあって、笑いあった。

「ギリギリだよほんと! そっちは余裕!?」

「テレポートの余裕がギリあったくらい! アイリーンがテレポートできて良かったよーあたしリングなしじゃ無理だもん

――ってアイリーン大丈夫?」

 アイリーンはほとんど倒れるように座り込んだ。リーフが咄嗟に支える。

「大丈夫ですか?」

 心配そうなリーフに、アイリーンは呟いた。

「配分を、誤りました…」

 あちゃー、とメル。

「《転移先》も描いてテレポもして、そりゃそうかー…」

 魔法を使いすぎたのだ。

「お恥ずかしい限りです…」

「いやいや、《転移先》もテレポもできちゃうんだもん、すごいよ」

「みんなアイリーンの《転移先》に救われたわけだし、いいから寝てて!」

「そうそう。大体、テレポは成功したんだから、配分ミスどころか配分ぴったり――」

「もう寝てます」

 リーフは双子の応酬に割り込んだ。そうしながら、器用にアイリーンを背負う。

 召喚物ですが、と、おもむろに、リーフはフィオへ話し始めた。

「二体いました。一体は倒す前に引っ込められたみたいです。形状からして、エラーブル村の中に術者がいる可能性があります。本来は、畑作業に向いているものだったのでしょう」

  靴をひっくり返して水を抜きながら、そうか、と返事をし、フィオはさっさと自分に《暖かい》をかける。継続時間も効果も少しだが、一般人もよく使う簡単で便利な魔法だ。それを見て、思い出したようにメルやアイカたちも魔法を掛け合う。始まった女子会(?)を目の端で捉えながら、フィオも簡単に報告した。

「俺たちのほうには、畑荒らしの犯人らしき使い魔がいた。詳しくはあとで話すが、自滅した。

 早く戻ったほうがいいな。――おーい、話聞いてたかー?」

 はーい、と女子(?)三人。

「なにはともあれ、みんな無事でなによりだ。だが油断するな。残った召喚物との戦闘も視野に入れといてくれ。準備ができたら帰るぞ」

 了解、おっけー、などと返事をしながら、真面目モードに切り替わる。フィオが先頭、アイリーンを背負ったリーフは中心に…自然と移動中の配置を組み、6人は帰路についた。

 

 半分ほど戻ったところで、メルが、あ、と不安な表情をした。口を開き、一旦止め、言葉を選んだ。

「…村のほうで…魔法が使われた。《送る炎》レベルの、そこそこの大魔法」

 にわかに空気が緊張した。《送る炎》は、悪魔を倒すことが出来る魔法の一つ。それが使われるということは、村で悪魔との戦闘があったかもしれない、ということだ。《送る炎》でなかったとしても、そのレベルの魔法を使うということは、何かあったのだ。

「急ごう」

 口数少なく、大急ぎで村へ戻った。

 大きな畑の中の道を通って、民家のあるほうへ。村は、静かだった。早朝、発ったときも静かだったが、その静けさとは違った不自然なものだ。

「村長のところへ行こう。レスターはいるはずだ」

 警戒しつつ歩むその途中、村の中の道に、血痕があった。致命的な出血ではないようだが、やはり何かが起きたのだと確信するには十分だった。

 もうすぐ村長の家があるというところで、ようやく村人を見つけた。数人がシャベルや鍬で道の土をひっくり返している。他にも何人かが、それを遠巻きに見ていた。

 誰もが、浮かない表情だ。悲しみや悔しさに満ちた、と言っても過言ではない。

 見れば、周囲の民家も所々被害を被っていた。細い棒を叩きつけられたような凹みや、貫かれたような跡もある。

 思わず、アイカが駆け寄った。

「何があったんですか」

 シャベルを握っていた村人は、顔を上げて、驚いた。それはそうだ、アイカと、フィオとメルはこんな季節にびしょ濡れなのだから。

 しかし、アイカが真剣そのものなので、村人はただ、答えた。

「ああ…。…その…どこから言えばいいのか分からんが…村の魔法使いと召還獣が…、彼らと、冒険者の方々とが、さっきまでここで戦っていたんだよ。…それで…魔法使いは、死んだよ」

 素っ気ない、とも取れる口調で、村人は言った。目は虚空を見つめ、表情はない。アイカは絶句した。

「行こう」

 沈黙を破り、フィオはアイカに聞こえるように言った。

「みなさん、集会所にいるはずですよ」

 村人がそう教えてくれた。アイカは頷いた。フィオは控えめに微笑んだ。

「分かりました、ありがとう」

 

 

 村魔法使いに、悪魔の一部がついていた。

 ライナスは簡潔に報告した。植物の茎で編んだ敷物の上に、足を崩してただ座っている。

 少し離れた場所では、コロナが横になってスーラの回復術を受けていた。両腕に傷を受けたらしい。レスターとエドワードは戦いの後処理に加わっていて集会所にはいない。

「村人に怪我人はいない。余裕があれば、スーラと代わってやってくれ」

「おっけー」

 メルが早速スーラと交代しに行った。集中を解いたスーラは、一時虚空を見つめ、思い出したようにアイカたちへ手を上げた。おかえり、と口が動く。それからやっと、濡れ鼠のメルに気がついて驚いた。

 ライナスの報告は続いた。

「城にいる悪魔の一部のようだ。エドワードがそう感じたと言っていた。間違いないだろう」

「悪魔リューノンか…」

 フィオの呟きに、ライナスは頷いた。

「村魔法使いに憑き、村や、恐らく彼の召還獣を、人質としたのだろう。村の者たちも薄々気がついてはいたが、ちゃんと知っていたのは村長だけだ。人質をとられ、恐怖に取り憑かれた村魔法使いをどうすることもできず、あの妙な依頼を出した。

 ギルドは依頼の異様さに気がついて、『旋風』に優先依頼したようだ。

 少なくとも村長は、『旋風』を狙うということは考えていなかったらしい。村魔法使いはどうか分からないが」

 ライナスは少し疲れたように小さなため息を挟んだ。

「悪魔の指示だったのではないかと思う」

 フィオは小さく唸った。

 重くなりかけた空気の中、ライナスはふっと微笑んだ。スーラたちのほうを見、アーシェを、アイカを、リーフを見ながら穏やかに言った。

「村魔法使いについてた悪魔はスーラが倒した。今は、休もう。魔法使いたちは、今すぐにでも眠りたいはずだ」

 そうだな、というフィオの返事を受け取って、ライナスは立ち上がった。

「風邪を引いたらいけない。水を払う魔法なら、スーラが使えるだろうが…」

 ああ、とフィオはちょっと笑った。

「昨日借りた農作業服があるさ」

「そうだったな。レスターとエドワードの様子を見てくる」

 ライナスは通り過ぎざま、アイカの肩をぽん、と叩いた。

 優しくて頼もしい手に、アイカは微笑んで応えた――その返事はライナスの目に映らなくても、ソラリスという使い魔のことや、村のことや、それで不安定に揺れた気持ちは、ライナスにお見通しなのだろうと、アイカは悟った。アイカは自分の心を客観視することができるし、悪魔や魔物に関連する依頼で誰かが傷つき、それに共感しすぎることもわかっている。そう分かるくらいには、冒険者としての経験を積んできていた。

「お疲れ様。ひとまず一歩だ」

 ライナスはそう言葉を添え、リーフの肩を叩いた。その手から、リーフの体に力が流れ込むようだった。これからだ。悪魔の力の一部が、今日、削られたのだ。それは大したダメージにはなっていないだろうが、たしかに一歩だった。必ずたどり着いてやる――何度目かわからない、彼女の名前を心の中で呼んだ。

 

 

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