For an Oath -Ⅱ
For an Oath - Ⅱ( 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 )
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その夜。
別の街の拠点で、アイカとエドワードは2人ではちみつ湯を手に、テーブルについていた。
ティラは外出し、レイキやアイリーンは部屋にいる。アイカは眠る気分ではなかったし、エドワードもそのようだったので、こんな状況になっていた。少なくともアイカは、成り行きでそうなったと思っていた。
「少し話さないか?」
エドワードにそう言われて、アイカは素直に応じた。
エドワードとは会ってまだ2日だ。その2日の間、エドワードは弱さを見せることがなかった。様々なことに興味を示し、楽しんでいるようにさえ見えた。
(そうしないと、ダメになっちゃいそうなんだろうな、きっと…)
アイカはそう思いつつ、誰からか学んだはちみつ湯を作って、エドワードと一緒にテーブルに着いたのだった。
「アイカは最近まで『琥珀の盾』にいたのだな」
そう言われて、アイカはうん、と頷く。少しの間の後、アイカは続ける。
「すごい人たちがたくさんいるよ、『盾』には」
エドワードはアイカの返答を頭の中で繰り返し、そしてこの2日間のことを思い、ひとつの推測を言葉にした。
「だから『空の鈴』を立ち上げたのか」
え、とアイカは少し驚く。
違ったのだろうか、とエドワードはアイカの言葉を待った。この2日間、『琥珀の盾』のエルミオやフィオ、セル、オルト、そして『緋炎の月』クレィニァなど、戦いの中心メンバーと話し合った。皆、接しやすく、良い人なのは分かるのだが、なにしろ冒険者としてのレベルが高いし、生きている時間も違う。多くの人が引け目を感じたり、無意識に一線を引いてしまったりしていても不思議はない。
「『琥珀の盾』は」
アイカは話し始める。
「…『盾』の人たちは、みんな好きだよ。でも、そういうことじゃなくて、エドワードの言った通りなんだ。
みんな凄すぎて、なんだか、敷居が高い感じがするでしょ? そういうことだよね?」
「うむ。『琥珀の盾』に限らず大手の同盟は、そのように感じた」
「やっぱりそうだよねえ」
アイカは椅子にもたれて、はちみつ湯を一口飲む。それから続けた。
「私はずーっと『盾』にいたから、そんなに思わなかっだけど…。
ほかの冒険者とパーティ組んで仲良くなっても、『盾』に入る人はあんまりいなかった。私くらいのレベルで『盾』に入る人って、とっても早くレベルがあがってる人とか、理想が高い人とか、自分に厳しい人とか…そんな人が多い気がする。
レイキとかも…意外とね」
「彼は自分にも他人にも厳しいタイプのようだな」
うん、とアイカは頷いて、笑った。
「でも、意外と優しいけどね。いっつも怒られるけど」
その光景が目に浮かび、エドワードも笑った。
アイカはそれを見て、話を続けた。こうやってなんでもない話をすることもエドワードには必要なのかもしれない、そう思った。
「私、ティラさんや、アーシェさんとメルさんや、『盾』の人たちに育ててもらったの。小さい頃から、ずっと『盾』で生きてきて、『盾』の人たちが家族みたいで。
憧れて、冒険者になって、いろんな人たちを見るうちに、『盾』って結構敷居が高いんだなあって気がついたんだよね。冒険者にとってはそうだって分かった。ちょっと嫌だったなあ、気付いた頃は」
「ほう?」
「だって私みたいなのも『盾』にはいるんだよ?本当は敷居高くない。みんなが敷居高いと思ってるからレベル高い人が集まって、だから、すごいこともできちゃう。それで『盾』に入るにはレベル高くないと無理、って、勝手に思われちゃう。そうやってまたレベルが高くなっちゃう」
アイカは数秒、思いを巡らせた。エルミオがロードなのに、と内心思い、すぐに改める。エルミオはアイカにとって身近すぎる存在だが、一般的には『琥珀の盾』ロード・エルミオ、レベル149の剣士だ。とんでもない冒険者だ。エルミオなのに、ではない。エルミオだから、のほうが正しいだろう。
「私が同盟作って、レベルの低い人でも入りやすい同盟にして、だから…ええと、初心者のための学校みたいな同盟がいいなって思うの。それで、少しずつ『盾』と仲良くして、『盾』はみんなが思うほどとんでもないところじゃないって分かってもらいたい…もちろんそれは目的じゃなくて、結果として付いてくる、っていう形にしたい」
真剣にそう言い切ったアイカに、エドワードは微笑んだ。
「そうか」
アイカは急に照れくさくなって、笑った。
「なーんて、まだまだ全然なんだけどねえ」
「そうか? なら、これから様々なことが実現していくのだろうな」
「うん! そうなるように、頑張る」
「応援しているよ、アイカ」
エドワードが微笑みながら、心からそう言うものだから、アイカは少し照れながらも嬉しくて、大きく頷いた。
一時、夜の静けさが訪れた。2人は鏡合わせのように、はちみつ湯を飲む。
「レイキ殿は」
そう、エドワードが静寂を破った。
「アイカの兄上のようだな」
ええー? とアイカは抗議する。渋い顔をしながらも笑顔だ。
「レイキが弟でしょ! 私のほうが年上だもん!」
「ああ、そうか。とにかく、兄妹のようだな」
「むー…」
アイカは少し不満そうにしたが、それ以上「兄妹」については言わず、話を進めた。
「レイキとはもう、7年くらい一緒にいるからねー。ヒューマンだから、ちゃっかりオジサンになってきちゃって。ヒューマンの15歳と22歳って、全然違うよね」
「そうだな。そして彼らヒューマン族や、小人族と接していると、どれだけの時が過ぎていたのか気がつく」
言われてみれば、とアイカは思う。
「そうかもしれないね。レイキも…」
その先を、アイカは濁した。
(レイキはヒューマンだから、私より先に死んじゃうんだろうな…)
それはなんと寂しいことだろう。
(私はハーフエルフだけど、親がエルフとヒューマンだったなら、寂しかっただろうな。だからこそ一緒になったのかな…それとも、二人共ハーフエルフで、もしかしたら、親のそんな姿を見ていたのかな…)
アイカはつい考えに耽った。エドワードに呼ばれて、はっと我に返る。
「26年だ」
意味が分からず、アイカはエドワードをただ見返した。
エドワードは真剣にアイカを見つめて言った。
「アイカ、26年前のことを、私は話さなければならぬ。
それを、アイカが聞いてくれなければならない。
今この時、戦が始まる前に」
「え…?」
それだけしか言えなかった。
どういうことか分からない。今の雰囲気だけで言えば、二人きりなわけで、つまり、男性と女性のなんたらかんたら…だが、26年前、という言葉からしてそれは違うだろう。アイカは自分の正確な年齢を知らないが、26年前ならば、生まれていたとしても、記憶にないほど幼い頃だ。
それにこの状況でそんな話をするはず…いや、この状況だから? だがやはり違うだろう。違わないと困る。
そんなことを考えてしまって赤くなったり慌てたり首をかしげたりしたアイカに、エドワードは先にひとつ言っておくことにした。
「アイカの家族の話だ」
しん、と、一度にアイカの心は鎮まった。だがすぐに、先ほどとは違う波が心に立つのを感じた。
何も言えずにエドワードを見るアイカからは、何も感じ取れなかった。驚いているのか、戸惑っているのか、他の何かなのか。アイカ自身すら、分からなかったのだろう。
アイカが聞きたくないならやめよう、という言葉がエドワードの胸の内に浮かび上がった。だが、それを言葉にすることはない。
今やめてしまえば、一体いつ真実を知ることができるのか。
エドワードは十分に時間を置いた。
やがて、アイカは何も言わないまま、小さく頷いた。
アイカが2歳の頃。
エドワードは10歳で、アイリーンが側近であった。
アイリーンは城に来て数年。城の人の中で力は強くない。もともとは冒険者の経験もある魔法研究職で、エルディンの目に止まったか何かで城へ来たそうだ。
アイリーンは極力エドワードの傍にいた。
当時のエドワードは、無意識に悪魔から自分を守ろうと、自身を抑圧していた。周囲から理解されず、周囲から害されることもなかった。
構わなかった。周囲の者も、悪魔の影響を全く受けていない者はいないはずだった。
あの城の中、アイリーンはエドワードの前でだけ、まるで城の外にいるかのように振舞った。笑ったし、よく話しかけた。そう出来るアイリーンが不思議で、少し羨ましく、エドワード自身がもてないものをもち続けている強さに信頼感を覚えた。
もしかしたらエルディンがアイリーンを連れてきたのも、エドワードの側近につけたのも、アイリーンが悪魔の影響を軽減できるように魔法を使えるからだったのかもしれない。
ともかく、エドワードはアイリーンを最も信頼していた。
アイリーンから、城の外のことは聞くことがあった。いつしか、アイカを外に逃せないかと考えるようになった。
父エルディンが今はいるが、この状況がいつまで続くか分からない。そして恐らく、母アルフェよりも先にエルディンが死ぬだろうと、なんとなく感じていた。アルフェに城を、国を全て任せるなど、王族としてしてはならない。だが、いつかアイカがこの状況を理解したとき、それを背負わせてしまうことも、エドワードの選択肢にはない。だからエドワードは城に留まらなければならない、そしていつかアイカを逃がさなければならない…そう、働かない頭で考え至っていた。
あるとき、その思いが強くなった。アイカを連れ出せる機会もあり、衝動的に、エドワードは実行した。
アイリーンにアイカを連れて「外出」するように言い、城に戻ることは許さないと命じた。
2歳のアイカが影響を受けているかはわからない。だが、今ならまだ間に合うのかもしれない。自分のようにならずに、外で生きていけるかもしれない。
アイリーンは外出して、命令通り、城に戻ることはなかった。
「そして、アイリーンは、『琥珀の盾』のエルミオ殿にアイカを預けた」
カップを両手で包んだまま、アイカは視線を落としていた。
「あ、…え、っと…」
無意味にそれだけ言って、見ていて辛いほどにアイカは動揺した。
分かっていたことだが、エドワードにはどうしてやればいいのか分からなかった。いろんなことを想定してきたが、実際には、これほどまで動揺したアイカにどんな言葉もかけられなかった。
今、アイカは家族のことを知った。父親は既にこの世におらず、母親は悪魔と契約し、その母の元へ、8日後には”討伐 ”に向かうのだ。
「ええと…」
そう言いながらアイカは立ち上がった。
「ちょっと考えるね。ごめんなさい。おやすみなさい」
律儀にカップは片付けてから、アイカは逃げるように部屋へ戻っていった。
扉が閉まる音を聞いてから、エドワードは大きく重いため息をついた。
泣くかと思った。
泣く、と、アイカの様子を見て直感したのに、アイカは結局笑って部屋へ戻っていった。
どうすればいいのだろう。
伝えない方が良かったのだろうか? いや、それは違う。
(どうすればいいのだろう…)
なんと言ってやればいいのだろう。どうしてやればいいのだろう。
「考え事ですか、エドワード?」
近くで声が聞こえて、エドワードは飛び上がった。
いつの間にやら帰ってきていたティラが、ふふ、と笑った。
「驚かせてしまってすみません。ただいま戻りました」
「ああ、いや。ティラ殿。少し考え込んでしまったようだ」
「そのようですね。難しい顔をなさっていましたよ」
ティラは羽織っていたショールを椅子にかけ、愛用の楽器をその隣の椅子へ置き、台所でお茶を淹れて戻ってきた。
「いかがですか?」
ティラに勧められて、エドワードはカップのはちみつ湯がまだ少し残っていたことに気がついた。それをぱっと飲み干して、お茶を頂いた。
「心が落ち着くな」
「それはようございました」
「ティラ殿は冒険者だけでなく楽士もなさっているのだな」
「ええ」
にこり、とティラは微笑んだ。
心から自分の職業に満足し、愛している。ただの一言と微笑みで、エドワードには十分すぎるほどそれが伝わってきた。
(こうなってほしい…)
エドワードは、アイカの未来や、出会った人々や民の未来、そして自分の未来を思う。
アイカが話してくれた、同盟のことを思う。
このティラのようになってくれたら、どんなに良いだろう。
「言葉にしてみてください。私でよろしければ」
さらり、とティラの言葉がエドワードに届く。
ティラはいつも冷静で、黙って人を見ているか、微笑んでいるか、雑学をしゃべり続けるかのどれかだ。
何を考えているのか分からない。
それは付き合いの短いエドワードに対してのみならず、アイカや『琥珀の盾』メンバーに対しても、あまり変わりはない。かといって、信用していないわけでもないようだった。時折、本当に楽しそうだったり、驚いたりするし、冗談も本音も言えている。必要なことを言うときはいささか喋りすぎるほどだ。
(この方にとって、アイカや私は仲間だ。だが、守る対象なのだろう。頼る対象ではないのだ)
だから、エルミオや、もしかしたら他の古参に対しても、違った表情を見せるのかもしれない。
たしかティラはディル族だった、とエドワードは思い出す。あの種族は長くて五百年ほど生きるという。きっとティラは、時間も経験も、エドワードには分からないほど積んできているのだろう。
今、ティラは、特に心配するふうでもなく、にこやかなわけでもなく、ただエドワードの応えを待っていた。
ふ、とエドワードは笑った。心強い。
「アイカのことを訊いても…?」
「ええ、どうぞ」
ティラのさっぱりした反応に、察していたな、とエドワードは思う。アイカの身の上を知っているのは、恐らくレイキとエルミオ、オルト、もしかしたらリーフも…くらいだろうが、それを知らなくとも同じ拠点で過ごしていれば、アイカへの態度の違いに気づかれていておかしくない。
「アイカは…その…これまで、大きな壁に直面したことがあるのだろうか?」
なんとなく今は明かしたくなくて、エドワードはそうたずねる。ティラのほうは、一時考え込んでから、言葉を選んだ。
「それは、申し訳ないですが、私よりレイキさんのほうが分かりそうですね。私は『琥珀の盾』の一員とはいえ、年単位で『北』を離れることも多いものでして…」
「そうであったか…」
確かに、ティラの言うとおり、レイキに聞いたほうがよさそうだ。
だが、それは恐らく必要ない。レイキは事情を知っているし、今アイカに話したということも分かっているだろう。レイキならば、言わずともフォローしてくれる。エドワードのことも分かっているから、何かあれば言ってくれるだろう。
それでも、今、何もできないことが苦しかった。
「心配なのですね?」
ティラに言われて、エドワードは納得する。
「そうだな…心配、なのだろう」
アイカはどう捉え、どう感じただろう。戦いが怖くなるだろうか。残酷な現実に泣くだろうか。見つけたと同時に失った、ならば知りたくなかったと嘆くだろうか。
「失礼ですが…アイカさんと何かあったのですか?」
「…うむ…」
逡巡し、エドワードは口を開いた。
「落ち込ませたというか…傷つけたかもしれない、というか…。私は、どうしてやればよいのだろうかと…」
レイキと話したときには、そういえば答えはなかった。エドワード自身が、アイカの兄という立場に執着したり、諦めたりする必要がない、ということは分かった。だがアイカに対して実際に出来ることは…ただ、エドワードが何もしてやれないわけではないと、漠然と思っただけだ。これから先、レイキもエドワードもアイカを支えると、そういう話だった。だが具体的にどうすればいいのか。
ティラが何も言わないので、エドワードは付け足す。
「謝ることではない。励ますことでもない。原因を解決するにはすでに手遅れだ。受け止めるしかないことではあるが、それをアイカに言わないことも私には出来た。しかし、それではいけなかったのだ。アイカには…話してやるべきだと信じた。だから、話した。…しかし…」
「ならば、信じてあげればいいと思いますよ」
ティラはまたさらりとそう言った。拍子抜けして、エドワードは目をぱちくりする。理由も何もティラは言わなかったが、それでもティラの言葉に納得してしまった。
「事情はよくわかりませんけれど。貴方が悩んだ末にアイカさんに告げたのでしたら、きっと大丈夫です。アイカさんはそこまで思い至って下さるでしょう。
具体的にどうすればいいのかは提案しかねますが…アイカさんはきちんと考えて受け止める方だと思いますよ。それを信じて待つだけでもいいと思います」
同じことをエルミオにも言われた、とエドワードは思い出した。そうだ、アイカは考えて受け止めてくれる…そう信じて話すに至ったのに。
もっとも、とティラは少し苦笑する。
「それが一番難しいんですけれどね」
「…そのようだ」
エドワードは少し困ったような顔をする。
アイカが受け止めるしかないのだ。信じて話したのだから、受け止めてくれると信じ切らなければ。しかしただそれだけでは、あんまりだ。出来ることがあるならなんだってしてやりたい。だが、特別出来そうなことはなかった。それどころか、明日からどう接すればいいのかすら、危ぶまれた。
自分のことばかり、情けないと思いつつも、エドワードは言葉にしてみる。
「明日から、どう接してやればいいだろう」
「いつもどおりに、おはようと言えばいいと思いますよ」
「…そうか」
「そうです」
ティラはお茶を一口飲んだ。
「アイカさんに助けが必要な時に、私たちが助けてあげればいいと思いませんか?」
そう言われてエドワードは気がつく。
助けてやりたいだけだった。
アイカに助かってほしい、よりも、自分がアイカを助けたい、という思いが強かったのかもしれない。アイカに助けが必要かどうかは、今は分からないが、アイカを助けることでエドワードの無力感や苦しみは和らぐだろう。これも、独りよがりだったのかもしれない。
ティラがそこまで考えて言ったのかエドワードには知る由もないが、それでも内心恥ずかしかった。
「そうだな。皆がアイカを支え、助けることができる場所にいる。よく見極めるとしよう」
「そうしてください。私たちもそうします」
ティラはにっこりした。
エドワードも微笑んだ。
どうであれ、今はきっと、アイカが一人で真実と向き合うことが必要な時なのだろう。受け入れるには時間も必要だ。
だが、戦いは8日後。
エドワードは焦燥感と無力感を自覚しながら、それは心の奥底に押し込めた。
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