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For an Oath -Ⅳ

 

 

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​*

 

 シルファーのところには、たどり着けなかった。

 

 通路には、いつの間にかゴーレムが増えていた。王族の防御の魔法が発動したのだ。

「”近道”したほうが良さそうだ。こちらへ」

 息を潜めて、ルシェンが先導した。

 暗闇を見通すダークエルフのルナがゴーレムをいち早く見つける。3人は暗い通路を進み、やがて目的の場所へたどり着いた。

 とある部屋の扉の前でルシェンは立ち止まり、そっと開いて中へ入った。リーフとルナも続いて、静かに扉を閉める。

「…ここは…?」

 ルナティアがつぶやく。

 ルシェンの《照らす光》が広がり、部屋を照らした。

 灰色…いや、控えめに煌く銀色の布が、部屋中に置かれた棚にカーテンとしてついている。古い紙の匂い…書庫だろうか?

「ウィザード・シルファーに与えられている部屋だ。ここに、たしか…」

 ルシェンは棚のひとつに近づいて、銀のカーテンを開けた。下から現れたのは、きっちりと収められた本。ずらりと並んだその中から、ルシェンは何かを探す。

「…テレポートの魔法道具?」

 ルナティアの問いかけに、ルシェンは頷いた。

「ああ。先日、教えてくださった。必要なとき、すぐにウィザード・シルファーのもとへ行けるようにと」

 テレポート、ということは、すぐに『神の石』の間に行ける。そして、アルフェのいるであろう玉座の間に向かう事になる。

 リーフはふと、ベルトのように装備した守りの道具を思い出した。オルトからもらった守りの装備。精鋭部隊に配布された特別なものだ。

 どんなにシルファーのところが安全で、”マナがない”などといっても、悪魔の影響から完全に逃れることはきっと出来ない――”マナの無い空間”を知らず、リューノンの怖さは知っていたリーフは、ルシェンがどうにかして敵に回ってしまう可能性も考えていた。

「僕よりも、あなたに必要かもしれない。ルシェンさん」

 リーフがそれを外そうとすると、ルシェンが振り返りながら制止した。

「いや、それはあなたのものだ。あなたが持つべきだ」

「え?」

「その剣のことだろう?」

 リーフは手を止めて、二本目の白い剣を思い出した。エルディンから貰い受けた剣。真偽のほどはわからないが、望みを叶える、という剣。

 

 エルディンはセレネというエルフ族から貰い受けた。ルシェンが調べようとしたが、剣の力に敵わないと察し、魔法具で剣を包むにとどめた。剣を包む布には人目除けの魔法が、鍔の部分を縛る紐は、何かしらの条件を満たさなければ剣が抜けないような魔法が施されているという。

 やがて悪魔リューノンの存在に勘付いたのか、エルディンは白い剣を小さな村の少年に譲った。それがリーフだった。

 その事実を、ルナティアと出会ったことでリーフは知った。運命的な出会いのようだったが、この戦いではこの剣を抜くことができないと、リーフはどこかで感じていた。

「…でも、僕には、この剣を抜くことができません。あなたがこの魔法具で封じたのだから、あなたなら使えるのでは? この時のために、僕はこの剣を持っていたのではないですか?」

「私は剣を持たない」

 あっさりとルシェンは首を振る。

「真っ向勝負は苦手だ。私とアルフェは専ら後衛だった。…テレポートの魔法道具だが、別の棚かも知れない。深い紫に銀の文字の背表紙だ」

 ルシェンは隣の棚のカーテンを開ける。ルナティアはそこを探し始めた。

「これは、この剣は、魔法具の役割もあるでしょう?望みを叶えるという剣なんですから。だったら、あなただって…むしろ、あなたが、誰よりも、強く望んでるんじゃないんですか」

 ルシェンは探すのを止めて、リーフをゆっくり振り返った。リーフは続けた。

「誰よりもあなたが、悪魔を倒したいって、仲間を助けたいって、願っているんじゃないんですか」

「…その願いは、…」

 ルシェンは、恐らく、言葉の続きをすり替えた。

「…あなたの願いだ」

 すり替えた言葉も、間違っていなかった。たしかにその願いは、リーフの願いでもあった。ルシェンに言われて、そうだ、と感じた。そして、同時にそれがルシェンの願いであることも感じ取った。

 だがリーフはそんなことを確かめたかったわけではない。この状況を、絶対に、どうにかするために、白い剣が有効ではないかと言っているのだ。

 ルシェンはだが、穏やかに続けた。

「それは私が持つものではない。かつてはエルディンの、今はリーフ、あなたのものだ。

 切り札も、使いどころを誤れば、なんの意味もない。あなたたちは、悪魔と契約者を討つつもりで来ているんだろう? それを助けるために、この戦いの中で剣を抜く時が来るかも知れない。その時必要なら、剣は私の手の中にあるのだろう。恐らくあなたが握るだろうと思うがね。

 力に頼りすぎて囚われてはいけない。その時は、来れば分かる。直感したら、剣を抜けばいい。今は、その時ではない」

 リーフは――言い返したかった。ルシェンの言葉は、どこか、諦めの響きがあるように感じるのだ。出会ってから今までずっとだ。ルナと一緒に何かを思いとどまらせようとしたものの、何か、空回りしたのではないかとも思える。

 それなのに、ルシェンの言葉や、その藍色の瞳には力があった。剣を隠すように魔法を施した本人だからこそ、ここまでのことが言えるのか。あるいは、リーフでは到底及ばない、積み重ねてきた年月の重みだろうか。あの短い旅の中のルナティアのように、話せない、譲れない何かをもっているのだろうか。何かがリーフを納得させるのだ。

 本を探していたルナティアも、少しリーフを振り返った。

「剣のことは、ルシェンの言う通りだと思う。リーフ。その類のものは、多分…使おうとして使えるものじゃないのよ」

「んん…そうか…」

 元冒険者の二人に言われてしまっては致し方ない。リーフ自身、白い剣を使うことは戦いの前に一度さっぱり諦めたのだ。もういかに剣のことを言っても仕方がないと、考えを切り替えた。

 とにかくルシェンをシルファーのところへ連れて行って、アルフェに近づけないことだ。フィオは、もうルシェンは悪魔と戦えない、敵方に回る可能性があると言った。それだけは避けなければ。

「…深い紫に、銀の文字、でしたね」

 リーフはルシェンが探していた棚を開け、探し始めた。見上げるほどの黒っぽい木の本棚。これが壁面と、三台が連なった列が五列、並んでいる。入って左の奥の棚から探し始めていた。

「さっき、あなたに必要だと言ったのは、剣のことじゃないんですよ」

 探しながらルシェンに話しかけた。

「これ。仲間が準備してくれた守りの装備です」

 ベルトに触れて示す。ルシェンはそれを少しの間眺めた。

「良い守りの装備だ」

 その時不意にルナティアが探すのをやめて、颯爽と右端の棚へ歩いて行った。ルシェンから一番遠い棚。カーテンを開ける音がした。ルシェンはルナティアの後ろ姿を目で追ったが、また魔法道具の本を探しに戻る。

「この城であなたを守るものがなくなってはいけない。私にはウィザード・シルファーの守りがある。大丈夫だ」

 また、穏やかだが有無を言わさないふうな返答だった。でもたしかにそうだ。今、悪魔の影響を感じないのだって、この装備のおかげなのかもしれなかった。それでもなんとなしに、ずるいなあ、とリーフは思う。

 

 ややあって、ルナティアが戻ってきた。手には、深い紫の外装に、銀の装飾の、厚めの本。

「…見つけたよ。ルシェン。これでシルファー様のところに行こう」

 一番遠い棚にあった? リーフはまさかと思いルシェンを見る。ルナティアにまっすぐに見据えられて、ルシェンは小さく息をついた。

「お見通しだったわけか」

「シルファー様がすぐに来られるように教えてくれた魔法道具を、わざわざ探す必要があるなんて、おかしいでしょ。本当は何を探していたの…いえ、聞く前に、早くシルファー様のところへ行こう」

 急に空気が不穏になった。ルナティアの言葉には少しの不安が滲んでいる。

「悪魔と契約者を討つために、利用できるものがある。私は最近、ふたりいるようで、もうひとりが、魔法道具を作ったと思うのだが…」

 ルシェンは本棚に目をやって、腕を上げると一冊を示した。

「これだ…私が作った」

 ルシェンが淡々と言う。

「最近、私は、ふたりいるようだ。片方のとき、片方の記憶が曖昧で、なかなか思い出せなかったが…そう、これだ。アルフェのところへ行くための魔法道具――」

「ルシェン」

「ルシェンさん」

 藍色の瞳が鬱陶しそうに二人を見た。まずい。ルシェンの言葉を借りれば、これはさっきまでとは別の”もうひとり”のほうだ。リーフは剣に手を触れる。気絶させてでも、行かせはしない。

 一瞬のその緊張を切り裂いて、ルナティアの凛とした声が飛んだ。

「 ライゼ! 精霊シェルエン《輝きの檻》と共にある、ディル族のライゼ。《目を覚ましなさい》、ライゼは私たちと共にウィザード・シルファーの元へ向かいます」

 みるみるうちにルシェンの表情から影が消えていった。ライゼ――ルシェンの、真名の一部に違いない。ルシェンは初めて会ったかのようにルナティアとリーフを見る。

「ルナ…」

 声は疲労していた。今の間に、どっと疲れが増したようだった。

「違う、私は、アルフェを止めようと思っていたんだ」

 しんどそうに言い訳をしたルシェンに、ルナティアは頷いた。

「分かってる。大丈夫よ」

 穏やかに言って、リーフに剣から手を離すよう目で促した。ルナティアはルシェンに歩み寄って、本を差し出す。

「行こう。ね。あとのことはリーフたちに任せて」

 ルシェンはどこか悲しげにそれを見て、しかし動かない。

「ライゼ」

 ルナティアに呼ばれて、ルシェンは軽く目を閉じた。

「私は、この戦いまでもたないだろうと思っていた。ウィザード・シルファーの守りの魔法を、侮ったようだ」

 ルシェンはリーフに目を向けた。

「隠し部屋での、私の伝言を覚えているか?」

「ええ」

 シルファーのいる、『神の石』の間に行く方法。セエル オブ トゥリア ラ オウス《三つの誓いの間》。

 ルシェンは頷いた。

「ルナ。きっと、おまえも同じ立場だったのだろう」

 ルナティアから紫の本を受け取りながら、ルシェンは真剣に言った。少しほっとしたルナティアがなんのことか思い至る前に、もう一言付け加えた。

「絶対に来てはいけない」

「え」

 

 ルシェンが自然な動きですっと腕を上げた途端、空気の塊がルナティアを吹き飛ばした。飛んできたルナティアを受け止めて、リーフは本棚にぶつかって倒れる。

 ルシェンは紫の本を軽く放って、自分で作ったという魔法道具の本を手に取り、一言唱えて姿を消した。

 後には、彼が持っていた藍色に黒の文字の入った本が、どん、と音を立てて落ちた。

 二人は一時呆然とする。ルナティアがルシェンの居た場所へ、慌ただしく、半ば這うように近寄って、藍色の本を拾い上げた。

「なんて唱えた?」

 リーフの硬い声に、ルナティアは振り返って首を振る。テレポートのための文句が分からない。

 取り残された――。

 

 止めることもできず、取り残されてしまった…。

「シルファー様のところへ」

 ルナティアはどうにか気を取り直して、紫の本も手に取る。

「シルファー様にお願いするしか、追って間に合う方法がない」

 ルシェンは長くはもたない――ルナティアもリーフも分かっていた。リーフは頷いて、文句を教える。

「セエル オブ トゥリア ラ オウス。意味は、《三つの誓いの間》だ」

「分かった。先に行くわ」

 ルナティアが先に唱えて、姿を消した。すぐに、リーフは後に残された紫の本を手に取った。ルシェンが向かった玉座の間には、きっともうエドワードが、もしかしたら既にアイカも、いるかもしれない。

「ぁあ、なんでだよっ! …セエル オブ トゥリア ラ オウス《三つの誓いの間》」

 書庫のような風景が消える。代わりに、大きな扉が目の前に現れた。

「シルファー様!ウィザード・シルファー!どうか、助力を」

 ルナティアが半ば叫ぶように呼びかける。すると、彼女の目の前の部分だけがぽっかりと光に縁どられた穴を開けた。

「リーフ、こっち」

 驚く暇もなく、リーフは招かれてルナティアと共に中へ入った。

 

 楕円でただただ広い空間には、巨大な魔法陣が描かれた床があり、そして灰色の魔法使いがただひとり、ぽつんと佇んでいた。

 彼女は銀色の瞳をルナティアに向ける。

「ディル族のルシェンがひとまずは上手くやったようだな」

 場違いに落ち着いたシルファーに、リーフは苛立った。この状況で、「上手くやった」だと。そのリーフを制するように、ルナティアが間髪入れずに話し始める。

「ルシェンが」

「アルフェのもとへ行ったようだ」

「そうです。お願いです、」

「その前にひとつ言っておこう。ハーフエルフ」

 シルファーはぴたりとリーフを見据えた。

「ルシェンはたしかに、うまくやったのだ。戦いが始まり、悪魔の力が強まった。兵士たちは恐慌に陥ったが、ルシェンは事前に決めていた通りに動いてルナティアを救い出した。そして今も、アルフェを止めるために自らの意思で動いたのだろう。残念ながらアルフェの元へ行くのは誤断だ。私の守りを過信しすぎているのかとも思える。もっとも、」

 シルファーは続けた。

「あの男はそのように単純な愚か者ではない。

あながち…来なければアルフェにエドワードを殺させるとでも脅されたか。行かなければ、リューノンはそれを実現させるだろう。行けば、戦力になることに違いはないが、アルフェよりは、ルシェンのほうが抑えは効くだろう。分かった上で向かったのだ。

 城にやってきたお前たちの力ならルシェンを止め、アルフェを止められる、そう信じていなければ出来ない行動だ。そうは思わないか?」

 

 最後の言葉に、リーフの苛立ちは、疑問がひとつ解決したときの晴れた気持ちに埋もれた。

 ルナティアに”ライゼ”と呼ばれ、正気を取り戻したかに見えたルシェン。実は正気ではなかったのだと、リーフは思った。散々止めて、敵方に加わりうる自覚だってあったのに、アルフェのもとに向かったのだから。

 逆だったのか。正気だったから、ルナティアやリーフに止められると分かっていたから、あの書庫のような部屋で密かに藍色の本を探していたのか。なにか事情があって――シルファー曰くリューノンに脅されて――アルフェのもとへ向かった。

 ルナティアを救い出した後、リーフとルナティアにまくしたてられたルシェンが、諦めたように笑ったその意味は…。

「ああ、なんでだよっ」

 そんな道しかなかったか? リューノンとどんなやり取りがあったか知らないが、そんな道しかなかったのか??

(だってつまり、僕たちに、”倒してくれ”ということだろ!? 最初から、…会った後も、そのつもりだったってことだろ!?)

 リーフだって、そのつもりで来てはいた。でも、ルシェンはまだ救えるかも知れないと、ルナティアもリーフも諦めていなかったのに。だからエルミオも精鋭部隊も、諦め切らずに挑んでくれているのに。だから、せめて、僕たちは諦めないと伝えたのに――あるいは、伝えたからこその行動だったのだろうか?

「“なぜ”? 相手が悪魔リューノンだからだ。分かるだろう、ルナティア」

 シルファーに問われて、ルナティアは頷いた。ルナティアが他の冒険者たちに助けを求められなかったのも、悪魔リューノンと何かを約束したからだ――脅しのようなそれを、受け入れざるを得なかったからだ――リーフがそのことに気がついたのは、ルナティアとの短い旅の後のことだった。

 すっかり冷静さを取り戻したルナティアは、銀の瞳をまっすぐに見つめ返していた。

「だから私たちが助けに行きます」

 そこに迷いも、後悔も、不安も苛立ちも、なかった。リーフが思わず見たルナティアの横顔は、凛々しかった。

「リーフが助けてくれたように。打ち明けられないことはあっても、信じていられた。決して侵されないものを心に宿し続けることができる」

 違う、それは僕がしたことじゃない、ただ、ルナティアの強さが成したことだ――そんな思いは、ルナティアの凛とした立ち姿に打ち消された。

 そのルナティアが言うように…その強さを保つための力に、少しでもなれたというなら…

 ルナティアが、ルシェンをそうやって助けようと…助けられると信じているなら。諦めるのはまだまだ早い。ルシェンが行くしかなかったのなら、そうだとしても…だからこそ、助けよう。まだ終わりじゃない。

「行かないと。…リーフ、今更止めたりしないでね?」

 見透かされた。リーフは一瞬言葉に詰まった。

「…本当はここに残って欲しいよ。…だけど…」

 ルシェンを取り戻そうと思うならば、ルナティアが必要だろう。それに、冷静に考えて、リーフだけが向かってどうにかなる状況ではない。弱っているとはいえルナティアのほうがよほど力となるだろう。

「ありがとう。私たちのことを本当に考えてくれて、…あんな悪魔に目を付けられちゃったのは運が悪かったけど、リーフに会えて良かった」

 リーフは頷いた。

「でもあんまり…無茶しないでくれよ。体調も、装備も、良くないんだから」

「分かってる。戦闘の役に立てるとは思ってないわ」

 そう、とリーフは自分を納得させるように頷く。無茶をしないで済めばいいが、そんなことを言っていられる状況ではないことも分かっていた。

 ルナティアは冒険者だ。絶対に果たさなければと誓ったことが、心にある。

 リーフは冒険者ではない――冒険者という肩書きは持っていない。白い剣をくれたエルディンも冒険者ではなかったことが、ふと思い出される。同じ戦いの中にいる。なにかを心にもっているのは、皆同じだろう。エドワードやアイカを守りたいのは、ルシェンだけではない。ルシェンを助けたいのは、ルナティアだけではない。リーフだけでもない。

 

「その本はルシェンが精製した魔法道具か」

 黙っていたシルファーが、ルナティアが持ってきた藍色の本を認めて手を差し出した。

「はい。アルフェの元へ行くために作ったそうです。しかし、発動のための文句が分からず…シルファー様、《再現》で――」

「《再現》? この場で?」

 本を受け取りながら、シルファーは怪訝そうにした。

「そんな非効率なことをしなくとも、魔法をかけ直してしまえばいい。…腕のいい村魔法使いめ、この本は私の所有物だと分かっているのか…」

 他人の作った魔法道具の、魔法をかけ直す? リーフは魔法には詳しくないが、多分、それは、一般的に《再現》よりも困難なことだったはずだ。『神の石』を守ってばかりで、様々な日常の魔法の腕が衰えてはいないだろうか?

 藍色の本を手に、ぶつぶつと意味の分からない古代語を唱えるシルファー。

 大丈夫なのだろうか、とルナティアを見やると、彼女は頷いた。

「お任せしよう」

 シルファーは本と会話するように、時折問いかけ、時折黙り込んだ。

 早く、と急かしたい気持ちを抑えながら、リーフはその様子を見守る。

「エドワードも、ウィザード・アイリーンもご無事?」

 不意にルナティアが小声でたずねる。リーフは頷いた。

「それに、アイカさんも」

「…アイカ?」

「オルフィリア」

「…!」

 ルナティアが息を呑んで驚き、安堵が滲む。

「良かった…生きていた…」

「『空の鈴』という同盟を立ち上げたばかりみたい。仲間と一緒に冒険者やってるよ」

「ああ…そんなところにいたんだ…」

 リーフはちらりと微笑んで頷いた。そして現在の彼らを思う。

「今、多分、エドワードもアイカも玉座の間にいる」

 ルナティアも真剣な表情になって、頷いた。

「ルシェンを止めよう」

 短い旅の中では、リーフはただの部外者のような気持ちがあった。今、ようやく同じ戦いの中で、ルナティアと気持ちが一致した気がした。 エドやアイカを守ろう。ルシェンを止めよう。そして精鋭部隊とともに、悪魔と、契約者を、討とう…。

「向こうに着いたら、契約者を討つ」

 アルフェの傍にテレポートしたらすぐ、彼女を殺す。ルナティアはそう宣言した。

「それで少しでも悪魔の影響を減らせればいい…」

 その真剣な表情の奥に、痛みがあるのをリーフは感じ取った。ルナティアの言葉は、願い、というより、懺悔、そんなふうに聞こえた。友を殺めます、殺めましたと…。

「うん」

 リーフは頷いた。力強く。剣の柄を握って、近い未来のことを心に決める。

 

 出来たぞ、とシルファー。差し出された藍色の本を、ルナティアが受け取る。シルファーは受け渡す間、その薄い声でまくしたてた。

「礼は言うな、受け取らぬ。徒労だろうから、私はおまえたちを止めない。

 疑念、生じる怒りや憎しみは、弱点にしかならない。心せよ。信じろと押し付ける前に、信じなさい。悪魔と戦う時だけは、憎しみよりも、無感情にただ倒す、そしてそれよりは愛しさを理由に戦うことを薦める。

 発動の文句は、flow of “kyanos”…lead me to field of battle。その意味は、藍の流れよ我を争いの中へ導け。転移先の位置は調整出来なかった。恐らくアルフェのすぐ傍に出るだろう」

「分かりました。…発動の文句をもう一度教えていただいても?」

 ルナティアが聞き返したので、リーフはほっとした。古代語に精通した種族の発音は、普段古代語を使わない人にとって聞き取りづらいことがあるそうだ。リーフは初めてそれを実感した。

「flow of “kyanos”…lead me to field of battle。大事なのは意味だ。《藍の流れよ我を争いの中へ導け》。魔法のきっかけになるだけだから発音は程々で構わない」

 ルナティアは、恐らくお礼の言葉をぐっと飲み込んで頷いた。

「僕が先に行く。そのほうが仲間たちも分かりやすい」

「…気をつけて。すぐに行くから避けていてね」

 リーフはルナティアから藍色の本を受け取る。そして、ルシェンを追うための、文句を唱えた。

 

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