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For an Oath:Reverse -Ⅴ-2.誕生

     そして、もう一度、生まれよう。@1770~

 

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 帰ってこない。

 セルヴァの伴侶、リオナは、残った数名の守護部隊に周囲の警戒を任せて、彼の手を握りじっと祈るように寄り添っていた。

 

 重い空気をまとった悪魔の領域が、城のほうに広がっている。今までも城にいたはずの悪魔は、いまや隠れることをやめて力を振るっているのだ。

 その領域にほぼ重なって展開されていた魔法の防御。普段のメア城の防御がどれほどのものか分からないが、解けるのが早かった。最悪、セルとココルネの限界が先にやってきて、中断することも考えていたのに。

 守護部隊に所属していたリオナは、セルを待っていた。

 普通は使用しない《共有》という魔法を、リオナとセルはほぼ常に使っていた。そのセルが、今は、みえない。手を伸ばせば触れる場所に体だけが置いてきぼりになっているような…。

(セルヴァ…どこにいるの…)

 セルの真名の一部は、セルヴァ、といった。リオナはいつも、その名で呼ぶ。

 呼びかけても、傍にいても、みえない。声が聴こえない。

 セルヴァを待ち、二人の周囲にいる守護部隊から、心配や諦め、戦闘に臨む冒険者の割り切った気持ちや、戦力として前線にでるべきではと身じろぎする気配が感じられる。セルの帰りだけを願っているのは1,2人だ。

 リオナは見えない目を閉じたまま、顔をあげて残った守護部隊を見回した。そして、腕を伸ばしてひとりひとり指し示し、お願いをした。

 丁寧に、彼らが望む、前線へ向かうことをお願いした。ここは私に任せて欲しいと。

 ヒューマンの魔法使いごときに何が出来るのか、などと口にしなくても、リオナはその気配を感じた。構わない。丁寧にお願いすることだけが、リオナに出来ることだった。

 

 戦場から離れた木々の間に残ったのは5人。

 守護部隊の3人に囲まれて、リオナは《共有》魔法でセルに寄り添った。

 慣れた魔法のはずが、最初は強い力で拒絶されてしまった。厚い壁。リオナは咄嗟に入り方を変えた。

 壁を、壁と認識するからいけない。道と思えば、それは道となる。一見不思議な精神世界の規則を、リオナは経験上知っていた。

(セルヴァ)

 呼んでも、聴こえない。

 よく知ったセルヴァの世界に入るには、いつもよりも長い距離を進まなければならないようだ。暗い闇の気配に包まれた場所を、リオナは進む。一人。セルヴァと《共有》したはずなのに、セルヴァはいない。

 暗闇は、リオナにとって恐ろしいものではない。目の見える人たちにとっての光と、なんら変わらないものだ。その闇の中に人々やマナの気配がある。生まれたときから、世界はそういうものだった。

 セルヴァは見えない。しかし、リオナには分かっていた。セルヴァはこの暗闇のどこかに存在している。あるいは、この闇自体が、セルヴァだ。

(セルヴァ)

 恐ろしいのは、孤独だ。帰る場所が分からなくなる。その中にセルヴァがいるのなら、リオナはどこへだって迎えに行く。

(私を呼んで、セルヴァ)

 その孤独すら、リオナは存在させない。記憶、想い、手のぬくもり、どれかひとつでも刻まれて忘れないならば、二人は絶対に孤独になどならない。リオナにとって、エルフ族の伴侶になるということは、お互いの存在を疑わないことだった。時が死を呼びリオナが還っても、セルヴァはリオナを忘れない。

 

『人は忘れる』

 闇の声がした。

『忘れる。孤独なものだ』

 リオナは進み続けた。

『お前まで迷い人になってしまうなんて』

(セルヴァ)

『お前の声の記憶も、薄れてしまうよ』

 ふふ、と、リオナは笑ってしまった。おかしかった。

「私たちのことを知らない貴方に、応えて差し上げましょう。生きていること自体が、証明になるのですよ」

『いずれ死ぬ』

『儚いものだ』

 リオナは旅路で出会った友へ語るようだった。

「ごめんなさい、言葉が足りなかったようです。

 いずれ死ぬのは、皆同じです。それを嘆いてどうするのです? 私はセルヴァと出会い、セルヴァは私と出会った。素敵なことだと思いませんか? そうして、記憶が繋がっていくのです。出来事はすべて、繋がっていきます。星が空を生かし、空が星を宿してやるように、存在し合わせ、お互いの証明になるのです…上手く伝わるでしょうか? 分かります?」

『綺麗な言葉でごまかしても無駄だ』

『結局、全て無駄なことなのだ』

『所詮、生きる時間が違う』

『ちっぽけな存在だ』

「ごまかしと思っていませんよ。そうですね…それはそれは、小さな存在です。あなたが言いたいのは、セルヴァにとって私が些細な存在だということ、だと受け取りました。この点は、いくら話しても相容れないと思いますよ。

 もうひとつ。全て無駄だとおっしゃいましたね。私の考え方ですが、お話しますね。

 この世界にとって些細なことだけれど、些細なことがないと、この世界は存在もできない。些細なことだから、私が死んでもこの世界は何一つ変わらないように見えるでしょう。だけど…」

 リオナは、幸せで暖かな気持ちを抱きしめ、闇の声と相容れない一点を、自分の中だけで呟いた。

(だけど、世界が変わらなくても、きっと貴方は――)

「…そんな変化がすべて世界で起こる。不思議ね。

 私一人がどうなったって変わらないのに、私一人がどうにかなるという事が世界中で起こると、変わらないなんて言えなくなる。

 不思議ね。だから、私、あの人のことを…あっ」

 リオナは気がついた。さっきから問われていることは、随分前に経験した問いだ。声の正体が分かった。

「あなたは、私ですね? 随分前に出会いました。もう大丈夫ですよ。ありがとう。さようなら」

 

 優しく別れを告げ、リオナはまたひとりで、セルヴァを探し始めた。

(セルヴァ。私はここです。そちらから、見えますか?)

 リオナの心には、さっき別れた自分自身の影があった。ここで“自分”に“再会”したことで、気持ちは更に固まった。なつかしい。セルヴァと出会った頃は、あの問いに迷い、応えることができなかった。

 商人の娘。盲目に生まれた、魔力だけは人並み以上の少女。『琥珀の盾』の魔法使いは、出会ってすぐに、かつ、徐々に、リオナへ魔法使いの道を示した。

 盲目なのに、冒険者としてやっていけるはずがない。リオナ自身も、家族も、そう思っていた。ただ、度合いは違った。リオナは、家族が思うよりも、やっていけると思っていた。人が思うよりもずっと、周囲の気配を感じることができた。それは魔力やマナの気配が主なものだったと、魔法使いになってから気がついた。

 セルヴァに示された道へ、飛び込んだ。

(私は、私として生まれました。あなたのおかげで、私の意思で。あなたは?セルヴァ、また、私に会いに来てくださいませんか?)

「リオナ」

 背中から声が聴こえた。

「リオナ、来たよ。待たせてしまったね」

「いいえ」

 リオナが振り返る前に、背の高い彼が後ろから優しく抱きすくめた。何も言わない彼からは、何か悲しい気配が感じられる。

「どうしました?」

 リオナの問いに、うん、と言って語り始めた。

「私は、もう、休んでもいいのかな…」

「休む? お疲れですか?」

「うん…」

 沈んだ声は途切れた。悲しい気配が続く。

「…皆、私より先に死んでいく」

 まただ、とリオナは思った。同じ言葉を、聴いたことがあった。

「リオナ、いっそ、このまま、死んでしまおうか…」

 リオナは、回された腕に優しく触れた。

「別れのときは来るでしょう。でも、今ではありません。私はあなたと生きていたい。それでは、足りませんか?」

「リオナは…私より先に死んでしまう…」

「私がヒューマンだから」

「そう」

 それは、とても深刻な悩みなのだ。どうしようもなくて、そして、リオナからすれば、些細なことだ。

 

「“本物のあなた”はちゃんと、強い部分ももっています。大丈夫。あなたのことも、考え、認めてくれるわ。永い時間の中で、何度も出会うかもしれないけれど、その度に思い出し、また考えてくれる。あなたもここにいて下さいな。消えないで、一緒にいてあげて。あなたがちゃんと、あなたであるためにも。そして、私の声を聴いたことを、思い出させてあげて。きっといつまでも、私も、あなたも、支えになるでしょう」

 すると、腕が解けた。闇に消えていく。

 どこからか、セルヴァの声が聴こえる。

「私はいつか死ぬ。だがそれは今ではない。貴方は私から何一つ奪うことはできない」

(セルヴァ)

 リオナは呼んだ。手を伸ばした。この闇の中で、セルヴァは向こう側から、こちらを目指して、戦いながら進んできていたのだと分かった。セルヴァの最後の一言で、こちら側と繋がった。

 セルヴァの気配が近くなる。手を伸ばせば届く。微笑んだ声が、すぐそこで聴こえた。

「リアンナ、待たせたね」

 暖かな気配に、リオナは笑って、思い切り抱きしめた。

「いいえ」

 闇が、弾けた。

 

 

 藍色に光の帯が刻まれたゴーレムたちと、4人の冒険者たちが、エドワードとアルフェの間で戦いを繰り広げていた。巨人のようなゴーレムはレスターが、翼のある人のようなゴーレムはライナスが、主に相手取る。

 魔法の盾のせいで、愚直な攻撃では通用しない。

 何度目か、ライナスが弓を構える。飛び回るゴーレムを、矢先はぴたりと、ひっぱられているように追う。嘲るように向かってきた翼のゴーレム。風の攻撃魔法を誰もが予測した。それをコロナの防御魔法が防ぐところまで、目に見えている――しかしその先に考えが至る前に、スーラが低く唱えた。

「《 走れ、裂け 》」

 スーラがライナスの背後で剣を一閃した。銀色の軌道に沿って薄い水の刃が半円を描いて走る。ライナスの頭上を飛び、翼のゴーレムの防御を切り裂き、本体にまで薄く刃の跡を刻む。急に進路を変えた翼のゴーレムを、ライナスの矢先は逃さない。裂けた防御を抜けて、矢は翼のゴーレムに傷をつける。石のような身体に突き立つには至らない。だがこれで、ライナスの思い描いた通りに事は進んだ。

「ハル《潜り影》、”そこ”だ」

 ライナスの影が不自然に存在感を増し、そして立体的なものとなり、翼のゴーレムについた“印”を目指して飛びかかった。半透明の黒い影とともにライナスが腕を伸ばす。それに応じて影は翼のゴーレムを掴むように捕らえる。暴れるゴーレムの周囲で風の刃が吹き荒れたが、影には通用しない。

 引きずり下ろすように腕を下げると、影は翼のゴーレムを一気に地面に落とす。

 身動きの取れない翼のゴーレムに、ライナスの片足がかかる。魔法の盾の内側で弓を構えた。

 ところが、突然光がライナスの影を断ち切るように差した。拘束が緩んだ一瞬で翼のゴーレムが羽ばたく。だがライナスは足をどけるどころか完全にゴーレムに乗る。

「《 貫け 》」

 スーラの補助魔法を受け、それとほぼ同時に、真っ直ぐ向けたままだった矢を放った。ガッ、と硬い音と共に矢はゴーレムに突き立つ。無理やり空中へ舞い上がったゴーレムからライナスは身軽に飛び降りて着地する。そこへ放たれた風の魔法を、コロナの援護が防ぐ。

「 衝撃を弱めよ《魔法守護》 」

 矢継ぎ早に詠唱し、レスターへの援護を追加する。巨人のゴーレムを相手取っていたレスターは、振り下ろされた大きな岩の腕をかわし、素早く剣を収めるとその腕に飛びついた。レスターをくっつけたまま再び振り上げられる腕。レスターは気合の一声とともに巨人の頭の部分に飛び移って、ダガーを抜いた。

 その戦いの下方でライナスが駆け、矢の刺さったまま翼のゴーレムが追った。進む道には、巨人のゴーレムの上で、魔法の強化を受けながら振り上げられたダガーが光る。翼のゴーレムはわずかに進路を変えてレスターに爪を向けた。

「 《爆破》 」

 ライナスの合図と同時に、刺さったままだった矢が爆発を起こし、翼のゴーレムを吹き飛ばした。飛び散る黒い石の破片が巨人のゴーレムに容赦なくぶつかる。ほとんど動じない。舌打ちをしたレスターを魔法守護が守る。

 ところが、ダガーを振り上げた腕が止まった――レスターの意思に反して止まってしまった。防御を越える強力な呪術かと、術者であろうアルフェをちらりと見て、レスターは決断した。アルフェは、どうやら別の詠唱をしている――まずい。術者はアルフェではない。とにかくゴーレムから飛び降りて転がる。一瞬後、レスターが居た場所に黒い光弾が飛んだ。巨人のゴーレムは一歩前に転がったレスターを踏みつぶそうとする。それをまた転がってかわす。ところが、不意にゴーレムはレスターを無視して体の向きを変えた。

 その先には詠唱するスーラ。ゴーレムの狙いを変え、レスターが体勢を立て直すと同時に、スーラは魔法をやめて、にっと笑った。目の前にいるかどうかよりも、大魔法を潰すことを優先して動くことが確定したのだ。言わずとも、今の出来事で精鋭部隊はそれを理解する。

 それよりも気がかりなのは、レスターの腕が止まったことだ。アルフェ以外にそのような魔法を行うとすれば、それは――。

 

「本当の敵がそこにいる…油断しないで」

 コロナは、そばにいるエドワードに警告した。事前にかけていた《魔法守護》程度では防げない。悪魔リューノンが、恐らくそこにいる。ここまでの戦いで、一度しか手を出してこなかったところを見ると、あまり頻繁には干渉するつもりはないようだが…。

「ああ」

 戸惑いのようなものを感じ取って、コロナはちらりとエドワードに目を向けた。

「もう少し近づいたほうが話しやすいですね」

 アルフェのほうを見ていたエドワードは、はっとしてコロナを見、しかし躊躇した。コロナは一言添える。

「戦いは、任せておいて大丈夫です」

 そう言うコロナ自身が、まず真っ先に自分の言葉の通りであった。油断はないものの、悠然と構えている。補助魔法はそう頻繁にかけるものではないし、あとは必要なときに支援をするだけだ。それで大丈夫だと、確信して構えている。

 エドワードは頷いた。

「…頼みます、もう少しでも、近くへ」

「行きましょう。念のため《盾》の心構えはしていてください」

「分かった」

 巨人のゴーレムがスーラを追い、アルフェとの間を横切る。エドワードとコロナはその影をそっと移動し、アルフェに近づいた。

 アルフェは大して興味なさそうに、ゴーレムの後ろから現れたふたりを見つけた。しかしすぐに、またゴーレムへ視線を戻す。

 

「母上」

 喉に張り付いて止まりそうになった言葉を、エドワードは絞り出した。

 アルフェは表情を変えないまま、エドワードに目を向ける。

 エドワードの錯覚だろうか、一瞬にして、誰かが魔法を使ったかのように、玉座の間は暗い空気に包まれた。気持ちは沼に沈むようだ。そこには悲しみや後悔しかない。

 エドワードはその中で、アルフェを見上げ続けた

 なにを言えばいいのか。なにを言いたいのか。この場にきて、そんな悩みはもはやなかった。ただ、思うよりも早くエドワードは訊ねていた。

「どうして私たちの前に立ちはだかるのですか」

 アルフェは考える素振りもなく、ただ少し怪訝そうにした。

「立ちはだかる? 私が?」

 小さく首を振ると、アルフェはこう言った。

「あなたたちが、私の前に来ただけです」

 面食らったエドワードに構わず、アルフェは続ける。

「私のことは放っておけばいいでしょう?」

 そんな言葉が出ると思っていなかったエドワードは一時混乱する。

「放って…おけるはず、ないではありませんかっ!?」

 口をついて出たエドワードの叫びに、アルフェは不快、かつ、悲しそうに表情を曇らせた。

「…あなたは、きちんと、王族の血を継いでいるものね」

 エドワードはまた混乱する。そんな意味で言ったのではない。”王族”のエドワードは、今、この時だけは、控えて半歩後ろにいる。

 アルフェのこの言葉は何だ? それは、何を示している? ――エドワードは初めて、母の内側でくすぶる黒い感情を、それもいくらか自分にも向けられうるものを、感じ取った。それは、母と話そうとしたエドワードの気持ちを一気に冷やしてくしゃくしゃにしぼませてしまう。

 

 脳裏には、いつだったか、なんでもないような一場面が蘇った。誰かと話していた。外から来た誰かだっただろうか。母は、その時のエドワードは思っていなかったが、外部の者と会うときには機嫌がよく見えるのだ。そしてエドワードにも笑いかけた。その中の一場面、エドワードに向けられたアルフェの笑顔。あそこに母親を見た。今、ここにいる人が、あの笑顔の下にいた本当の人なのだろうか。

 

「どうして私たちを生んだのです?」

 するり、と、エドワードから素直に出てきた問い。アルフェの表情は揺らがなかった。

「世継ぎが必要でしょう? あなたもそれくらい分かっているでしょう」

 エドワードはだが、もう一度尋ねた。

 

「どうして、私たちを生んだのですか??」

 アルフェの表情に悲しみが滲み出た。抑えられていた言葉にし難いそれは、心から徐々に溢れる。 

「愛していたから…」

 アルフェが掠れ気味の声で呟いた。泣き出しそうな怒りの表情で、彼女は叫ぶ。

「あの人を! エルディンを! 愛していたからに、決まっているでしょう!!」

 不思議なくらい冷静に、エドワードはそれを聴いていた。そして納得した。そうか、と。

 思えば、そうだった。アルフェが熱心なのは、エルディンのことだけだった。それに関わることも、他のことにも、表面上は熱心に見えることはあったが…。

 アルフェを避けて生活していた。エドワードは、精霊のおかげだろうか、アルフェに憑いている影を感じ取っていた。そんな子を、そんな人を、どうして好きになるだろう。当然ではないか。

「こうなると薄々でも分かっていたのに、そんな世界に愛しいものを生むはずないでしょう!」

 エドワードは、肩の力が抜けるのを感じた。哀れみが胸の内に広がった。

「どうして契約なんかしてしまったのですか…」

 アルフェは答えなかった。心の内にあったものをひとつ吐き出して、痛みに震えるように頭を抱えて小さくなっている。

 もう、届かないか――エドワードは感じ取った。話ができる状態じゃない。最後の声が、どこまで届いていただろう。

 コロナが微かに身動ぎした。これまで背後でのゴーレムとの戦闘に気を遣っていたが、今のは、アルフェに対する動きだ。

 エドワードはその一瞬で、目に映る人を、契約者として捉えた。

 

 アイカの叫びを聞いたとき、エドワードは願った。

「私は、良かったよ。私は生まれてきて良かったよ」

 声が、どうか、届きましたように。

(本当のあなたに、お会いしてみたかった…)

 嫌っていたわけじゃない。好き嫌いも分からないくらい、本当の姿が分からなかった。だけどきっと、悪魔さえいなければ、きっと、もしかしたら――。

 

 

 

 悪魔リューノンにとっては、面白くない状況だった。

 冒険者たちの数は少ないとはいえ、精鋭揃いだ。彼らは悪魔に対抗する術をそれぞれ持っている。魔法盾の効果で、悪魔の影響下にあった城の兵士たちの中には、目が覚めた者がいるだろう。

 千の冒険者たちは、攻城戦という割に大した反撃もしない。狙うはカウンターによる魔法盾の使用。恐慌状態の兵士たちには、通じやすかった。魔法塔からの大魔法は、クレィニァと、新たに空中戦に乗り出した魔法使いが阻害していた。たまに放たれる大魔法を《盾》の連携で防ぐことができれば、あとは冒険者たちそれぞれが対処する。

 問題はやはり数だった。恐慌状態の兵士を誘導し、広範囲の魔法で眠らせ、かつ悪魔の影響かからの解放を試みる作戦は既に二回成功していた。魔法使いの消耗が大きく、何度も使える作戦ではないが、大きな効果があった。眠りから覚めたメアの兵士は、正気に戻って味方となる。

『やだねえ全く…』

 リューノンの不機嫌を反映したように、空はまだ薄暗い。

『これどうしたら面白くなる?なんでこんな慎重で地味で少数な作戦で来てんだよ。”雷女”も”ドール”もいるのになんだよこの少数。メア城だぜ、もっと派手な魔法戦出来ただろ。ほんとあいつ殺してやる…』

『返り討ちが目に見えているな』

 

 ず、と冷たい気配が強く圧力を増した。リューノンを中心に気温が下がり、不吉な暗闇の気配が降り注ぐ。暗い雲の間、細かい水の粒子に朝日がぼんやり光る。その中で悪魔の影は威圧的に翼を広げた。暗黒のその体を象るゆっくりと揺らめく炎のような闇は、今にも急激な爆発を起こすのではないかと不安を煽る。

『 気に入らないなぁ 』

 それは、空気ではなくマナを震わせる。シュラインのおかげでその影響を回避しながらも、オルトは血の気が引く思いだった。

『 どんな恐ろしい場所にいるのか。今、何をしてしまっているのか。…正義? それは自分にとってだけだ。 違わないさ、本当は分かっているんだ。 』

 それは呪いの声だった。低く憎しみを内包した声、高くヒステリックな声、耳に残る空気の声。戦場に降り注ぐマナの震え。それは聞こえるものではなく、体の芯に響くものだ。質の悪い呪いだ…はっきりとした言葉ではないからこそ、気がつきにくく、無意識に影響し、蝕んでいく。

(やめさせなきゃ!)

 この呪いを完全に回避出来ているのは、恐らくオルトとシュラインだけだ。

『 もう何人殺した? そしてこれから誰を殺すんだ? 』

 白い鳳は朝の輝きを纏って突進した。すれすれでリューノンは躱し、すれ違いざまに魔法がぶつかり合って鋭い爆発音を立てる。シュラインは冷笑した。

『力づくか? その悪い癖を治さねば、貴様はそのうち天使に消されるだろうな』

『 何と思おうとも、何のためであろうと、変わらない。どうやって上手く思い出にしても、相手は思い出になんかしてくれやしない 』

 シュラインを無視して、リューノンは呪詛を唱え続けた。

『 怨念は、憑いて離れない。この正義は、あいつにとって悪かもしれない…死者の思いなど、分かるわけがない… 』

 それは違う…いや、違わない。抵抗したくても、簡単な言葉で安易に否定できるものではない。否定という一番簡単で咄嗟に取ってしまう手段では、対抗できない。言葉にして跳ね除けるには、答えを出す時間か、あらかじめ持っていた答えか、どちらかが必要だった。

「あの人たちは、それを超えてきたんだっ! おまえなんかに、負けたりなんかしない!」

 戦っているのは、あらかじめ、答えを持っている冒険者たちだ。対悪魔戦の精鋭揃い。問題なのは、悪魔の呪いの力が強力であるということだった。あらかじめ答えを持っていたとしても、呪いの影響下にあれば、洗脳されたような状態になりうる。答えが弱いほど、迷いが大きいほど…。

 オルトは必死にリューノンを止めようとしながら、魔法を放ち、鉤爪て掴みかかり、突進しながら、冒険者たちを信じるしかなかった。

『ルーキス』

 シュラインが呼んだ。

『それはお前の強みであり弱点だ』

(え?)

『悪魔を相手にすれば、簡単に弱点になるぞ』

 オルトは戸惑って、同時に少し冷静さを取り戻す――冷静さを失っていたと気が付く。

 静かな静かな、何かを内に秘めたまま燃え上がるようなシュラインを感じ取り、オルトはその姿に習った。

 攻撃をやめ、リューノンに対峙して、灰色と光の筋のぼやけた空で静止した。白い鳳は、そのオパールのような不思議な色の瞳で暗黒の悪魔を見据えた。

「 お前の呪いは、効かないよ。オレたちは、その迷いを超えてきたんだ。オレたちは、お前を倒しに来たんだ。 」

 呪詛に対抗する、燃えるような意思がマナとなって降った。それは呪詛を消さないまでも、確実に効果を削ぐ。

 炎のような闇が苛立たしげに揺らめいた。

『…邪魔だよお前』

『それは良かった』

 一瞬の静寂は、マナを奪い合う時間のためだった。人が扱う量ではないマナが動き、それは乱暴で容赦ない魔法となった。ふたつの悪魔の間で光と闇がせめぎ合い、乱れ、お互いを殺そうという明確な目的をもってぶつかり合う。オルトは思わず“後ずさり”して、シュラインに行動を任せる。こんな魔法は手に負えない。

『おい、エルフ。お前の両親のことを知ってるぞ』

 リューノンが唐突に言った。それは魔法に関係なく届く。

 オルトが反応する前に、シュラインが鼻で笑った。

『貴様に教えられるまでもない』

 言葉とともに、シュラインはもう少し深くにあった心を明かした。オルトと一緒にいた理由、その奥。シュラインの最後の契約者、カルス。ルーキスの名付け親。契約違反と制裁。

 

 ――愛おしいだけだったのに。

 

 オルトは頷いた。

(うん…教えられるまでもない)

 シュラインの、その思いだけで、オルトはよかった。そんな人たちだったんだろう。きっとオルトのように、シュラインのことが好きだったに違いない。だけど契約は終わってしまった。その時、オルトに似たその人がどんな気持ちだったのか、分かる気がした。

(ありがとー、シュライン)

 “――って言いたかったと思うよ”、と、オルトはぽつりと付け加えずにはいられなかった。言えなかっただろう。シュラインは、最後の契約者からオルトを奪ってしまったからだ。ありがとうは、ごめんなさいに…あるいは“許さない”に変わってしまったかもしれない。

(リューノンを倒そう)

 オルトは、魔法はシュラインに任せたままにせざるを得ないものの、強く思い、“一歩前へ出た”。シュラインと一緒に、魔法の中にいた。殺意ばかりではない、強い意志の混ざる、光る力の、剣のような魔法。冷たく感じられるそれは、シュラインの光によく似ていた。オルトはそれが、本当は冷たいのではなく熱すぎるのだろうと知っていた。

(オレたちならリューノンを倒せる)

 

 オルトの思いに応じるように、突如、下方、戦場に、不思議な気配が広がった。思わぬ動きに悪魔たちもそちらへ注意を向ける。それは、まるで、励ますような、手をつなぐような、理由のない安心感やぬくもり。それは、呪詛がもたらした冷たい不安の震えを和らげながら、ふーっと広がる。

(セルだ! こんなの、セルしかいない!)

 オルトは思わず叫んだ――生きていた! やっぱりセルはリューノンなんかに負けなかったんだ!

 最初の魔法が広がったあと、それに応じて、戦場の何箇所もから同じ魔法が広がった。セルの魔法を合図に、呪詛に気がつき、そして呪詛に対抗する魔法を、魔法使いたちが使い始めたのだ。最初に広がった広い範囲の魔法が薄らいでいって消えても、魔法使いたちが効果を保った。そして呪詛は、その効力を失くしていく。

「だから、言ったでしょ。オレたちは、ひとりじゃないんだよ。おまえの呪いなんか、これっぽっちも効かない!」

 もはや悪魔たちの魔法戦は終わっていた。意味がない。呪詛を打ち破られた今、リューノンは戦いを投げていた。

 形を保つことすら、やめる。リューノンの姿がほどけ、黒い竜はもやのようになってそこに浮かんだ。

『あぁそうさお前らは独りじゃない。だから一人いなくなるだけで何人もが絶望するんだ。面白いのは、戦いの後なんだよ…』

 

 黒いもやが、ふっと落ちるように下降し始めた。白い鳳が後を追う。リューノンは、ヤケを起こしたかのようだった。マナを集め、集まるなり魔法を乱暴に放った。狙いはない、ただ降り注がせる。

 そうしながら向かう先は、城だ。

 不意にオルトは興奮から醒めた。

 

 戦いが終わる予感がした――”ルーキスよ、選べ。戦いが終わるまでに”。

 

 今はふたつに分かれているリューノン。アルフェに憑いているほうと、今、城のほうへ下降していくリューノンとが、ひとつになったら…。

 シュラインとオルトは、リューノンとアルフェを滅ぼすだろう。あるいは、滅ぼされるか。そしてシュラインやオルトと戦うその前に、リューノンが企むとしたら…――アイカや、エド、リーフ、それに精鋭部隊の面々、恐怖で戦う城の兵士たちが、オルトの脳裏を過ぎった。

 そして、契約していないシュライン。戦いが終わればどうするか分からないシュライン。心の奥底に見えた、悪魔の顔。このまま戦いが終われば、オルトはきっと、永遠にシュラインと一緒だ。

 降りていけば、何を言う間もなく、戦いは終わる。そんな予感がした。

 

 本当は…。

 

 本当は、こたえは、決まっていた。

 ぐずる子供のように、誰かが何かどうにかしてくれないかと、ただただ時間や運や相手にすがりたかっただけなのだ。何も、どうにもならなず、自分がするしかないと、分かっていたのに。

(…リューノンを倒そう)

 オルトは語りかけた。

 どういう意味かと、シュラインは黙っている。

(…オレたちは、アルフェさんのほうのリューノンを倒すよ)

 まだ、言葉は終わりではなかった。ここで終えてしまっては、またシュラインが上手に誘導してくれる会話に甘えることになるのだ。シュラインとの繋がりに、甘えることになるのだ。これから伝えることを思えば、そんなことをしては、もう、いけないのだ。

(シュライン…)

 シュラインの中にある二律背反の願いは、どちらも本当だった。幸せを願う気持ちと、独占の欲望。オルトがどう選ぶかで、どちらかだけが叶えられる。どちらかだけは、恐らく永遠に。オルトだって、一緒にいたいのは、本当だった。

 白い鳳は、リューノンを追って下降した。風を切る。二人は、落ちるように、城へ…――。

 

 その中で、呟いたオルトの思いは、風に紛れることなくくっきりと形になった。

(オレは、シュラインのことを、絶対に忘れないよ。だいすき。ありがとー。だいすき)

 そして、笑って手を振るように、最後の一言を告げた。

(ばいばい)

 直後、恐ろしい程静かな世界に放り出された。オルトは、生まれて初めて、唐突に、独りになった。鳳のまばゆい輝きは形のない白き風となって、オルトを置き去りに、リューノンに追いついた。黒いもやと噛み付き合うように絡まって、マナを騒がせ、エネルギーを暴発させて、オルトの落ちていく先、城の一部、大きな窓に穴を開けた。ふたつの悪魔は暴れ、白く、黒く、輝き、上昇し、そして晴れ始めた空、朝日から逃れるように、飛び去っていく。

(あ…)

 いつものように自分の世界で、それなのに誰かに聞いて欲しくて呟いた言葉だった。それが、本来は、誰にも届かないものなのだと、初めて思い知った。

 飛ぶのを忘れて、オルトは落ちていった。悪魔たちは、すぐに見えなくなる。まだ自分の腕が翼であることを思い出し、やがて羽ばたいた。だがそれも、すぐにやめてしまう。

 落ちていく先には、悪魔たちが開けた穴があった。

 その先は、リューノンの一部が向かっていた場所。

 アルフェと、もうひとつの、リューノンの一部がいる場所。

 オルトは、そこを目指して滑空した。

 城の黒い城壁が口を開け、斜めに薄い朝の光が差す中へ飛び込む。

 人の声を取り戻すべく変身術を解いていく。足を取り戻すと同時に地面を踏み、オルトはまだ翼を残したまま、玉座の間の端で、澄んだ空色の瞳を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

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