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For an Oath:Reverse -Ⅱ.オルト

     王子の側近魔法使いと、王子の妹。そして、悪魔と共に生きてきた少年。

      ラティスからの知らせの後、『琥珀の盾』に二人が加わる。@1751~

 

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  アイカが『盾』に加わって9年、1751年のこと。

「クエストヘルプだ」

 もう一つの出会いが、意外なところからやってきた。

 クエストヘルプというのは、一度ダンジョンや討伐などに挑んでみたものの攻略が困難だった場合に、一度ギルドに戻って他の誰かに協力してもらうことを言う。

「どなたから?」

 珍しく長期間、同じ街、グラスに滞在しているティラがたずねた。

 ティラは今、『琥珀の盾』サポーターの魔法屋のところに、アイカと一緒に泊まっている。アイカは今、別の部屋だ。

 藍色の、平たく四角い形をした鞄を片手で閉め、エルミオは二つ折りにしてあった小さな紙を広げていた。エルミオの《空間転移鞄》へ、アーシェから協力要請の手紙が届いたのだ。

「アーシェから、速達で。ルサックまで戻ったのか…。フィオも一緒にいるだろうに」

 前衛はフィオで間に合っているだろうし、魔法ならエルミオではなくセルにヘルプを出すべきだ。エルミオ、セル、フィオは《空間転移鞄》を持っているのだから。

「アイカには悪いけどすぐ行かないと」

 エルミオの言葉にティラはにこやかに頷く。

「お土産をお願いします。できるだけ明日までに、いらしてくださいね。アイカさんはあなたと遊ぶのを楽しみにしていたんですから」

「分かった。ルサックで市場に寄って帰るよ」

 エルミオは慣れた様子でぱっと装備を整えた。

 

 

 エルミオはすぐに、冒険者ギルド・ルサック支部に向かう。速達の手紙はギルドからしか送れない。

 ギルドが見える通りを足早に歩いていると、ギルド方面から女性が半分走るようにやってきた。アーシェだ。ずっと待っていたのだろう。

「ちょっとレイス! フィオに言ってやってよ、あんなの受け入れられるわけないんだから!」

 開口一言目がこれだった。アーシェにしては珍しく、真面目に怒っている。エルミオは真剣な表情でたずねる。

「何があった?」

「ともかく来て。おっきな声で話せないようなことに巻き込まれてるのよっ。個人の問題じゃすまないのに、フィオが…聞かないんだから!」

 アーシェとエルミオは、ルサックの東門を出た。この道の先には、シトールイという村がある。村より少し先に行けば、そこは人ではなく精霊の領域が広がっている。未開の森の辺に、シトールイはあった。フィオとアーシェは、村の依頼を受けてシトールイに行っていたのだ。《転移先》もない村だから、徒歩か馬車しかない。

「歩いていくの?」

「あっちから向かってくれてるから。シトールイまでは行かない」

 二人は二時間ほど足早に歩いた。

 

「悪魔だよ」

 人気の無い森の道で、アーシェは言った。目で問い返したエルミオに、アーシェは厳しく、不満げな表情で見返す。

「悪魔と一緒にいるエルフが、シトールイにいたんだよ。森に住んでたみたい。シトールイより東の、精霊の森。

 ちょこちょこ村にも来てたみたいだけど、招かれざる客って感じだった。偶然あたしたちが見つけて捕まえちゃったんだ。依頼とは別件だったのに」

「なるほど…それで、フィオはどうしたんだ?」

「フィオは、…あー、とにかく今その子と一緒にいる」

「エルフの子供?」

 んー、とアーシェは顔をしかめた。

「ヒューマンで言えばもう大人の年齢なんじゃない? アイカよりずっと年上だよ。それにしても精神年齢が…というか、そういう問題じゃないんだよね。なんか…やっぱ悪魔と一緒にいたから、あんな感じなんだと思うけど」

 ふうん、とエルミオ。会ってみないと仕方がないようだ。

「でも、フィオと一緒にいるということは、それほど危険な悪魔ではないみたいだね?」

「そうだけど…そりゃそうかもしれないけど…」

 アーシェは認めたくない様子で、うー、と呻く。

「それにしても、強すぎると思うのよ。あたしが見た感じ。今、何もなくても、いつ危険な存在になるかわかったもんじゃない」

 アーシェは弓士だが、エルミオやフィオよりもずっと魔法には長けている。

 ともかく二人は歩き続けた。

 

 やがて道の先に人影が見えた。

 フィオと、もうひとり、小さめの影。

 汚れ気味の服。靴も擦り切れて古そうだ。とはいえ、“森に住んでいた”という話から予想していたよりは、身綺麗だと思えた。伸び放題で長い、淡い金色の髪がふわふわと揺れる。エルフの少年だった。

 少年は、エルミオたちに気が付くと、目をまん丸にして驚き、フィオの背後数歩まで逃げた。その瞳の色が印象的で、エルミオは興味を惹かれる。エルフの少年は、水色をベースに、たまに虹のように輝くオパールのような目をしていたのだ。そんな瞳を、エルミオは見たことがなかった。

 フィオが少し笑いながら、少年を振り返った。

「逃げなくても、誰も捕まえたり叩いたりしないよ」

 少年はこわばった表情で、その場に固まっている。

 フィオは少し肩をすくめて、エルミオたちに片手を上げて挨拶した。

「よう。俺の後ろに今逃げたのが、オルトだ。アーシェから聞いてるな?」

「うん」

 エルミオは頷いた。オルト、というこの少年が、悪魔と一緒にいるエルフの子供なのだろう。

「早速なんだが、俺の考えでは、オルトを『盾』に迎えるのはどうだろう。まあ、加入までしなくても、せめて一緒にいるくらいは出来るだろ?」

 バカ言わないでよ、とアーシェが切り返した。しかし、もうフィオとアーシェは十分言い争った後なのだろう、アーシェはそれだけしか言わなかった。

 エルミオはイエスともノーとも応えなかった。

「オルト、っていうんだね」

 エルミオはフィオの背後を、覗き込む。おびえた目がエルミオを凝視していた。

「怖がらせてごめん。はじめまして。俺は、エルミオ。よろしく、オルト」

 オルトは応えず、動かず、ただじっとエルミオを見ている。

 話すには少し遠い距離だが、エルミオはそのまま語りかけた。

「俺と話してもらえるかい?」

 オルトはやはり、黙っていた。エルミオはかがんで、返事を待った。

 

 しばらくして、フィオが助け舟を出す。

「難しかったら、オルト、相棒にも聞いてみたらいい。相棒にひとまず話してもらって、それを聞いてみて考えてもいいんじゃないか?」

 オルトはフィオを見た。そして再びエルミオを見る。

 その一瞬の間に、おびえて固くなった、あどけないオルトの印象が一変した。緊張した身体は、すっ、と力が抜け、俯き気味だった顔がわずかに上がった。瞳が冷たく光る。

「知っているぞ。『琥珀の盾』のエルミオ」

 氷のようなその声が、空気までも凍てつかせるようだった。アーシェは表情を険しくして弓を握り、フィオすら、組んでいた腕をほどいて腰に当てる。

 悪魔だ。

 エルミオは相変わらず屈んだまま、エルフの少年を見た。この場で剣士がそんな姿勢でいるのは不自然で、常人ならばすぐにでも立ち上がって柄を握るはずだ。

「あなたが、オルトの相棒ですね?」

「私はこの子の唯一の繋がり。唯一の絆。それを奪いに来たのだな?」

「…奪う?」

 敵意をむき出しにする悪魔に対して、エルミオは興味深い話を聞いているかのように、問い返した。

「この子は私なしでは生きられぬ。貴様はこの子を殺すのだな?」

「殺す? どうして? 俺にそのつもりはありません」

 嘲るように悪魔は笑った。オパールの瞳が怪しく光る。

「《悪魔と戦う者》よ、私を野放しにするつもりはないのだろう? 貴様らと相容れることはない。私は悪魔で、この子は私無しでは生きられぬ」

「確かに、悪魔ならば滅ぼす、という冒険者が一般的かもしれませんね。

 しかし私たちは、そんなことを目指して冒険者をやっているのではありません。

 悪魔だから私たちの敵なのではありません。私たちにとって悪いものならばそれを悪と呼び、私たちの敵となるのです」

「ならばやはり私はその悪である。

 我が名はシュライン。名をも持つ悪魔であるぞ」

 

 シュライン、と、エルミオは記憶と照らし合わせる。

 精霊や悪魔で名前を持っている者は、力の強い者か、人と契約したことがある者がほとんどだ。そして、その名を知らしめるともなれば、大精霊、大悪魔、あるいはそれに準ずる者だ。名前すら持たない弱い精霊や悪魔はごまんといる。

 エルミオの記憶には、シュライン、という名前があった。

 出会ったことはない。ただ、『西』で起きたエルフとヒューマンとの戦争について聞いたときに、その名を耳に挟んだのだった。天使に消されないため表立って大暴れはしていなかったが、たしか、もうひとつの、名のある悪魔と水面下の戦いを繰り広げたという話だ。悪魔シュラインと、…悪魔リューノン、だったはずだ。悪魔にも人と同じく相性の善し悪しがあり、この二つの悪魔は、相対するもの、と言われている――と、聞いた。

 関連していくらでも出てくる記憶はひとまず放っておいて、エルミオはシュラインに言い返す。

「一般的には、あなたは悪魔と呼ばれ、悪とされるのでしょう。しかし悪魔シュライン、あなたはまだ、私と敵対する理由がない。それどころか、私には、あなたがオルトというその子を守って生きてきた固有精霊に近いものに思えます。そんなあなたを、どうして倒す必要があるのでしょう?」

 ふ、と、悪魔の冷たい空気が引いていき、オルトは目をぱちくりした。

「敵になる理由がない」

 さっきまでと声は同じなのに、少し高めで、あどけない。オルトはおずおずと、こんなことを言った。

「食べ物を盗った。いっぱい盗った。そうやって、シュラインと一緒に生きてた。それで、それで…だから、みんな、追いかけて、叩くんでしょ?」

 エルミオは素直に頷く。素早く順応したというより、もとより二人に向けて話していたようだ。

「そうだね。みんなも、オルトと同じで、食べ物が必要だからね」

 オルトは口をへの字にして体を揺らした。エルミオはその様子を見て微笑んだ。

「オルト、村から何かを盗まなくても、生きていけるようにならないかい?」

 視線だけエルミオに向けて、オルトはまだ少し体を揺らす。すぐにその表情が、不安で泣きそうなものになった。

「人の中に入ったら、…だめだよ。死んじゃうかも…。みんなの敵だもん」

「でも、俺たちは敵ではないだろう?」

「…まだ分からない」

「まだ、敵ではない、ということだね?」

 んー、と難しい顔でオルトは揺れる。

「俺は、オルトのことも、シュラインのことも、敵だなんて思っていないよ」

 オルトは困ったふうに、右を見、左を見、エルミオをちらりと見てまばたきし、視線を落とす。きょろきょろして黙り込んだオルトへ、エルミオは提案する。

「嫌だったら、ここへ戻ってくればいい。悪魔シュラインは、多分、オルトが思うよりずっと強い悪魔だ。オルトが望めば、きっといつだってここへ連れて帰ってくれる。そうですよね、シュライン?」

 シュラインは出てこなかった。だが、オルトに対する返事はそんなに悪いものではなかったようだ。オルトの表情が、迷うような表情に変わった。

「オルトの自由だ。俺たちは、オルトが盗んだり追い払われたりしないで生きるように、手伝うことができる。オルトが嫌になったら、いつでもどこへでも行ってかまわないし、また俺たちのところに戻ってきたって構わない」

 エルミオはそう言いながら、さっとアーシェに目を向けた。口を挟みかけていたアーシェは、その視線で言葉を飲み込む。不満げではあるが黙ってくれた。

「どうかな。ここにいるだけでは、何も変わらない。ちょっと、来てみないかい?」

 オルトはおずおずと、エルミオに半歩近づいた。

 ちらっとフィオを見て、アーシェを怯えたように見て、そして、エルミオに、少し笑った。

 エルミオも笑い返したが、その瞬間には悪魔がオルトの声を借りて言い放った。

「この子に何かあれば、貴様を呪い殺すぞ、『琥珀の盾』のエルミオ」

 フィオは苦笑し、アーシェは嫌な顔でため息をついた。エルミオは、笑い返したその表情のまま応えた。

「どうぞ」

 そしてようやく、オルトとエルミオは、話すには遠すぎるその距離を縮めた。

 

 

「さあ納得させなさい。どういうこと? 黙らせておいて。あんた『琥珀の盾』のロードなの。わかってる? なにより今うちにはアイカがいるの。あたしたちには、アイカがいるの! 悪魔を近づけるなんてどういう…バカなの!?」

 翌朝、早々にアーシェはエルミオの部屋を訪ねてまくしたてた。

 ルサックの宿に4人は泊まっていた。宿の空き部屋の都合で、ひと部屋はオルトとフィオ、別の宿の二部屋が、エルミオと、アーシェだ。エルミオたちの宿は冒険者向けの宿で、カウンターにディル族の血を引く人がいた。ディル族は、南方のほうの出で、大悪魔を封印する種族。シュラインは隠れるのが上手かったが、念のため、オルトとフィオが別の宿となった(アーシェがシュラインに気がついたのは、シュラインが隠れようとしていなかった時に会ったからだった)。

「俺は『琥珀の盾』のロードで、方針に沿った行動をとったよ。そして、アイカにはまだ会わせないし近づかせないよ。アイカはまだ冒険者ではないからね」

 エルミオはさらりとそう言った。

 アーシェも分かってはいた。悪魔、とはいっても、害のあるものないもの、色々あるのだ。いろんな性格の人がいるのと同じように、悪魔には色んな性格のものがいる。ただ、その性格は極端に偏っているものが多い。

 そんな悪魔と一緒に生きてくるしかなかったオルトは、被害者と言える。オルトを助けることを考えれば、エルミオの判断で良かったのだろう。それに、『琥珀の盾』に加入させても、シュラインは上手に隠れてくれるから、滅多なことでは公になることもない。

 

 しかし、アーシェの怒りは、『琥珀の盾』についての心配のためではなかった。

「冒険者になってからも近づけないべき! 例の件と関係ないって言い切れる? もし、あの悪魔が、例の件の悪魔の一部だったら?」

 アーシェと、メル、ティラは、アイカの面倒をみる主力メンバーだった。ラティスから受けた知らせのことや、メア城に悪魔がいるというアイリーンからの情報を、アーシェは知っていた。

 つまり、と、エルミオは珍しく、ひやりとした口調でたずねた。

「愛する誰か一人のために、ほかの全てを排除することも厭わない、と?」

 言い返そうとして、アーシェは言葉に詰まった。

 シュラインの言ったことが脳裏を過ぎったのだ――「この子に何かあれば、貴様を呪い殺すぞ、『琥珀の盾』のエルミオ」。

 だけど、とアーシェはすぐに、強い気持ちを取り戻す。

「あたしたちが、レベル上がって、強くなって、どんなに沢山仲間がいても、なんでもかんでも守れるわけじゃないんだからね」

 オルトを切り捨てたいというわけではないのだ。ただアーシェは、アイカを守りたいだけだった。

 エルミオは頷く。いつもの穏やかな様子に戻った。さっきの冷たさは、シュラインを思い起こさせる演出だったのだろうか…アーシェはその可能性に思い至って少し悔しさを覚える。

「全ては守れない。だけど、アイカも、オルトも、俺たちなら守ることが出来るよ。アーシェ、危険はいつだってある。俺たちは冒険者、《悪魔と戦うもの》だ。アイカもいずれ冒険者になるかもしれない。いずれにせよ、悪魔との接触は避けられないだろう。

 シュラインは強い悪魔だが、どうやらオルトを守ることしか考えていない。俺たちが倒してきたほかの悪魔よりは、ずっと危険が少ないと、俺は思うよ」

 アーシェはハーフエルフだが、まだ冒険者になって30年ほどだった――エルミオやフィオと比較すれば、“まだ”30年なのだ。

 固有精霊が悪魔討伐に有利な能力なので、冒険者歴30年にしては悪魔の討伐数も多いほうだ。といっても、両手の指で足りるほどしか経験がない。エルミオの言う「今まで倒してきたほかの悪魔」と、アーシェの思うそれはかけ離れているのかもしれなかった。

 アーシェの思う危険な悪魔といえば、冒険者になる前に見てきたものだ。メルや他の仲間と一緒に『西』にいたとき、エルフとヒューマンが戦争を始めたあのとき。まだ、幼かった頃のことだ。

 強くて、怖い悪魔だった。よく覚えていないが、その印象やその時の感情は鮮明に覚えている。あの時は、仲間の一人、双子よりもずっと年上のお姉さんが、その悪魔を追い払ったのだ。怖かった。その人が魔法使いなのは知っていたが、戦うのを見るのは始めてだった。悪魔に殺されてしまうのではないかと思って、怖かった。実際には、お姉さんは無傷で悪魔を追い払い、大丈夫だよ、と不器用に双子を抱きしめてくれた。

 シュラインには、あんな怖い思いをしなかった。自分が強くなったからだろうか。それとも、エルミオの言うとおり、シュラインは危険の少ない悪魔なのだろうか。

 それでも、アイカのことを思うとまだ反論できそうに思えた。危険は、減らしておくに限る。

 

 しかしエルミオは、もうひとつ、と話を変える。

「現実的な話を聞いて欲しい。例の件に関連して」

「…なに?」

「シュラインは、オルトを大事にしている悪魔だ。それは、アーシェも感じただろう。オルトが俺たちの仲間になり、いつか俺たちがメアの悪魔と戦うときに、彼はどういう行動に出るだろうか」

 何が言いたいの、と、アーシェはただ見返す。薄々予感しながら。

「メアの悪魔は、強い。間違いないだろう。俺はシュラインの名を、『西』の戦争に関連した話で聞いたことがある。シュラインと、リューノン。相対する悪魔」

 突然エルフとヒューマンの戦争の話が出て、アーシェは指先や顔面から血の気が引くのを感じた。あの戦争に関わった悪魔。シュラインへの恐怖心が膨れると同時に、消してやりたい気持ちが生まれる。

 俺が言いたいのは、とエルミオがアーシェに語りかける。

「シュラインが、オルトのために、メアの悪魔と戦う可能性があるということだ」

 はあ? 何言ってんの? ――そう言ってやりたかったが、アーシェには悪魔に関する知識があった。エルミオの言うことを頭から否定することができない。

 アイカの安全を祈るから、シュラインを近づけたくない。だが、いつか訪れるアイカの戦いには、シュラインの力が大いに役立つ可能性がある。

 悪魔というのは、マナが変化して生まれる、言ってしまえば魔法の一種だ。人が色んな感情を積もらせて、それが意図せずマナを変質させる。それは悪意のある魔法、呪いになったり、積もりに積もれば悪魔となったりする。積もり積もってただの魔法にすぎなかった悪魔は、意思をもち、一般的にイメージされている危険な悪魔となる。

 よく知っていた。アーシェとメルは、『西』にいた幼い頃に、悪魔についての知識を仲間から教わっていたのだ。

 悪魔や精霊といった、体をもたずマナから成るものたちの個の線引きは曖昧だ。存在した、と思ったら、次にはマナに戻っていることもある。稀だが、弱い悪魔が集まって急に強大になることもある。意思をもったもののほとんどが、長く存在し、強いものになる。やがて名前を得て、個を得て、弱く名前もない悪魔や、自分よりも弱い悪魔を取り込んだり、人の暗い気持ちを貪ったりして、力を増していくのだ。

 メアの悪魔も、オルトと一緒にいるシュラインも、意思を持ち名前も持っている、恐らく強大な悪魔だろう。天使族に消されないよう、ほどほどにしか悪事を働かない、という悪賢さも備えているとみえる。

 メアの悪魔が、戦いでどれほどの力を出してくるのかはわからない。だが、苦戦は必須だろう。

 そこに、シュラインがいたらどうだろう。

 もし、シュラインよりも弱い悪魔だったなら、シュラインが吸収してあっという間に終わるかも知れない。その場合だとシュラインがより強大になることが恐ろしい。オルトを守ること以外の、何か悪魔的な考えに至った場合、何が起こるかわからない。『琥珀の盾』も『緋炎の月』も、全滅させられるかもしれない。

 シュラインと同等の悪魔だったら。

 ふたつの悪魔は激しく戦うだろうか。もしくは、シュラインがオルトを連れて逃げてしまうだろうか。どうなるか分からない。オルトを大切にしているのなら、オルトが頼めば戦ってくれるのかもしれないが…そう単純にいくだろうか。

 

 逆に、とエルミオ。

「戦ってくれないなら、それはそれでいいんだ。本来は、シュラインの力が借りられないはずだったんだから。オルトの命を守るために逃げてしまうならそれで構わない。

 敵に寝返ることは、オルトが俺たちの味方である限りほぼ有り得ない。

 アイカがいつか直面する戦いに役立つことはあっても、アイカを害する理由は今のところ無いように思える。

 例の件に関連した悪魔なら、むしろ邪魔な『盾』を滅ぼすために入ってこようとするはずだ。シュラインはそうしなかった。

 シュラインは、どちらかといえばオルトを独り占めしたいんじゃないかな…唯一の絆、と言っていたし。それでも、シュラインはオルトの意思を尊重し、その結果の現状がある。『盾』に近づいたのは、ただの結果だ」

 まったくその通りに思えた。敵に寝返るかどうかは分からないが…オルトが仲間なら、可能性は低いように思える。

 アイカが危険に晒されるのは、どういう場合だろう? オルトを守ることしか考えない悪魔は、どういうときに他人を害するだろう? アーシェはひとつ、思い当たったことを口にした。

「…それって、もしオルトとアイカが仲良くなったりしたら、まずいんじゃないの」

「うん、恋人くらいになると、まずいかもね」

 身も蓋もない言い方にアーシェは眉をひそめた。咳払いをして、そうじゃなくても、とエルミオに言い返す。

「戦いが始まるとして、アイカの戦いのために、オルトが戦うってなったら、シュラインは嫌なんじゃない? オルトが考えを変えてくれないなら、アイカのほうをどうこうしたりとか…」

 悪魔ならやりかねない。

 いや、とエルミオは考えながら言った。

「事態が動いたらすぐに、シュラインとオルトのことは公になる…俺がそうする。『琥珀の盾』や『緋炎の月』や、他の魔法使いたちは、信頼しろと言ってもシュラインを警戒するだろう。シュラインがアイカに手を出せば、たちまちそれが知れて、オルトが社会で生きていけなくなる…少なくとも、この国内ではね。でも、せっかく得た社会との繋がりを失うことは、オルトにとって良くないことだ…きっととても寂しがるし、悲しがるだろう。シュラインはそれを望まないはずだ。

 だからそれまでに、俺たちは、オルトをちゃんと仲間にしておかないといけない。

 オルトがシュラインのことを公にした後も、俺たちが守ってやれるように、オルトとの信頼関係を築いておかなければならない」

 公にした上、オルトを庇えないのなら、シュラインはオルトを『盾』に置いておく必要がなくなる。オルトに社会との繋がりを与え、それを奪おうとするエルミオを、宣言通り呪い殺すだろう。 

 

  ここまでエルミオの話を聞いて、アーシェはほとんど納得してしまった。悔し紛れに、そして必要なことだから、残った疑問をぶつける。

「エルミオ、シュラインを信じるの? 本当に、オルトを守ることしか考えてないのかなんて、あたしたちに分かるわけないのに」

「俺が信じているのは、オルトだよ」

 エルミオはきっぱりと言い切った。

「シュラインが敵になるとは、今のところ思っていない。でももし敵になったら、その時オルトは、俺たちの仲間だ」

 その言い方にアーシェはぞっとした。“私はこの子の唯一の絆。それを奪いに来たのだろう?”シュラインの言葉が蘇って、あろうことか、シュラインよりも、目の前のロードにぞっとしたのだ。

 シュラインが本当に、オルトを守ることしか考えていないのなら、二人を引き離すことは残酷に思えた。シュラインは悪魔だが…多少なりとも残酷に感じる、これが人として当然なのではないかとアーシェは思う。エルミオは、シュラインを敵と思っていないし、オルトを守ることを考えている、と言う。にも関わらず、シュラインをオルトから引き離した上、戦わせることも考えているのだ。「もし敵になったら、その時オルトは、俺たちの仲間だ」なんて…。

 アーシェが絶句して、エルミオは何か察したのだろう、取り繕うように付け足す。

「可能性の話だよ。シュラインと敵対する気はない。ただ、向こうはどうだかわからないからね。大丈夫だと思うし、敵対しないように最善を尽くすよ…ごめん、怖がらせたね」

「え、うん、うーん…」

 アーシェは何を言ってあげればいいのかわからなかった。エルミオは、本当に困ったふうだったのだ。怖いと感じたが、今はもう、エルミオの困った様子に戸惑いを感じるだけだった。

 たまに生きている時間の長さが違うと感じることはあった。『琥珀の盾』は400年ほど前に創立されてから、ロードはずっとエルミオだ。アーシェはその最新の数十年しか知らない。

 そのエルミオが、今、アーシェが既に知っていることを知らなくて、困ったふうにしているのだった。

 アーシェは素直に言うことにした。

「…へーき。でもさー…間違っちゃいないけど…けっこう酷いなーって思ったよ?」

「そうか…うん、そうかもしれないとは思ってたけど…敵になるつもりは、本当にないんだよ…。

 それと、アイカには当分会わせるつもりはない。やっぱり、アーシェの言う可能性も、無きにしも非ずだからね。具体的には…いつかはわからないけど、オルトがもっと打ち解けてからかな」

 アーシェは、アイカについての心配は消えてはいなかったものの、もう言い争う気は失せていた。エルミオの言い分は分かった。アイカの将来を考え、オルトを助けることも考えたら、この道が一番良いと思えた。オルトを庇えるかどうかは分からないが、『琥珀の盾』で無理なら、どこだって無理だろう。

「じゃああたしたち、とにかくオルトと仲良くならなきゃね。シュラインが、取られる! って思っちゃわない程度に」

「そうだね…そうだけど、そんなこと関係なく、仲良くなってほしいな。俺も、オルトとは早く仲良くなって、色々話が聞きたい」

 エルミオは、興味深そうな様子で、思わず笑った。

「あの目の色、気になるんだよなぁ…エルフもディルも、どの種族も、あんな色の瞳はないと思っていたんだけど。世界は広いね」

 へえー、とアーシェは目を丸くする。

「エルミオくらい生きても、世界は広いね、なんて思うんだねー」

「そりゃね。世界は本当に広いんだから。そうじゃないと、俺はきっと生きていけないよ」

 ハーフエルフのアーシェも、いつか同じ事を思うのかもしれなかった。そんな予感を何処か遠くで感じながら、アーシェは最後に念を押す。 

「アイカにオルトを会わせるときは、あたしに一言頂戴ね。先にあたしやメルがオルトと仲良くなっとくから。あんまりにもあんまりな人格だったら会わせないから! シュライン関係なしで!」

「わかったわかった、すっかりお母さんになったね、アーシェ」

 エルミオが笑いながら言うので、アーシェは少し照れながらも、威張ってみせた。

「まあね!」

 

 幸い、オルトとアイカは仲良くなることができた。子供っぽくて、たまに自己中心的になることを除けば、オルトは少し言葉での表現が苦手で、あどけなくて、優秀な変身術士だった。

 

 

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