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For an Oath -Ⅰ

For an Oath - Ⅰ 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 

 

 

「リーフは、どうして旅を?」

 メア城を目指し進む。

 追手は来ていない。ルシェンは、ルナティアが戻ってくると分かっているのかもしれない。このままメア城へ行っていいのか、と思い始めたとき、ルナティアから訊かれた。

 リーフにとって、あまり楽しい質問ではない。だが、ルナティアが言葉にすると、何の抵抗も感じなかった。

「どうして冒険者にならないか、ってことでしょ?」

「うん、それも…話したくなかったらいいよ」

「いや、聞いてくれるかな」

 警戒は怠らない。そのまま、2人は穏やかに話す。

「僕には、姉がいた」

 語りながら、こんなにも落ち着いて思い出せるものなのか、とリーフは不思議に思った。

「僕は…別に何も目指していなかった。ただ、生まれ育った小さな村で生きていくことしか分からなかった。十五、六歳まではね。あるとき、村に変な人が来た」

 リーフは自然と微笑んだ。

「畑仕事をしていたときだった。とても無邪気で優しい目の、子供みたいな笑顔の人だった。おじさんなんだけどさ。

 その人が色んな話をしてくれた。冒険者ではないんだけど、その人は冒険者みたいなことをしていた。旅をすると、見る物全てが新鮮。尊敬すべき人に出会う。世界はとてつもなく広いことを知る。戦いは常に命がけだけど、背中を預けられる仲間が出来る。

 特に、ナシュール国の北の地にある『氷樹の森』の話が印象的だった。透き通る、きらめく樹の森。冷たい風に鳴る氷の葉と枝…行きたいと思った」

「…もう行ってみた?」

 いや、とリーフは首を振る。

「まだ。姉と一緒に行くつもりだったけど…。

 姉はずっと都会暮らしに憧れていた。僕は、村を守るために剣を扱えたから、姉が外に出るときには護衛役をやってた。『氷樹の森』に行くのも、その延長にあるものとしか思っていなかった。あの時、冒険者のことなんて全然知らなかったから、単騎レベル50以上、年数5年以上推奨、とか言われたって分かんなかったし」

 リーフは自嘲気味に笑う。

「あれはね…無謀だったよ。僕はあの時初めて悪魔に会った。幻を操る悪魔だった。たいした奴じゃなかったと思うけど…あの時の僕にとっては、相手が悪かった。はめられて、姉は死んだ。情けないことに、未だにあの森へ向かうことが怖いんだ」

「…そっか…」

「でも、そろそろ再挑戦して、克服しようと思う。こうやって、話すことはできるようになったし」

 リーフはルナテイアに笑いかける。それは、感謝だった。

 ルナティアに対してだから、話せた。

「『氷樹の森』か…なつかしいな。リーフの再挑戦のときに、私も一緒に行ってもいい?」

「もちろん。助かるよ、ベテランの冒険者がいれば安心だ」

「ベテランって程じゃないよ。ルシェンが…――ベテランだよ」

 つい口を滑らせたルナティア。彼女がルシェンや昔のことを思い出すことを避けていると、リーフにも分かっていた。

「多分、僕は、あの人に憧れてるんだ」

「村に来たおじさん?」

「うん。旅人やってるのだって、ただの真似事だ。あの人はどうして冒険者にならなかったのか、分かりたいのかもしれない。あの人は…」

 その、おじさんの名前を思い出して、リーフは、あれ?と思う。そんな偶然、あるはずがないのに。

「どうしたの?」

 

「…ディン、と名乗ったんだ。その人」

 困惑した表情でリーフが言う。その言葉に、ルナティアは思わず立ち止った。

「その人、どんな…。…仕事とかは? 何してる人?」

 ルナティアの問いにリーフは首を傾げるしかない。

「会ったのは、10年ちょっとくらい前だけど…」

 何をしている人か分からない。どこかを抜け出したとか言っていた。今は冒険できないと言っていた。

「10年…」

 ルナティアが呟く。

「10年前に、ルシェンは異変に気付いた。何度もディンに…エルディンに会っていた。…何か特別なことはなかった?」

 そのディンが、エルディンだったなら…なにか、今のこの事態をどうにかするための手段を残していないのか…そんな藁にもすがるようなルナティアの気持ちが、リーフには痛いほど伝わって来た。

 ひとつだけ思い当たることがあった。

「エルナさんのペンダントが入っていたあの石の箱は、魔法具ですね? 人の注意を向けられなくなるような…」

 ルナティアが頷く。

「ルシェンが魔法を施した物よ」

「多分、これもそうじゃないかな」

 リーフは、腰に携えた剣を――普段使わない2本目の剣を、留め具から外した。

 その存在に初めて気づき、ルナティアは目を見張る。

 その剣は、真っ白な柄以外、灰色の布で覆われている。鍔のあたりは紐で厳重に結ばれ、簡単には抜けないようになっていた。

「ディンに貰った。一度も抜いたことはない。貰った時のままだ」

 柄の先から、剣先まで、ルナティアはじっくりと見つめた。なつかしさを滲ませ、彼女は呟くように言った。

「ディンの剣…。この布と、紐…ルシェンが魔法を施したの。持ち主以外は、気付くことも難しい…」

 本当に、エルディンだったのか…リーフは衝撃を受ける。村に来たあの人は、この国の王だったのだ。

 

 外の世界を教えてくれた、きっかけとなったあの人。

 もう、この世にはいないのだ。

(どうして僕にこの剣を…?)

 そっか、というルナティアの言葉にリーフは顔を上げた。

「もう10年も前から、リーフに助けてもらってたんだ、私たち」

「どういうこと? これ、貰ったけど、何の説明もなかったから…とりあえず持ってたんだけど」

 リーフは剣をベルトに留めなおした。

 2人はひとまず歩みを再開する。

「この剣は、ディンが『西』のエルフから貰ったの。50年くらい前だったかな…。“剣があなたに所持されたがっている“と、そのエルフに言われたって。

 私たちは、その剣を“白い剣”とか“望みの剣”とか呼んでた」

「望みの剣?」

「うん。どこまで本当か分からないけど…強い思いや望みを叶える、らしいの。でも、“剣”だから、その手段は…持つ人によっては、とんでもない災いを招くでしょうね」

 真剣に話しているルナティアには悪いが、リーフには信じ難かった。

「…望みを叶えるって…どの程度なんだろうね」

「さあ…使ってみないと分からないけど、使うのも危険だろうし…。ルシェンが詳しく調べようとしたんだけど、実行する直前にやめたの。自分の力では剣に敵わない、取り込まれそうな気がするって。

 それで、何が起こるか分からないから、ルシェンは魔法具で剣を包んだの。布には、人目除けの魔法。紐は…何か、条件を満たさないと抜けないような魔法らしいんだけど…多分、教えてくれなかった」

「そうか…」

 リーフは、抜けない剣の柄を撫でた。

(どうして僕のところへ来たんだ…? もしこの剣がメア城にあったら、敵方に使われていたのかな)

 リーフはそう考えて、ある可能性に思い至った。

「ルシェンならこの剣を抜けるのかもしれないね。…この剣がまだメア城にあったとしたら…使われてたかも」

 ルナティアは頷く。

「きっとそうね。本当に…リーフが持っていてくれてよかった」

 微笑んだルナティアに、リーフは素っ気なかった。

「なーんだ。もう10年も前に巻き込まれてたってわけか」

「…ごめんなさい」

 しゅんとしたルナティア。リーフはにやっと笑った。

「これが運命なら、運命って思ったより悪くないね」

 少しひねくれた言い方だった。それでも、ルナティアはその優しさに心が暖かくなる。

「…ありがとう」

 ルナティアに心からそう言われ、リーフはなぜか慌ててしまって、それをごまかすように話を進めた。

「で、この剣で何かできないかな。何でか分からないけど僕が貰ってたわけだし」

「やめた方がいいと思う。本当に何が起こるか…抜くことが出来るのかも分からないから」

 あっさり否定されてしまって、リーフは考え込む。

(じゃあこの事態をどうすれば? このままじゃ…。…でも確かに、抜くことも出来ない…ルシェンを取り戻さなければ、結局どうしようもないのか?)

「ルナ…このままメア城に行く?」

 ルナティアは何も言わなかった。リーフはもう一度口を開く。

「ルシェンは取り戻したい。だけど…一人で行くべきなのか?」

「そう思う。まず、私が、ルシェンを信じていなければ、彼は戻って来てくれないと思う」

 リーフは仕方なく、考えていたことを口にした。

「それは、ルシェンの計算のうちだと僕は思う。ここまで追手が来ないなんて…。ルナが戻ってくることは計算のうちで、追手はただ、エドワードの居場所を知りたかっただけか、ルシェンではなく悪魔の仕向けたことなんじゃないか? それも、大して必死じゃない気がする…。

 ルナが城へ行くことも、エドワードが仲間を引き連れて城を奪還しに来ることも、恐れていないような…」

 ルナティアも表情を曇らせた。

「ルシェンの目的はエルナを取り戻すことだけど…。私が戻ってくることは分かってるのかもしれない。

 アルフェは…。悪魔のことは、分からない…。でも、ルシェンを取り戻せば――」

「それは? 城に行って真っ先にルシェンに会える?」

 意外にも答えは早く返ってきた。

「ルシェンは私を待ってる。少なくとも、ルシェンが私を重要視していることは確かだわ。彼のことだから、城に近づけば私に気付くはず」

「でも悪魔は、ルシェンの上手だ。やつらの考えは分からない。ルシェンよりも先にあなたを見つければ…何をされるか分からない」

 ルナティアは苦しそうに顔をしかめた。無謀なのは分かっていた。確実なことは、ルシェンがルナティアを捕えたい、ということだけ。悪魔が何をしたいのかなんて分かるはずもない。

 結局、全て賭けだ。分かっていた。

 それでも、すぐに追ってこなかったルシェン、エルナを大切に思うルシェンは、まだ居るのだ。早く取り戻さなければ、二度と戻って来れなくなってしまう。

 ――もっと早い段階で、ルシェンの足を斬り落としてでも、城に行かせないようにしていれば良かったのに。

 胸の奥に閉じ込めた後悔は、ずっとくすぶっている。それを鮮明に思い出すのは、全てが終わってからだ。今ではない。

「リーフ…ありがとう。でも、私は、行くしかないの。これ以上、止めるようなことを言うなら…」

「違う、ルナ、そうじゃなくて」

 言葉の先を予測したリーフは慌てた。

「考えよう。城に着くのはどうやっても明日だ。それまでに、ルシェンに確実に会う方法を考えよう」

 必死に言ううちに、ルナティアの厳しい表情は和らいだ。

「そうね」

 その一言、その瞬間に見せた表情が、何かを悟って悲しく見えて、リーフはもう何も言えなかった。

 明日には、メア城に着くだろう。

 旅は、終わるのだろうか。

 

 

「悪魔リューノン…」

 クレィニァがその名を復唱した。

 《我らが一丸となり悪魔を粛清する》、そう掲げて活動する『緋炎の月』のロード・クレィニァは、メア城にいる悪魔の名を知ってわずかに目を細めた。

「そして…」

 クレィニァはオルトへ目を向ける。幼い容姿のエルフは、オパールのような瞳でクレィニァの視線を受け止めた。

「悪魔シュラインか…」

 オルトと、そしてエルミオが頷いた。

 オルトが悪魔と契約して長いことは、『琥珀の盾』の幹部レベルしか知らない事実だ。

 

 オルトは物心ついたころから、悪魔シュラインと一緒にいた。シュラインしかいなかった。

 だからオルトはシュラインに、一緒にいてくれと求めた。それが契約になるとは知らずに。その時、オルトはシュラインから何も求められなかった。契約によってシュラインが何を得たのか、オルトは知らない。

 その後だった。エルミオたちと出会ったのは。

 悪魔は冒険者が倒すべきもの。悪魔にそそのかされて契約してしまった者もまた、倒すことになる場合がほとんどだ。

 契約者は、悪魔に願ってでも手に入れたいものがある場合が多い。その想いを、歪んだ形で実現させてくれるのが悪魔だった。

 悪魔に支払う代価は、命やそれに準ずるもの、あるいはそれ以上のものである場合が多い。

 故に、悪魔とその契約者に向けられる世間の目は、敵を見る目か、哀れみの目だ。

 クレィニァは、ふむ、と少し難しい顔をした。

「メア城の悪魔がリューノンであるという事実…悪魔を信じると言うのも妙な話だが、悪魔シュラインが言うのならば、確かなのだろう」

「リューノンを知ってるんですか?」

 オルトが思わず訊ねる。クレィニァはこれまでと変わらぬ様子で淡々と応えた。

「悪魔リューノンといえば、七十年前のエルフとヒューマンの戦で好き勝手していた奴だろう。

 悪賢く、天使族に消されない程度に活動し、目立たぬよう、滅びぬように、常に自らの力を複数に分けている。…そうなのだろう、悪魔シュライン? どうせ今回も、全力は出していまい?」

 シュライン、と呼びかけられてオルトはうろたえた。シュラインが出てきてくれなかったから、オルトが答えるしかなかったのだ。

「ええと…5割くらい、ってシュラインは言ってました。いつもは1割とかだけど、今回は5割って…」

 ほう、とクレィニァはわずかに厳しい表情を見せた。

「ロード・エルミオは、ウィザード・オルトと悪魔シュラインを主戦力に戦うとおっしゃったが…そうしてくれるのか?」

 オルトは頷いた。

「オレたちなら、オレたちだけでリューノンと戦えます。シュラインは全部オレと一緒にいるから」

「そうか。…それで、シュラインはどうなのだ? ヒトごときのために、本気を出すのか?」

 その問いに、オルトの表情が一変する。オパールの瞳がきらりと光り、幼さは消え、冷たくクレィニァを見返した。

「“ヒトごとき ”、その中にこの子は含まれぬ」

「…ふむ」

 すぐにシュラインの影は去り、オルトが戻ってくる。向けられ続けているクレィニァの視線を、オルトは受け止め続けた。

「ロード・クレィニァ」

 落ち着いた声が2人の間にすっと割り込んだ。『琥珀の盾』のガーディアン・ウィザード、セルだ。彼は穏やかだが強い光を湛えた瞳で、クレィニァの視線をオルトから引き継いだ。

「そして、『緋炎の月』魔法使いの皆様。

 シュラインが全力を出すとなれば、オルトが悪魔に取り込まれず自我を保つことが出来るのか、不安が残る。シュラインが全力を出さないと言えば、リューノンに対抗できるのか疑問が残る。

 それが自然なことと思います。

 ですから、オルトが自分を失わずに、シュラインと共に戦うことが出来るよう、私や他数名のウィザードがサポートします」

 セルの言葉に、『緋炎の月』、黒いローブのウィザード・ココルネが口を開いた。

「ウィザード・セル、今日、この場には、《悪魔除け》や《盗聴除け》、その魔法を悟られないためのマナ操作がされているようですが、全てあなたの魔法ですか?」

「いいえ。《悪魔除け》はオルトと私、《盗聴除け》などは、この家の主であるリオナが行いました。マナの操作は私がしています。オルトはエルフ族の変身術師、リオナはヒューマン族、私はエルフ族の回復術士です。魔法と共に生きるディル族やドマール族ではありませんので、効果を最大限にするためにこのような形にしています」

 『緋炎の月』の魔法使いたちは感心し、1人は思わず感嘆の声を漏らした。

 エルフとヒューマンだけで、ここまでの守りを作ることが出来るとは…2人の魔法使い――ディル族とドマール族――にとっては衝撃的なことだった。ずっとあると思っていた種族間の魔法能力の壁が、必ずしも存在しないことを思い知らされたのだ。一人一人の魔法能力に差はあっても、『琥珀の盾』の魔法使いたちなら、知識と、連携で、様々なことを可能にしてしまうだろうと思わせた。

 そんな魔法使いたちの様子を視界で捉えながら、クレィニァは、なるほど、と頷く。そして今度は、セルに問った。

「ウィザード・セル、あなたは悪魔シュラインを信じているのか?」

 それは一番の問題だった。悪魔や契約者を信じるなど、そう簡単にできないものだ。

 クレィニァやココルネ、『緋炎の月』幹部のほとんどは、悪魔全てを憎んでいるわけではない。空人族クレィニァも、ドマール族ココルネも、悪魔に関して豊富な知識をもっている。悪魔はヒトの心が元となり生まれる、魔法に似たもの。たしかに悪質なものが多いとはいえ、全てが凶悪な性質を持つわけではないのだ。

 しかし、『緋炎の月』のリーダーである以上、悪魔を信じます、などと公言するようなことは出来ない。一般的には、悪魔は倒すものである。”悪魔を信じている”『琥珀の盾』に協力することは難しい。

 

 セルは穏やかに応えた。

「どちらでもありません。

 私は、悪魔やモンスターを倒す者、冒険者です。害を成すものには、それなりの対応をします」

 《秩序を保つことに貢献する》と掲げる『琥珀の盾』のウィザード・セルはそう言った。クレィニァはその言葉を頭の中で繰り返す。そして、少し笑って言った。《一丸となって悪魔を粛清する》と掲げる同盟のロードの苦労がわずかに滲んだ。

「あなたを『緋炎の月』に迎えたいものだ。

 質問ばかりしてすまなかった。ロード・エルミオ、貴方がたと協力するためには、必要なことだったのだ」

「心得ています。ロード・クレィニァ、それでは、共に戦って頂けますね?」

 クレィニァは数秒待ち、『緋炎の月』メンバーから何も出ないと分かると、頷いた。

 そして、オルトに語りかけた。

「ウィザード・オルト、そして悪魔シュライン。この戦いでは、貴方がたの力が頼りだ。我らも死力を尽くす。貴方がたが悪魔リューノンを滅ぼすことを願う」

 刹那、オルトは泣きそうな程嬉しい表情を見せた。悪魔と契約している、と知ったのに、悪魔を倒すと掲げる『緋炎の月』のロードは、頼ってくれている。

 オルトは力強く誓った。

「オレたちが悪魔リューノンを倒します!」

 

 

「ルナ、やっぱり僕も行く」

 もう数時間でメア城に着く。

 未だに、良い案は浮かばなかった。

 リーフはルナティアが何か言う前に話を続けた。

「あなたは《忍び足》や《静寂》とかを使って行くと言ったけど、相手は高レベルの悪魔だ。見つかる可能性が高い。僕が一緒に行って、悪魔を足止めする」

「リーフといるのは心強いけれど、一緒にいれば、確実に、見つかるわ。可能性ですらなくなる。

 私一人で『神の石』を守る魔法使いの元へ行くわ。ルシェンはあそこを手に入れないといけないから、特に注意しているはず」

「どうして僕がこの『白い剣』をディンから貰ったのか、もし意味があるとしたら、この時のためだとしか思えない。ルシェンがディンに手を貸して剣が僕の所へ来たとするなら、なおさらだ」

「白い剣に頼るのは危険だわ。何も分からないんだから。

リーフ、今回は私だけで行かせて。今回は、ルシェンに会えるかどうかなの。私だけで行く方が見つかりにくいし、取り戻しやすい。私がルシェンを信じていると、証明する助けになる」

「それは僕が悪魔に勝てないって前提の話だ」

 リーフの一言で言い合いが止まった。

 

 ルナティアは悲しそうにした後、決然と言った。

「あなただけでは死ぬわ。もっと悪いことになるかもしれない」

 それはリーフも分かっていた。さっきのは勢いで言ったことだ。だが、改めてそれを突き付けられると、悔しさで一杯になる。

 リーフの傷ついた表情に、ルナティアの胸は痛んだ。

「リーフが言ったように、相手は高レベルの悪魔。遭遇したら、一人ではとても太刀打ちできないでしょう。

 百歩譲って一時の足止めが出来たとしても、きっとあの非情な悪魔は、あなたを拷問して、人質にするか、生ける屍の戦士として戦わせる…そんなの…そんなことになったら私は…」

 恐ろしい推測を、ルナティアは小さく首を振って振り払った。

「リーフ。あなたがいなくなったら、誰が真実を伝えるの? 誰が私たちの思いを継いでくれるの?

 私一人でも、リーフと一緒でも、相手にとってはささいなこと…そんな顔しないで?リーフ」

 ルナティアは笑った。リーフがあまりにも、泣きそうな顔だったから、心がきゅうっとしてしまった。

「帰ってくるから。リーフのところに。ルシェンも連れてね」

 リーフはこぶしを、強く強く握った。

 『白い剣』を使うという反論は、大きな賭けの選択肢をひとつ増やすだけだ。だけど…それに賭けてみたかった。都合良く運命に頼りたかっただけだ。

 今、ルナティアと一緒に行きたいと思うのは、ただ、リーフ自身のためだった。どの話も可能性ばかり、賭けばかりだが、ルナティアが一人で行く方が見つかりにくいことは確かだ。ハーフのエルフより、ダークエルフのほうが身軽だし、魔法も上手い。まして、ルナティアはベテランの冒険者だ。リーフなど足元にも及ばないだろう。

 リーフに出来ることはなかった。強いて言えば、ルナティアを信じて待つこと、そして、万が一の時に、ルナティアの意志を継ぐこと。それだけだった。

(僕は、何にも出来ないなあ)

「…ごめん」

 思わずリーフは言う。言わずにはいられなかった。

「あのね、」

 ルナティアが言って、なぜか楽しげに笑った。

「リーフがいなかったら、私本当に死んでたと思う。会ったときに、死にますよ、って言われたの、強烈だったなあ…初対面であんなこと言われるなんて」

「あれは…だってそうでしょ?」

 リーフの抗議にあっさりとルナティアは頷いた。

「うん。私、焦ってた。いっぱいいっぱいだった。リーフがいなかったら、きっと凍え死んでたと思う。

 ずーっと助けられながら、ここまで来たよ。これから…」

 不意にルナティアが声を詰まらせた。

「…これからも…」

「…ルナ?」

「リーフが待ってるって、信じさせて…私を、待ってて…」

 ルナティアの銀の髪の向こう…表情はあまり見えなかった。凝視していいものでもなかった。

 どれだけの覚悟をもって、一人で行く、と言っていたのか…リーフは今になってようやく、本当に理解した気がした。自分勝手に「一緒に行く」と駄々をこねた自分を恥じた。

 それと同時に、決めた。

「待ってる。僕がずっと待ってる。だから必ず帰ってくるんだ」

 例えどれだけ時間が過ぎても、信じている。あきらめないから、貴方も、あきらめてはいけない…あきらめないで。

 ルナティアは、消えそうな声で、囁いた。

「ありがとう、リーフ」

 

 

 穏やかな丘を登れば、メア城が見える。

 丘の向こうまで、ずっと灰色の雲が続いていた。太陽が真上に昇りきる2時間前なのに、薄暗く、空気は重い。

 悪魔に見つかる危険を少しでも減らすために、2人はここで別れることにした。

 丘を上る風に、ルナティアの銀髪がなびく。

「行ってくるね、リーフ」

「うん」

 リーフは素っ気なく頷いた。

 今、必要以上のことを言えば、ルナティアを引きとめてしまいそうだった。それは、ルシェンを見捨てるということにつながる。言ってはいけない。触れてはいけない。

 ルナティアも足早に丘を登る。笑って手を振った後、早速、《静寂》など、身隠しの魔法を自らにかけていく。

 リーフは立ちつくして、ルナティアの背中を見つめた。

(彼女は僕よりもずっとベテランの戦士だ。…そして…)

 

 大丈夫、と、リーフが自分に言い聞かせていた矢先だった。

 丘を登る風が止んだ。

 生温かい風が降りてきた。

 その瞬間、リーフはとてつもない胸騒ぎを覚え、全身鳥肌が立った。慌ててルナティアを追いかける。

「ルナ――」

「ルナ、待っていた」

 リーフの声は、遮られた。

 丘の上に、黒い魔法使いがいた。

 リーフからかなりの距離があるのに、魔法だろうか、声はよく聞こえた。

 ルナティアは一度立ち止まったが、すぐに魔法使いのほうへ歩き出す。

「ルナ!」

 リーフが呼ぶと、ルナティアは振り返り、大丈夫、と頷いた。

「ルシェンよ」

 え、とリーフは戸惑った。

 黒い魔法使いはルナティアに呼びかける。

「戻って来たということは、私に協力してくれるということか?」

 ルナティアは冷静に応えた。

「その前に、私の話を聞いてほしいの。ルシェン。あなたと話がしたい」

「そうか、ルナ」

 ルナティアが見つめる前で、ルシェンは笑った。彼らしくもない、不気味な笑み。

「やはり、ルシェンを取り戻しに来たんだな?」

「――えっ?」

 くくく、と黒い魔法使いは笑った。

「追いかけっこを楽しんでくれたかいルナティア?…俺がアルフェから離れられないって前提で動いてたのか?俺は使い魔なんかじゃないぜ」

 ルシェンじゃない――!

 ルナティアがそう思うと、丘の上にいる黒い魔法使いは、何者でもない黒い影となった。

 数歩後ずさりながら、ルナティアはブレードを抜く。

 悔しい。怖い。リーフの声がしない。振り返りたい。だが、敵に背を向けられない。

「リーフ!」

 ルナティアの叫びに、影が笑った。

「リーフ、か。返事はできねえよ。まだ殺してねえけど…どうしたい?ルナティア」

 ルナティアの心に怒りがこみ上げる。それをぐっと押し込めて、考える。

(二人とも、今殺されるかもしれない。生きるには? せめてリーフが生きるには?)

「私が誰に助けを求めた?『盾』にも『月』にも、誰にも言っていないでしょう! なのにルシェンにも手を出して…まだ、それでも足りないか?」

「贅沢だなぁ、ルシェンもエドワードも勝手に影響受けただけだ」

「あなたはルシェンを脅したんでしょう」

「人聞きの悪い。約束しあったことは、たしかにある。だが! それ以外、俺は何もしてない、指一本触れてない!」

 芝居がかった口調で影は言う。それから急に声のトーンを落とした。

「それに、リーフは条件に入ってない。それで? どうしたいのか聞いてるのは俺なんだけど?」

 影は手を伸ばして、黒く光る球体を出現させる。

 ルナティアが身構えると同時に、球体から鋭く黒い光が一筋放たれ、ルナティアの銀髪を掠めていった。

 次の瞬間、ルナティアは全身が震えた。

 背後の何かに光が命中する、恐ろしく生々しい音、口を塞がれたまま上げざるを得なかった呻きのような悲鳴。

「リーフ――!」

「答えろルナティア」

 振り返りかけたルナティアに恐ろしい声が命じた。

 ルナティアは震えがくるのを抑え、必死に考える。

 長年そこにいたもの。私たちを崩していくもの。ようやく現れてまだかき回して引き裂いて、一体何がしたいのか。殺すなら殺せばいい! どうすればいい。何がしたいんだ。どうすれば…。

 何を言っても、穴を見つけられてしまう気がする。必ずリーフを助けるには、それを率直に言うしかないのだろうか。

「まーだーかーなー」

 影はそうぼやいて、再び腕を伸ばした。

ルナティアはハッとして思わず叫ぶ。

「やめて!」

 影の動きが止まる。

 ルナティアは心を決めた。ブレードを降ろした。

「リーフから手を引いて、二度と害さないで」

「それがルナティアのしたいこと、と」

 影のその言葉を聞いて、ルナティアはしまった、と思う。

(こいつはただ、“どうしたい?”と聞いただけだ!私はなんて甘い考えなの!…ああ、違う、私は、混乱している…)

 ようやく自覚して、ルナティアは体の力を抜く。どうにか落ち着かなければ。

 その様子を見ながら、影は、んー、と考えるような声を出した。

「あれまあ、本気かぁ…。それもそれでおもしろいけど…うーん」

「――あなたが」

 様子が変わったルナティアの声に、影は、ん? と首をかしげるようにした。

 ルナティアは、影を軽く睨んでいた。

「私たちを殺すというなら、私が最後まで抗い続けるわ。こういう展開、おもしろくないでしょ」

 口元に笑みさえ浮かべて言ったルナティア。影は、揺らぐ。

 ルナティアはブレードを構えた。

(空元気だって構わない。相手は悪魔…)

 ルナティアが今、取り込まれれば、リーフは助からないだろう。

(”個人で行動するのはかまわない、誰かに話して助けを求めるなら、俺もルシェンやエドワードを使って応戦せざるを得ない”――あの言葉は、今この場ではなんの意味もない。関係ない。私が今失うとすれば、リーフだけ。今守るものは、リーフだけ)

 自分の命も、仲間のことも、頭から追い出して、ルナティアは心を防御する。

 恐怖も怒りも、何もかも、悪魔のエサだ。

 長年の冒険者としての自分が戻ってくるのを、ルナティアは感じた。

(私には、守るべき者も果たすべきこともある。それは私の力であり、弱点にはなりえない)

 ルナティアは信じた。待ってる、というリーフの言葉や、エルナを愛したルシェンや、守りたいものたちを、しがみつくように抱きしめた。

 影はぐらぐらと揺れる。

「少し見ないうちに…なんて強くなったんだ、ルナティア」

 影は笑うと、再び黒い光を放つ。一発ではない…乱射した。

 ルナティアは素早く魔法防御を唱えて、自分の背後にいるはずのリーフをかばうようにしながら後ずさっていった。ブレードにも魔法をかけ、黒い光を斬ってそらす。

「やるねえ、ルナティア」

 魔法が止んだ。

 ルナティアはパッと振り返り、リーフの元へ駆けた。

 リーフは影に捕らわれて、口を塞がれていた。左肩の目も当てられない傷から血が溢れていた。傷が酷いとはいえ出血が多い印象を受けた。蒼白な顔で、ルナティアを見つめている。

 不意にリーフが目を見開き、ルナティアの背後へ視線を注いだ。

 ルナティアは背後からの衝撃で、一瞬息を詰まらせ、転がった。予想していた。魔法防御はルナティアを守って消滅した。

 ルナティアはすぐに駈け出してリーフの元へたどりつく。そしてダークエルフの言語で何か唱え、ブレードでリーフの拘束を断ち切っていった。

「逃げろ、僕は走れない」

 口がきけるようになるや否や、リーフが訴える。

「バカ言わないで」

 ルナティアは数秒のうちに全ての拘束を解いた。リーフはがっくりと膝を着く。信じられないくらい力が入らない。

 ルナティアは左手で自分の小さな腰ポシェットを探った。テレポートリングを入れていたはずだ。

「何をお探しかなぁ?」

 不吉な声。ルナティアは右手で背後を斬る。

 影は宙返りするようにしてそれを避けた。

「ルナティアのカバンの中に、チートアイテムがあったから真っ先に没収しておいたけどこれかなぁ?」

 影が取り出した物――テレポートリングを見て、ルナティアの顔色が変わった。

 影は大げさにため息をついた。

「レベル高めの冒険者ってのは、これだから、もう。逃がしゃしねえよ」

 影が広がり、ルナテイアを包む。ブレードで抵抗するが、焼け石に水だった。

 リーフはなんとか剣を抜いたが、剣が重くて構えるのも辛い。脂汗を滲ませながら立ち上がったリーフを、影はわざとらしく褒めた。

「まだ立てるんだなぁリーフ! 剣も握れるとは! いやあ、驚いた! 見くびって悪かった! もう少し奪っておけばよかったな、うんうん、そうしよう」

 リーフが必死に振るう剣をかわして影が笑う。

 攻撃魔法を使いたいが、スペルストラップには大魔法しか込めていない。この状態で使っても、ルナティアを殺しかけるだけで、影は倒せないだろう。

 影はリーフの剣をギリギリでかわすと、黒い光を鞭のようにしてしならせた。それはリーフの両足を巻き込んで、引き倒す。

 地面に倒れたリーフは、左肩の激痛に意識を失いかける。遠くで影の声が聞こえる…。

「あー痛そう。ま、その程度大丈夫だって。リーフ。お前の大事なルナティアの方が、もっと酷いことになるんだからさぁ」

 リーフは歯を食いしばり、影の足元を刃で薙ごうとする。

 だがその前に地面を引きずられ、そして宙づりにされた。

 リーフの手から剣が滑り落ちる。

 どうにか意識を保ったリーフに影はまた笑った。

「ルナティアは殺しはしねえよ、安心しな。しばらくは遊ばないと、なあ?

 返してほしかったら、来いよ…生きてれば、な」

 影が一瞬薄らいで、気を失ったルナティアの姿が見えた。

(ルナ…)

 リーフは影に投げ飛ばされ、丘の下まで転がり、樹の根元で止まった。

 影が大笑いして去っていくのを、リーフは最後まで聞かずに気を失った。

 

 

 

 

For an Oath - Ⅰ 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6  

 

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