For an Oath -Ⅰ
For an Oath - Ⅰ( 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 )
***
足音を聞いた気がして、男は立ち止まった。ため息か呻きかを漏らし、茶金の短髪頭を軽くかかえた。普通なら、剣を抜いたまま、足音がした時点で振り返るところだ。というのも、今いる場所は、メア国で冒険者になった初心者が実戦経験を積みに訪れる、通称『ティークの荒れ地』なのだ。
男は振り向かずに、ただ顔をしかめた。振り向きたくなかった。なんとなく分かっていたのだ。足音の主は、魔物だけではない、と。魔物に加え、もっと厄介な…――。
(どこかの女ロードとか…)
そう心の中で呟いた時、背後から叫び声に近い女の声がした。
「レイキ! 見つけたっ、レイキー!」
(って叫びながら魔物を先導してる女ロードとか…ああまったく!)
今日はこの『荒れ地』は空いている。本当に良かった、空いていなければ他人のふりをしているところだ。
レイキ、と呼ばれた男は振り返る。
「なんでこんな見はらしいい場所で迷子…」
振り返って、絶句する。だがすぐに叫んだ。
「ったく、逃げるぞ! アイカ、テレポリング使え!」
アイカ、と呼ばれた女は、へろへろになってレイキのところへ来て、立ち止る間もなくレイキに引っ張られてまた走った。乱れ気味の黒髪、毛先が耳のそばでなびく。空色の瞳をぱちくりと戸惑った。
「まっ…レイっ、やっつけちゃってよ」
「50匹も相手してられるか」
「ええ?」
「振り返るなら走れー!」
なんで? という表情のまま、アイカは引っ張られて走る。
どうやら先導者本人には、サンドスネイクやらポイズンスネイクやらに追いかけられ続けた自覚がないようだ。きっと最初は数匹だったのだろう。それが、レイキを探して走りまわるうちに、数が膨れ上がったようだ。
「おい、テレポリングは!?」
「待って、装備、…」
「ったく、前走れ!」
レイキはアイカに先を走らせ、自分は背中を守りにまわった。やがて「《ティークへ空間転移》」とアイカの声がし、景色が揺らいだ。
次の瞬間、ふたりはティークの町の隅、テレポート先の目印である魔法陣の上にいた。
魔法陣を保護するためだけの建物から二人は速やかに出る。外に居た管理人に、「緊急帰還です、すみません」と断って、二人はその場を離れた。
「ふうー。なんか、危なかったねえ」
と、白々しくアイカ。
誰のせいだ、と思いながらも、一応街中なのでレイキは何も言わない。だがあとで言ってやろう…レイキは心に決めた。
無言で歩きだしたレイキを、アイカは慌てて追った。
「どこ行くの?」
「宿。先取っとくぞ」
さらりと返ってきた答えに、アイカは目をパチクリした。
「まだ14時くらいじゃない?」
「ここは冒険者が多いだろ。それに、今日はもうやめるぞ。あの数は、2人じゃ危険だ」
「そっか、そうだね」
アイカは頷く。さらに誰かが同意した。
「そうだね、オレ、レイキに大賛成」
突然聞こえた声に、2人は上を見た――声は空から聞こえたのだ。
両腕があるはずのところに生えた白い翼をはばたかせ、男は二人の前に降り立った。すると、翼は腕に変化した。幼い印象の魔法使い、白の外套に、薄い色のふわふわした金髪。後ろ髪が長くひとつに結んでいる。
「オルトさん」
レイキは少し驚き、アイカは再会を喜び、同時に彼を呼んだ。
「先週ぶりー」
オルトはへろっと笑った。そしてさくさく本題に入る。
「明日空いてる? エルミオも来るんだけど」
オパールのような不思議な瞳で二人を見た。印象的な瞳は、一度見たら忘れられない。
「依頼ですか?」
レイキの問いに、オルトは首をかしげた。
「そんな感じー、かなー。オレ、予定聴きに来ただけだから。詳しくはエルミオから聞いて。明日ティークに来るから、午前10時、半月まん屋でねー!」
そう言ったかと思うと、オルトは再び腕を白い翼に変化させ、明らかに半月まん屋のある街中のほうへ飛んで行った。
「オルトさんの変身術すごーい」
アイカが感心して言った。初めて見るわけではないが、そもそも変身術専門の魔法使いは少ないのだ。オルトのように、白い鳥限定とはいえ自由自在に変化できる魔法使いを、他に知らなかった。
レイキはただ、ひとつため息をつく。
(オルトさんとは…いまいち合わないんだよな)
優秀な魔法使いではある。つい先日まではレイキもアイカも、オルトと同じ『琥珀の盾』同盟に所属していたから、よく知っている。
ロード・エルミオ率いる『琥珀の盾』、その幹部に準ずる位置にいるのが、オルトであった。エルフ族であるオルトが本当は何歳なのか分からないが、とても幼い容姿で、幼い行動をとることが多々あった。レイキは10年程オルトを知っているが、10年、変化はなかった。ヒューマン族のレイキとしては複雑な心境だ…どう接すればいいのかよくわからない。
そんなレイキの思いは露知らず、ハーフエルフ族のアイカは、ねえねえ、とにこにこした。
「オルトさん、半月まん屋に行ったのかな」
「多分な」
「下見かな」
レイキは、満面の笑みを浮かべたアイカにあきれ顔をしてみせた。
「…下見しに行くか?」
「うん!」
「昨日も食ったな、半月まん」
「そうだね!」
「食い過ぎるなよ、サイフが痩せてお前が太るぞ」
レイキの言葉に、アイカは大丈夫だもん! と返す。
「だって、半月まんは――」
*
「――半月まん、すなわち半月饅頭は、今はメア国の名物として有名ですが、元々はダーコン国の満月饅頭、またの名を月見饅頭をもととした物です。あの国は月の神ルビアスの信者が多いそうですからね。ちなみにダーコン国もメア国も甘党が多いそうですよ。2国とも魔法使いが多く、研究者も多いですが、やはり疲れた時に甘い物が――」
「うん、ティラ、饅頭のことは?」
「はい、研究熱心な人が多く、食べる間を惜しんで研究に打ち込む者も多々いたそうです。月見饅頭は古くから定着していたおやつで、研究や勉学の良いお供でしたが、ぱぱっと食べるには少々大きすぎました。そこで、サイズを半分にしたものが、半月饅頭なのです。ちなみに、中のあんにはこしあん、粒あん、栗あんの三種類がありますが、月見饅頭には栗あんしかなかったそうです。中には栗の実が一粒入っていて、それはもちろん月をイメージした――」
「つまり?」
「カロリーオフということです」
上品な微笑とともに、雑学女王もといティラは口を閉じた。エルミオが口を挟まなかったらいつまで話し続けていたことか…。
当のエルミオはひとつ頷いた。
「ということだから、レイキ。アイカの言うことにも一理あるね」
エルミオは半月まんをほおばって、ん? とオルトを見た。
「オルト、栗のやつは?」
すぐ隣で半月まんを食べていたオルトは、満足気に笑いながらあっさり言う。
「オレとアイカで食べた。おいしかったから。こしあんならあるよ。粒あんはレイキ、あげるー、はいっ」
差し出されて、レイキは、あ、どうも、と受け取った。そうしながら内心不安に思う――まさか食べに来ただけじゃないだろ??
半月まんの屋台付近に、5人はいた。
アイカ、レイキ、エルミオ、オルト、ティラである。アイカとレイキはともかく、他3人の冒険者は少し目立つ存在だ。
エルミオは赤毛紅眼の剣士。独特の暖かな雰囲気をもつ。彼の率いる冒険者の同盟『琥珀の盾』は、メアを拠点とする同盟の最有力同盟で、冒険者だけで二百名を超える者が所属している。
エルミオの隣では、エルフの変身術士、オルトが幸せそうに半月まんを頬張っている。
一番目立っているのが…ティラ。彼女は、魔法の扱いに長けるディル族で、冒険者・魔法使いが職業のはずだが、自称バード(詩人)だ。体にぴったりした白い服の上から、羽織るように薄紫のローブを着ている。金のサークレット、細い飾り帯を身につけていて、冒険者にしては華やかな格好だ。自称バードだが、杖を持っているから、やはり、どちらかといえば魔法使いに見える。彼女の左ほほに残った一筋の傷跡が、彼女が見た目とはかけ離れた戦いを経験していることを匂わせていた。
オルトと一緒に、ハーフエルフのアイカはにこにこしながら半月饅頭をほおばっていた。アイカはつい先日『琥珀の盾』から離れ、『空の鈴』という同盟を立ち上げた。まだまだ小規模な同盟のロードだ。黒髪は肩をかすめる程の長さにそろえている。マイペースで頼りなく思えるが、真剣になれば、予想外の、威厳すら感じる表情を見せることをレイキは知っている。
きっとこの集団の中、自分が一番普通だろうとレイキは思う。
レイキはヒューマンだ。アイカよりもレベルの高い冒険者・剣士だが、『琥珀の盾』の頃からの付き合いで、アイカを家族のように思いながら、『空の鈴』にまで付いてきていた。
「栗まんは一人一つだって言っただろ」
エルミオが抗議する隣で、オルトは最後の一口を満足気に飲み込んだ。
「だっておいしかったんだもん。ね、アイカ」
「はい! おごりだとさらにおいしいですね。ありがとー、エルミオ!」
「くう…俺の栗まんがー…」
エルミオは泣き真似をしてみせる。食べた本人であるオルトが、気にしない気にしない!と励ました。
「そういえば、ティラさん、2年もどこに行ってたんですか?」
ふとアイカが訊ねた。余計なことをきくなよ、とレイキは内心突っ込んだ…案の定、ティラはにこーっと笑う。
「はい、『東』のリトルフェアリーの国へ行っていました。あそこのお祭りは最高なんですよ! リトルフェアリーはもちろん、スキュラ、マー、フェアリー、巨人、ヒューマン、ラミュア、ハーピー、ケンタウロス、ミッド、ドワーフ、ラーク、ミユ、パンといった種族が、国に関係なく参加するのです。祭りは7日間続き、毎日、パレードがあります。種族それぞれの特技を活かして、いくつかのグループになって、広い通りを行進していきます。何より私が好きなのはラミュアが主となったグループです! 去年はフェアリー、ミッドとグループになっていました。ラミュアはパレードで必ずお酒を撒くんです。それはそれはいい香りで、そしてとても強くて、香りだけでとても楽しい気持ちになることができます。もちろん美味です。ですから、必ず買ってしまうんですよ。アイカさんも一口いかがですか?」
「はい頂きます!」
長話をところどころ聞いて、なんだかおいしいものを勧められたことを理解したアイカはにこやかだ。だが、即、レイキが突っ込む。
「なにが『頂きます』だ、お前まともに飲めないだろ。ティラさんも知ってて勧めるのやめてください」
ティラは笑顔のまま、レイキにも勧めた。
「あら、そうでした。では、レイキさん、いかがですか? 美味しいですよ!」
この気持ちを誰かと分かち合いたい! というオーラがにじみ出ている。
ティラはひらひらしたローブの下から酒瓶を取り出し、ぽんっとコルクの蓋を開けた。薄桃色の酒から立ち上る香りがふわあっと広がる。確かに良い香りだが、その香りだけで酔いそうだったので、レイキは遠慮した。
「じゃあオレにちょうだい」
目を輝かせてオルトがねだる。だが、ティラはやんわりと、
「オルトさんにはあげられません。飲み過ぎますから」
「えー」
「エルミオはいかがです?」
むくれたオルトをぽんぽんっと軽くなでて、ティラはエルミオに振る。
「いや、俺はいいや。これから出かけるしね」
「ああ…そうですね」
真面目ねー、と思いながら、仕方なくティラは酒をしまった。
ようやく本題に入るか、とレイキはほっとする。無駄話で日が暮れるかと思った。
「それで、今日は、どこに行くんですか? 依頼ですか?」
いや、とエルミオ。
「そんな大したことじゃないんだ。最近、ティークに行く冒険者が少なかったせいか、魔物が増えていただろ?それを、掃除しようと思う」
「なるほど」
昨日のオルトとのやりとり…「依頼ですか?」「そんな感じー、かなー」というのをレイキは思い出した。やれやれと内心思う。
「それで、やり方なんだけど」
エルミオは簡潔に言った。
「オルトとティラは定位置にいてもらって、前衛の俺たちは、走ろう」
「…走る、ですか」
言葉の通りだった。
魔物に対してエルミオ、レイキ、アイカのレベルは十分だ。そして、万が一のとき逃げる手段としてテレポートリングもある。エルミオと、アイカ、ティラの所持していたものだ。決められた呪文を唱えることで、リングに込められたテレポートの魔法が発動してくれるというものだ。ただ、一度使いきると、また魔法屋に魔法を込め直してもらわなければならない。物自体も、魔法を込めなおすことも、大金が要る。
ともかく、前衛たちは、アイカが昨日やっていたことを計画的に行うのだ。
走り回って、魔物をおびきよせて、オルト、ティラがいるところまで誘導し、2人の魔法使いが魔物を一掃する。位置は、空に光を打ち上げて目印にするので、極端に離れすぎなければ迷ったとしても帰ってこられる。なにしろ視界の開けた、たまに思い出したように草木が生えている程度の、乾いた色のでこぼこ地面だ。
「三〇匹くらいなら一撃です。それを目安に魔物を集めてください」
頼もしいティラの言葉に、オルトはえーっと抗議する。
「出来るかなー? …あ、出来るや! オレも大丈夫!」
何を思ったのかオルトは一人で納得して、へにゃっと笑った。
五人はモンスター掃除のために、昨日アイカが迷子になった荒地へ向かう。最初はアイカは待機、オルト、ティラと共に定位置にいる。そしてレイキとエルミオが走る。開始直前、エルミオはオルトを振り返って言った。
「無理しないこと」
「うんっ」
元気よく頷いたオルトに、エルミオは微笑む。そしてレイキにも声をかける。
「レイキ、最初に戻ってくれ」
最初に魔法で魔物を一掃するのはティラだから――という理由だろう…レイキは思った。オルトが魔法の範囲を間違えるなどしても、エルミオなら対処できるのだろう。オルトとの付き合いも長いし、冒険者としてのレベルも、エルミオは異常なほど高いのだから。
「了解」
魔物はあっという間に寄ってきた。
囲まれないように、単純に追ってくる魔物の動きを読んで、倒せるものは倒しつつ、レイキは走る。
ざっと魔物達を見て、新たにこちらに向かう魔物も数に入れて…そろそろ戻ったほうが良さそうだと判断する。
(なんでこんなに増えたのか…メアはレベル高い冒険者、それも魔法使い系が多いから、ここじゃ物足りないのかもな)
レイキは二人の魔法使いが待っているほうへ走りながら、進行路にいたサンドスネイクを切り捨てた。
(そもそも魔物の数が多い場所だし、レベル低い魔法使い一人で来る場所じゃないよな。前衛とペアでレベル上げる場所だ)
魔物を撒かない程度にレイキは走りながら、行く先に3人を見つける。ティラたちもこちらに気づいたようだ。
ティラは、魔物を確認するなり、ロッドを構える。
レイキは魔物との距離を広げた。魔法の巻き添えは御免だ。
空気が、ざわざわ、ぴりぴりする…魔法使いでなくても、ティラの魔力と詠唱にマナが応じているのが分かる。
「――…ライトニングストーム《雷の嵐》」
バシッバチッという激しい音と共に、レイキの背後で光が炸裂した。たった数秒の出来事だった。
オルトは目を覆っていた手を下ろした。アイカは思わず拍手していた。3人の元まで走って、レイキは振り返る。
魔物達は焦げ、全滅し、消えゆくところだった。倒された魔物は、人や動物と違い、数分で消滅するのだ。
「ふう」
ティラは息をついた。
「本当に大量発生していますね。アイカさん、念のためもう少し待って下さい」
「わかりました。良くなったら言って下さい」
アイカの返事に頷き、ティラはオルトに声をかける。
「次はお願いしますね、オルトさん」
「うん! じゃあエルミオ呼び戻すねー」
「それは私がやりましょう。…ティア《光》」
ティラは天を指さして唱え、空に一筋の光を放った。数秒間、空でちかちかと輝いて、光は消えた。
「気付いたかな…」
少し不安そうにアイカが呟く。
オルトはへにゃっと笑う。
「気付いた気付いた。エルミオっていっぱい色々見えるもん」
「視野が広い、ということですね」
ティラの補足に、アイカは納得して頷いた。
やがて、魔物を引き連れて、赤毛の男が走ってくるのが見えた。
オルトは早くも詠唱を始める。この5人のなかで唯一エルフ族であるオルトには、まだ距離があっても魔物をはっきりと目視出来るのだろう。
だが、突如、オルトは何かに驚いたようにはっとして、その拍子に魔法を中断した。
「来る」
何の前触れもなく、まるで恐れているように、オルトは言い、同時にエルミオのほうへ駆けだした。
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