For an Oath -Ⅰ
For an Oath - Ⅰ( 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 )
*
今は亡きメア国王エルディン。
悪魔と契約した王妃アルフェ。
エルディンを殺めた魔法使い、ルシェン。
宿屋の娘のエルナ。
そしてルナティア。
五人は古い友人だった。
エルディンはハーフエルフ。剣士であった。好奇心旺盛、自由奔放、誰とでも打ち解けられる人だった。エルディンがメア王の息子であり、城を抜け出して冒険していたことは、出会ってから何年も経って知った。
アルフェは、そんなエルディンにあこがれのような気持ちを抱いていたようだった。エルディンと同じハーフエルフ。クラスは魔法使い。ルナティアと出会った当時はまだ、わずかだがダークエルフ差別があった。だがアルフェは全くそれを気にしなかった。人見知りで口数も多くなかったルナティアとパーティを組もうと言いだしたのはアルフェだ。優しい人だった。それは、アルフェ自身が弱い人で、だからこその優しさだったと、ルナティアは思う。
ルシェンはパーティの仲間であると同時に、兄や父、師のような存在だった。ディル族の彼は優秀な魔法使い兼暗器使いであるだけでなく、エルディンの好奇心が生み出すさまざまな疑問には、旅や魔法のことならなんでも答えることが出来た。
エルナの宿は、ルナティア達の拠点だった。エルナはいつもそこで待っていてくれて、「おかえり」と笑ってくれた。エルナの一言で、皆、ほっとする。ああ、帰って来た、と。それは、パーティ内のしっかり者、ルシェンも同じだったようだ。落ち着きがあり、大人びた振る舞いのルシェン。彼は、エルナと二人でいるときにだけ、無防備な表情になるのだった。
エルディンの素性を知り、彼が王位を継ぐと決まっても、アルフェの想いは変わらなかった。
「あの人、王様になるのにね…」
アルフェからは何度も相談を受けた。涙することもあった。だが、どうしても想いは変わらず、最後にはアルフェの気持ちは決まっていた。
「ルナ、私は、あの人がいれば大丈夫。それに、ルナも、ルシェンもエルナもいる。それに、どうしても、あの人が…。出会えたことが、嬉しい…」
冒険者アルフェに相談を受けた、最後の夜。ルナティアは、あの笑顔を忘れられない。
「寂しくなるね」
ルナティアとルシェンとエルナ。真夜中、誰もいない食堂で話した。
「そうだね…うーん、アルフェたち、ご飯に呼んでくれるかなー?」
エルナがさらっといつもの調子で言う。
「じゃあ、ご飯の少し前を狙って会いに行く?」
「ルナ、頭いい! そうしよ!ね、まめに会いに行こう、ルシェン」
ほろ酔い状態のルシェンは、いつの間にかずっと片肘をついて、頭をかかえるようにしていた。黒髪で半分顔が隠れたまま、ルシェンは呟く。
「あいつら…うまくやればいいんだが…」
ルナティアとエルナは顔を見合わせた。ルシェンはずっと、2人を止めはしないまでも、2人が一緒になることを良く思っていないようだった。ルナティアとエルナはそのことを知っていた。
「ルシェンは、何が不安なの?」
「不安? エルナ、違うんだ…予感だ…。私はディル族だ、当たってしまうんだよ、大体は。…あいつらは、私のこの予感を裏切ってくれるだろうか?」
「大丈夫」
エルナは言い切った。エルナのこういうところに、ルナティアはいつも感動させられていた。
「“2人はきっと、止めても一緒になる”、あなたそう言ったでしょ?」
「そうなった」
「そんなの、私たちなら分かって当然だよ。それはともかく、あなた実際、2人を止めたの?」
ルシェンは首を振った。
「いや。それは無駄だ」
「それにあなた、2人のあの笑顔を見て、よかった、って思わなかった?」
「…思った」
「ルシェン」
エルナに呼ばれて顔を上げたルシェン。普段の落ち着いたルシェンは見当たらない。エルナは優しい笑顔になった。
「じゃあ二人をサポートしてあげよう。祈るだけじゃ何も変わらないよ。予感がして、あなたが何もしなかったから予感が当たっちゃうんだよ。あなたが何か行動する前の予感なんて、私たち皆で頑張れば、なんてことないよ。あなたのディル族の勘は、あなたや私たちの気持ちで裏切っちゃおう」
エルナの言葉に、ルナティアも強く頷いた。
ルシェンはそんな私たちを見て…かなり酔っていたのだろうか、彼らしくもなく、涙をひとつこぼした。
「本当に、お前たちがいてくれて、良かったよ…」
ルシェンは冒険者を辞め、エルナのいる村の魔法使いになった。ルナティアは一人、冒険者を続けた。皆、違うことをしていたが、度々集まった。といっても、エルディンやアルフェには気軽に会いに行くことはできなくなった。訪ねたとしても、エルディンには会えないことがよくあった。
アルフェは…会いに行った時は元気そうに振舞っていた。立場を考えてしまい、周囲が気になり自由に振舞いにくいことや、エルディンに会えないことがあること…それが次第にアルフェを追い詰めた。全て覚悟していたはずだが、3年ほどは苦しそうだった。
4年目、アルフェの様子が変わった。何かが吹っ切れたようだった。
「慣れたのかしら? あなたたちが会いに来てくれるし…それに、ディンは愛してくれているって分かるの。私もあの人のこと、ずっと愛してる」
その言葉は、アルフェのものだった。しかし、恐らくその頃から、アルフェはルナティアたちの知らない心の支えを得ていたのだろう…やさしい言葉を囁く悪魔の支えを。
二人の様子に安心して、それでも度々会っていたつもりだった。しかし実際には、徐々に会わない期間は長くなった。
ルナティアたちは、ハーフエルフにダークエルフ、ディル。一番寿命の短いディル族でも長ければ五百年程生きる。ヒューマンや小人であれば、こんなに長い時間の切り方はしなかったのかもしれない。
エルディンはメア王として百年程務めた。
その頃、ルシェンがふとエルディンを訪ね、異変に気がついた。
特に何がおかしい、というわけではない。エルディンは王の役目を果たしているし、アルフェは王妃が板についてきているが、相変わらず仲間と話すことが好きな、優しいアルフェだったそうだ。
ただ、言い知れぬ違和感、城に立ち込める暗い空気を感じたという。いつの間にか――としか言いようがなかった――城は、沈んだ雰囲気に包まれていた。それは、はっきり分かるものでもなくて、入ってしばらくするといつのまにか、その空気に自分が馴染んでしまっているのだという。
「長時間あそこにいたら、気が付けないだろう…私は一日もせずに外へ出るからいいが…。だが、ディンは何か勘づいている…確信がないせいだろうが、何も話してはこなかった。…恐らく、アルフェが、何かおかしい…」
ルシェンは、ルナティアとエルナにそう言った。必死な目でこう続けた。
「まだ…予感を裏切ることができると信じたい。
私は村魔法使いを辞める。あいつらを助ける。
…ルナ、エル。おまえたちには…関わるなと言いたい…」
ルナティアもエルナも微笑んだ。
「大丈夫」
「そうよ。ルシェンの予感でしょ? 私たちっていう不確定要素があるほうが、うまくいきそうだと思わない?」
ルシェンも、少し弱弱しく微笑む。
「おまえたちには敵わないな。念のため言っておくが、命の保証もないぞ」
ルナティアは肩をすくめる。
「いつものことよ」
ルシェンは何か言いたげに少し口を開く。一度息をのんで、言葉を探して目をさまよわせた。
「私は…」
一度目を閉じた。ディル族のルシェンは、感じたままを言葉にしようとするとき、こうする。そうして、たまに予言めいたことを言い、言った後で自分で納得することもある。このときもそうだった。
「私は、最強に近い悪魔を相手にしようとしている。おまえたちに死んでほしくない。私は、巻き込むかもしれない」
最強の悪魔…ルシェンから見ても、最強の。冒険者としてモンスターや悪魔と戦ってきたルナティアは、自然と気が引き締まるのを感じた。
ルシェンは、悪魔、と呟いた。そして小さくうなずく。
「そう…そう、かもしれん。アルフェは、もしかしたら…あの影は…」
アルフェは、悪魔と契約してしまったかもしれない。どうしてかは分からない。いつからかも、推測しかできない。アルフェの寂しい気持ちと、王妃という立場が、悪魔の目に留まってしまったのか。
悪魔と契約した者が助かった事例は少ない。悪魔に心をむしばまれてしまうと、契約者を悪魔もろとも討伐するしかなくなってしまう。心が歪められてしまって、契約が長ければ戻ることができない。そうなった者はもはや、人の姿をもつ悪魔だ。
どの程度、アルフェの心が悪魔に歪められてしまったのか…まだ、ルナティアやエルナでも取り戻せるのか?エルディンはどうしているのか?そして、子供はどうしているのか?
三人は、アルフェたちに会いに行った。
――それが十年前のことだ。
ルシェンは何度もエルディンに会いに行っていた。
ルナティアとエルナは、十年前にアルフェを訪ねたきり、城へ行かなかった。ルシェンに強く止められたからだ。悪魔の影響が二人に及ぶことを、ルシェンは懸念したのだ。
ルシェンはエルディンと約束をした。
エルディンの息子、エドワード、そして、二十年も会わない間に生まれ、いなくなった娘を、助けると。その娘がなぜいなくなったのか、エルディンは本当に知らないようだった。一方、エドワードは何か隠している様子だったそうだ。エルディンもその様子に気がついたのか、あえて娘を探さなかった。城へ連れ戻すことになってはいけないと思ったのだろう。
エドワードは一切口を開かなかったが、エルディンは、ルナティアにだけ娘の名前がオルフィリアであることを明かした。というのも、ルシェンは自ら、念のため娘については何も情報を与えてくれるな、とエルディンに言ってあったそうなのだ。
ルシェンはどうにかアルフェたちを救えないかと動いていた。厄介なことに、悪魔はなんの動きも見せない。それでも城の空気は異様だし、大悪魔を封じる一族であるディル族、ルシェンは悪魔の気配を感じていた。確実にいるのに、手が出せない状況が続いた。ルナティアはほとんど城へは行かずに、オルフィリアを探していた。
ルシェンは魔道士としての勉強も初めていた。
そんな中…三年前のこと。
エルナの宿が全焼した。
エルナも城を訪ねていたから、もちろん狙われることは視野に入れていた。だから、以前まで勤めていた宿は、もう辞めていた。燃えたのは、新しい勤め先だった…それも、3件目だ。
深夜、燃え上って…知った頃には全て遅かった。ルナティアもルシェンも、何も言わなかった。敵の強大で不気味で恐ろしい気配を感じざるを得なかった。
その出来事から…ルシェンは…おかしくなっていった。それでも、城に行くことはやめなかった。
「――きっと、ルシェンは、そうするしかなかった…」
声が掠れた。ルナティアの瞳が痛みに揺れて、隠すように、少し長く閉じられた。リーフはさっと自分のマントを羽織らせた。
ルナティアは頷いて、マントで体を覆う。
森の中で、風がないことが救いだった。しかし、寒い時期の始まりである今、このまま外で夜を迎えるのは避けなければならない。
二人は足を止めなかった。
「ルシェンは…どういうやりとりがあったのか、私は見ていないのですが…ついに、守るはずだったエルディンを手にかけてしまいました。恐らくそのすぐ後に、私はその現場へ駆けつけて…」
「…それで追われているんですか?」
いいえ、とルナティアは首を振った。
「きっと違います。ルシェンが、どうして…こんなことになっているのか分からないのですが…。ルシェンは、エルナを取り戻す、と…」
「取り戻す…?」
悪い予感がした。三年前に死んだ、エルナを取り戻す?
「メア城の『神の石』を使えば、それができると、私に真剣に話しました」
「『神の石』を、使う?」
メア国出身のリーフは、とんでもない、と驚く。
「でもあれは、メア最高位の魔法使いと王族が、全てを賭けてでも守るものです。使うことはおろか、見ることも、近づくことも出来ないはず」
戴冠の時のみ、王になる者だけが、魔法使いと合意の上で『神の石』を見ることができる。そういうものだ。
ルナティアは深刻な表情で頷く。
「ですが、悪魔が侵入するなどあってはならなかったメア城に、悪魔は侵入しました。『神の石』の守りも、破られないとは言いきれません。…ありえないと、信じたいのですが」
「…それで…なぜそれが、あなたを追うことになるんです?」
ルナティアは弱々しく笑った。
「私のことがとても大切だから、とても大切なエルナを取り戻すために、命を下さい、って、頼まれました。
命をひとつ取り戻すために、命がひとつ、必要だそうです。とても真剣だった。でも…そうなれば誰が、エルディンやアルフェや、その子供たちを助けるのか…この問いは、あのルシェンには届かなかった。彼は悪魔に近づきすぎて、歪められてしまったんです」
(『神の石』だけでは飽き足らず、友の命まで使う…!?)
リーフの心に怒りがこみ上げるが、同時に悲しくなった。なぜこんなことになってしまっているのか…。
ルナティアは続けた。
「私は、ディンの息子、エドワードを連れて逃げました。エドワードとは城から出てすぐに別れましたが、かつての側近と共に逃げ延びてくれているはずです」
「…あなたが追われているのは…エルナを取り戻すために…?」
ルナティアは頷いた。
「そうだと思います。あるいは、アルフェが…悪魔が仕向けたのか…」
あまりのことにリーフは言葉を失う。どう考えてもルシェンは冷静ではない。だが、ルナティアの話を聞いた今、ルシェンのことをただ責めることも出来ず、悪魔はこうも人を変えてしまうのかと、恐怖を覚えた。
ルナティアは続けた。
「でも、城を出るまで追手は来ませんでした。ルシェンは、背を向けて走った私を、どうもしませんでした。ルシェンなら、私を捕えることくらい簡単だったはずなのに。
私は、まだ、ルシェンを取り戻せると信じています。だから、これから向かうエラーブル村で、これと同じ物を――」
ルナティアはマントの下からペンダントを引っ張り出した。
「――私たち5人が持っていた物です。エルナの物が、エラーブル村の外れにあります。エラーブル村は、最後にエルナが勤めていた宿があった村ですから…。それを取りに行ってから、ルシェンに会いに行きます」
リーフは呆気にとられた。
“会いに行く”と言った。そんな。
ペンダント一つ手に入れただけで…。しかし止めることも出来ない。リーフはただ、彼女を手伝うことしかできない。実際の状況も見ていないし、あれこれ言うことはできなかった。もしかしたら本当に解決するのかもしれない。だがどうしても、そうは思えなかった。相手が悪い…悪魔が強すぎる気がする。
どうすればこの人が死なずに済むのか?
「せめて、あの…」
つい、リーフは言葉をこぼす。そうしてしまってから、どう言おう、とうろたえた。
「仲間を集めたり…いや、急ぐなら、そうじゃなくても、僕も行きますから…というか、どうすればいいのか一緒に考えましょうよ。ルシェンもあなたも助かるように」
ルナティアは立ち止まって、リーフを見つめた。リーフも止まる。頭はフル回転している。
ルナティアは、嬉しそうに微笑んだ。
「リーフさんは、本当に、とても優しいんですね」
違う、損な性格なんだ、面倒なことに自ら巻き込まれに行ってしまうんだ…ちらりと思ったがそんなことはどうでもいい。
「考えましょう。ペンダントは…あなたが重要だと思うのだから、きっとルシェンにとっても重要でしょう。入手しておくと役立ちそうです。しかし、エルナさんの村に、ルシェンからの追手もいるかもしれません」
「いるでしょうね、きっと」
二人は歩きだした。
「で、手に入れて、どうします? 悪魔は王妃と契約しているんでしょう?」
「ええ。ルシェンが一番、メア城の状況を分かってる。ルシェンを取り戻します」
「どうやって?」
友を殺め、命を差し出せとまで言う状態になってしまったルシェンを、まだ取り戻せるのか?
リーフの心配をよそに、ルナティアはきっぱりと言う。
「リーフさん、最初は、私一人で行かせて下さい。ルシェンを取り戻して、彼の力を借りてリーフさんのところへ戻ってきますから」
「…作戦なしってことですね?」
「立てようもありません。私だけでなく、エルナの力を借りれば、ルシェンはきっと戻ってきてくれる」
リーフはもどかしかった。自分は部外者だ。あまりにも無力だ。
「僕は…では、エドワードとオルフィリアを探して、守ります。それと、あなたが三日戻らなければ、ルシェンを取り戻せなかったと判断し、レジスタンスに加わり、彼らと共に、ルシェン、アルフェ、悪魔を討ちます」
ルナティアはしばらく何も言わなかった。
「…そうね…。リーフさん、ありがとう。それが、私たちにとって一番良いですね、きっと。
エドワードと、彼の側近、アイリーンも、きっとレジスタンスに協力を求めることとなるでしょう。ルシェンを取り戻す自信はありますが、万一の時はよろしくお願いします」
「…ええ」
万一の時なんて、なければいい。
「まったく。でも、戻ってきて下さいよ、“自信ある”って言ったんですから」
リーフが不機嫌そうにすると、ルナティアは笑った。
「だから、万一の時って言いました。リーフさんが居ると思えると、安心です」
「ま、その程度で考えといて下さいよ?」
「もちろん」
*
エルナがいた村、エラーブル村の外れに、墓地はあった。
切なくなる秋の夕暮れ、リーフとルナティアは、エルナの墓の前にいた。
「エルナ」
ルナティアは墓の前で跪き、話しかけた。冷たい風が、ルナティアの銀髪をやわらかく揺らす。
「エルナ、全然来れなくて、ごめんね。お願いがあって来たの。エルナのペンダントを、貸してほしいの。ルシェンを、一緒に取り戻してくれるよね…?」
リーフは周囲への警戒を怠らず、ルナティアを見守る。
「大丈夫だよね。私たちなら、ルシェンの悪い予感なんか、なんてことないものね」
ルナティアは少しの間、まるでエルナの返事を聞くように、じっとしていた。
やがて、エルナの墓の元にある、目立たない石の箱――ルナティアがそれに触れて初めて、リーフは箱の存在に気がついた――を取り上げ、静かに開いた。
「エルナ、力を貸して…」
ルナティアは震える指でペンダントを取り出した。箱は元あった場所へ返す。
ぎゅっと、ペンダントを胸に抱くルナティア。
リーフは一時目を閉じた。
――エルナ。あんたの友人たちを守るよ。あんたも力を貸してくれ。
ルナティアはゆっくり立ち上がった。
彼女の背中に、リーフは声をかける。
「大丈夫」
ルナティアは何も言わずに頷いた。
エルナのいた村に、追手は来なかった。
*
まだ新しさの感じられる宿の一室で、リーフはうっすらと月明かりに照らされながら窓の外を見ていた。剣は手の届くところへ置き、常に隣の部屋へ注意を向けている。
エルナがいた村だからこそ、ルシェンは手を出さないのかもしれない。ということは、村から離れれば、そこに追手が待ち構えているだろう。
エルナ。
ルシェン、あんたがそんなに守りたいエルナは、ルナティアや、エドワードやオルフィリアを守りたいんじゃないのか? それすら考えられなくなってしまったのか、ルシェン。
悪魔とは、こんなにも恐ろしいものだったのか。
これまで何度か悪魔を倒したことはある。10年旅をしていれば、そんなものだ。まして、悪魔の仕業であろう事件に積極的に首を突っ込んでいるのだから、なおさらだ。
当事者の話は、聞いていた、と思う。何より、リーフ自身も当事者となったことがある。酷い事件もあった。
だが今回は…あまりにも人格が変わってしまっていた。それも、一般人ではなく、冒険者が。ルシェンもアルフェも魔法使いだというのに。
他のどこで起こるとしても、メア城でだけはありえないはずの事件だ。
メア城の魔法の守りは最強だ。魔法使い系の兵士も優秀な者揃いだろう。
だが、誰も悪魔に対抗できずに、こんな状況にまでなっている。
相手は一体、何なんだ。
どうしてこんなことになっているんだ。
どうしてルナティアが苦しまなければならないんだ。
ルシェン、あんたは戻ってこなくてはならない。
リーフはぽつりと、ルナティアから話を聞いた時からずっと思っていたことを、決して彼女には言わないであろう言葉を呟いた。
「あんたたちは、もっと早く助けを求めてよかったのに」
どうしてそうしなかったんだ、と、今言うことはできても、それはもはや何の意味もない。ただ、傷つけるだけだ。
それに、メア城に悪魔がいると言って、誰がそれを信じただろう。事が起きた今でさえ、「崩御は噂では?」などと言われる始末なのに――もちろん、今は、それはただの噂にすぎないことを知っている者がいて、対抗する動きがあるのだが。
ならば、やはり声を上げてみるべきだったのかもしれない。いや、そうすることでそれを信じた少数の者は消されるかもしれない。
今となってはやはり、どうすれば良かったのかなんて、誰にもわからない。
2人はエルナのいた村で物資を補充した。
早朝、2人は村を後にした。メア城を目指すのだ。
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『琥珀の盾』のメンバーは各地で戦士たちを集めるため、そしてモンスターの襲撃を防ぐために活動していた。
その中の拠点のひとつは、ヴァースの町の、大通りから道二本ほど離れた小道の傍にあった。
アルフェが現れて3日たったその日、4人の冒険者が、何気なくその家へ入った。
長い黒髪で目立たぬ容姿だった先頭の――美麗な男性か、凛々しい女性か判断に迷うが――女性は、中に入るなりその幻術を解く。
見る間に、朱色の長い髪、猛禽類を思わせる金色の瞳へと変化してゆく。耳や二の腕、大腿には、紅い羽根が生えている。あまりにも目立ち過ぎる容姿だった。
「背中に羽が生えてるわ、クレィニァ」
後ろに控えていた黒いローブの女性が、そっと声をかける。彼女は、服装こそ珍しくもないものだが、目はほとんどが黒目で、さらに正面以外を覆う布のついた帽子を被っていた。
「あぁ…うっかりしていた」
クレィニァと呼ばれた女性は、低く艶やかな声で言いながら、素っ気なく変身術を直す。背中部分にあった不自然な出っ張りが引っ込んだ。
後ろに控えるあとの二人、、活発な印象の女性がクレィニァの「うっかり」ににやっとしたのに対し、エルフの男性のほうは無反応だ。
その四人を迎えたのは、『琥珀の盾』ロード・エルミオと、エルフの三人だった。オルトと、創立当初からのメンバーである、双剣士のフィオと、回復術士のセルである。
エルミオは、クレィニァに微笑んだ。
「お久し振りです、ロード・クレィニァ。『緋炎の月』の皆さまも、お越し下さってありがとうございます」
「ロード・エルミオ。お招き頂き、感謝する。我らが動かねばならぬ事態のようだ」
「ええ。今日はそれを詳しく話し合いたいと思い、失礼ながらお呼びたて致しました」
『琥珀の盾』と『緋炎の月』。集った八人が同じテーブルを囲んだ。
席に着きながら、『緋炎の月』の魔法使いが、オルトに目を向けた。さっきまでは「うっかり」に笑っていた彼女の鋭い視線に、オルトは抉られるような気持ちになって俯いた。
「ロード・エルミオ。話し合う前に一つお聞かせ下さい」
彼女はオルトから視線を外さないまま指摘する。
「悪魔とその契約者がいるようですが、どういうことがご説明願えますか?」
『緋炎の月』のメンバーに緊張が走り、視線がオルトに集中した。
『緋炎の月』の魔法使いには、はっきりと、オルトから悪魔の気配を感じることができた。使い魔とは比べ物にならない、力の気配だ。契約者オルトと悪魔が結びついていることも、ディル族とドマール族という魔法に長けた種族の魔法使いたちにはお見通しだ。
「そのことも含めて」
エルミオが穏やかに語りかけた。『緋炎の月』の一人ひとりに真剣な眼差しを向ける。
「これからお話ししたいと思います。この、オルトは、悪魔と契約したまま十九年私たちと共にいます。
聞いていただけますか?」
『緋炎の月』の魔法使いは、もう一人の、黒いローブの魔法使いと目配せし、厳しい表情のまま何も言わなかった。
数秒の間の後、クレィニァが頷く。
「お聞かせ願う。ロード・エルミオ、貴方を信頼している」
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