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For an Oath -Ⅰ

 

 

For an Oath - Ⅰ( 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 

 

 

 

 

 オルトが駆けだした一瞬後に、魔法に長けたディル族であるティラが、反射的に《魔法守護》をかける。ティラ自身と、アイカ、レイキに、詠唱なしでそれを行う。なぜ、と問おうとしてレイキは口をつぐむ。ティラの厳しい表情が事態の異常さを物語っていた。

 まだ距離のあったエルミオの元に一刻も早くたどり着こうと、オルトは腕を白い翼とし、滑るように飛び、駆けた。エルミオは剣士だ、強くても、魔法は不得手だ。

 数秒のうちに距離を詰めたオルトがエルミオに《魔法守護》をかける。そこでようやく、アイカとレイキは、異常な力の集結を感じる。マナが、大魔法発動の寸前のように、集まって、ざわめいているのだった。

「伏せて」

 自身は立ったままティラが早口で命じ、前衛二人、レイキとアイカは従う。

 

 マナは既に集っていた。嫌な感じだ…気持ちの悪くなる悪意があった。

 女の声が、詠唱の最後の部分が、聴こえた。

 《――大気よ、集え、落ちよ》

 一瞬の静寂――どう防御するのか、魔法使い達は試される。《大気》よ《落ちろ》…、炎や雷と違い、あまりにもマイナーな攻撃魔法だった。どうやって防ぐことができるのか?迷う時間はなかった。詠唱する時間もなかった。さらに、大魔法を行うにはマナが足りない。マナは既に、見えない相手にほとんど使われてしまっている。

 ティラの反応は早かった。足りないマナを補うために自らのアイテム、マナの石を惜しむことなく使い、落ちてくる《大気》を拡散させようと風で立ち向かう。相殺は無理かもしれないが、相手が空気ならば、当たるだけなら致命傷にはならない。圧力が低くなり、威力が下がればそれでいい。空気の大岩に風の針を刺して、拡散させる。

 オルトも風の魔法で対抗し、空気の大岩に二人分の穴を開けるようにしてかわした。

 両者の魔法で空気が乱れ、砂が巻き上がる。土臭い。視界が砂色に染まり、近くに居る仲間だけしか見えない。アイカとレイキはティラを背中で守るように構える。

 魔法が終了してマナに戻るや否や、ティラはゆっくりと詠唱する。魔法を使うことが目的ではなく、必要になりそうなマナを確保しておくことが目的だ。

 構える5人の耳に、ティラの詠唱以外の声が届いた。

 くすくすと、女が笑っている。

 未だ晴れない砂の奥から、消して大声ではないのに、女の声が流れてきて聞こえた。

「貴方がたが、『琥珀の盾』ですね?」

 

 

 生温かい風が、声の主を中心に砂を吹き飛ばした。

 悪魔――風を受けた瞬間、冒険者たちの脳裏に敵の名が過ぎる。冒険者が倒すべきもの。だが、この悪魔だと、相手が悪い…そう感じた。

 現れたのは、黒に身を包んだ、白い女だった。

 闇色のドレス。長い黒髪。黒い瞳。病的に白い肌。優しい目をして微笑んでいるのに、なぜ寒気がするのだろう。

 ふわふわと浮いたまま、女は口を開いた。

「はじめまして、皆様。私はアルフェ。『琥珀の盾』のロード・エルミオは、貴方かしら?」

 エルミオにふわりと近づいてゆき、数メートルのところで女は止まって、少し首を傾げた。黒い目が見下す。

 エルミオは一歩、アルフェのほうへ近づき、片手を胸に当てて丁寧に礼をした。

「アルフェ様。おっしゃる通り、私が『琥珀の盾』のエルミオです」

 オルトはエルミオの後ろに控えている。ティラはマナを確保したまま、アイカとレイキは剣を納めないまま、アルフェの一挙一動に注目していた――内心では、アルフェ、という名に恐ろしい予感を抱きながら。なぜならそれは、メア国の王妃の名であるからだ。

 エルミオは落ち着いた動作と言葉で、アルフェに訊ねた。

「わざわざこのようなところまで足をお運びになられたのは、止むを得ない事情があってのことと御察ししますが?」

 エルミオの対応にアルフェは嬉しそうに笑う。

「ふふ、そう。貴方は私が誰だか御存じのようですね?」

 エルミオは微笑むだけで何も言わなかった。

「腕の良い魔法使い達も『琥珀の盾』にはたくさんいらっしゃるようですね」

「お褒めに預かり光栄です」

「貴方の同盟が本気を出せば、国を落とせますね?」

 皆、動きを止めた。この人は何を言い出すのだ。

 エルミオだけは、ふむ、と少し考える。

「それは…買被りです、アルフェ様。我が『琥珀の盾』だけでは難しいでしょう。さらに、城を落としたとしても、その後国を導く者がいなければなりません」

「メア城ならば?」

「どういう意味でしょう?」

 にこり、とアルフェは笑う。

「先日、エルディン王は崩御しました」

 メアの国王が死んだ――やはり、という思いと、驚きとが混ざりあい、ティラですら集中がほころび、確保しているマナが一時散らばりかけた。

 やはりこのアルフェは、王妃アルフェなのだろうか。経験をつみ、悪魔と戦ったことのある冒険者たちには、このアルフェが悪魔に取り憑かれているようにしか見えなかった。だが、最強の魔法防壁を張っているメア城に悪魔が忍び込むなど、ありえない…あってはならない。

 そんな思いを見透かしたように、アルフェは楽しげに笑った。

「エルディンを殺したのは、ルシェンという魔法使いです。死んだのは今のところ王だけ…さあ、どうやったのでしょうねえ」

「お前が殺させたんだ、背中を押して」

 オルトだった。低く押し殺した声で、だがきっぱりと、アルフェに言い放つ。

 突然割り込んだオルトに、アルフェは、今気付いたというように目をやる。オルトはオパールの瞳で睨み返す。

「こんな近くで好き勝手を…ただで済むと思うな」

 オルトらしからぬ言葉。アイカとレイキは戸惑う。

 一方で、アルフェは目を輝かせた。

「あら…あら!」

 ふわっとオルトに近づく。オルトは一歩も退かず、アルフェを冷たく睨む。冷徹…普段のオルトにはありえない言葉がぴったりと当てはまる。

「私は私で頑張って準備していたものだから…気がつかなかったわ!」

 アルフェは笑ってエルミオを振り返る。エルミオはどこまでも冷静だったが、もう微笑はない。

「私がここに来るまでもなく、避けられない戦いだったようですね。ロード・エルミオ。私はアルフェ。悪魔の力を手にしたメア国の魔女。この国が悪魔に食いつくされる前に、あなたはメア城を取り戻さなければならない。早急に。犠牲を出してでも」

 エルミオはゆっくりと、体の向きを変えて、アルフェに歩み寄り、浮いている彼女を見つめた。それは、決して悪魔を見る目ではなかった。

「私は一人の冒険者として、アルフェ、貴女の最後の望みを引き受けます。早急に。仲間と共に」

 アルフェは一瞬笑みを消した。だがすぐに、くすくすと笑う。

「メア城の兵力を侮らずにおいでなさい。期待しています」

 アルフェは最後にオルトを見下して口元で不気味に笑い、空中で空間転移して姿を消した。

 それを見送って、エルミオはひとつ息をつき、オルトを気遣う。ティラもマナの確保をやめ、アイカとレイキも緊張をゆるめ、3人でエルミオとオルトの方へ合流した。

「やー、びっくりしたね」

 厳しい表情でうつむくオルトの隣で、エルミオは笑ってみせた。

「あの人…王妃様、だったのかな…」

 泣きそうにも見える表情でアイカはエルミオに問う。

「半分はそうだろうね」

「…」

 沈黙したアイカに代わるように、ぽんっとコルクの抜ける音がした。ティラが一口、酒を煽った。

「どうも私はタイミングよくこちらに帰ってきたみたいですね。町へ帰りましょうか? エルミオ」

「そうだね。魔物掃除も、そこそこ出来たことだし」

 ティラは酒をしまいながら、頷いた。

「テレポートリングをお借りしても? …ありがとうございます。では、皆さん一塊になってください…」

 ティラの指示で、魔法の範囲を狭くするために皆集まる。ティラが詠唱を終えると、景色が縮んで歪んで、混ざった色が正常に戻った時には、町の《転移先》魔法陣の上に立っていた。

 

 木で造られた背の低い円柱状の建物…というか、囲い。その薄暗い中だ。魔法の気配を察したのか、すぐに《転移先》の見張り番魔法使いが覗き込み、あれ、緊急避難ですか? と気遣ってくれる。そうしながら外へ出るよう促した。

「けが人はいません、大丈夫。ありがとうございます」

 エルミオがそう言い、さっと囲いから出た。皆を連れて、中心部には向かわず、なんとなく広い民家の間で立ち止まる。

 中心部は遠い。人の賑わいの気配が、遠くに感じられる。いつもの町だ。まだ、誰も、何も知らない。

 その中に、突然嗚咽が聞こえた。

「ごめんね…」

 オルトだった。

 真っ先にアイカがオルトに寄り添う。

「どうして謝るんですか」

「ごめんね…」

「何もオルトさんのせいじゃ」

「オレが…気付かなかったから…」

 え? とアイカ。

「オルト」

 エルミオがオルトの肩に手を置く。

 アイカは、エルミオを見、顔を上げないオルトを見る。そして、二人が既に、アルフェが言った戦いの道を進み始めたことを感じた。

 咄嗟に、アイカは口走っていた。

「一緒に取り戻しましょう」

 それから考えた。

「私たち…冒険者です。悪魔を倒しましょう。皆でお城を取り戻しましょう。オルトさん一人じゃなくて、皆、悪魔と戦う人なんですから」

 オルトは顔を上げない。だが、嗚咽はもう聞こえない。

 アイカはエルミオを見る。

「私たちも一緒に戦います。私では戦力にならないかもしれないけど、これからいろんなところで混乱があるかもしれないし、戦闘以外の戦力には、私だってなれるから…」

 アイカは言葉を止めて、レイキを振り返る。戦闘となると、正直なところ、レイキのほうが頼りになる。

 レイキは肩をすくめた。もう承知していた。戦闘は任せてくれればいい――そう思いながらも、あえて呆れたふうに笑って見せる。

 アイカはほっとして微笑んだ。

「戦力は」

 エルミオがいつものように穏やかに話す。

「俺達だけでは足りないね。他の同盟にも協力してもらおう。…さあ、今日はどうやら平和でいさせてくれるようだ。それぞれ装備を整えて、早めに宿に行くとしようか」

 エルミオの言葉で話は打ち切られた。続けることをやんわりと拒否しているのを皆感じ取った。

 ティラはあっさりと挨拶し、曲がり角に消えた。アイカとレイキは先に全員分の宿を取りに行った。

 

 

 宿の一室、夜空を見ていたアイカは、輝く白い鳥を見つけた。

(オルトさんだ…)

 滑るように飛び去っていく鳥を、アイカはじっと眺めていた。

 あの鳥は、オルトが何か上手くいかなかった日によく飛んでいる。そして、朝には、オルトはオルトに戻っているのだ。

鳥はそのうち星と同じくらいの点になり、やがて、見えなくなってしまった。

 ちょうどその時、ノックの音がして、ぼーっとしていたアイカは驚いて飛び上がった。

「は、はいっ?」

 返事をしてドアに駆けよる。

「レイキだ」

 それを聞いてアイカは鍵を開けた。

「レイキかあ。あーびっくりした」

 ごまかすように笑ったアイカに構わず、レイキは親指で外を指さす。

「酒場でも行くか。ティラさんが歌って稼いでるらしい」

「あ、そうみたいだね。行こっか! ちょっと待ってね」

 アイカはぱっと部屋に戻って、普段持ち歩く小さなウエストポーチを身につけた。

「お待たせ」

「おう」

「どこだっけ?」

「あれだ。…オアシス、みたいな名前のところ」

「…あ、《樹の下の泉》?」

「それ」

「オアシス?」

「それっぽいだろ?」

「え~…うーん、微妙…湧水っぽい」

「湧水は違うだろ!」

「えー?」

 夜だから声量は落としつつ、くだらない会話をしながら二人は宿を出て、歩いた。

 静か。穏やか。家の中の《照らす光》の魔法や炎の光と、大きな道の脇にある《照らす光》の街灯が町をぼんやり照らしていた。この町の夜は、中心の一部がこうして明るい。

「やっぱりメアだねー」

「街灯管理する魔法使い、大変そうだな」

「確かにね。やっぱりメアって、町魔法使いも人数多いのかな?」

「だろうな」

 酒場《樹の下の泉》は、入口にドアはなく、その代り、どうやら寒さを遮断する魔法がかかっていた。一歩入ると、飲み屋の酒の匂いや、今日一日の仕事を終えた者たちの汗の匂い、ほろ酔い状態の者たちの熱が立ち込めている。

 アイカは一瞬気持ちが退いてしまったが、酒場の一番入口から遠いところにティラを見つけて、あ、とレイキを叩いた。

「ティラさんいた」

「あそこ座れるな」

 この町で一番大きな酒場は、人々の声のせいで入口からティラの演奏が聞こえない。

 ティラは椅子に座って足を組み、リュートを弾き語りしていた。その周りの席だけは静かで、皆がティラの音楽の世界を聴いていた。

 二人はその世界の隅の席、騒がしい席と静かな席の境目のあたりに座った。

「アルコールやめとけよ」

 真っ先にレイキに言われ、アイカは少し口をとがらせた。

「わかってるよ。…私これにしよっと」

 二人は飲み物を頼み、ティラの演奏に耳を傾ける。

 

 ――重なった旅の道

 見つめた同じ雨上がりの空

 口ずさんだ同じ言の葉

 二度と歌われぬ歌であるなら

 幼きその声

 流れる白き髪

 無垢なる紅の瞳

 記憶の海まで 私と共に

 記憶の海まで 私と共に

 

 明るい歌ではなかった。かといって、暗い歌でもない。ゆったりと、詠まれたそれは、どこか寂しげであるのに、共に行こう、と、決意した歌のように聞こえた。

「ティラさんの大切な人なんだろうな…」

 拍手の中、お辞儀するティラを見つめながら、アイカが呟いた。そう言われて、レイキは酒を一口飲み、考える。実在する人物を歌っているなどと、アイカが呟くまで思いもしなかったのだ。

(白い髪に赤い目か…知らないな…)

 赤い目…エルミオが赤みのある茶色だ。ただ、赤毛だ。白い髪…オルトが白い髪だが…目は不思議な色だ。それに二人とも、幼い声、とは言い難い…オルトはもしかしたら当てはまるかもしれないが。

「こんばんは、お二人さん。来てくれていたんですね」

 ティラがやってきて、小さな丸テーブルの、あとひとつ空いていた椅子に座った。楽器はケースに入れて背負っている。

「素敵でした!」

 アイカの心からの言葉に、ティラは微笑んだ。

「ありがとう」

「ティラさんのお友達の歌ですか?」

 ティラは少し驚く。

「アイカさんが初めてです。あの歌の子が、実在したのか、とおっしゃった方は」

 その言葉に今度はアイカが戸惑った。

「えっ? だって…違うんですか?」

 ティラは笑った。嬉しそうだ。

「いえ、アイカさんの思っている通りです。旅先で出会った…少年の歌です。彼も旅をしていますから、またどこかで出会うかもしれないのですが、ただ…」

 ティラは一時、口にするのを躊躇った。だが微笑んだ。

「あの少年は、記憶することができません。必ず、はじめまして、なんですよ。だからいつも楽しそうで、笑っているのです」

 言葉を失った二人に、ティラは普段通りに話しかける。

「もしも出会ったら、仲良く、楽しくしてあげて下さいね。さて、私は退散いたしましょうか」

 え? とアイカ。

「どうしてですか? ティラさんが良かったら、ご一緒してくれますか?」

「あら、そうですか? …では、飲み物を頂いてきますね」

 ティラは何気なくレイキにも目線を送って、レイキが何も反応を見せないので、素直にアルコールを取りに行く。

「会ってみたいな」

 アイカが微笑んだ。

「白い髪と赤い目の?」

「うん」

 アイカもレイキも、ふと無言になり、グラスに手を伸ばす。

「でも…今は…」

「先にどうにかしないとな」

 アイカの言葉をレイキが引き継いだ。アイカは頷く。

「オルトさん大丈夫かな…」

「さあな…落ち込んでたな」

「うん…すごく。…エルミオはまた、皆のことばっかり考えるんだろうな…」

「あの人の性だな、あれは」

「もうちょっと自己中でいいのに…」

 その言葉の途中に、ティラが戻ってきて座った。

「あれはあれで、自己中ともいえますけれどね」

 綺麗な赤色のお酒が入ったグラスを、ティラはゆるゆると回した。アイカは一瞬その優雅さに目を奪われる。

「ティラさん、エルミオはどうするつもりなんでしょうね」

「何をですか?」

「城を取り戻したとして…その後は」

 そりゃ、とレイキが言う。

「あの人は城いらないだろう。たしか、王には息子がいただろ?」

 うん、とアイカは曖昧に頷く。

 当然の反応だった。アルフェ…恐らく王妃が、悪魔に蝕まれていたのだ。王は死に、息子もどうなったか分からない。

「どうであれ、」

 ティラが不敵に笑う。

「悪魔が滅びへ誘うのなら、誰も導かぬほうがマシです」

「…そうですね」

 アイカは頷く。表情は曇っている。

「今は…今を頑張るしかないですよね」

「いつも通りな」

 レイキは横目でアイカを見て少し笑った。

「『琥珀の盾』だぞ。皆そう簡単に死なない。メア城にいるやつらだって、そこらの冒険者よりずっと強いだろう。案外正気のまま生きて待ってるかもしれない。王子は落ち伸びたかもしれない」

 アルフェだって、助けられないって決まったわけじゃない――本当は言ってあげたかった言葉を、レイキは言えなかった。アルフェは多分、もうダメだ。アイカもそれを分かっているから、一言もアルフェのことを言わないのだ。

 ティラはにこりと笑う。

「いい筋書きですね。可能性は大いにあるシナリオ…あ、それ頂けます? 3つ」

 途中でウエイターに話しかけ、ティラは酒を追加する。

 アイカも二人を交互に見て、笑う。

「そうですよね。色々、どうにかなるかもしれない。やってみるしかないですね」

 オレンジ色のドリンクが3つ、テーブルに置かれる。

 ティラは自分のグラスを取り、二人にも勧めた。

「私のおすすめです。乾杯しましょう。…あの子や誰かが…この国や、私の手の届く場所へ来たとき、そこが楽しい場所であるように」

 アイカは少し言葉を考える。そして真剣な眼で、微笑んだ。

「誰かの大切な人が笑顔でいられるように」

 それを聞いてレイキがちらっと微笑む。

「そういう誰かが無茶しすぎずに、迷子だとか迷惑かけずに…」

「ちょっと!」

 アイカがむくれる。レイキは笑って、言い終える。

「無事に望みが叶うように」

 もー、言いつつアイカは笑った。3人のグラスが当たり、鳴る。オレンジ色の飲み物は飲みやすかった。ほとんどジュースだ。

 が、レイキは、はっとする。

「アイカ、飲んだか!?」

「え?」

 時すでに遅し。アイカの顔がみるみる赤くなり、目がとろんとする。注文した本人であるティラは、あら? と焦る。

「これも無理ですか?」

「ちょっとでもダメなんです…すみません、先帰ります、また代金は払うので」

 頭を抱えたレイキの言葉に、アイカが抗議した。

「えー!? もー帰るの? まだ歌おうよー!ね?」

「ね、じゃない。いいから飲んで潰れてしまえ」

 レイキに勧められて、アイカは嬉しそうに酒を飲み干す。その荒技にティラは驚く。

 飲み干したアイカは、レイキの計算通りに、具合が悪くならない程度で潰れてくれた。

「このくらいなら大丈夫かと思って…すみません」

 ティラは謝りながら、内心ちょっと面白がって見ていた。レイキは慣れた様子でアイカをかついで、いえ、とティラに肩をすくめる。

「慣れてます」

「そのようですね」

 ティラは少し笑いながら言ってしまい、あ、バレた、と感じ取る。面白がってることが外に漏れてしまった。

 レイキは苦笑する。といっても、面倒そうではない。

「もう酔わせないで下さいよ」

「気をつけます…レイキさん」

 はい? と去りかけたレイキは振り返る。

「あなたも無茶をなさらないで下さいね」

 はは、とレイキは笑う。

「無茶、ですか…普段からアイカのお守で、今回もアイカのお守役でしょうから、普段通り大変そうですよ」

 

 

 

 それが、最後の、何事もない夜だった。

 どこからか、噂として、崩御のこと、城の悪魔のことが広まっていった。それを裏付けるように、各地で謎の襲撃事件が発生した。いずれも夜、魔物によるものだった。

 『琥珀の盾』は秘かにメンバーに招集をかけた。さらに、無所属の冒険者たちをメンバーに引き入れるために、各地で水面下の活動を開始した。他の有力同盟、『緋炎の月』『旋風』とも接触を試みた。

 城の悪魔の噂をきいて国外へ出ようとする民もいたが、交易などにも特に影響がなく、崩御は性質の悪いただの噂ではないかという意見もあった。ただ、事実として襲撃事件は起こっており、それが不安を煽っていた。

 各地で『琥珀の盾』や冒険者たちが対応していたが、相手の意図が分からない以上事前に防ぐことも出来ず、人々の不安は消えなかった。

 民がいなくなれば国は潰れる。国外へ出る手段を潰されれば混乱が起こる。悪魔が何をしでかすか分からない。時間はなかった。

 

 

 

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