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R・E・Asterisk -Ⅰ.時の洞窟

      パーティを組んで数ヶ月の魔法使いと剣士。

                      受けた依頼は馬車の護衛だったが…。@1809年9月下旬頃

 

REAsteriskⅠ( 1 / 2 / 3 ) Ⅱ.探求の都市 へ

 

 そこに、はじまりの樹が生まれた。

 根が大地を掴み、枝が空を押し上げ、その世界は始まった。

 はじまりの樹の《葉》から生まれた、神と呼ばれるものたちと、精霊とよばれるものたち。

 はじまりの樹の《実》から生まれたヒト――ヒューマンやエルフ、ドマール、天使といった種族や、動物と呼ばれるものたち。

 はじまりの樹の《息》、世界に満ちるマナは、生き物たち自身や、その心に応じて姿や性質を変える。

 そのマナの性質により、長い時間を経て、意図せずヒトの心から生まれたもののひとつが悪魔であった。それは体を持たないため、滅ぼす方法が限られていた。天使族は悪魔を怪物の姿として具現化させ、それを他種族のものが剣や魔法で討った。

 歴史の中で、怪物は《魔物》、それらや悪魔自体を討つ者は冒険者《悪魔を倒す者》と呼ばれるようになった。

 

 冒険者。悪魔を倒すもの。

 とはいえ、Lv50にも満たない冒険者たちは、悪魔と遭遇した経験がない者も多く、ましてや交戦や討伐の経験がある者など皆無に等しい。

 悪魔と関わらないとき冒険者が何をしているのか?

 魔物の討伐。という名称のレベル上げ。それに、馬車や人の護衛に、薬草探しに、荷物運びに、もはや戦闘とは無縁の短期バイトも。冒険者はつまり、腕が上がって知名度がある程度上がるまでは、肩書きがあって戦闘可能な何でも屋だった。

***Ⅰ.時の洞窟***

 小柄な女が、馬車を追っていた。待って、と呼びかけることもせず、獲物を追う獣のごとく、明らかに魔法を用いていると分かる速さで駆けていた。小人族の女の口元に浮かぶ微笑が、その異様な光景をさらに気味の悪いものにしている。

 森の中の道を、馬車は全速力で駆けていく。

 追いつかずとも離れず追っていた女が、何かを放るように腕を振るった。音もなく、目に見えない力が景色を揺らめかせて飛んでゆく。

 ドン、と馬車の後方を掠った力は、地面にぶつかりそれを抉った。

 わずかに後輪を浮かせながらも馬車は逃げ続ける。

 小人族の女がまた腕を振りかぶった。その時、馬車の側面、乗降口がバンっと開いた。まだ幼さの残る青年が顔を出し、バタバタと暴れる扉を押さえ、なびく淡い金髪の間から女を見据えて唱える。

「――クラック スタラック《地割れよ、足止めせよ》!」

 激しくつんざくような炸裂音。つい今しがた馬車が通り過ぎたばかりの地面が大きく割れ、同時に大地が壁のような飛び出し、そびえた。これでは通れない。女はやむを得ずスピードを落とし、さっさっと左右に視線を走らせた。大地の壁を回ろうとすると、生い茂る草木の間を縫うしかない。

 女は土煙の漂う道を逸れて、草の中を、木の間を、蜘蛛の巣を、通り抜けた。壁の向こうの道に出た頃には、馬車は、見えなかった。

 道の真ん中、女はため息をひとつ。やがてふと気がついたように髪や服についた葉や泥を払った。

 そしてまた視線を上げて、馬車の去ったその道を真っ直ぐに見る。もう見えなくなったはずの獲物は、彼女の脳裏にはっきりと焼きついていた。

​*

 青く茂る木々、覆われた山々、その麓にアンバー村があった。

 村へ続く道を馬車はがたがたと進む。紋の刻まれた木の柱の間を通り抜けると、そこはもう魔物よけに守られた村の中だ。すぐに道端に小屋があり、馬車はそこで止まった。

 小屋の前にはヒューマン族の男が剣を携えて立っている。御者は親しみのある笑顔で彼と挨拶を交わした。

「ところで、今回は何か呼び込んだかもしれない。来る途中、襲撃に遭った。なんでも小人族の契約者らしい」

 ヒューマンの男は眉をひそめた。

「契約者?」

 悪魔と契約したもの、契約者。悪魔と同じく、冒険者が戦う相手だ。魔物以上に、出会いたくない、そして成りたくない存在。

「魔法の威力とか、なんだ、種類とか、なんだかそういうところから、契約者だと、護衛の冒険者が。その人たちが追い払ってくれたが、契約者がどうなったか分からないんだ」

「そうか…。大変だったな。念のため、その護衛から話を聞きたい。その後こっちで宿に案内するから、ここで降りてもらえるかい?」

「ああ、分かった」

 というわけだ、帰りも頼んだよ、と御者は背中に声をかけた。

 護衛の冒険者ふたりが馬車から降りる。

 身軽に降りた、一人目はダークエルフ族の剣士だ。浅黒い肌、耳は大地と水平にヒュンと尖っている。背は高くなくて、一瞬、少年かとも思える。だがその表情には少年のあどけなさは見当たらない。軽い黒の革鎧、肘から手の甲にかけては茶色の小手。黒が主体の装備に、黒髪、黒い肌であるために、全体的な印象が黒だ。彼は御者に、こちらこそ、と微笑を返した。

「よっ」

 つづいて、声と共に降りてきたのは魔法使いらしい青年だった。先に降りた剣士は黒系の装備だが、魔法使いのほうは白系の装備だ。グレーの七分袖の上から、フード付きのゆったりした白い半袖ローブ――強いて装備として分類するなら”ローブ”だが、丈が短く、チュニックと言ったほうがいいかもしれない。袖や裾にうすく光を連想する橙の装飾がある。ズボンとアームカバーは黒。魔法使いの青い瞳は、ディル族の特徴をもち、くっきりしていた。エルフ族との混血だろう、肩の少し上で揺れる淡い金髪から覗く耳が、少し尖っている。

​ ふたりとも随分若いようだと、ヒューマンの男は感じ取った。特に魔法使いのほう。エルフ系の外見が年齢不詳とはいえ、経験で雰囲気は変わる。

「馬車を守ってくれてありがとう。中で話を聞かせてくれ」

 ヒューマンの男にお礼を言われて、魔法使いの青年はなんだか後ろめたいような微妙な表情になる。

 剣士は、はい、と、男について行く。魔法使いを振り返って呼びかけた。

「レン」

 レンと呼ばれた魔法使いは、はっと気がついて、剣士に追いついた。

 剣士は、ヒューマンの男に聞こえないくらいの声でレンに言う。

「落ち込みすぎんなよ。誰か死んだわけでもねえし、むしろお前の魔法で守られたんだからさ」

 とん、と拳で軽く肩を叩かれて、レンは唇を結んで頷いた。

「うん」

「おし、しっかり謝るぞ」

「…はい」

「…契約者を退けたものの、その魔法…」

「クラックスタラック」

「それで道が断裂したと…」

 はい、すみません、とレンは立ち上がって深く深く頭を下げた。剣士――エナも一緒に頭を下げる。

 あの小人族の女、契約者を足止めした魔法は、村に続く主要な道を一本、断裂させた。はっきり確認は出来なかったが、少なくとも馬車は通れない。どうしてそんな魔法を選択したのかと、誰よりも術者であるレンが落ち込んでいた。

 ヒューマンの男は、流石にため息をついた。

「それで、道を直すために、地の精霊を固有精霊にもつエルフ族がいないか知りたいと、そういうことですか…」

 エルフ族や、希だか魔法に長けたディル族の中には、精霊とともに生まれたり、出会ったりすることで精霊から力を貸してもらえる者がいるのだ。地の精霊がいれば、断裂した道をすぐ直せるだろう。

「本当にすみません。心当たりありませんか…?」

 レンが小さくなりながら尋ねる。少し渋い顔をしながら、ヒューマンの男は困る。

「私は知らないですねえ…。エルフと一番交流が深いのは、エルマさんあたりかなあ。エルフ族のイルシェと昔から仲がいいからね」

「そのエルマという方は、どこにおられるんですか?」

「もっと山のほう…宿よりずっと先だから、先に宿に行くといいですよ。でも、固有精霊のことまでは知らないんじゃないかなあ…わざわざ人に明かすものじゃないでしょう?」

「そう、ですね…」

 自身もエルフ族とディル族のハーフであるレンは、納得せざるを得ない。エルフ族、ディル族とはいえ、兄妹のようなその精霊と意思疎通が出来るかどうかは努力と才能次第だ。

「ともかく、エルマさんに会って事情を説明します」

 エナの言葉に、ヒューマンの男は頷いた。

「村長には私のほうから伝えておくよ。道を直すのが先だから、あなたたちはまずエルマさんに聞いてみてください。そういう魔法のことは、ここじゃエルフ族に頼るしかないんですよ」

「分かりました。少し遅れますが、村長さんのところにも謝罪に行きます」

 エナがそう言うと、またレンが少し小さくなった。やっぱり村長さんのとこにも謝りに行くよな、と。

「ああ、夜になるから、明日にでも」

 まあ、とヒューマンの男がしゅんとしているレンを見て付け加えた。

「これからは後先のことも考えてやってくださいよ、魔法使いさん」

 仕事が増えて面倒ではあるものの、仕方ないなあ、という響きがあった。エナはそうと感じ取り、再度頭を下げる。レンはただただしゅんとして、すみませんと再び謝った。

 ふたりはひとまず宿の場所を教わり、ヒューマンの男と別れた。”エルマさん”の居場所については、宿でまた聞くことになった。

 紹介された小さな宿は、全部で4部屋。少し古い、木の色そのままの壁や扉。

「エルマさん? 今からはやめときなさい!」

 カウンターの女性にたずねると、真っ先にそう返ってきた。ヒューマンの、優しそうでハキハキしたおば様だ。

「もう夕方よ。エルマさんを訪ねるなら、午前中、朝ごはんが終わっていて、お昼がまだ来ない時間がいいわ。生活を乱されるのがお嫌いですからね。

 それにしても、今回の護衛さんは特にお若いのねえ。

 私はメリッサ。どうぞ、お部屋に案内するわ。夕飯もうちで出せますからね」

 ふたりは案内されるまま、部屋に入る。小さな部屋、小さなベッドが二つ。机がひとつ。

 飾り気のない部屋で唯一目を引くのは、壁にかけられた小さな額縁。押し花。白、紫、黄色。パンジーだ。

 エナが額縁に目をやる一方、レンはベッドにどさっと座った。なんで道を塞ぐ魔法にしたのか。

「はあ…」

 今日何度目かのため息をついた。

 エナもベッドに腰掛ける。

「エルマって人は、山のほうか。案外、エルマさんより先に、地の固有精霊もちのエルフに会ったりしてな」

「うん」

 レンは少し考えを巡らせて、ふと提案する。

「これからちょっと時の洞窟ちらっと見学して、ついでに会えたらラッキーじゃないか? 地の精霊持ちエルフと」

 早く見つけて済ませてしまいたい。座ったばかりなのに、レンは今にも立ち上がりそうだ。

 んー、とエナは考える。エルフ族ではなく、わざわざエルマという人を紹介してきたことが引っかかったのだ。

「まあ、場所の下見くらいなら。なんか山のほうのエルフやドワーフと、村の人、思ってたより交流なさそうだし、多分、エルマさんを通したほうがスムーズなんだろうけど…」

 もし仲が良くないのなら、何かこじれるかもしれない――…少しそう思いつつ、エナは立ち上がった。無理して探そうとは思わないが、早く解決するならそれに越したことはない。

「まあ、行ってみるか?」

「おう!」

 入ったばかりの部屋から出ていくと、メリッサが目を丸くした。

「おや。どこか行くの?」

「ちょっと散歩がてら、山のほうの下見に行ってきます。夕食には戻ります」

「ああ、そう。あと2時間もすれば食事が準備出来ているから、是非冷めないうちに戻ってくださいね。それと…」

 メリッサはふたりの冒険者を見て付け加えた。

「大丈夫だとは思うけど、山の方と村との間には、動物も魔物も出ることがあるから、気をつけて。猿とは目を合わせちゃだめよ」

「猿? いるんですね」

 少し目を輝かせたレンに、おい、とエナが念を押す。

「気をつけろ、って。目を合わせるなよ、駆け寄っていくなよ」

「駆け寄らないよ。チラ見くらいにするから大丈夫」

「…」

 面白そうにメリッサが笑った。

「ともかく、怪我しないようにね」

 

 夕方になる。働いていた人々もそろそろ家に帰り始める。

 山へ向かう道は太く、馬車が通ることができる。枝分かれして民家や他のところへ道が伸びていた。夕方のこの時間、この道に人はあまりいない。

 かなり前のほうを、ドワーフ族だろうか、小人族がふたり、歩いて山へ帰っていく。その背中を見ながらレンがぼやいた。

「なんかちょっと寂しいな」

「んん、こっちのほう店もなさそうだし、来ることないだろ」

 やがて村の出入り口、紋の刻まれた木の柱の間を通り抜けた。すぐに森が広がっていて、その寸前で道は分かれていた。ドワーフたちは迷わず右の道へ入っていく。

 木の立札が道を示していた。右は、琥珀の山。左は、時の洞窟。

「これって同じ場所じゃないんだ」

 レンが不思議そうに言った。

「うーん。違うらしいな」

 琥珀の山。そう呼ばれる山にある洞窟が、時の洞窟。ふたつの場所は同じでも、洞窟は洞窟の部分だけを指すのだろう。

「まあ、山っていったら広いし。右に行ったら洞窟には着かないってことだろ」

「あー、そうか。で、右はドワーフ族の村で左はエルフ族の村ってことか」

 ああ、とレンの言葉にエナは納得する。琥珀の山はドワーフ族が、時の洞窟はエルフ族が守っているらしいと、ここに来る前に情報を得ていた。

 ふたりは左の道へ入った。森の道が続く。よく使われる道なのだろう、平らだ。徐々に上り坂になった。やがて道は曲がって、山肌に沿うように続いた。そろそろ階段があったほうが登りやすそうだと思い始めたとき、道の先に木の柱が見えた。村の出入り口にあったものと同じようなもので、両端に一本ずつ立っている。それを通り抜けた先、山肌には、大きな穴が口を開けていた。

 幅10メートルあるだろうか。それは急速に奥に向けてすぼんでいた。幅も高さも半分ほどになったところに、エルフ族が3人、見張るように立っている。

 その後ろに洞窟はさらに続いているようだ。扉などは無いが、両端に3本ずつ、天井まで届くほどのポールが並んでいた。

 上から下まで複雑に彫り込まれている。よく見ると同じポールが一対ずつになっているようだ。複雑な彫り込みは恐らく2、3回同じ模様をポールの下から上まで繰り返している。天井近くにはポールの間にたくし上げられた布があり、一番手間のポールには青色の布が掛かっていた。

 ポールも布も、村の出入り口の柱とは比較にならないほど強力な、入口を守るための魔法が施されているものに違いない――レンはすぐにそうと察し、胸が高鳴った。できるなら是非、じっくり観察したいところだ。

「こんばんは、冒険者のお方」

 洞窟に入るか入らないかのところで見ていると、見張りの中でもリーダー格のエルフ族がやってきた。レンとエナも彼女に歩み寄る。ほぼ茶色に近い金髪をまとめ上げ、やわらかな物腰と、きりりとした真面目さを兼ね備えていた。片手剣とショートボウを携えたその女性はレンとエナを交互に見る。

「私はイルシェと申します。このような時間に、なにかご用ですか?」

 思っていたより話しやすそうだ、とエナは安心した。同時に、イルシェという名前をつい最近聞いた気がして考える。

「はじめまして、エナです」

 ええと、とレンはどう切り出すか迷う。

「レンです。はじめまして。ええと、地の魔法が得意な方がおられないかと思いまして」

 レンは続けた。

「アンバー村に来る途中に、契約者を魔法で足止めしたのですが、その時、クラックスタラックを使ってしまって…道が通れなくなってしまったんです。俺には修正が出来なくて、申し訳ないのですが、どなたかに、道を直すのをお願い出来ないでしょうか」

 契約者と聞いた瞬間、イルシェの表情が硬くなった。

「…おそらく直せるでしょう。しかし、契約者のこともあります。直せる者を遠出させることは危機が去ってからになります」

 えっ、あ、とレンはうろたえた。「いたらラッキー」程度で来て聞いてみたら、「いるけど無理です」と言われてしまったのだ。

 とはいえ、とイルシェ。

「流通のこともあります。今日はもう遅いですから、村へ戻ったほうがよろしいですよ。契約者が近いのに夜間出歩くものではありません。道の件は、相談してみます。あなた方は、アンバー村長と、エルマさんにお話をしておいてください」

 そこまでさらさらと話して、イルシェはレンとエナの背後に目を向けた。

 見ると、薄暗くなり始めた外、洞窟の入口に3人の人影があった。

 砂色のローブ。長い前髪で片目が隠れている穏やかそうな男。

 半歩後ろの女性はすらりとした長身のエルフだ。白基調の外套に、青い服と細身の剣が覗く。

 そして、大剣を背負ったヒューマンの男。表情は若々しいが、短く刈り揃えた髪はほとんど白だ。

 それぞれが胸元あたりに冒険者証を着けていた。そこには鮮やかなネオングリーンの宝石。冒険者証の宝石は、同盟幹部にだけ与えられるものだ。同盟によって宝石は異なる。メア国でネオングリーンの宝石といえば…――。

「『旋風』ガーディアン…!?」

 エナが驚くと、レンはその呟きに、えっ、と言って思わず3人の冒険者を振り返る。『旋風』は、メア国他広範囲で活動する王手同盟――レンたちのレベルでは縁のない上級者の同盟なのだ。少人数高レベルの依頼から、公募による大規模討伐までこなす。常任メンバーはいつの時代も5~6人程度らしい。ロードに、サブロード、そしてガーディアンが3,4人。そのうち3人も、幹部がどうしてここに。

 イルシェが見張りのエルフの一人を振り返った。

「アース、お二人に詳しく話して下さい」

 アース、と呼びかけられ、見張りの一人だった女性が返事をし、レンとエナのところへやってくる。その間にイルシェはレンとエナに断った。

「依頼相手が見えましたので、失礼いたします」

 イルシェは少し離れたところでその3人を迎えた。レンとエナは思わず聞き耳を立てる。

「シルヴェス殿のご依頼を承りました、『旋風』のケインです。こちら、同じく、スーラ、クレインです」

 名前を聞いてレンは目を丸くし、輝かせた。エナはそれを察知して、何か妙な行動――突然マニアックな質問を投げかけるとか――を起こさないかと心構えをする。多分、聞いたことのある有名な魔法使いの名前だったのだろう。

「お待ちしておりました。時の洞窟守護団、イルシェと申します。お引き受けいただき、ありがとうございます。まずは、長のもとへご案内いたします。お休みいただく施設の準備もございますのでご安心下さい」

 イルシェに連れられて、『旋風』の3人が洞窟内へ進んでいく。レンとエナのそばを通り過ぎる。

 ふと、ケインと名乗った砂色のローブの男が立ち止まって振り向いた。目が合ったレンはどっきりする。

 緊張して固まるレンに、なんとケインは歩み寄った。ディル族の特徴でくっきりした緑色の瞳が、レンの冒険者証を映す。

「失礼。あなたは精霊使いか、魔道士ですか?」

「えっ! いいえ」

「…そうですか…? …」

 ケインは納得いかないように考え込む。

 だがすぐに、ケイン、と先に言っていた仲間に呼ばれ、ああ、とケインは思考を中断せざるを得なかった。

「あなたの近くには精霊か悪魔がいるのかもしれません。悪いものだとは感じませんでしたが、その、一応、用心しておくといいと思います。それでは」

 口に任せるまま、といった感じで話すと、ケインは穏やかな挨拶と笑みを残して、仲間を追いかけた。

「は、あ、はい!」

 レンは目を輝かせっぱなしで返事をする。ケインを見送った後、エナは確認も込めて小声で呼びかけた。

「分かんねえけど、悪魔はねえよなあ。大体、冒険者は悪魔と契約出来ないってのに」

 え? とまだ余韻に浸っていたレンがエナを見る。

「あ、ああ。そうだなあ。精霊が近くにいるんだったら、すごいなあ。俺、守られてるのかなあ。ははは」

「一応気をつけろって言われたろ。気をつけるぞ」

「ああ、もちろん。ところで、アースさん? もしかして地の固有精霊もちですか?」

 じっと…というよりぼーっと、話が終るのを待っていたらしいエルフの女性に、レンは突如話を振った。

 ぱっと見た印象はきりっとしているのだが、どうもぼんやりしている。何を見ているのか、聞いているのか分からない。アースは表情を変えず、レンを見て応えた。

「多分違う」

 じっとレンを見ながら、今度は尋ねた。

「馬車でここに来たの?」

「あ、うん。村まで馬車で、村からは歩いて」

「そうなんだ」

 アースが微かに表情をほころばせた。目の輝きはレンよりかなり控えめだが、どことなくレンを連想させる――似てるな、とエナは内心感じ取る。となると、イルシェが「お二人に詳しく話して下さい」と言ったのも忘れて興味のある話題に脱線していくのではないか。

 幸い、エナの予測に反してアースは本題に移ってくれた。

「村とのやりとりは基本的にエルマさんや他数人を介して行われています。道のことは、エルマさんから、私たちの長に伝えてもらったほうがいいです。エルマさんは、アンバー村とこの時の洞窟との間あたりに住んでおられます。村の別の出口から行くことができます。イルシェに話したように、エルマさんにも話して下さい。遅くとも翌日には話が通っているでしょう」

 変わらない口調でさらさらと事務的な連絡。それを聞く途中でエナは思い出した。イルシェ、村に入ってすぐに聞いた名前だ。エルマと昔から仲が良いエルフ族。思い出してすっきりした。

「分かりました、ありがとう」

 エナの返事を受け取って、アースは再びレンを見た。

「馬車は、いつ出るの?」

 えっ? とレン。首をひねる。

「いつだろう…本当は3日後だったけど、道が…」

 そうか、とアース。

「ここにはまた来る?」

 えっ、とレンはエナを見る。地の精霊の話も断られてしまったし、エルマという人に会うだけでいいなら、来る必要は特にない。

 村にはいるけど…とレンは言葉を濁した。エナも頷く。

「ここには来る用事ないかもな」

 そう、とアースは明らかに肩を落とした。なんだろう、とレンとエナは視線を交わす。その一瞬でアースは気を取り直したようにまた尋ねた。

「冒険者でしょ? 旅は楽しい? あなたたちくらいでも、やっていけるの?」

 どうやら仕事以外の内容では敬語が外れるらしい。

 あなたたちくらいでも、って。エナは内心思う。アースがただただ真っ直ぐ問うただけだったので、思うに留めた。

 一方のレンは驚いたように言い返す。

「あなたたちくらい、って。俺、16だよ」

「そうなんだ! 同い年だね」

 えっ、とレン。

 どこに驚く要素があったよ、とエナ。それより、と話題を変えた。

「あの『旋風』が3人も、どうしてここに? そんなヤバイ相手がいるのか?」

 アースは答えようとして、口をつぐんだ。依頼内容をほかの冒険者に教えて横取りされると、報酬をどうするのかなど問題が出てくることがある。エナはそこに思い至って、付け加えた。

「『旋風』の相手なら、俺たちには手も足も出ないだろうよ。ヤバイ相手なら、知っておいて、避けられるなら避けたいと思ったんだ」

 アースは納得したようだ。

「近頃、『大いなる琥珀』を狙った影が彷徨いてるんだって。それの討伐。相手が何かは、私は知らない」

 悪魔と契約した者…契約者。レンとエナの脳裏を過る。

「大いなる琥珀、って…時の洞窟の中にある、エルフ族が守ってるものだよな。山の上ではドワーフが、洞窟の中ではエルフが守ってるっていう」

 レンが確認するように言うと、アースは頷いた。

「だから絶対奪われたりしない。それでも狙いに来るから、みんなで守る」

 それに、とアース。誇らしさが滲んだ。

「『大いなる琥珀』は大きくて広くて、偉大で、奪えないと思う」

 アース、ともうひとりの見張りがついに呼んだ。そろそろ戻れ、イルシェさん戻ってきたら怒られるぞ、と。

 じゃあね、とアース。一度振り返った。

「暇なときがあれば、旅の話が聞きたい。またね」

 おう、とレンは手を振った。アースはにこっとして見張りに戻った。

「また来るのか?」

 エナが尋ねる。

「時間があれば来たらいいだろ? 暇なときがあればって言ったしさ」

 レンは楽しそうだ。どうやらアースと何かが合ったようだ。

 外がすっかり暗くなってしまう前に戻ろうと、ふたりは急いで洞窟を後にした。

 

「ああぁっ!?」

「どうした?」

 宿の部屋、レンが突然取り乱した。ぼーっとベッドに座って何か考えていると思ったら、突然ばっとエナを見た。

「ケイン! サブロードじゃないか! 『旋風』の!」

「ああ、そうだっけ」

 そこまで覚えてなかったなぁ、というエナを放って、レンは興奮して続ける。

「大地の拳士だよ!! エナ! 大地の拳士!」

「なんだ、二つ名? よく知ってるな」

 エナはなんとなしに見直していた馬車護衛の依頼書をたたみながら言った。鞄に戻す。

 だから~! とレンはもどかしそうに叫ぶ。

「前衛なんだよ! でもディル族の偉大な魔法使いだ! ともかく、大地の、魔法使いなんだよ! 地の!」

 おお、とようやくエナは納得する。

「なるほど、サブロード・ケインなら道、直せるかもな」

「”かも”じゃない、あの人に直せなかったら誰にも直せないって!」

 ああ、でも、とレンは呟く。

「どうやって頼めばいいんだろう。洞窟には入れてもらえなさそうだし。ああ~さっきお願いしておけばよかったのになぁ~」

「いや、会っていきなりすぎだろ。どっちにしろ、エルマさんとこ行かねえと。直してくれるのがエルフにしろサブロード・ケインにしろ」

「あー、そうだよなぁ」

 むずむずと落ち着きのないレンを横目に、エナはベッドで横になった。息をつきながら腕で目隠しをする。

「明日は昼前にエルマさんとこだな」

 普段よりもずっとしんどそうで眠そうなエナに気がつき、レンは、あれ、と静かになる。

「大丈夫? もう寝る? 魔法、しようか」

 そうする、頼む、と返すエナの声には活気がない。

(あ、しまった――)

 レンは申し訳なさで表情を固くした。

(早くしてあげればよかった。8日目だったのに)

 エナには、付き合い始めて数年の”困難”がある。

 それは8日に一度以上、急にやってくる。ただただ不安になるだけで体には何も起こらないから心配するなとエナは言うが、”不安になる”というのはレンにとって重大な困難に思えた。

「ごめん、気づかなくて」

「いや。いきなりくるから」

 それでも、申し訳ない。謝るよりもまず、レンはエナのベッドサイドに立った。魔法をはじめる時の静かな気持ちに切り替わる。

「おやすみ、また明日」

「頼む。おやすみ」

 レンは集中した。意識を広く持ち、周囲に満ちるマナに呼びかけ、かつ、対象であるエナを感じ取る。

「 エスト ラ マール ――…」

 穏やかな詠唱が始まった。それはゆっくりと、ただし途切れることなく、流れるように続いていく。集中しきったレンの目は、目の前のことを映しても細かく認識していない。対象と、マナの動きと、自分だけが存在する。

 穏やかな詠唱は一分も続いた。

 やがて語りかけるような詠唱の最後の文句が微かに空気を震わせ、余韻を残して消えた。

 

 レンは不意に我に返った。

 

 エナを覗き込むように確かめる――穏やかに寝息をたてている。

 ほっ、と安堵し、頬を緩めた。

 魔法のコントロールには、いささか不安があるのだ。詠唱終了時には成功の確信があっても、つい確かめてしまう。この魔法はまだ、両手で数えられるほどの回数しか使っていない。

 

(明日はとりあえず、エルマさんとこか)

 レンは灯り――この宿は魔法灯ではなくロウソク――を消して、ベッドに転がった。

 

 エナにかけた魔法は、特別なものだ。

 ある魔法使いが編み出して、それをレンが教わった。

 エナは数年前からこの魔法か、ある薬草かのどちらかがないと、調子が悪くなるのだそうだ。

​ 会って数ヶ月のレンは、そうなった経緯も聞いていた。

 レンは暗い天井を無表情に見つめ、ため息をつく。

(どうしてそんな大事なことを、会ってそこそこの俺なんかに教えてくれたんだ?)

 ――俺なんかに。

 ――俺は、話していないことがあるのに。

 パーティを組んで早数ヶ月。後ろめたさが心でくすぶる。この魔法を習うこと自体は嬉しかった。新たな魔法や古代語を知ることが出来るからだ。伴って、事情をも聞くことになった。

(こんなに長くパーティ組むつもり、なかったのに…)

 依頼を、せいぜいふたつほどこなして解散。そのつもりだった。これまでもそうしてきた。

(そうだ、依頼…)

 依頼内容を反芻し、明日のことを考えた、それが逃避であることは誰より自分が分かっていた。

 目を閉じる。さっさと寝てしまおう。

(言わなくても、その前に、解決策が見つかるかもしれないし、パーティだってもうすぐ解散するだろ…)

 根拠のない願望を、さも約束されたことのように自分に言い聞かせる。大体、あんな魔法を教えてもらってすぐに解散なんて、あるわけないのに。既に破けた薄っぺらい安心の中でまどろむ。

 明日のことだけ、考えればいい。

 

R・E・AsteriskⅠ( 1 / 2 / 3 ) 

 

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