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R・E・Asterisk -Ⅰ.時の洞窟

 

 

REAsteriskⅠ( 1 / 2 / 3 ) Ⅱ.探求の都市 へ

 

 ――レン、新しい宝石だ。

 優しく笑いかけ、父はそれをレンの手に握らせた。

 ――もうすぐ力を消す方法が分かりそうだ。

 消すなんて、出来るわけがないし、魔力やマナを消すなんてことは、出来てはいけない。

 ――言い方が悪かったな。力を追い出すというか…*****。

 なんて言ったのだろう。

 

 暗闇の中に部屋の天井が見えた。

 夢に見てしまった。これが、エナに言っていない、対策を探し求め続けていること。

 冒険者も、古代語辞典を作りたいなんていうのも、これの建前だ。魔法が好きというのだって、半分は本当だが、半分は、興味を持つ必要があったからだ。もしも魔法が一切使えなくなる代わりに問題を解決できるのなら、それでも構わないとすら思う。

 夢の中で聞いたはずの答えは、暗闇に解けて二度と聞こえてこない…記憶にある唇の動きも、何を言っているのか全くわからないままぼやけてゆく…。

(なんて言ったんだ…そんな方法、あるのか…?)

 夢の中の言葉にすら出口を求めた。次第に眠気がなくなり、レンはため息をついて起き上がった。

 カーテンの後ろ、外はまだまだ暗い。しばしぼーっと眺めたあと、レンは静かに身支度を整え始めた。

 父から貰ったレッドスピネルのブレスレットは、黒いアームカバーの下に。これは”魔力”を保存しておくことができる魔法具だ。この宝石で、問題を解決しなければならない”期限”を延ばすことができる。延ばす、だけ。解決にはならない。世界に数える程しかない物なのだ。当然、本来レン程度のレベルでは手の届かないもの。

 草色、うすい茶色の外套を身に付ける。

 エナが目を覚ます気配はない。不調に対応するあの魔法の後、特に宿に泊まると、エナにしては無防備すぎるほどよく眠る。

 荷物は置いたまま、机の上に置かれた部屋の鍵を取り、レンはそっと部屋を出た。

 宿のカウンターには誰もいない。外へ出ようと足をすすめると、不意に声がかかった。

『おや早起き坊主。健康的にお散歩かい?』

 見回すが、誰の姿も見当たらない。

『日が昇るまであと一時間を切ったところさ。深夜よりはマシだけんど、気をつけなよ、近頃はいやな影が彷徨いているよ』

 レンは姿の見えない相手に頷いた。

「ありがとうございます。あなたは、メリッサさんの使い魔?」

『メリッサ? あの人は魔法使えないさ。小銭稼ぎの小僧に付き合ってやってんのに、眠ってしまったから、おらが番をしてやってんのさ』

 あ、と、不意にレンは相手を見つけた。カウンターの前の床。金の瞳に、針が束ねられたような尖った長い耳の、…ネズミのような姿の使い魔がいたのだ。

 見つけられたらなぜだかほっとした。

「そうだったんだ。お疲れ様です。ちょっと行ってきます」

『はいよ』

 

 ひやりとした空気、心地よい程度に湿っている。とりあえず歩き出した。時の洞窟が頭に浮かんだが、あそこに行くまでに魔物が出るかも知れない。村をぐるっと回ろうと、なんとなく道筋を思い描く。

 人はほとんど見かけなかった。民家からは活動し始めた灯りや物音など気配があったが、出てくるのはもう少し後のようだ。

​ 朝の気配、衣擦れの音。無意識にそれらに包まれて、レンはひとり考える。

(この依頼が終わったら…)

 どう言い訳して離れようかと、レンはぼんやり考える。

 ――前組んでた人から協力してくれって言われて。

(いやいや、どうやってその話聞いたんだよ、って)

 ――友達がそろそろ誕生日で…。

(なんだそれ)

 ――良さそうな依頼見つけたからちょっと行ってくる!

(見つけなきゃだめじゃないか。それに、戻ってくるってことかよ)

 ――前々から、魔法屋でバイトしたいって思ってて。

(したことあるしなぁ。もう一回? 長期?)

 いい案は思い浮かばない。

 今すぐ、というわけではないから、大丈夫ではあるが、出来れば早くエナと離れておきたかった。ただでさえ大変なエナに、もっと厄介事を背負わせるのは嫌だ。それに、絶対に嫌われる。だから人と長期間一緒にいるのは嫌だった。

 いろんなことを話して、お互いいろんなことを知る。話すつもりのなかった重大なことは、後になるほど話しにくくなる。話すつもりはなかったとはいえ、後ろめたくなっていく。

 エナは話してくれたのに。

(なんで俺なんかに)

 村をぐるっと回るために適当な角を曲がった。

(ぐるっと、回れるのかな、この村)

 だめなら引き返して戻ろうと思いながら、民家の傍を通り、木々の間を抜けるような道へ入った。少し長く続く道のようだが、向こう側に抜けられそうだ。晴れたときにここを散歩すると気持ちよさそうだな、と思い、レンはのんびり歩く。

 道の先に人影が見えた。向こう側から歩いてきている。

 こんな時間にこんなところを歩くのか、あの人も朝の散歩をしているのだろうか――ぼーっと考えていたが、レンはなんとなく歩調を緩めた。

 そしてついに立ち止まった。

 まだ遠い。外套とフードで何者か分からない。だが…。

(あれはだめだ)

 直感し、血の気が引いた。

 なんだか分からないが、向かい側からくるその者に、向かって行ってはいけないと思った。たまに働くこういう勘がよく当たるのだ。自惚れではなくレンは自覚していた。

 何もなかったことにして、レンはくるりと向きを変え、少しずつ歩調を早める。宿を出る前の、使い魔ねずみの言葉が蘇る――気をつけなよ。

 木々の道を抜けて数歩、レンはさっと後ろを振り返ってみた。ぎょっとした。距離が縮まっている。

 明らかに魔法《早く》を用いて、気づかれない程度の早足で近づいてきている――振り返ればすぐ気が付ける程度だが。

 レンはすーっと前を向いて唱えた。

「――《早く》」

 そして逃げた。なんだか分からないが追ってきているなら逃げる。

(どこに!?)

 村人を巻き込むわけにはいかない。エナはまだ起きないし、宿に戻るのは良くない。山の方? 時の洞窟には、戦える見張りがいる。

 ――精霊のお願いもしちゃったし、もっと迷惑かけちゃうな。

 それでも、村の中を逃げるよりは、マシ、だろうか――。

 次第に冷静になると、逃げる以外の選択が思い浮かび始めた。

(いや、そもそも、なんかどうにか足止めできないかな。《縛り》が通用する相手だろうか?)

 《早く》で駆けながら振り返ると、やはり追ってきていた。

(いやいやだって、『旋風』が呼ばれるくらいの相手がいて、もしそれがこいつだったら絶対無理!)

 もうすぐ村の外。

(…絶対無理…。…いや…)

 ――『旋風』が呼ばれるくらいの相手なら、力加減が下手くそでも死なないでくれるんじゃないか?

 レンは時の洞窟に続く道へ入った。

 覚悟を決めて振り返ったその時、風の刃がレンの腕を掠めた。

 正直、大した威力じゃない。わざと外したのでなければ、操作もあんまり上手くない。

 ――加減しないとやばい? いや、契約者なら、大丈夫じゃないか? 魔法耐性が高いなら…。

 考えるそばから、相手は追撃を準備し始めた。今度は容赦がないと、マナの動きからして分かる――不意打ちの攻撃は、加減していたのだ。

(じゃあいいや)

 レンもマナをかき集めた。できるだけ広く集中し呼びかける。相手の集めたマナを横取りせんばかりに。

 相手が風の魔法を放つ。レンは集めたマナの一部でそれを相殺した。そして、魔法と呼ぶにはあまりにも大雑把な一撃を放つ。それはただの、力の塊だ。風でも、炎でもない。具体的なイメージはなく放たれるその力に、コントロールもなにもない。ただ、その時のレンの集中力や、倒すという意思次第で威力が変化する。

 ごうっ、と力は空気を巻き込んで風を起こす。ざあっと周囲の木々が鳴った。

 あ、とレンは焦る。放って、自分の操作可能な時を過ぎてしまってから、やはり力を入れすぎたと気がついたのだ。

 相手は、ちゃんと防御もしたようだったが、それでも吹き飛ばされた。十数メートル飛び、転がって、動かなくなる。

(や、やっちゃった…!?)

 もし相手が契約者でも人は人だ。レンは恐ろしくて、しばらく相手が立ち上がることを信じて待っていた。動いたら、とっとと逃げる。

 しかし動かない。

 レンは恐る恐る近づいた。どうせ村のほうに戻るなら、横を通り過ぎないといけない。なんにしても今のうちだ。

 近くに来て、さっと横を通り過ぎても動かない。

「おい」

「ハイッ!?」

 レンは飛び上がった。あまりに唐突すぎる、素っ気ない呼びかけ。今倒れている相手ではない。

 さっきまでレンがいたほうから、フードの男が近づいてきていた。

「な、な、この人の仲間ですかっ?」

 男は呆れ気味にため息をついた。フードの下で金髪が揺れる。向かって左の髪が一筋長く、木のビーズのようなものを連ねるようにして留めてあった。

「この者は気絶しているだけだ。お前は逃げているんじゃなかったのか? 目が覚めたらまたお前の力を狙って襲って来るぞ」

「え」

 表情が固まるのが、レン自身にも分かった――お前の力を狙って、と言った。

「止めを刺す気がないのならとっとと行け。それから」

 彼はフードの下から青紫の鋭い目でレンを睨んだ。

「もっとうまく隠せ、下手くそ。それでは全ての契約者に狙われても文句は言えんぞ」

 ――バレてる。初めて会ったのに、この人は、エナにも言っていないこの力のことを感じ取っている。

「どうやればいいですか!? 俺ももっとうまくやりたい」

 思わずレンは尋ねていた。父親からもらったレッドスピネルに魔力を込めて、それでも自分で抑えなければならない魔力はまだまだ有り余っている。コントロールがうまくない自覚はある。一朝一夕にはどうにもならない。でも何か、コツや方法があるのならば、なんでもいい、手に余る力をどうにかする方法が知りたかった。早く逃げないとまずそうだが、この人は間違いなく熟練の魔法使いだ。力のことを感じ取って知っているようだし、そんな風格がある。それに、なんだかんだ、言っていることは助言のようだ。

 彼はさらに呆れた。

「会ってすぐの俺に尋ねるか。俺も契約者だと言ったらどうする?」

「えっ。でも助けてくれてます。どうすればいいですか。魔力保存の宝石はこの前一杯になってしまって、あとは自分で抑えるしかないんです」

 彼はしばし考えた。そして外套の下から何かを取り出し、レンに放り投げる。ちらりと光ったそれをなんとか受け取り、見ると、黄色い宝石だった。アクセサリーのようだが、どこにつけるものだろう。

「シトリン。予備だから貸してやる。とりあえずそれに《雷嵐》1回分くらい詰めておけ」

 レンは困って彼を見た。これは恐らく、レッドスピネルと同じく、魔力保存のための道具だ。

「い…こんな、貴重なもの、俺なんかに…?」

「それが手っ取り早い。早く行け」

「あ、あの、《雷嵐》一回分ってどれくらいですか」

 《雷嵐》なんて使ったこともない。

 彼は面倒くさそうに言った。

「《聖なる光》を全力でやるよりもっと力を込めろ!」

「は、はい! あと、これって」

 もうひとつ尋ねようとしたとき、突如マナが動いた。倒れていた相手がばっと半身を起こしレンに敵意を向ける。

「 《 風の槍 》!」

 詠唱破棄、対応は間に合わない…。

 レンは動けもしなかった。

 誰も動かなかった。…何も起こらなかった。

 あれ? とレンも相手も困惑する。ひとり、フードの男だけが状況を理解している様子で相手を見下した。

「貴様、この状況で自分がマナを支配できるとでも思っていたのか?」

 そしてレンに目を向ける。

「早く行け愚か者」

 有無を言わさない。先ほどまでよりも冷たい口調だった。レンは駆け出し、村の出入り口を通り抜け、宿が見えるまで走り続けた。

 ――『大いなる琥珀』を狙う影が彷徨いている。

 ――近頃はいやな影が彷徨いているよ。

(ヤバイときに依頼受けちゃったんじゃないか…?)

 レンは息を整えて、とぼとぼと宿に戻っていった。

「は? 追われた?」

 卵と野菜のホットサンド。塩味と野菜の旨みの根菜スープ。最後の一口を手に持ったまま、エナは問い返した。

「うん」

 頷くレン。とりあえずエナはホットサンドの欠片を口に放り込んだ。エナは食事中、すぐ話さなければならないことでなければ、戦いの話はしない。レンは最近そうと気が付いて、それに合わせている――レンもそのほうがいい。

 なんとなく言いやすかった今、食事終わりに切り出しておく。んー、とエナは眉をひそめた。

「部屋戻って話すか」

 エルマのところに行くには、まだ朝早い。メリッサが言うにはあと一時間ほと待った方がいい。

 ごちそうさまでした、と従業員に声をかけて、ふたりは部屋へ戻る。部屋唯一の小さな椅子、エナは背もたれに顎を乗せて座った。

 レンはベッドに腰掛けて、エナが起きる前の出来事を話した。

「また契約者か。小人族の女じゃなかったのか?」

 エナの最初の質問はそれだった。馬車を襲撃してきた契約者ではないのかと。

「違う。身長が絶対違った」

 レンは記憶を辿る。あんまり特徴的なことは覚えていないが…。

「体格とかはローブでわかんなかったな…」

「なんでお前を追ったんだ?」

 不意の、だが当然の質問に、レンは一瞬言葉に詰まった。シトリンをくれた男の言葉が脳裏を過ぎる――全ての契約者に狙われても文句は言えんぞ。

「さ、さあ、一応、依頼受けてきてる冒険者だから? 小人族のやつの仲間だったのかなあ」

 うーん、とエナは真剣な表情で考え込む。エナは悪魔討伐数4の、経験豊富な冒険者だ…レンはふとしたときにそれを思い出す。

「あんまり群れるとは思えねえんだけどな…あの小人族だとしたら余計…」

 あ、じゃあ、とレンは半分冗談で思いつきを口にした。

「小人族のやつとは全然別で、『旋風』が受けた依頼の相手だったりしてな。俺、『旋風』みたいな脅威になるって思われたのかな~?」

 どうだろうな~、とエナは受け流し、ふたつか、と呟いた。二人、でも、二体、でもない。エナは悪魔をふたつ、と言う。

「馬車狙いと、レンを追った奴。ふたつか、…片方が召喚物ってこともありうるか。『旋風』にも情報提供しに行こう」

「あ、そうだな」

 なんで追われたかまた聞かれそうだな、とレンは気が進まないまま頷いた。

 で、とエナ。

「謎のフード男は、なんなんだ? 『旋風』じゃないだろ?」

「全然知らない人だった。声も…知らない声だった。だけど、あの人がいないと逃げ切れなかったと思う。すっごい魔法使いだ…簡単に魔法封じするんだ。それも普通のじゃなくて、マナを相手より早く、強力に、完全に支配下におくことで」

 レンの声が熱を帯びた。ふうん、とエナは頷き、警戒はしておこうと心に留める。気をつけたところで、どうやら手に負える相手ではなさそうだが。

「フード男は、そいつを討伐しなかったんだな」

「…そうだな、多分」

 レンはふと心が静まった。フードの男は、俺”も”契約者だと言ったらどうする、と言った。レンを追った者が契約者であると気づいたか、知っていたのだ――レンはフード男の言葉で、契約者に追われたのだと確信した。やっぱり召喚物じゃなくて、両方契約者だよ、と口を開きかけて、レンは言うのをやめた。言ったほうがいい気はしていたが、またこの話題を蒸し返すのがなんとなく嫌だったのだ。

 契約者だとすぐに分かるなんて、もしかしたら本当に、フードの男も契約者なのだろうか。

(だけどあの人は、俺に宝石をくれて助けてくれた…)

 そう考えてレンは思い出した。考え込んでいたエナに声をかける。

「あ、あとこれ、どうやって着ければいいか知ってる?」

 レンはフード男から借りたシトリンのアクセサリーを掌に乗せた。フード男からもらったことは、エナには言っていない。だが、すぐにでも装備したい。そして魔力を込めておきたい。

 エナはそれを覗き込むように少し乗り出した。

「カフスだな。耳につけるんだよ。引っかけてさ」

「へえー! ここを、ひっかける?」

「ああ。そんないい装備持ってた?」

 えっ、とレン。

「エナ、これがどんなのか知ってる?」

「いや? でも宝石って大抵魔法具だろ。イエローってことは…えーっと地属性の何か?」

「イエローに多いのは地属性のものか、防御を除く補助魔法関連だけど、色は術者や製作者のイメージで左右されるから目安にしかならないよ! この、カフスは分類するなら雷属性かな」

 ふーん、とエナはほどほどに聞き流した。魔法関連の知識なら、レンからいくらでも出てくる。

「あ、できた、こうか」

 レンがカフスを装備できたようだ。

「髪で見えねえ」

「ほら」

「おー、そうそう多分」

 レンはほっとして、そして次の瞬間思いだした。

「あっ!」

「ん?」

「…いや、なんでもない」

 レンは笑ってごまかす。なんだそれ、とエナも笑って、それ以上は聞かないでくれた。

 内心、しまったー、とレンは叫ぶ。

(お礼言ってない! あのフードの人、また会った時に言わないと!)

 ――そう、あの人とは、また会う。きっと。

 根拠はないが、なぜか確信があった。これも、きっと当たる勘だ。

 

 

 朝食を終え、掃除を終え、改めて容姿を整えて鏡の前に座る。まとめ上げた柔らかな茶髪、質素ながら清潔感のある服装、整った顔立ち。ふ、と笑った彼女はまるで若い娘のようだった。鏡の中から見つめ返してくる彼女自身の、目尻や、額や、肌全体が、彼女の思い描いた通りとなっていた。ヒューマン族のエルマは今年50歳を迎えた。

 エルフ族のイルシェ。

 エルマの幼馴染だ。

 何年も前にイルシェから貰った琥珀のペンダントは、毎日肌身離さず付けている。これがエルマの若さの秘訣だった――美と引き換えるための力のひとつ、なのだから。

「私たちはいつまでも綺麗なままよ」

 鏡の中の娘がそう語りかけてくるようだ。鏡に映った自分を見つめていると、家のドアをノックする音が聞こえた。目が覚めたようにエルマはふっと振り返る。自室の開け放たれたままのドアから、声が小さく聞こえた。

「こんにちは。シルヴェス殿の依頼を受けて参りました、『旋風』同盟の者です」

 ――『旋風』? なぜここに。

 心の中でそんな声を聞いた。エルマは落ち着いたまま呟く。

「琥珀を狙う影について、依頼を出したと言っていたわね。…動揺した?」

 鏡の中のエルマが笑った――まさか。

エルマ自身も同じように笑った。

 余裕たっぷりに立ち上がり、自室を出た。ぱたん、と微かな音を立てて扉が閉まる。部屋の外で、玄関扉が開く音がした。

「時の洞窟行って『旋風』に情報提供して、それからエルマさんとこ行ったら時間丁度いいな」

 時の洞窟と宿とは徒歩で往復一時間程だ。そうだな! とレンはうきうきするのを隠しもせずに答える。『旋風』サブロードである大地の拳士ケインにまた会えるのが楽しみなのか、あのエルフ族のアースに会うのが楽しみなのか。

 澄んでひんやりとした朝の空気の中でレンが思い切り体を伸ばした。襲撃されたことなど嘘のようだ。

 畑に出ている村人を何人も見かけ、道行く村人と何度か挨拶を交わし、やがて村を出て『時の洞窟』へ向かう。森の道は小鳥たちの声があちらこちらから聞こえて、昨日の夕よりも賑やかだ。

「猿、いなかったな」

 もう洞窟が見え始める頃、レンが少し残念そうに呟いた。契約者がいつ来るかと警戒していたエナは思わずふっと笑った。

「そうだな」

 『時の洞窟』の入口を守る木の3対のポール。その間に文様の描かれた青い布が、侵入者を拒むように垂れ下がっていた。昨日の夕には上げられていた布だ。

「やっぱり」

 レンが息を呑んだ。何が、とエナは問う前にこう続けた。

「すっげえ防御の魔法だなあ…!」

 レンは目を輝かせ、エナは流石に脱力した。

「ほら行くぞ。レン、見ろ」

「え?」

 エナに示されてようやく、レンは気が付く。エルフの見張りと、そこから少し距離を置いた壁際に、アースと、サブロード・ケインがいた。ケインが何か話し、アースはそれを熱心に聞いているようだ。アースは昨日と服装が違う。昨日は恐らく守護団の制服である青の衣服だったが、今日は空色の服だった。私服なのだろうが、こんな時だからだろう、折りたたみの弓を腰に帯びている。とはいえ、どことなく厳粛な空気の中、ケインとアースが和やかに話しているのは少し浮いていた。見張りのひとりが非難しないまでも、二人に物言いたげな視線を送っている。

 レンが今度はケインとアースを見て目を輝かせる。ケインのほうもレンたちに気が付いて目を向けた。振り返ったアースがぱっと笑う。

 見張りが微かに警戒する素振りを見せるのに構わず、ケインはレンたちに歩み寄った。アースもついてくる。

「やあ、こんにちは。昨日は名乗りもせずに失礼しました。『旋風』同盟所属、ケインです」

 失礼なんかじゃないと言わんばかりにレンがふるふると首を振る。その横でエナは、いえ、こちらこそ、と挨拶を返した。

「十分な時間がありませんでしたから。俺はエナです。で…」

「『空の鈴』同盟所属、レンです」

 緊張気味のレンが、ケインに習って自己紹介をする。ああ、とケインが興味深そうにした。

「『空の鈴』ですか。ロード・アイカの」

「あ、はい!」

 レンは少し驚いた。『空の鈴』は、初心者~中級者向けの、いわば学校のような同盟だ。『旋風』のような超上級者同盟と接点があるのだろうか。

「間接的にですが、とてもお世話になっています。元『空の鈴』所属の方々とは、何度か共闘させてもらいました。基礎知識がしっかりしているので安心して頼らせてもらっています」

「へええ! そうだったんですね! 知りませんでした」

「レンさんにもいつかお世話になるかもしれませんね」

 頑張ります、とレンは嬉しさを抑えきれずに顔をほころばせた。

 話の区切れと見て、エナが本題を切り出す。

「ケインさん。お耳に入れておきたいことがあります。

 俺たちは馬車の護衛の依頼を受けて来ました。道中、小人族の女の契約者から襲撃を受けました。

 そして今日、早朝に、レンが村の中で別の何者かから追われました。そいつは小人族の体格ではなかったそうです。少なくとも、相手取るやつは1人ではないようです」

 なるほど、とケインは頷いた。

「こちらからもひとつ。今朝担当の村魔法使いから、村に何かが侵入したとの情報を得ています」

 レンとエナは驚きながらも、やはり、と思う。『時の洞窟』の入口を閉ざしているのは、そのためだろう。

 

 ケインはしばし考えて、穏やかに提案した。

「よろしければ、村に留まる間、協力して頂けませんか?」

 レンはあからさまにびっくりしてしまってから、エナが落ち着いているのが不思議でならず見やる。エナはあっさり頷いた。

「こちらこそよろしくお願いします。…いいよな、レン? 馬車の脅威も取り除いたほうがいいし。仕掛けるか、仕掛けられるかの違いだけだろ」

 たしかに言われてみればその通りだし、むしろ『旋風』と協力できるなら心強い。

「俺たちに出来ることがあるなら」

 レンは頷きながらそう言ってケインを見た。『旋風』と協力して何かをするのは光栄ではあるが、力不足すぎるのではないだろうか。ケインのレベルがいくつかは知らないが――冒険者証にはレベルが記してあるが、ケインはレベルの表記がある面を裏にしていた――、100を超えていてもおかしくないはずだ。たしか『旋風』のロード・アルルもLv100を超えているという噂を聞いたことがある。かたやレンは、Lv45。エナはLv51になったばかりだ。ケインはふたりの冒険者証を見てわかった上で、協力しようと言っているはずだ。

 自信のないレンに答えたのはエナだった。

「俺たちにだって囮くらい務まるだろ」

「え、お、囮!?」

「おう。なんだよ、まともに戦えると思ってたのか?」

「いや、囮って、だって…」

「あ、例えだよ。相手の狙いが何なのかも分かんねえのに、囮になりようもねえし。例えば囮、だよ」

 その”例えば”を、とケインが言った。

「もしも可能ならお願いしたいのですが。仕掛けておくだけ仕掛けておいて、かかるかも分からない罠ではありますが、相手の狙いが分からない以上、やれることをやっておきたいんです。と言っても、特別何かして頂くわけではありませんが…」

「…っていうと?」

「レンさんが追われたということでしたので、少なくとも相手の一人の狙いは冒険者か、レンさんの所持する何かである可能性もあります。どちらであっても、一番狙われやすいのは、村に居る冒険者のうち一番レベルが低いレンさんでしょう」

「あ、そうですか…そうですね」

 レンは情けない顔で納得した。協力しようがしまいが、どうやら自分は危ないようだ。

「冒険者狙いか…」

 エナは納得しきれていないのか、呟いた。だが熟練の魔法使いの意見に反対もしない。ふと思いついてレンを見た。

「宝石狙い、って線もあるんじゃね?」

 あ、とレンはシトリンのカフスを思い出した。あれは襲撃後、フード男からもらったものだが、エナはそのことを知らない。レンが持っていたものだと思っている。

「あ、これのせい、ですか?」

 髪を避けてカフスを見せる。

「魔法具、ですか? それにしては…」

 ケインの言葉を引き継ぐように、アースが不意に首をかしげて言った。

「空っぽな宝石だね」

 レンはどきりとして髪を下ろした。まだ魔力を込めていない魔力保存の宝石だが、まさか見ただけで、“空っぽ”などと、ヒントになることを言われるとは。

「空っぽ? なのかな? ここの琥珀がすごすぎるだけなんじゃないか? でも、こんな宝石より、やっぱり、琥珀を狙うんじゃないかなあ」

「そうですね…一応、宝石狙いである可能性も考えておきましょう。依頼主は琥珀が狙われていると考えています。宝石が狙われるというのは大いにありえます」

 ケインはレンに微笑んだ。

「念のため、ひとつ、身を守る魔法をお教えします。洞窟の入口でマナを使ってはいざというとき迷惑なので、レンさん、少しこちらへ。エナさん、アースさん、俺の代わりに見張っていて頂けますか?」

 アースは頷いた。エナはややあって、分かりました、と頷く。ケインとレンは洞窟を出て、少し坂道を下っていった。

「エナ、見張っていないと」

 アースが声をかける。エナは洞窟に入口から、覗くように二人の様子を見ていた。

「ああ、見張ってないとな。俺はこっちのほう見張るから、中、頼むわ」

 うん、と言ったアースの声が笑っていて、エナは振り返った。

「なんか、仲良くなったね」

 アースはそう言って、エナから離れて洞窟の中で見張りを続けた。

 エナはケインとレンに注意を戻した。

 悪魔がいるというのに、パーティを分断させるような行為は、警戒せざるを得ない。『旋風』のケインならば、それくらいわかっているはずだ。もちろん何かわけがあるのだろうが、警戒してしすぎることはない。

 

 

「初めてお会いしたときは、精霊か、悪魔かがついているのかと思いましたが、そうではないのかもしれませんね?」

 坂道を下って、洞窟のほうには声が届かないところまで来ると、ケインはそう切り出した。

 あ、力のことバレたかも――レンは覚悟する。だが、こちらから全てばらすこともない。

 何も言わずにいると、ケインは続けた。

「なんにしても、その状態でいるのは危険だと思います。何かをおびき寄せたいのでなければ、その力は隠しておいたほうがいい。…そう出来ない事情が、おありですか?」

穏やかな口調だった。レンを見据える目はなにかを見極めようとしているかのようだ。正解不正解がある問題に答えるように、レンは言葉を選んで迷う。

「これは…俺には、コントロールしきれなくて…。魔力が、増えていってしまう病気なんです」

 ケインが驚きの表情を見せた。驚きと――微かに心配のようなものが。レンはほっと胸をなでおろした。このことを話した人は多くないが、魔力が増える・多いというのは妬まれることがある。

(きっとケインさんは本当に強いから、妬むことないんだろうなぁ)

 レンは安心して続けた。

「シトリンのカフスは、人から頂いた、魔力を移しておける魔法道具なんです。でも、ちょっと移す時間がなくて、出来ていませんでした。今朝の襲撃も…エナには言ってないんですけど、…多分、…この力を狙ってきたのかな、って…」

 ケインは真剣な表情で頷いた。

「そうかもしれませんね。…しかし、人の魔力を人や悪魔が奪う方法は、少なくとも俺は聞いたことがありません――ええ、力になれず申し訳ない」

 思わず落胆してしまったレンに、ケインが謝った。誰かに魔力を移す方法があるのなら、魔力が増える病なんてなんの問題にもならない。レンはその方法を含めて、魔力をどうにかする方法を探している。

シトリンのカフスのような魔力保存の道具は、世界に数える程しかないと言われている。いつまでも魔力保存の宝石で誤魔化すことはできないのだ。

「しかし、魔力を宝石に移して、その宝石を奪われることはありえます。人がそれをしても結局扱える魔力を超えてしまい危ないだけですが、悪魔と人が力を合わせれば、扱えてしまうでしょう」

 頷いて聞いていたレンは、ん? と考えた。

「奪われないようにするために、宝石に魔力を移すのを待ったほうがいいということですか?」

 いやいや、とケイン。

「移したほうがいい。新たに何か呼んでしまわないようにね。相手はもうレンさんのことを知っているのだから、狙ってはくるでしょう。宝石に気が付くかどうかは分かりませんが、奪われないように気をつけて下さいね。今回だけに限らず、常に」

 念を押されて、レンは頷いた。シトリンのカフスも、流れだったとはいえ安易に見せるべきではなかった。エナには、貴重なものだからあまり言わないで欲しいということだけ、伝えておこう――。

 

 シトリンのカフスに魔力を込めた。レンは思い出して尋ねる。

「あっ、あの、身を守る魔法は…?」

 知らない魔法を習得できるのだろうかと期待していたが、ケインはあっさり謝った。

「あれは口実です。レンさんは、エナさんにその力のことを聞かれたくないかもしれないと思ったので」

「あ、口実…いえ、ありがとうございます」

「身を守る魔法は、多分もうご存知の魔法くらいしかないと思います。あとはいかに使うかだけです」

 レンの素直な落胆に、ケインは少し申し訳なさそうにした。

 二人は坂を登り、戻り始める。

「魔力保存の宝石があると、やっぱり全然違いますね。これなら、何かおびきよせることもないでしょう」

 歩きながらケインは感心した。レンがそうですね、と笑って返すと、ケインは彼の穏やかな声でさらにこう言った。

「何か情報があれば、レンさんにお伝えします。ロード・アイカとならコンタクトが取れますから、情報が有り次第連絡しますね」

 嬉しくなって、レンは頷いた。

「…ありがとうございます」

 そう言ってくれることへの嬉しさの裏に、乾いて悲しいものがあった。

 ――本当はこの世界に、魔力をどうにか減らしたり消したり、移したりする方法なんて、存在しないんじゃないのか。”無い”と証明できないから、探し続けているだけなんじゃないのか。

 ――父さんや、探してくれたみんなに見つけられなかったことを、俺が見つけることが出来るんだろうか…。

 ――なくても探し続けるしかない。だって俺は死にたくないし、一緒にいる誰かを傷つけたくない。探していなければ、ならない…。

(どこかにあるさ! なかったものでも、編み出されたかもしれない! ケインさんの協力が得られるなんて、心強いなあ)

 そうして、レンは笑った。

 

R・E・AsteriskⅠ( 1 / 2 / 3 ) 

 

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