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R・E・Asterisk -Ⅰ.時の洞窟

 

 

REAsteriskⅠ( 1 / 2 / 3 / Epi ) Ⅱ.探求の都市 へ

 

 

「あっ!!! そうだった」

 レンは不意に思い出した。声が微かに反響する。道の断裂のことだ。大地の拳士ケインに力を貸してもらえないかとあんなにわくわくしていたのに、すっかり忘れていた。

 レンとエナ、ケイン、ついでにアースは、時の洞窟の入口で待っていた。エルマは今日、ここへ来るのだそうだ。

 ケインと同じく『旋風』の回復術士スーラが、村魔法使いでエルフ族とつながりの深いエルマを迎えに行っている。時の洞窟に繋がりうる人を、この状況で一人にしたくないのだそうだ。

 

 レンは改めて、往路で小人族の契約者に襲撃されたことを話し、そのときに足止めとして使った魔法が道を塞いでしまっていることを告白した。

 ケインは責めるどころか、面白そうに笑った。

「多分直せますよ。よくあることです」

「よく、あるんですか?」

 励ますために言っているのではないかと、思わず聞き返す。ケインはしみじみと頷いた。

「これまでも色々と…戦闘より後処理が大変なことも多いですからね」

 へええ、とレンとエナは言いながらも、納得した。大地の拳士と呼ばれるこの人は、レンのクラックスタラックとは比較にならないほどの魔法も使うに違いない。

「今まで使った一番の大魔法はなんですか?」

 レンが身を乗り出してたずねる。ケインはうーんと考えた。

「あまり大きな魔法は使いませんが…定形魔法の中では、ウォール《壁》くらいですね」

「スペルストラップなしで、ウォール《壁》ですか?」

「そうです」

「タイミングすごく難しくないですか? 詠唱破棄でウォール《壁》するってことですか?」

「たまにそうせざるをえないですが、意外と、詠唱時間はありますよ。ウォール《壁》するほどとなると、向こうも広範囲の攻撃で、時間がかかることが多い。予測して先に途中まで詠唱しておくんです」

「予測しておけるんですね…!」

「テレポート《空間転移》より簡単だと思います。あれはまた、防御とは違う感覚も必要でしょう?」

「テレポート《空間転移》ですか…。あれ、リスクが怖くて、ほとんど使ったことないですけど、なんていうか、繋ぐっていうか、その感覚が他の魔法にはないですよね」

「そうそう。それに、範囲をしっかり決めて意識しないといけないでしょう? ウォール《壁》は、繋ぐ感覚はいらず、範囲のほうの感覚だけでいいんですよ。予測するのも、広範囲のマナの動きを感じるようにしておいて…――」

 白熱し始めた二人の魔法使いの横で、エナはたまに相槌を打った。

「わからない言葉がある」

 アースが言いながらエナを見た。

「俺も」

 エナは正直に答えた。するとアースは、ふうん、と少し意外そうにする。

「エナはなんでも知ってるかと思った」

 は? とエナは言ってしまってから、いや、と付け加えた。アースから一切の悪気を感じられず、むしろ、親や師匠も人なのだなと、ただ気がついた時のような様子だったのだ。

「全然だって。魔法のことは特に。魔法は魔法使いに聞くのが一番いいと思うぜ」

 そうか、とアースは素直に頷いた。

 しかし当の魔法使いたちは、変わらず止めどない魔法トークの最中…というより、レンの質問が止まらない。しばらく機会を伺っていたアースは再びエナを見て言った。

「分からない言葉ばっかりで何から聞けばいいか分からなくなった」

「ああ…」

 口を挟む機会がないということ以前の問題だったようだ。

「ん」

 ふとケインが洞窟の外に目をやった。何気なくその動作を目で追ったレンだが、すぐに気がついて同じように洞窟の外を見た。

「なん、の…魔法でしょうか?」

 不安を滲ませたレンに、マナがすごく動いたね、とアース。マナがすごく動いた、ということは、それなりに大きな魔法が使われたということだ。

「様子見てきます」

 立ち上がったエナに、ケインが呼びかける。

「入口までにして下さい。俺の視界から外れない範囲で行動して欲しいです」

「了解」

 さっと返事をしてエナは洞窟の外へ向かった。

「あ、お、気を付けろよ…」

 俺も行く、と言えずに、レンはエナに注意を促した。エナは、おう、と受け取る。

「待ちましょう。大丈夫」

 ケインは特別構えることもない。レンは少し心が軽くなった。同時に、何を以て、大丈夫と言ったのかと不思議だった。

 

 ケインさん、とエナの声が洞窟の外から飛んできた。

 ようやくケインは立ち上がる。時の洞窟の入口を守るエルフ族を振り返った。

「厳重に警戒して下さい」

 エルフ族の門番の了解を受け取って、ケインは、行きましょう、とレンとアースに声をかけた。3人でエナのほうへ早足で合流する。

「誰か来ます。逃げてきてるのか、応援要請か分かりませんけど」

 エナの言葉の通り、誰かが坂を走って登って来ていた。女性が二人。

「イルシェさんとエルマさんだ」

 アースが目を丸くした。

 ケインが坂を駆け下り始めた。レンたちも続く。

「契約者です」

 声が届くところに来るなり、息が上がったままイルシェがケインに告げた。エルマはイルシェの後ろで胸を押さえて肩で息をしている。まとめ上げたやわらかな茶髪が少し乱れていた。

「スーラさんが戦っています。ケインさん、応援をお願いします」

「分かりました。まず相手の情報を下さい」

 イルシェは頷きつつ唾を飲み、すぐに喋り始めた。

「小人族の女性、魔法使いのようです。狙いは、ひとまず冒険者であるあなた方を倒すことのようです。本来の目的は不明ですが、琥珀を狙った悪魔である可能性もあるかと」

 小人族。馬車を襲ってきたやつだ――レンとエナは視線を交わす。

 分かりました、とケイン。

「イルシェさん、エルマさんとここに残ってください。アースさんも。厳重に警戒してください、いいですね?」

 アースは口をつぐんだまま頷く。やけに念を押されたイルシェは神妙な面持ちで頷いた。

「…はい」

「レンさん、エナさんは俺と来てください」

「分かりました」

 即答したエナに続いて、目を丸くしたレンが頷いた。

「はいっ」

 3人の冒険者は洞窟を離れて坂道を下っていった。

 少し不安そうなアースと、厳しい表情のイルシェと、息を整えて落ち着いたエルマが、それを見送った。

 

 時の洞窟はもう見えない。5分ほど下ったところでケインは立ち止まり、二人を振り返った。

「念には念を入れて、二手に別れます」

 急なことに、レンは戸惑う。大体、二手とは、どことどこへ?

 エナは真剣な表情で頷いた。

「イルシェさんと一緒にいた、エルマって人。やっぱなんかありますよね」

 えっ、とレン。ケインも一時考えたようだ。

「俺は、どんな人でも契約者たりえると考えて動いています。エナさんとレンさんはもう疑っていませんので、こうして話していますが。

 エルマさんになにか感じましたか?」

 え、あの、と今度はエナが戸惑う。

「なんか思いませんでした? 俺の気のせいかもしれませんけど…悪魔っぽい気配というか…あの独特な感じです。見た感じ魔法使ってないのに、ヤバイ魔法がそこにあるっていうか…」

 魔法使いであるケインもレンも不思議そうにしているので、エナは困った。レンも困惑しながら、魔法使いの常識を言葉にする。

「エナ、普通、魔法自体は分かんないんだよ。同じように、悪魔も、精霊も。もちろん魔法の効果に影響されることで気が付くってことはあるし、エルフ族は精霊分かるっていうけど…。魔法使いはマナの動きとか分布で、間接的に魔法の存在を知ったり、魔法が使われた痕跡から魔法を察することはできるけど、魔法自体を察知するのは…多分、固有精霊の力があったり、特定の魔法で探さないと無理だよ。…もしかして、エナこそ精霊がついてるんじゃない?」

「はあ? ねーだろ…多分…」

 ふむ、とケイン。

「それについては、今考えても答えが出なさそうです。ともかく、エルマさん側と、小人族側で分かれるつもりでいました。

 小人族のほうは、あまり賢くないか、もしかしたら、琥珀を狙う悪魔に利用されて、囮にされているのかもしれません。少なくとも相手はふたついるのですからね」

 ふたつ、とレンは思う。エナが悪魔を「ふたつ」と言うのと同じだ。

「狙いが時の洞窟の琥珀ならば、離れたところでスーラと戦う意味は、囮くらいしかない。

 とはいえその囮も契約者ですから、油断は出来ませんし、スーラか俺が行かなければ悪魔に止めをさせない。俺たち『旋風』は3人で来ましたが、1人は剣士ですので。それにもし狙いが冒険者を始末することなら、何かしら策があるのかもしれない。

 念のためお聞きしますが、レンさんは悪魔に止めをさせますか?」

 どきりとしてレンは答える。

「インシニエイトファイア《送る炎》、ホーリーライト《聖なる光》の詠唱もやり方も分かっています。でも、あまり、経験がないです…」

「おまえ、出来るよ」

 自信なさそうなレンに、エナが言った。

「魔法上手いし、やり方分かってんなら出来るよ。いざとなったら俺が《送る炎》のスペルストラップ持ってるんで、それでいけます」

 レンは、言い返さなかった。頷きもしなかったが、エナと同じように、ケインを真っ直ぐ見た。出来るなんて思っていないが、出来ると信じてくれている言葉を否定したくなかったから、やってみようと。怖いけれど、エナのフォローもあるという安心感もあった。

「では――…」

 ケインの指示を聞き、受け取るべき物を受け取り、レンとエナは、来た道を戻り始めた。時の洞窟へ。

​*

 

 洞窟の外を、アースはずっと見ていた。

 冒険者のあの3人は、今、戦っているのだろうか。

「アース、もう少し内側にいなさい」

 イルシェの声に振り返った。

「そのほうが安全だから」

 はい、とアースは頷いて、もう一度外を見てから、洞窟内に戻った。

 大いなる琥珀へ通ずる入口は相変わらず防御魔法が施された布で守られ、さらに門番が二人その両側に立っている。アースとはあまり関わりのない大人二人だが、たしか結構強い人たちだったはずだ。

「彼ら、大丈夫かしら」

 エルマが呟いた。彼ら…アースは、レンとエナを思い浮かべる。ケインはともかく、レンとエナのことはちょっと心配だった。どう見ても、特にレンは自信がなさそうだった。同い年だし、と思うとますます心配になった。

 大丈夫よ、とイルシェ。

「『旋風』だもの」

 そっちは心配してない、とアースは少し思った。

「エルフたちから応援は?」

 エルマの問いかけに、イルシェは首を横に振る。エルマはそれでも心配そうだ。

「今からでも、何人か出したほうがいいんじゃないかしら?」

 イルシェはやはり首を振る。

「必要ないそうよ。なによりも、この入口を絶対に開けないようにと言われているから、それを絶対に守ることが一番」

「…そう」

 アースはその声の響きの変化を敏感に感じ取った。暗く静かだ。そういう嫌な変化に、良くも悪くも、アースは敏感だった。そして、どうして、とすぐに考える。どうしてそういう言い方をするんだろう、なってしまったんだろう、と。

 エルマさんは今何を思ったんだろう、と、この時も考えた。

 その考える間に、エルマがイルシェに近づいた。仲の良い二人だから、妙な行動とはいえアースはただ見ていた。

「イルシェ」

 エルマが呼ぶ。

 アースはぞわりとして動けなくなった。イルシェの喉元に、エルマが短剣を突きつけている。

 

「私は中に入りたい。入口を開けてくれる?」

 混乱しながらアースは、腰に帯びていた組み立て式のショートボウを展開する。門番二人も一歩前へ、入口を閉ざすように立ちはだかっていた。

「エルマ」

 イルシェは、怖がっても、怒ってもいなかった。アースはその声で少し冷静さを取り戻す。

「…あなただったの…どうして、エルマなの…」

「私じゃいけない? 私が力を得ては、いけない? なんでももっているあなたにとって、私はいつまでも、何もかも失っていくヒューマン族の哀れな女じゃないといけない?」

 アースは呆然とした。

 気持ちが悪くなった。恐らく、この理不尽さに。

 エルマは、つまり、イルシェがエルフ族だから、友達のはずのイルシェに、今、短剣を突きつけているということなのだろうか? そんな理不尽なことがあるのか? ――エルフ族の少女は困惑する。

「エルマ。私たちが大いなる琥珀をいかにして守っているか、あなたなら多少なりとも知っているはず。剣を下ろして。まだ間に合う」

「私1人で、エルフたちを相手にするのは無謀だと言うのね。イルシェ、あの冒険者たちに勘付かれるのはもう少し先にしたいからまだ見せられないけれど、私は1人ではないの」

 そうじゃない、とイルシェの声が掠れた。

「…エルマと戦うのは嫌だ」

 続く沈黙が痛々しかった。

「話そう、エルマ。お願いだから」

「私は…」

 微かに刃が下がった。

「イルシェと一緒に、死にたい」

 すっ、と、持ち上がった刃がイルシェの首に一筋傷をつける。

 突如洞窟内に広がった異様な冷たい気配に、アースは後ずさった。

 魔法、だろうか。アースには分からなかった。気を抜けばアースの気持ちまで悲しみや憎しみに染められてしまいそうだ。

「私は老いる。イルシェを置いて、死ぬ。私にとっては10年20年という時間でも、イルシェにとっては一瞬のこと。いつか私は…イルシェの中からも死んでいく」

 静かな声で語ったかと思うと、エルマは声を震わせた。

「…嫌だ」

 イルシェ、と泣きそうな声が続く。

「一緒にいこう。でもその前に、私、”彼女”に捧げ物をしないと。約束したから。だから力を頂戴。琥珀を」

 イルシェは言葉を探すように視線を揺らし、口を小さく開いた。やっと絞り出したのは、大いなる琥珀を守るエルフ族としての言葉だった。

「私を殺しても…どのエルフ族を殺しても、大いなる琥珀は手に入らない」

「手に入れる」

「大いなる琥珀は、本来、私たちの守護すら必要としない」

 エルマは微かに怪訝そうな表情をした。

 アースにはイルシェの言った意味が分かる。大いなる琥珀は、大きすぎて持っていけない。この単純な物理的理由と、もうひとつ。大いなる琥珀は確かに、マナをその内に宿している。それは、人がもつ魔力と酷似している――同じなのかもしれない。本人にしか本人の魔力を扱えないように、大いなる琥珀の魔力を誰も扱うことができないのだ。少なくとも、これまでの歴史の中ではそうだった。

 時の洞窟のエルフ族や、琥珀の山のドワーフ族がここを守る理由は、ただ”未来において大いなる琥珀の魔力を扱える術が見つかる可能性は否定できない”という理由。そしてなにより、大いなる琥珀に対して抱く畏怖・畏敬の念ゆえだった。守っているというより、集っているのだ。

「なんと言おうと、私は琥珀を手に入れる」

 エルマはイルシェに刃をあてがったまま、エルフ族の門番二人に命じた。

「入口を開いて。私を通して」

 大人たちはどうするのだろう――アースは、恐ろしい予感しかしなかった。

(イルシェさんは、多分、死ぬほうを選ぶ…大人たちもきっと…)

 しかしながら握った弓も、矢筒に伸びかけてためらう指も、声を紡ぐ喉も、すくんだ足も、アースの漠然と思いつく手段は何一つとして事態を変えられない。

 

 その時、恐ろしい予感の世界を塗り替えて、たっ、と軽く早い足音がした。

 門番がエルマの背後の人影に気がつき、エルマが察した時には、足音の主は――エナは、握っていた小刀を振るうところだった。

 *

 風を裂く音。エルマは反射的に短剣で防ごうとする。

 注意が逸れた瞬間、イルシェがするりとエルマの腕から逃れた。すぐに失敗に気がついたエルマの視線がイルシェを追う。

 エナはその機を逃さず、再度小刀で切りつける。鋭い金属音と共にエルマの手から短剣が飛んだ。

 契約者だからといって急に強くなるわけではない。エルマは村魔法使いであって、戦闘慣れした剣士ではない。

 ようやく気持ちを立て直したのか、エルマの目がエナを捉え、軽く手を引いて、口を開いた――村魔法使い。魔法を使うつもりだ。すぐに察したエナは今度は足払いを仕掛ける。小さく声を上げてエルマがよろけた。

 エナは微かに顔をしかめる――エルマの契約相手である悪魔が出てこない程度の、加減が、難しい。いや、もう手遅れかも知れない。

 経験上、それに「まだバレたくない」というエルマの言葉からも、切羽詰らない限りこれ以上悪魔は力を振るわないはずだ。しかし…短剣は、持たせておくべきだった。優秀な魔法使いの多いこのメア国の村魔法使いとはいえ、エルマはヒューマン族だ。どちらかといえば魔法は不得手な種族。エルマの”武器”があまりにも少ない…。

「おい」

 これ以上追い込まず、かつエルマに魔法を使わせないには――エナは小刀を握ったまま、構えを解いて呼びかけた。時間を、稼ぐには。

「琥珀は手に入れれないって言われてんじゃないっすか。諦めて別のもん考えたらどうなんすか」

 エルマは、はたとエナを見た。何か思うことがあったなら時間が稼げる、次の言葉を、早く――エナが考える一時の間にエルマは口の端で笑った。

「そうね。…そうだった」

 冷たい嫌な気配が強くなった。

 あ、やべ――エナは直感する。エルマは何かを狙って動く ――”一緒に死にたい”イルシェか、”一番レベルの低く何者かに襲撃された冒険者”レンだ。イルシェはエナの数歩横で構えている。洞窟の入口、エナの後ろにはレンがいる。エルマに近づく際、エナに気配を薄くする魔法をかけたのはレンだ。

 エルマと重なる悪魔の気配。それが急激に膨れ、間もなく吹き荒れる予感がした。エナは咄嗟に、スペルストラップに込めてあった魔法を使う。

「 シュッツェ《守護》! 」

 嵐の前の静けさに、エナの声が聞こえたか聞こえないか。悪魔が力を振るう。闇の風は恐怖や焦燥、混乱をもたらす。

 エナの経験上、これはそう長くないし、何度も使えるものでもない。だからこそ《守護》で防御していなければ、少なくとも発動時は動けなくなる。

 エルマが動いた。厄介なことに手始めに《早く》を唱えて。もう悪魔の力を振るってしまったから、何も隠すことはない。両手の中指を食い破るように、歪で鋭い刃が現れる。

「イルシェ」

 愛おしさすら感じる声。動けないでいるイルシェに、風が流れるように、異様な身軽さで迫った。後方に構えた両手が、刃が、明確な殺意を孕む。

 刃が振るわれる、先手を打って、エナは自分の剣を割り込ませた。

 苛立たしげにエルマはエナを睨めつける。

 《守護》の継続時間はせいぜい3秒。あとは自身がどれだけ耐えるか。正直、エナは《守護》がなければ、耐えられると言い切れない――ここは虚勢を張るしかない。

(おら、逃げないと『旋風』が来るぞ。俺を相手にしてる暇はないだろうが? それとも――相手してくれるってのか?)

 エナが交戦の意思を示し反撃しようとすると、やはり、エルマは退いた。

 イルシェに一瞥をくれ、洞窟の外へ向かって駆ける――まっすぐにレンのほうへ。

 エナはそれを追うが、追いつけるはずもない。エルマは《早く》を使っているし悪魔の力がある。エナの《守護》は間も無く切れる。

 エルマの背中は離れていく。レンは一歩も動かない。

 エルマのことなど見ていない。

 目の前に水晶玉のようなものを浮かせ、そこに魔法で光を宿らせる。その途端、球体の内側に描かれた模様が影として地面に現れた――魔法陣だ。

 数歩のうちに、それがなんの魔法陣なのか、村魔法使いのエルマは気がついたのだろう。一瞬躊躇した。だがそのまま駆ける――レンを阻害してしまえば関係ない。

(間に合え――…)

 エナは苦し紛れに背中に怒鳴る。

「おいっ!」

 エルマは振り返らない。だがエナの声と同時に、矢が飛び、進路を遮るようにエルマの体を掠めていった。反射的にエルマは一度踏みとどまる。

 アースが、かすかに震えながら、次の矢に手を伸ばしていた。

 脅威にならない、エルマはそう判断したのだろう、すぐにアースから視線を外した。

 魔法陣上に人が現れたのは、その時だった。

 

 風景が――空間が歪みねじれ、弾ける。

砂色の外套がはためいた。『旋風』のケインは現れるなり、その緑の瞳でエルマを捉えた。

 空間転移の魔法だ。レンが展開した影の魔法陣が、空間転移の到着先となる《転移先》魔法陣だったのだ。

 エルマが一瞬怯んだ。

 異形となったエルマの手を見、ケインは、ふっ、と短い息と共に拳を引いて踏み込む。

 次の瞬間、エルマは腹に拳を受けて飛び、地面を転がった。

「エルマッ!」

 イルシェが思わず駆け寄ろうとする。激しく咳き込むエルマはしかし、不安定な声のまま怒鳴った。

「っ、来ないでイルシェ」

 エルマが立て直す前に、ケインは一瞬で距離を詰め、恐らく誰も状況を把握しないうちに、エルマを地面に押し付けその首に岩の刃の鋒を突きつけていた。右手の甲に装着したようなそれは、『大地の拳士』と呼ばれる所以、地属性の召喚魔法によるものだ。

「琥珀が狙いですか?」

 この状況にしては穏やかなケインの声が問う。

「…琥珀じゃなくてもいい」

「力が、狙いですか? 魔力が」

 エルマはややあって答えた。

「…それは私の狙いじゃない」

 契約相手の狙いか、と、問答を聴きながらエナは思う。またいつ誰を狙うかとひやひやしながら、イルシェとレンに主に注意を払っていた。レンはまだ魔法陣を保つのに集中している。イルシェは、口を一文字に結んでエルマとケインを見守っている。

「契約破棄を望む気持ちはありませんか、エルマさん」

 はっとイルシェが息を飲んだ。そんなことが可能なのか、と思ったに違いない。

 エナも話だけはきいたことがある。悪魔にトドメを刺す魔法《送る炎》は、契約破棄を心から望んだ契約者を、焼かないことがあるのだ、と…。

 ケインがその可能性に賭けているのか、どういう意図なのかは分からない。だがケインは相手を倒す時を延ばしてでも、この問答をしている。

 イルシェが固く閉ざしていた口を薄く開いた。

 だがエルマが先に言い放つ。

「どうして? ”彼女”は私に望むものをくれるのに」

「あなたは何を得ましたか?」

 問い詰めるふうではない。ケインは真っ直ぐにエルマを見たまま続ける。

「全てを捨ててでも、叶えたかったことですか? あなたが契約した”理由”をも傷つけ、失うことになりはしませんか?」

 エルマはおかしそうに笑った。嘲笑に似ていた。

「あなたに何がわかる? ディル族」

 ぐっ、とエルマが突然身を起こした。岩の刃が彼女の喉を貫く前に、ケインはその手を引く。

 ふ、とエルマが笑った。

「大地の拳士。厄介な状況を投げてくれるね、エルマ」

 エルマの声だが、口調がこれまでの彼女とは違う。岩の刃が当たって滲んだ首元の血に触れて、ケインをじろりと見た。

 ケインは、エルマに、呼びかける。

「エルマさん、意思を手放さないで。自分を失っては、望みを叶える意味もなくなる」

「大丈夫。エルマは自分の意思で、この状況をどうにかしてくれと、私に一任した」

 喋っているのは、エルマの契約相手である悪魔に違いなかった。

 ふ、とケインが短く息をつく。砂色の外套をさっと外して脇に捨て置いた。ぴったりした服の上に、袖もボタンもない変わった――胴着のような――服。黒い布の帯で締めている。どう見ても前衛の出で立ち。魔法使いの面影はない。

「倒される前に、早く、戻ってきてください」

 低くくっきりした声も、戦士の真っ直ぐな視線も、岩の刃などよりよほど鋭利だった。

「最後はあなたにしか、変えられない」

 ケインの言葉に、ふふっ、とエルマの顔で悪魔が笑った。魔法使いであれば、この一時の間に、エルマもケインも自らに補助魔法を使用していたことがマナの動きで分かっただろう。

 エルマは不自然なほど軽い動きでケインに向かっていき――ケインの視界を遮るようにしながら、背後にいるイルシェとエナに攻撃魔法を放っていた。

 《盾》を使う時間はおろか、エナがイルシェを振り返る時間もない。魔法耐性のある小手で咄嗟に自分をかばって、飛んでくる数発の魔法を腕越しに見た。自分の身は守れても、イルシェのことまで守れない――…。本来のイルシェならもしかしたら、《盾》を使うことくらいできたかもしれないが、この状況では分からない。動揺は魔法の不発・失敗を招く。

 どうする、どうしようもない、どうする――。

 すぐそこに迫った魔法を映すエナの瞳。

 唐突にその視界は遮られた。

 重く激しい音と共に、目の前に、壁が、現れた。

「…は…?」

 それは地面から、生えてきたようだ――壁を見てそう思いながらも、自分の見たことが理解できない。

 振り返ると、イルシェの前にも同様に壁があった。

 攻撃魔法は、それで全て防がれたようだ。

「まさか…」

 …――大地の拳士。

 

 

 ”二人目”の空間転移が終わるまで、レンは魔法陣を保ち続けた。

「ありがと、あとは任せて」

 ”二人目”はにこっと笑むなり、魔法を構えた。

 声をかけられてレンは、球魔法陣を両手でぎゅうっと握り、目を輝かせた。

 

 大地の拳士ケインが、エルマのフェイントを見事に潰した。

 立ち向かうと見せかけて背後に攻撃を仕掛けたが、ケインの魔法――大地の壁のような魔法で防がれた。そしてケインを追い越して逃げようと試みたのだろうが…。

「何のために《転移先》保ってもらったと思ってるの」

 ケインの仲間、『旋風』のスーラ。そのきりっとした青い瞳と、エルマの驚き見開いた目が合う。

 スーラを抜かなければ、逃げられない。洞窟の出口は広いが、魔法使いの守備範囲も広い。

 エルマはすぐに腹を括ったようだ。

 指だけでなく腕全体を異形に変化させ、鋭い目でスーラを睨む。

 振りかざされた刃に、スーラは携えた剣も抜かずに一言なにか呟いて、さっと腕を振るった。透明な刃が、ちらりと光を反射して走る。異形の腕は弾かれ、エルマは少し距離を取り崩れた体勢をすぐに整えた。

「硬い…」

 スーラが呟く。追い打ちをかける必要もなく、追いついたケインがエルマに攻撃をしかける。

 スーラは何もしない…マナも集めていない。

 まさかケインに全て任せるのだろうか? レンは不思議に思ってこっそり彼女の様子をみる。

 スーラは前方で繰り広げられる戦いを目に映しながらも、意識は別のところにある様子で、ぶつぶつと早口になにかを唱えていた。

「――…ーマ フォ ジェラ、…ート … セラ、メ…リ…――」

 詠唱を所々聞き取ったレンは、はっとした。

(…! 《送る炎》か《聖なる光》の完全詠唱…!)

 悪魔を倒すための魔法の、詠唱。もう詠唱が終わる。

 ようやくマナが動いた。というより、突然増えたように感じられた。

 見ればいつの間にかスーラはマナの石を手にしている。細長い水晶のようなそれは、周囲のマナが足りないとき補助として使うマナの結晶だ。それが光り、さっと解けて消え、そしてマナとなったのだ。

(魔法を悟られないために、マナの石を使ったのか…! すっげー! 贅沢!)

 レンは思わず球魔法陣を抱きしめていた。

「 ――ホーリーライト《聖なる光》 」

 発動してしまえば、この魔法から逃れることはほぼ不可能だ。

 輝きが、エルマを中心に一瞬にして出現し、増え、取り囲み、収束する。数秒のうちに魔法は終了する。

 

 輝きが弾けるように散り、消えたあとには、契約者が倒れていた。

 戦いは突然に幕引きを迎える。

 いつの間にか大地の壁の後ろから出てきていたイルシェが、異形のままのエルマにそっと近づいた。

 

 《聖なる光》は、外傷を与えない。分類すれば攻撃魔法だが、その性質は、呪・解呪魔法と似ているという。悪魔及び、悪魔と結びついた者の命を、宿る魔法ごと、生命維持に必要な魔力ごと、滅してしまうのだ。

 なぜか《聖なる光》の性質を詳細に思い出し、頭の中で早口に垂れ流しながら、レンはエルマから目が離せずにいた。さっきまでの興奮は嘘のように静まっている。

 イルシェはエルマの傍らに膝をついた。不自然なほどの無表情。やがて何も言わずにエルマの乱れた髪を整えた。

 小さく嗚咽が聞こえたと思ったら、アースが静かに泣いていた。

 イルシェはアースを見て、微かに、どうにか笑む。再び視線を落とした、伏せた瞼から雫が落ちた。

更新分

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