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ユンの予感

 

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「どうして分かったの?」

 少女はエルミオに問いかけた。

 翌日になって一人だけでやってきたエルミオは、子どもたちの中で年長の、13歳ほどの女の子を二階に連れていった。

 少女は男の部屋の跡をみて、あーあ、燃えちゃった、と言った後、エルミオを振り返って問うたのだった。

 エルミオが何も言わないので、少女は話す。素っ気なく、他人事のように。

「悪魔は悪魔ってひとくくりにされているけど、そのなかでも、こういうのは、病魔って呼ばれるの。知ってた?」

「聞いたことはあるよ。ただの病と区別がつきにくいから、本当に病魔だと分かったのは、君が初めてだ」

「一番弱い悪魔。私の中で生まれて、私と一緒に死ぬの。

 千年生きたエルフが、病魔で死んだってきいたよ。きっと、いろんな感情を向けられて、それが積もって、病魔が生まれちゃったんだろうなあ」

「よく知っているんだね。調べたのかい?」

「んー…。多分、なんかで聞いた。

 でも、私の病魔は、多分私が生みだしたんだよ」

 少女は微笑んでそう話した。

「君が生みだしたの?」

「だって、私はエルフみたいに長く生きてないから、他の人からのやつで生まれるほど、いろいろやってないから。

 私が望んでいたの。

 早く死んでしまえばいいのに。

 私が…早く、私自身が、自分を殺す前に、だれか、なにかが、私を殺してくれればいいのに」

 エルミオは何も言わなかった。うつろな目で淡々とそう言った少女の前にひざをついて、エルミオは話した。

「死にたいほどつらいということ?」

 少女はずっと黙っていた。

 エルミオも何も言わなかった。

「…もういいんだ…もう死ぬから」

「…死ぬの?」

「うん」

 エルミオはしばらく何か考えた後、少女に言った。

「君が、死ぬまでにしたいことが特にないなら、俺と話してくれるかい?」

「…なんで?」

「知りたい?」

 少女は少し不機嫌になる。

「どうでもいい」

「ごめん。俺は、知りたいんだ。俺のために、話してくれないだろうか」

 少女はまたしばらく黙っていた。

「…私が死んでから、あの子たち、連れてってあげて」

「うん」

「そこで」

「うん」

 エルミオと少女は、燃えた部屋の隅に座った。

 死にたがりの少女は、エルミオに語る。

 

「エルミオは私を見張りにきたんでしょ?」

「どうしてそう思うの?」

「ぱぱたちが死んだあと、すぐくればよかったじゃない。でも、ユンもセルヴァもルキアも、私たちみたいなの、殺せないでしょ。エルミオが、一人で来たのは、だからでしょ? 私が病魔と一緒にちゃんと死ぬように見に来たんでしょ?」

「半分くらい合ってるよ。悪魔はまだ居ると思ったけど、君を見張りにきたわけじゃないよ」

「うそだ」

「うそだと思うの?」

「だって、そうじゃなかったらなんで一人で今来たの」

「あの時すぐ来なかったのは、あんまり凶悪な悪魔だと思わなかったから。それに、君が言うとおり、ユンたちもいたしね。今日一人できたのは、皆を連れてくる必要がなかったし、フィオはまだ全快していないから。そして、悪魔がいるならば、やっぱり倒さなきゃいけないかもしれない。それがもし子どもたちの中の一人だったら…皆、嫌だろうと思ってね。俺一人で倒す方が、楽だと思ったから」

「…ふうん」

「来てみたら君だった。そして病魔だった。

 倒す必要はなかった。

 君の話が聞きたくなった。

 だから今、こうしているよ」

「ふうん」

 

「エルミオは、私のために人殺しになってくれる?」

「君を殺せということ?」

「うん、そのほうが痛くなさそう。病魔より」

「俺のことを、そんなに信じてくれてありがとう」

「そういうんじゃないけど。痛くできないでしょ、エルミオ」

「できるよ、必要なら、どうとでも」

「…そう」

「君があんまり苦しそうだったら、そうしてあげる。痛くないように。だけど今はまだ、話を聞きたいな」

「…うん」

 少女は語る。

 語る。語る。バラバラに蘇る記憶を。

 

 エルミオの中でつながってゆく。

 語られる。記憶する。記憶する。つながってゆく。

 その中に、少女自身を見つける。

 つないだとしてもその手はやがて、病魔に奪われる。

 

「エルミオは、人の気持ちが分かるのか分からないのか、よくわかんない人だね」

「俺は、人の気持ちがわからないよ」

 少女は、ふうん、と言って、言葉を探した。なぜだろう。いろんなことに興味がない少女は、なにかを、言ってあげたいと思ったのだった。

「…でも…話すのが…エルミオなら、話していいなって思えたよ」

「そうなの?」

「うん」

「…俺は、人の気持ちがわからない。だけど、これまで出会った人達がどう話してどういう表情をしていたのかは知っているし、その時、あの人たちはどんな気持ちだったんだろうって、よく考えるよ。わからないからね」

 少女は、哀れみか、慈しみか、悲しみか、わからないが、どこかすっきりと、だが切なさをにじませた表情で言った。

「もう少し早く出会えていたら良かったね」

「んー、そうかもね」

 

 

 悪魔たちは今度こそいなくなり、エルミオは子どもたちと共に『仁』へ戻る。本当の孤児院で、子どもたちは暮らし始める。

 

 

 両親はもういなかった。

 仇はすでに討たれた。

 悲しいのか。悔しいのか。怒っているのか。憎んでいるのか。分からなかった。ぐちゃぐちゃだ。

 両親はエルフだった。母も父も美しかった。母は魔法使いで、父は弓使いだった。父は僕と似ていた。

 5歳までの記憶で、そうやって客観的にみて言葉にしたことがなかった。両親がむしろ全ての基準なのだ。

 母は魔法使いだった『私たちより弱かった』。『この魔法道具は』僕の『父親に使ったんだ』。『目に焼きついただろうね。そして、こんな具合に…』

 息が…苦しい…。

 あの男に触れられた感触が、忘れたいのに、思い出されるたびに、叫んで、逃げ出したくなる。それなのに…。

(…こうやって殺されたんだ…)

 実際には、ただ、声を殺して泣くばかりだった。

 

 

「セルヴァ」

 ユンがある時、突然言った。

「やっぱりお前は、『仁』に入らないほうがいい」

「え?」

 突然のことでセルヴァはきょとんとした。

「お前には、キツイだろ」

 反論はできなかった。

 でも、ここにいる以外に、自分はどうすればいいのか、想像もつかなかった。

 そんなセルヴァを見透かしたように、ユンは言った。

「おまえ、どこにだっていけるよ」

「そんなの…!」

「ヒーラーだ、ひっぱりだこだよ。分かってるだろ?

 大体、『仁』はヒーラーよりアタッカー向きだ。殲滅ばっかりなんだから」

「でも…『仁』にもヒーラー必要だよ…」

 ユンは仕方ないなあ、というように息をついた。

「ヒーラーの技術、僕も身に着ける予定だし、他にもヒーラーいるじゃん」

 言われてセルヴァはしゅんとなった。でも、と呟くことしかできない。でも――じゃあどうすればいいの? これまで僕はヒーラーとしてここでやってきたよ? 前線じゃなくてもヒーラーは必要だよ?

「おまえ、『北』に行ったら?」

「『北』…? …なんで?」

「あっちのほうが、冒険者とか、色々環境整ってるっていうし、こんな、殺しの裏ボランティアみたいなところより、セルヴァには合ってると思うけど。冒険者。悪魔を倒すもの」

「冒険者…」

 考えていなかった…。

 これまで、両親を、故郷を見つけようとしていた。

 それももう果たされない。

 この数日は何も考えていなかった。

 そう、もう、ここにいる理由はなくなった。『仁』にも正式には所属していないのに置いてもらって、ヒーラー手伝いをさせてもらっていた。恩返しはしたい。でも自分のしたいことが恩返しになるのか分からない。どうするのがいいのだろう。

 少なくとも、『仁』にヒーラーは間に合っていて、セルヴァが冒険者に心を惹かれていることは事実だった。

「冒険者…」

「まあ、選択肢のひとつってことで、考えてみなよ」

 ユンはそう言って立ち去ろうとして、あ、と思い出す。

「エルミオさんたち、今度『北』行くんだってよ」

「え?」

「同盟創るんだって。冒険者になって、より悪魔に対抗していくために、なんか色々考えてるみたいだよ」

 悪魔に対抗する。

 悪魔。あの男のなれの果て。父さんの首を絞めたあの男の。

 冒険者。同盟。

「ユン!」

 ん? とユンは振り返る。

「エルミオさんたち、どこにいるか知らない?」

 

 

 エルミオとフィオリエは、『仁』のキャンプから少し離れた川辺にいた。

 何か二人で考えているようで、たまに何か言っては首をひねったりしている。

「赤…」

「フィオ、赤から離れてよ」

「うーん…」

「どうしたの、おいで」

 エルミオは突然そう言って振り返り、セルヴァを見つけた。

 後で出直そうかと思っていたセルヴァはびっくりしつつ、2人に近づいた。

「すみません、お話し中でしたよね…」

「いやいいよ、もうドツボはまってたから」

 フィオリエは木にもたれて座ったまま、ひらひらと手を振った。

「頭硬いなあ」

「エルミオも思いついてないだろ、人のこと言えねーって」

「あの…何か、考えてたんですか…?」

 セルヴァはたずねる。エルミオはにっこりした。

「うん、今度、『北』に行って冒険者になって、同盟を創ろうと思うんだけど、名前、どうしようかと思ってね」

「気が早いって言ってるんだけど…」

 ユンの言ってた通りだった。

 フィオリエの言葉に曖昧に笑って、セルヴァはたずねる。

「どうして同盟創ろうって思ったんですか?」

 エルミオはセルヴァを見据えた。やわらかい雰囲気を保ちながらも、真剣な表情が現われたのをセルヴァは感じ取る。

「仲間と一緒にいたいからだよ。仲間を無駄死にさせたくないから。俺が冒険者になって、冒険者たちが助け合えるグループを創って、強い悪魔に個人で立ち向かわないように…戦いで死ぬ人が減るように…俺がまとめる。皆の力を借りて、効率よく、できるだけ犠牲なしに、この世界ができるだけ安全になればいいと思ってる」

 戦う。皆で。この世界が、できるだけ犠牲なしに安全になればいいと思うから。

 ユン。ユンと一緒だ、きっと。ただ、ユンは『仁』だ。『西』の人攫いと戦うための集団だ。

「エルミオさんの同盟は、みんなで、協力して、悪魔と戦う同盟ってことですか?」

「それも。悪魔だけじゃなくて、色々協力したいと思ってるよ。だって、悪魔相手じゃなくても、日常の中で誰かが困っていたら助けるだろ? それを、同盟規模でやれば、もっと効果的だと思うんだよ」

 単純な理屈だった。

 実際にやるのは難しいのかもしれない。

 でも、エルミオはそれをやると言う。本気で言っている。皆で助け合うって。皆で一緒にいたいから、って。

「…『仁』は人攫いと戦うけど、人攫いはなくなってない。エルミオさんは、人攫いとか悪魔とか決めずに、全部助けるんですか?」

「全部、っていうのは、どういう意味かな…俺は俺の出来ることしかできないけど、だからこそ、同盟を創るんだよ。俺ができないことでも、仲間ならできるかもしれない。俺が気付かなかったことに、仲間なら気がつくかもしれない。全部は無理でも、できるだけ、俺と、仲間に、できることは、全力でやっていきたいと思うよ」

 反論はできない。

 心からの同意ができるほど、セルヴァは素直で明るくはない。

 ただ、エルミオが本気なのは、とてもよく分かった。

 そんなこと。できるわけない。ただの自己満足だ。そう言ってしまえばそれまでだけど。でも、それは、“人攫いを潰す”と言ったユンだって同じで。ユンがいないとセルヴァはここにいなかったわけで…確かに、他の誰かの何かを変えていけることだと身をもって知っていた。

 でも…。

 でも…そこに、いられたら…僕も、やれること、全力でやったら、何かが変わるかな…。

 もう探しものは見つからないけど。何も変わらないけれど。

 先のことは、変わるかな…。誰かの、何かは、変わるかもしれない…。

 僕を助けてくれた人たちのように。僕もそこへいけるだろうか。

「来る?」

 突然フィオリエがそう言って笑った。

「え」

「ヒーラーだろ? 俺たち、前衛だから、こないだみたいなことがあると、ヒーラーいてくれると有難いなあって思うんだよな」

 セルヴァは口ごもった。

 『北』へ行く?

 冒険者になる。この人たちのヒーラーになる。

 仲間が増えて、一緒に戦っていく。

 でも『仁』は? こんなにお世話になった。

 今の自分では何もできない…。『仁』のヒーラーは、間に合ってる…。

「ゆっくり考えたらいいよ。俺たちは、いつでもセルヴァを歓迎するってことだけ覚えていて」

 エルミオのことばに、セルヴァは頷く。

「あの…いつ、『北』に行くんですか?」

 エルミオとフィオリエは顔を見合わせる。

「本当は、もう行こうかと思ってたけど」

「おい! 違うだろ、竜使いんとこ挨拶いってからだ」

「ああ、そうか。ということだから、フィオの知り合いに挨拶してからだね」

「『仁』にはもう来ないんですか?」

「そうだね」

 セルヴァは戸惑う。エルミオは付け加えた。

「『仁』は移動するから、来れる保証がないんだ。俺たちはソーサーへ寄るよ。7日後くらいかな?」

 エルミオが見やると、フィオがああ、と頷く。

「もしよかったら、おいで」

「はい。ありがとうございます」

 心はきまっていた。ただ、今すぐ、となると、踏ん切りがつかなかっただけだ。『仁』で最後にやるべきことをやっていない。

 僕は行くだろう…心の奥で、セルヴァは感じた。

 

 

 ユンとルキアに話した。

 7日後にソーサーへ行って、エルミオとフィオリエについていく。『北』で冒険者になって、悪魔を倒したり、同盟の仲間と共にできるだけのことをして、世界が安全になるようにする。そのことに、ヒーラーとして、役立ちたいと思っている。

「僕が…役立つか分からないけど…。フィオリエさんたちは、ヒーラーがいたらいいなって言ってた。僕が、僕の力を役立たせることができるのは、『仁』じゃなくて、フィオリエさんたちのところだと思うんだ…」

 ドキドキしながらそう話した。二人のことを見ることができないまましゃべった。

 引き止められるかも。僕なんかじゃできないって言われるかも。信じられないとか、何言ってるのって見られてるかも。

 だけど、そう思ったんだ。

 もう何も見つからなくても、誰かの何かは変えられるかもしれないって。

「セル…」

 ユンが少し呆れ気味にいった。

「僕はそれでいいと思うけど。もっと堂々としなよ。そういうとこが、見てて気分悪い」

「ユン!」

 ルキアが怒る。

「なに? ルキア、このままでいいと思ってんの?」

 ユンがひやっとした言葉でぴしゃりと言うから、ルキアは黙ってしまう。

「セルヴァ、おまえ、強いんだから自信もちなよ。僕を見習えよ。おまえ、間違ったこと言ってないのに、まるで間違ってるみたいに言うんだもん」

 ユンは、なんだか、ユンをよく知っている二人からすれば怒っているみたいではなくって、セルヴァは思わずユンを見た。

 不機嫌そうなユン。よく、不機嫌になるのだ、ユンは。その不機嫌の中にもいろんな不機嫌があることを、セルヴァもルキアも知っていた。

 セルヴァは、泣きそうになるのをぐっとこらえた。ユンは、「見てて気分悪い」というのも本当だろうけど、直球で辛辣になってしまうユンなりに、応援してくれているのだった。

「うん…」

 セルヴァは大きくうなずく。

 ユンは不機嫌なまんま言った。

「僕は『仁』に残るから」

「うん」

「人攫いなんて、いなくならせてやるから」

 ユンは誓った。セルヴァも、思いのまま、言葉になったそのまま、ユンに誓う。

「うん。僕も…悪魔をいなくならせてやる。みんなが安全に暮らせるようにする」

「そ。…それでいいんだよセルヴァ。頑張れ」

 その言葉で、セルヴァはまるで、目の前がぱーっと晴れていくような感覚を覚えた。これでいいんだ。こうでよかったんだ。

「じゃあ僕やることあるから」

「ユン」

 去りかけたユンは振り返って、苦笑する。セルヴァがぼろぼろと泣いていたからだ。

「なんだよ、せっかくほめてやったのに」

「僕も、誰かを助けるから。何かを変えるから。ユンみたいに」

 セルヴァには、よく見えなかったけれど、ユンはちょっと戸惑ったようなそぶりをして、一言残して行ってしまった。

「頑張ってね」

 

 

 不思議な気分だった。

 セルヴァのほうがよっぽど優秀なのに、あいつはそれを分かってない。

 回復魔法は、魔法の中では難しい部類に入るのに、14歳のセルヴァはそれを専門にしている。あの性格だから他の魔法を使いにくいだけで、能力としては問題ないはずなのだ。

(でも、あいつにとっては僕が憧れだったみたいだ)

 ディル族とエルフ族のハーフである僕が、エルフ族のセルヴァに魔法で負けるなんてありえない、と思いたかった。知識や魔法の扱い方や、扱える魔法の種類は圧倒的に僕が上だった。たしかにセルヴァは、攻撃魔法は相手によっては発動させることが出来ないし、そもそも実戦経験が少ないから、覚えても集中が困難な戦闘中なんかは上手に使えていない。さらに、教えた魔法はほとんど使えるようになったものの、回復や補助の方面への応用はともかく、一番簡単なはずの攻撃魔法はイメージ出来ないのか、使いこなせていない。何度か簡単な実戦に参加したものの、結局前線に出ていなかったのはそういう理由もあった。

 でも、そんなのは経験でどうにだってなることだ。

 どうにでもなるんだよ、セルヴァ。

 だから僕だって、回復魔法も習得して使いこなしてやろうって、ずっと思って、おまえの魔法をいつもいつも観察してきたんだ。

 でも、うまくいかない。おまえみたいにできないから、僕は回復魔法使えないってふりをしてきたんだ。攻撃魔法が専門だって、嘘ついてきたんだ。本当は皆に見せた以上に、攻撃も、防御も、補助も、僕の精霊の属性である風属性を主力に、いろんなのが扱える。まだ短距離だけどテレポートだってできる。

 相性が悪いのか? 相性なんかで、魔法が使えないだなんて、そんなことは許さない。僕が破ってやる。ディル族なんだから。一般的な魔法くらい、全部使えて当然なんだから。

 負けないぞ。

 セルヴァ。僕はおまえに負けない。

 だからおまえ、頑張れ。

 

 

 セルヴァ、行っちゃうんだ…。

 「私も、考えようかな」とだけ言って、ルキアは『仁』のテントの間を歩いた。

(セルヴァは『北』に行っちゃうんだ…。)

 私が守ってあげなきゃいけなかったはずのセルヴァ。3つ年下の、まだ14歳のセルヴァ。

 まだ、私のそばにいると思っていたセルヴァ。

 信じられない。想像ができない…私の…おとうと、みたいだったのにな…違う。弟、なんだよ…セルヴァ。

 

 17年間、生まれてから今まで『仁』にいた。

 このまま、同じだと思ってた。

 人攫いと戦うんだと思ってきた。

 

 お母さんは、誰だか知らないけれど、私がラーク族だからきっとラーク族なんだろうと思う。お父さんもラーク族だったのだろうか。そうではないと思いたい。お父さんは、人攫いだったそうだ。『仁』が殺したそうだ。生まれたばっかりの私、お母さんが守ってくれていた私だけは、『仁』が助けてくれた。お母さんはだめだったそうだ。

 『仁』にきてからは、ミーナさんが私のお母さんだった。ミーナさんはミユ族で、音や楽器の扱い方もミーナさんから学んだ。

 ミーナさんが私にかまっていられたのは、前線で戦えるほど若くなかったからだ。

 

「お母さん…」

 ミーナさんは、破れた服を繕っていた。

 ミユ族は、エルフ族ほど変化しないわけではないけれど、ヒューマン族みたいに老婆の姿になったりしない。それでもミーナさんは、痩せて少し骨っぽくて、髪は色が薄くて、目尻や口の横や額にしわがある。

 ミーナさんは手を止めて、優しく微笑んだ。

 ルキアは近づいて、座って、うつむいた。

「どうしたの?」

 ルキアは、ふうっと息をついた。

「セルヴァ、行っちゃうんだって」

「行ってしまう?」

「うん…『北』に行って冒険者になるんだって。エルミオさんとフィオリエさんと一緒に」

 ミーナは、ゆったりと応える。

「そうなの…。寂しくなるわね」

 ルキアは頷いた。

 ふたりとも何も言わなかった。

 ルキアは、優しく問われている気がした。私はどうするのか。いつまでも待つから自分で答えを見つけて、と。

「…寂しい」

 ルキアは呟く。

「寂しいわね…」

 ミーナは少し待って、言葉にした。

「一緒に行きたい?」

(一緒に行きたい?)

 ルキアは心の中で繰り返す。そして、首を横に振る。心が苦しくなって、本当の言葉が、涙と一緒にこぼれた。

「一緒にいたい…。でも、セルヴァが…セルヴァは、ちゃんと決めたから…私は、止めないの…止めちゃだめな気がする…」

 セルヴァが決めたから。あのセルヴァが、自分でせっかく決めたんだから。

「私は応援してあげないといけないの」

 ユンだって応援してるんだもん。私が応援してあげないで、誰がセルヴァを応援してあげられるの?

「そう…。頑張って決めたのね」

 ルキアはミーナの言葉に頷いて、さらに浮かび上がる思いを言葉にした。

「…それに、『仁』や、ミーナさんが好き。セルヴァも大好きだけど…そういうことじゃなくて…」

 好きだから?ここが故郷だから? ミーナさんがいるから? 離れたくないから?

 言葉に出来ない…明確な理由なんてない。

 ただ、『北』に行くのは違う。そこに行く理由はない。

 私はここにいる。ここにいる理由がある。

 私の心がそう分かっている。

「私、ここにいる…私、ここにいて、私の力を役立てる…」

 セルヴァとは、お別れ。

 私は、『仁』で戦う。ここで誰か、何かを、変える。

 ミーナはルキアの手をとって、心からこう言った。

「ありがとう、ルキア」

 ルキアは泣きながらも、笑って、頷いた。

 荷物は少なかった。服と、保存食が少し。ユンからもらったマナの石がふたつ。ルキアからもらった新しい髪留めで、髪をひとつに結んだ。

 『仁』のウィザードにテレポートさせてもらって、セルヴァは一人でソーサーにいた。

 どきどきしながら町を歩いて、エルミオ達を探した。最悪、夜に宿へ行けば会えるだろう、と思った。ただ、二か所あるから…安い方へ行ってみよう、と決めて、気持ちを落ち着かせて歩いた。

 防具屋の入口に、赤毛と金髪の二人を見つけて、セルヴァはどきっとする。急いで駆け寄ると、やはり、エルミオとフィオリエだ!

 二人もセルヴァに気がついた。

「お! セルヴァ!」

「セルヴァ! 来てくれたんだ!」

 その反応に嬉しくなりながら、セルヴァは頷いた。

「エルミオさん、フィオリエさん。僕も、あの、一緒に行っていいですか? ヒーラーとして、頑張るので、一緒にいって、冒険者になって…一緒に頑張っていいですか?」

 フィオリエはにこーっと笑顔になって、セルヴァをくしゃくしゃと撫でた。

「当たり前だろー! これからよろしくな、セルヴァ! 俺たちのことは呼び捨てでいいぞ!」

「う、わ、は、はい!」

「よろしく! 俺のことも、エルミオって呼んでね」

 セルヴァはまた、はい! と言って、くしゃくしゃされた髪をぱぱっと直す。

「よろしくお願いします!」

 

 そうして、三人の永い時が重なり始めた。

 

 

 

 

「ユンの予感」fin.

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