ユンの予感
街外れの大きな家が、孤児院のようになっていた。
その、彼らの第二の家でお茶を出してくれたのは、セルヴァと同じくらいの女の子だった。少し緊張しているようだった。客人を見ながら微笑んで、別の部屋へ戻った。皆、客人があるときには、両親かと期待しながら別の部屋で待っているのだという。
「両親を探しながら、ということは…僕の両親がどこにいるかも…分からないってことですか?」
セルヴァは、両親が死んだとは、確信していなかった。
二人は残念そうに頷いた。
「申し訳ない…」
二人は戦う力もなく、生きていくために仕事として…初めは詳しい内容を聞かされずに入り込んでしまった。実際行うときになって知り、だがその時には既に抜けだせなかったという。二人で、子どもたちの力も借りて、去年ようやく抜け出したのだそうだ。
振り出しに戻った――。
落ち込むセルヴァに、ユンもルキアも掛ける言葉がない。
しかしセルヴァは、まだ聞きたいことがあった。今、この二人がどうしているのかある程度様子は見えたが、もっと、心の内や、これまでしてきたことへの思いや、子供たちをどう思っているのかとか、たくさん聞きたいことがあった。
セルヴァが気持ちを整理して言葉にする前に、無邪気な声が聞こえた。
「ままー、おなか…」
「お話し中だから待つのっ」
子どもの声に目をやると、扉をあける幼子を、8歳くらいだろうか、女の子が引きもどそうとしていた。
女は笑った。
「あら、そうね、ご飯にしましょう! みなさんもぜひ一緒に食べていってください」
「子どもたちと姉が一緒に作るんですよ。ぜひ」
二人に勧められる。
三人は顔を見合わせる。
(どうする?)
(僕は…この人たちと子どもたちをもっと見たい)
(…そうだな)
(この人たちなら、私も、いいと思う)
ユンはあまり乗り気ではないようだった。疑り深いユンはいつものことだ。それでも、セルヴァの気持ちを優先してくれたのだろう。
ルキアは女に、私にも手伝わせて下さい、と申し出た。
「ありがとう」
「じゃあ、男の子二人は、子どもたちと遊んでくれるかい?」
うっ、とユンは言葉を詰まらせる。そういうことは苦手なのだ。
「僕は見てるよ…」
「いやあ、一人では難しいぞー」
男は柔らかく笑った。
「私も子どもたち全員の相手はなかなか骨でね」
男は二人をつれて、子どもたちの待つ部屋へ入って行った。
ユンはマジかよ、と苦い顔をする。20人はいるだろう。どう見ても、ユンが一番年上だ。子どもたちは10代かそれ以下、7歳くらいが多い。
「みんな、遊んでくれるお客さんだぞー。ユンくんと、セルヴァくんだ」
子どもたちの大歓声に、ユンは半歩退き、セルヴァは呆然とした。そして二人は子どもたちにあっという間に囲まれ、自己紹介や、遊びアピールや、質問や、おんぶー! などのお願いに、もみくちゃにされた。
子供たちのこの元気に、セルヴァは少し驚きながらも、ほんのり気持ちが暖かくなるのだった。
しばらくして、男は思い出したようにセルヴァを呼んだ。
「君に見せたいものがあるんだ」
なんだろう、とセルヴァは子どもたちの輪をどうにか抜けて、遊ばれているユンに少し笑って、男に付いていった。
男は階段を上がる。
「私の部屋に、大切にしまっておいたんだ…君を見て思い出しそうで…さっき思い出したんだよ」
「え…それって…」
両親に関わる何かだろか。セルヴァは緊張する。
男に招かれて、セルヴァは部屋に入る。
小さな、雑多とした部屋。机とベッドがひとつずつ。窓がベッドの近くにあるが、カーテンが閉めてある。棚には布が掛けてあるが、ところどころ、中で本が積み重ねられているのが分かる。
「すまないね、ちょっと待ってくれ」
男は机に付属している小さな引き出しを開けて、何やら探し始める。
セルヴァは、あんまり覗き込むのも悪いだろう、と思い、遠くも近くもない場所で、なんとなく本棚を見つめたりしていた。
「あの…本、好きなんですね」
「ん? そうだね…。ここにあるのは私の本なんだ。下に置くと…ほら、なあ」
あの子どもたちの手の届くところに、大事なものは置けないだろう。セルヴァは納得した。
「そうですね…」
見てもいいですか、というのは、ちょっと踏み入り過ぎる気がして、セルヴァには言えなかった。
「読むか?」
「えっ」
セルヴァはびっくりする。
「君は…いや、少なくとも、あのユンくんはディル族の血を引いているようだったから…君と、ユンくんは、魔法使いだね?」
「はい、そうです…分かるんですか?」
男は後ろめたいような、微妙な笑顔になった。
「ああ、耳の形や、瞳の特徴で…いろんな種族を見たから…。私の本には、魔法の本もあってね」
男は一冊取り出して、セルヴァに手渡す。分厚い、大きな本だった。
「ちょっと難しいかもなぁ…」
「いえ、ありがとう…」
セルヴァは、座る場所がないので、ベッドに腰かける。その本は、目次を見たところ、大魔法や、ドラゴンについてのことが書かれているようだった。
この男のただの興味なのか、本業なのか…とにかく、セルヴァにとっては興味深い本だった。
「ああ、あった!」
数ページ呼んだところで、男の声にセルヴァは顔を上げた。
ぽん、と何かを投げ渡されて、セルヴァは受け取る。
「これは…?」
完全な球体の石。透明だが、手の中で向きを変えると中で何かがきらきらする。内側にひびが入っているのだろうか。
「それは、セルヴァくんの両親に関わりがあるものだ…見ていてごらん」
言われるまでもなく、セルヴァはその玉の内部を観察していた。何かが描いてあるようなのだ。なんだろう。
「なんだか分からないようだね」
セルヴァは少し悔しかったので、首をひねりはしたものの、球体の内部を解明しようと見つめた。そして、気がつき始める。やはりひびではない、これは、魔法陣…ということはこれは、マジックアイテム…?
「集中力があるね…もう十分だ…そろそろ目を離してごらん」
男の声を聞きながら、セルヴァは自分の恐ろしい推測に、ショックを受け、焦る。
気付いてしまった。
集中するあまり、魔法に気が付いていなかった、ということに今気がついた。
そろそろ目を離してごらん、と男に言われて、セルヴァは目を離せなくなった…これを寄こした男の言う通り、目を離したら、僕はどうなるんだ?
「どうしたんだい?」
男は余裕だ。そうだろう。セルヴァはもう、捕らわれてしまったも同然なのだ。
「これは…何ですか。目を離したら、どうなるんだ…」
「早く離した方がいいよ、セルヴァくん。長く見つめるほど、効果は強くなってしまうからね」
「どういう、ことですか…だって、あなたたちは…。嘘をついていたのか…」
「かつての人攫いとは決別したよ。何もウソは付いていない。子どもたちの親だって探しているよ。ただ、見つからないんだがね、永遠に」
男が一歩近づいた。
「来ないで…」
「それは私の魔法道具だ、そろそろ返してもらおう」
一瞬のうちに、男はセルヴァの手から球をもぎとる。視界からそれが消えた瞬間、セルヴァは崩れるように倒れた。
「ほら、だから言ったじゃないか」
男はセルヴァが床に倒れそうになるのを支え、ベッドのほうへ倒した。
セルヴァは混乱していた。意識ははっきりしている。聞こえるし、見える。だが体は全く動かず、声を出すことはおろか、目を動かすのがやっとだった。
(嘘だ…これは何の魔法だ!? なんで…どうすれば…ユン…! ルキア…!)
男は、恐らく、道具をしまうと、セルヴァの近くに腰かけた。
「セルヴァはエルフだね。どうだい、私たちと一緒に暮さないかい?」
(何言ってるんだ…)
「親代わりになる人も見つけられるし、それまでの間私たちが親になってやれる」
(何言ってるんだよ…)
男はセルヴァの目を覗きこんだ。
「おや…嫌か。まあ、すぐには分からないだろう…。
そう、さっき、あの魔法道具は、君の両親に関わりがある、と言っただろ? あれも、本当だよ」
男はセルヴァの目の前で、残忍な笑みを浮かべる。
「エルフは美しい。純血は特に…。世界が生まれて1300年だというのに、ハーフやクォーターは既に多い。知っていたかい? 『西』のエルフは排他的で、なかなか外に出てこない。それに、エルフは長命だから、子どもは多くないんだよ。セルヴァくん、君はとても貴重な子なんだ。
本当は、君の両親も捕えたかった…だが、計画はうまくいかなかった。ちゃんと、君を捕えてから、人質としてうまく利用するつもりだったのに、お母さんに見つかってしまったんだよ。
美しい人だった。残念ながら彼女は魔法使いだった。不幸中の幸い、私たちよりも弱かった。お父さんは弓使いだったよ。彼も美しかった。…セルヴァに似ていた」
男はセルヴァの前髪を掻き揚げるように一撫でする。
「さっきの魔法道具は、君のお父さんに使ったんだよ。彼は一瞬しか見なかったけど、当時は私の魔法もまとわせて投げつけたから、目に焼きついただろうね…。
そして、こんな具合に」
男はセルヴァの首に手をやり、力を込める。セルヴァの呼吸が苦しげに乱れた。
「殺してあげた。捕えてもよかったが…精霊魔法も上手なエルフでね、彼が動けなくても精霊が単独で攻撃してくるほどだった。たかが固有精霊単独では、私たちのいるこっち側に大した干渉はできないとはいえ、厄介であることに変わりはない。それに、セルヴァが手に入るだけでも十分だった」
男は手を緩めて、笑った。
「泣いているのか…やはりエルフは綺麗だ」
何もかも、訳がわからない。混乱していた。頭の中がぐちゃぐちゃだった。ただ、ただ、心が苦しくて涙が溢れた。
「大丈夫だ、セルヴァ、君は一人じゃない」
*
セルヴァがいないことに気がついた。その瞬間、嫌な予感がした。ディル族じゃなくたって、僕ならこの状況はヤバイと思う。
相変わらず子どもは絡んでくる。この子たちは魔法が掛けられてるわけじゃない、そんな気配はない。
セルヴァが戻ってこない。
あの男は? あの男もいない。
「あの男はどこいった?」
ユンが言うと、子どもたちはしらなーい、とか、なんとか、結局遊ぼう、というところへ戻ってくる。
「あの男はいつもどこにいるんだ?」
また色々言われたが、しつこく聞くと、自分の部屋にいるらしい、とどうにか分かった。
「それってどこだ?」
それも難儀しながら聞き出す。二階らしい。それだけ聞いて抜けだそうとすると、子どもたちはすごい勢いでユンを止める。
「行っちゃだめー」
「遊んで!」
ユンはいらいらし始める。
「遊んでる暇ないんだ! いいか、今、僕の大事な仲間が危ないんだ、放せっ」
ひるむ子どももいた。だが、大多数が、だめー、と言う。
「怒られちゃうよー」
「怒られちゃうよ」
「ユンなんて吹き飛ばされちゃうよ」
「まほうつかい怒ったら怖いんだよー」
なんなんだ。なんでこう邪魔をするんだ。あいつの手先? 命じられて? 洗脳とか? 暗示? なんでもいい!
「うるさいっ。僕も魔法使いだぞ。怒ったら怖いぞ、そんでもって僕はもう怒ってしまいそうだ!! 放せ!」
ざ、っと子どもたちが引いた。恐怖しているように見えた。だがユンはかまわず部屋を出て、階段を見つける。
「待って」
ユンは振り返る。女の子がユンにしがみついた。
「だめだよユン、殺されちゃうよ、強い魔法使いはこのおうちにいられないのよ」
ユンはその言葉に違和感を覚える。
「自分で言うのもなんだが、僕は言うほど強い部類じゃないぞ」
「ディル族はだめだよ。強くなれちゃうから。ユンはきっと殺されちゃうよ。ユンは強くなれちゃうし、助けようとしちゃうし、ぱぱやままのこと、好きになれないと思うから」
助けようとする? 聞き捨てならないセリフに、ユンは女の子引き剥がして肩を揺さぶった。
「やっぱりあいつら何かしてるんだな? 人攫いだな? 答えなくていい、あんたが殺されるだろ、答えたら」
口をつぐんだ少女に、ユンは口早に言った。
「今すぐあんたたちまでは助けられないが、必ず助けに来る。今はセルヴァを助けて戻る。あんたは部屋に戻って何もなかったことにしろ。行け」
少女は口を開きかけ、だがすぐにはっとして俯いた。
ユンはぱっと振り返る。
男が階段を降りてきた。
「おや、どうしたんだい、リカ、ユンくんも。ご飯はまだかな?」
白々しい、と思いながら、ユンはそれを押し隠す。せっかく降りて来てくれたのだから、男が上にいない間に上がって、セルヴァを連れて出ればいい。その前にルキアに接触していかなければならない…。
ユンは、すみません、と微笑む。
「広いなあって思って。探検してました…勝手にうろうろしてすみません」
男は微笑む。
「いや、かまわないよ。戻ろうか、そろそろご飯ができているだろう」
「そうですね」
(さあ、どうするのがいいか)
男について行きながら、ユンは考える。
(ルキアは台所か…)
行ってもその場では話せないかもしれない…いや、話せる。ルキアはラーク族の音使いだ、近づければ、話せる。
「あ、台所も見ていいですか?広いんだろうなあ」
男はにっこりする。
「大したところじゃないが、興味があるのなら、見ておいで」
「ありがとうございます。こっちですよね?」
ユンは笑顔で、軽い足取りで台所のほうへ向かう。
(なんだ? こんなもんか? やたらガードが緩いな。僕はそんなに演技上手だっただろうか? 22歳という年齢は、もう十分疑われると思うけど…なめられてるのか? はめられてるのか? それとも…女のほうも魔法使いか。きっとそうだろうな。だがルキアも魔法使いだぞ)
台所では、女と、15,6の女の子、そしてルキアが大人数分の調理をしていた。
「お、すごい量ですね。見ていいですか?」
ユンの声に女はちょっと驚いたが、すぐに微笑む。
「ユンくん。ええ、どうぞ」
ユンは大きな鍋や大量の食器を、目を丸くして見て、それからルキアに笑いながら声をかけた。
「ルキア、料理なんてできたっけ?」
「出来ます! もう…」
近づいて、ユンはルキアに音操作を指示しようとして…はっとした。
(出来ないの…)
ルキアが、悲しい目で、本当に小さく首を振った。
(なんでだよ?)
ユンは思ったが、出来ないものは仕方がない。
「今から、2階から逃げる」
「料理は得意なんだから」
ユンの小声にかぶせて、ルキアは言い、そしてうんうんと頷いた。
ユンはルキアを小突く。
「へー。意外。まあルキアだけが調理してるんじゃないし、食えるもん出てくるだろ」
「ユン!」
ルキアに怒られてユンは台所から撤退する。
「待ってるよ」
ユンが台所を出ると、広間で男が食事の準備をしていた。
ユンは苦笑しつつ、ルキアに怒られましたー、と言う。
(うーん、トイレ作戦は駄目だな、すぐそこにあって階段方面に行けない。疑われたら強行突破しかないか? やってみるしかない、タイミングは今だけだ)
「もうしばらくかかりそうなんで、もうちょっとうろうろしてもいいですか…?」
うずうずしつつ、駄目元でお願いしてる感を出しながら、ユンは男にたずねる。
男は微笑んだ。
「そんなにここが気に入ったかい?」
「はあ、まあ、そんな感じです。僕、新しいところってとことん見たいんですよね」
「なるほど、気に入るというのは、もう少し先の段階だったか」
男のことばにユンは、ばれたか、と言うようににやっとした。
「いいよ、好きに見て回るといい」
(え、本当に?)
ユンは一瞬戸惑った。まあ、ダメ元でお願いした感じにしたから、自然な反応ということになるだろう。
「いいんですか? ありがとうございます!」
(ガード緩すぎて逆に怖いな。どういうことだ? …セルヴァに何をしやがった?)
ユンは探索を始める。
ルキアは、お手洗いを言い訳にして台所から出た。そして、男にユンのことを訪ねる。何を言われても、結局ユンにケチをつける予定だった。
「ユンくんは、うちの中を探検しているよ」
男が半笑いでそう言ってくれてよかった。
ルキアは顔を真っ赤にして――半分は演技ではなく本当に恥ずかしかった――怒った。
「すみません!! ちょっとユン! 何やってるの!ユン!」
大丈夫だから、という男の声は聞こえないふりをしておく。
そして、一階をうろついているふりをしていたユンに誘導されて階段まで行き、2人で静かに、駆けあがった。
「セルヴァは?」
「多分もう捕まってる、男の部屋にいると思う。2階にある部屋だ」
ルキアの問いにユンは答えながら、2階も広いな、くそう、と思いつつ、2つほど扉を開けて確認した。
3つ目の部屋が、当たりだった。
小さな、雑多な部屋のベッドに、セルヴァが横たわっていた。きれいにタオルケットをかけられていて、普通に寝ているようにも見える。
「セルヴァ?」
二人は近づく。セルヴァは何の反応も示さない…眠っている?
(寝てるだけ? 僕の杞憂? 違う、あの子の言葉が証明してる。それにセルヴァが体調崩したなら普通は、友人である僕らに言う)
「なんともないのか…それならいい、とにかく、ルキア、出よう」
ユンはセルヴァを抱えようとしながら声をかける。だがルキアは、その場に崩れるように座り込んだ。
「ルキア!?」
慌ててルキアを支える。
「どうした!?」
「ユン…」
ルキアがかろうじて声を出す。
(何の魔法だ? 呪い? 脱力? 力を奪う? そもそも魔法か? いつ発動した? 魔法だ、どこから)
「だ、め、ふりかえ…っ、ら、だめ…に、げて…よんで、て…」
分かった。
ユンの背後からだった。今、丁度背を向けている…机があった場所だ。
振り返ってはいけない。
ルキアは、ユンだけ逃げて、仲間を呼んで来いと言っているのだ。
追手がいなければ、ユンは二人を連れて行ける。二人の重さを軽減する魔法をかけて、2人をかついで行けばいい。でも守れない。ユンの使える重さ軽減はたかが知れている。13の男子と17の女子…しかも腕が4本あるラーク族を背負って、《早く》を使ってどこまで逃げ切れるのか。途中でどちらかは置いていくことになるかもしれない…その可能性が高い。一人なら絶対に逃げ切れる自信がある。自分に《早く》をかけて全力で逃げることが出来る。
だけど、戻って来たときに、奴らがまだここにいるだろうか?
「駄目だ、皆で逃げる」
ユンは重さ軽減をルキアにかける。セルヴァにも同じ魔法をかけようとした。その時だった。
「ここは私の部屋だよ、ユンくん」
ぱっと振り返ると、男が入口のドアを閉めたところだった。男はなにも言わずに机に向かっていく。ユンは目で追いそうになり、目をそらす。ルキアは振り返るなと言った。見ることも危険と考えるべきだ。男のその動作の間に、ユンはセルヴァにも重さ軽減をかけた。
「何をしているのかな、ユンくん。ただ探検しているようには見えないが」
「そうかい。あんたもセルヴァに何をしてくれたんだ?こんな状態の仲間を見たら、僕の行動は至極当然だと思うんだけどな」
「おや、セルヴァは眠っているだけだよ」
ユンは鼻で笑った。
「ルキアのと同じ魔法なんだろ。トラップでないとしたら、魔法道具か? 魔法使いが聞いて呆れる」
「魔法を使うだけが、魔法使いではないのだよ、ユンくん。ディル族もどちらかというとそうだろう?」
ユンは考えていた。窓? ドア? 一階には女がいる、窓がいい。セルヴァも近い。でも、ルキアとセルヴァを抱えて、跳ぶまでの時間が、ない…どうすればいい? 時間…隙…。…倒す?敵地だ、不利だ、最終手段だそれは。
「魔法研究、か」
「その通り。これは私の作ったアイテムの中でも傑作でね。だがどうやら、君には通じないみたいだ」
(そりゃ、だって見てないから。助かったぜルキア)
「君はなかなか厄介だね。ディル族というのはまったく。とはいえ君はまだ子どもだし、セルヴァを置いて行ってくれるなら、逃がしてあげるよ。どうだい?」
(セルヴァだけが目的か?)
ユンは目を上げないまま、考え込んだかのように無言だった。だが、やがて、にやっと笑う。
「あんたに提示される選択肢なんて、ほしくないな」
その言葉に続いて、ルキアが超音波のような高い声で叫んだ。それは、楽器を持たず、動けないラーク族の唯一の反撃方法だった。音使い・ルキアはその音を男だけにダメージがいくように浴びせかける。
男は思わぬ反撃に耳を塞ぎ、後ずさって本棚にぶつかった。
ルキアの叫びとほぼ同時に、ユンは風の魔法で窓を破り、そしてルキアとセルヴァを抱えて跳んだ。
町はずれのこの家は、庭を越えればすぐに森だ。ユンに有利なフィールド。伊達に何年も『西』を旅したわけじゃない。
ユンは《早く》をかけると、一気に庭を駆け抜けようとした。
「! っあっ」
足になにかが絡みついた。
ユンは転ぶ。だが地面は柔らかく、3人とも大した怪我もなかった。…いや、地面ではなかったのだ。
薄緑の、大きな舌のような、葉のような何かの上に転んだのだ。
(やばい!)
ユンは直感し、セルヴァとルキアだけでもその上から放り出そうとする。だが、それは、さっと口を閉じてしまった。3人は閉じ込められる。
(なんだこれ? 魔物? まさか召喚物か!?)
ユンが行動を起こす前に、それは移動し、そして口を開いた。
女がいた。
「にらまないで、ユンくん。ここは、私たちの庭だから。勝手したらいけないのよ」
(先回りされた! どうする!? こいつらをどうすれば…!)
逃げられない、という心の声はどうにか抑える。今までだって逃げ切れない状況で逃げて来たんだ!
女はにこっと笑った。
「ユンくん、君は逃げてもいいのよ。私たちは純血のエルフがほしいの。ラークの女の子は、ユンくんがどうしても連れて帰りたいなら、逃がしてあげてもいいわ」
(また上から目線で…っ!)
ユンが何も答えられず、考える間に、女は動いた。
「サブリナ、先にエルフを」
女は、3人を包んだモンスターらしきものに話しかけたようだった。モンスターの、喉のほうから、蔓が一本延びてきて、セルヴァを巻き込んで外へ出そうとする。
「セルヴァッ! 止めろ!」
ユンは蔦へ魔法攻撃を放つ。
女が、あっと言ったときには遅かった。モンスターが叫んで暴れまわる。
サブリナ、と叫ぶ女の声が聞こえた。
ユンは無我夢中でルキアの腕をどうにか掴み、外に出されかけているセルヴァに手を伸ばす。
しかし、モンスターは暴れ、ユンとルキアは滑り落ちた。あろうことか、モンスターの喉の奥へ。
そして、滑り落ちながら、ユンは、セルヴァが外へ放り出されるのを見た。
「うあああああぁぁぁっっ!」
セルヴァは、ずっと、意識だけはっきりしていた。瞼を閉じられてしまって、開けることはできなかったが、全て聞こえていた。全て、分かっていた。
だが、投げ出された時、どれだけの高さに自分が放り出されたのか分からなかった。
時間が長かった。
放りだされて、上がる…結構高い。そして、下がる…落ちる…死の恐怖で頭がしびれた。
そして、何が起きたのか、落ちなかった。受け止められた?
(そうだ、僕が目的なんだ、僕を殺しはしないんだ、あいつらに捕まったんだ…!)
セルヴァが絶望しかけたその時、聞きなれない声に呼ばれた。
「おい、しっかりしろ!」
でも、どこかで聞いた声だ。
「フィオ、セルヴァ預かるからあいつを任せる」
「了解」
セルヴァは誰かに引き取られた。これも、聞き覚えがある声だ。彼は、セルヴァをしっかり抱えたまま、誰かに話しかけた。
「ただ気を失ってるだけではないようですが、どういう状態でしょう?」
「どうしてそう思うんだ?」
会話の相手はあの男だった。
「セルヴァは落ちる前から気を失っていたようですが、あの魔物で…外傷が全くなく…苦しそうな様子もない…おかしいですよね。毒薬か…魔法か…」
「さあ、どうだろうな」
「吐いた方が身のためですよ」
「脅しかい、剣士さん?」
「そうです」
男は笑った。
「子どもを守りながら戦えるかい?」
「彼らは子どもですが、もう戦えるのですよ」
足音が近づいた。
そして、ああ、ユンの声がした…。
「セルヴァ…!」
「ん? ユンはもう22歳だったね、悪い、子どもじゃなかったや」
少し場違いともとれるその発言に、男は少しいらついた口調になる。
「私に勝てると思わないことだ」
男の声に少し遅れて、セルヴァを抱えていた剣士は小声で言った。
「ユン、セルヴァとルキアノスをしっかり守っていて」
そしてセルヴァは、ユンの手に渡される。
*
フィオリエは、植物のようなモンスターを斬っていった。思ったより知能は低く、斬るたびに暴れる。
身軽にモンスターに飛び移ったり降りたり、双剣をふるい、のどか胃かわからないが、とにかく、開いていった。
そしてすぐに、ユンとルキアを助け出す。
「お、いたな! 大丈夫か?!」
二人を引っ張り出して、エルミオのところへ走らせ、フィオリエ自身は女と対峙した。
(召喚術師か? 召喚だけが取り柄なら手っ取り早いが、名のある人攫い、そういうわけにはいかないんだろ?)
反撃してこないフィオリエに、女は微笑んだ。
「斬らないの?」
フィオリエは肩をすくめる。
「そっちこそ。まさかさっきのザコが全てじゃないだろ?」
「サブリナは、戦闘向きじゃないのよ。時間をくれると言うなら…」
女が詠唱を始めたので、仕方なくフィオリエは斬りかかる。
(本当に召喚だけだっていうなら、時間なんてやらないさ。そうじゃないなら…)
女が笑う。
(一発耐えてやろうじゃないか)
きらり、と何かが光る。すぐに、フィオリエは、自分の失敗に気がつく。
光ったものは糸。蜘蛛の糸のようなそれが、もう止まることのできない半歩先に、張り巡らされていた。
(その手のタイプか――しまった、相手は人攫いだ――)
捕らわれたら直後に、女は魔法を放つだろう――フィオリエの脳内で先の展開がフラッシュした。そして、糸に、ぶつかる…。
男はエルミオの前で、姿を変えていった。背が伸び、黒く、黒く、染まってゆく。
ユンは恐ろしい変化に目を見開く。
(なんだ…変身術師…なのか…!?)
「なるほど、悪魔ならば、遠慮はいらないな」
エルミオの言葉に、ユンは現実を理解した。
悪魔と契約していたのだ。
この男は、だが、もう悪魔に取り込まれたのだ。もう戻れないところまでいってしまった者のなれの果てだ。
「言葉は分かるのですか?」
エルミオの問いかけには、魔法攻撃が帰って来た。エルミオは《盾》でそれを防ぐ。スペルストーン(魔法を込めてあるアイテム)を使ったんだ…ユンには分かった。《盾》は上級の防御魔法、アシスターにしか扱えないと言っても過言ではない。
《盾》があるなら、魔法にも対処できるし、いけるだろ、とユンは希望を持った。
「ユン」
エルミオはユンを振り返ると、何かを投げてよこした。スペルストーンだ…。
「《盾》だ。上手に使え」
「え…」
(あんたは…!? あんたはどうやって防ぐんだ!?)
《盾》は、使いこなせるなら他人にかけることもできるが、基本的に自分にしか掛けることが出来ない魔法だ。スペルストーンならなおさら、効果は定まってしまっている。
ユンの心配をよそに、エルミオは容易く魔法攻撃をかわし、悪魔の弱点をさぐるべく動きまわり、斬りつける。
ユンはすぐにはっとして、《早い》と、相手の大きさに対応すべく《飛び跳ね》をエルミオにかける。エルミオがちらっと笑ったのが見えた。正解だ。
(悪魔は、実態がないから最終的には、《聖なる光》や《送る炎》で倒すしかない。でもこいつには物理攻撃が効いている…というか、斬れてる。あの男の体を、使ったからだ…本体も中にいるだろう。体から引きずり出さないと、手が出せない。このでかいのを倒すしかない。
できるのか? エルミオなら、出来る、僕たちが、足手まといにならなければ。だから、《盾》で防げるか確認して、そして僕に、自分の身は自分で守ってくれと言ったんだ)
ユンは冷静さを取り戻す。
自分の身は当然、セルヴァもルキアも守る。それは最低限のこと。
(僕はウィザード。そして今、全体を見てサポートできる立場にある)
ユンはフィオリエのほうにも目をやった。
糸に、蜘蛛の巣に、ぶつかった。
女は笑顔のまま詠唱を終えようとする。
フィオリエは、魔力で、声で、マナを震わせた。
「《 宿れ! 我が精霊・カルスペ《刹那の白き雷》! 》」
半身は糸に捕らわれたまま、庇った左手で剣を振るう。
その場にいた皆の視界が、一瞬、白一色に染まった。
振るった刃は糸を断ち切り、放たれた雷の刃がその先のものまで斬っていた。女の召喚物であった、巨大な蜘蛛だ。
フィオリエは消えゆく蜘蛛を飛び越え、女に斬りかかる。
だが再び、フィオリエは選択を誤った、と一瞬で気がつく。
女は詠唱を止めていなかった。
本当は女を斬っている予定だったが、召喚物に阻まれた。即効で倒そうとしたが、蜘蛛のせいで魔法の進行状況が見えなかった…―。
(―撃たれる――)
女の声とユンの声が被さった。
「ポイゾブレス《毒の息》」
「リフレクション《魔法守護》ッ」
ユンは、自分の無力を呪いながらも、それを使った。この程度の魔法、事前に掛けているのが普通だ。だが、即効で使えるのはこれくらいだった。効果は多少は上乗せされるだろう、でもその程度だ。
《毒の息》、その詠唱を聞きユンは反射的に、風を起こす。
「《 吹き飛ばせ 》」
フィオリエが受け身を取ったのをちらりと見ながら、ユンは《毒の息》の継続時間を削ってやろうと、フィオリエにまとわりつく毒の空気を吹き飛ばしていった。
女が再び詠唱を始めたのを見て、ユンは詠唱なしで扱える魔法を放つ――風!
小さな風の刃が女を斬った。致命傷にはならない。女は叫び、ひとまず詠唱は止まった。
フィオリエは立ちあがり、再び女に向かう…ふらついたのは、気のせいじゃない。ユンは《早い》を掛ける。さらに女に風の刃で反撃した。
いける、そう思ったユンの耳に、悪魔の叫びが刺さった。ぱっと見ると、悪魔がエルミオをたたきつぶそうと、魔法とその巨体を使って暴れている。エルミオは大丈夫だ、だが、決定打が入らない…。
(どこが弱点? どう倒す?)
エルミオに目で問う。エルミオは、何かを探しているようだった。悪魔ではなく、屋敷のほうにも目をやっている。
ユンは、あることを思いつき、そして、一瞬にして恐ろしい推測をする。
本体はこの巨大なやつの中にはいない、悪魔はあの男だけに留まらなかった、あの女が本体じゃないのなら、他にこの屋敷にいるのは…子どもたちだ。
(いや、そんなはずはない!)
ユンは子どもたちと遊んだあの時間を思い出す。
(どこにもいなかった。悪魔はいなかった! だが目の前の巨大なこいつはなんだ?エルミオは悪魔と言った、きっとそうなんだ、だが、本体はどこなんだ!?
そう、僕はこいつを見て悪魔ではなく変身術だと思ったんだ。やっぱり悪魔とは違った、だが悪魔と関わりがある。どこが本体だ!?)
「ユン、セルヴァが…」
ルキアの声に、ユンははっとする。ルキアはセルヴァの口に耳を近づけて、聞き取ろうとしていた。
(目が覚めたのか! 何を伝えたいんだ?)
ユンはルキアが聴き取るのを一瞬見つめたが、すぐに言った。
「聞こえたら教えてくれ」
そして、フィオリエのほうに目をやる。
戦いは終わっていた。
(どうなった?)
ユンは走って行って確かめたいのをぐっとこらえる。セルヴァとルキアの元を離れるわけにはいかない。
だが、女も、フィオリエも、立っていないのだ。
(くそっ)
ユンは仕方なくルキアに視線を戻す。丁度そのとき、ルキアがユンを振り返った。
「球…あの魔法道具。あれが隠れ宿! ユン! あれだったの! あなただけは見なかった、あの部屋にあった、あの机にあった、あの水晶玉みたいなの! あれ!」
ルキアが強い確信をもってそう言っているのが分かる。ユンはルキアにスペルストーンと魔力の石を渡す。
「これを持っていて。《盾》と詠唱すれば、魔法も物理攻撃も防いでくれる魔法が発動する。ルキア、セルヴァとここにいて」
「待って、あれは、視線をそらした時に魔法が発動して、私やセルヴァみたいになるの」
「わかった、大丈夫、そらさない」
壊した瞬間にどうなるのか…そんな考えを、ユンは振り払う。《早く》《飛び跳ね》《魔法守護》を自らにかけ、ユンは意を決して駈け出す。あっというまに庭を駆け、2階まで跳び、割れた窓から男の部屋へ入る。机のほうは見ない。
ここまでくればこっちのものだ。
部屋の中心で、ユンは目を閉じて詠唱を始める。今できる最大の魔法で、見ずに滅ぼす。ここに来る短時間で、決めていた。
(マナの石、持ってて良かった…!)
「友よ、風の友、炎よ。来ておくれ。友よ、我が精霊・ルヴェリーゼ《光の矢の風》よ、来ておくれ。“この部屋に在る、悪魔の源 ”、すなわち我が敵を、葬るために、我、―」ユーフィン・エレイズ・ヴェルイデル・ルヴェリーゼに「―炎と風の力を貸してくれ…さあ、《 悪魔を焼き尽くそう、荒れ狂う風と炎よ 》」
刹那、ユンの周囲に炎がと風が巻き起こった。生き物のように沸き上がったそれらは、やはり机のほうへ集中して襲いかかる。
ユンは炎に満ちた部屋の中で、風の中心に立って、目を閉じたまま、確実に悪魔を焼いていく。
分かる。捕えている。燃えている。あいつは確実に、今、逃げようとしてそれが成せず、僕の魔法の中で、炎と風の中で、滅んでいく。
「《 逃がさない。滅びよ 》」
ユンが魔法に力を込めると、それはあっけなく砕け散り、そして、断末魔の声が炎と風に混ざって聞こえた。
*
庭のほうでは、エルミオが戦っていた巨大なそいつが叫び、倒れていった。
エルミオはルキアとセルヴァを抱えて、距離をとって潰されるのを免れた。
2階の割れた窓を見て、エルミオは微笑む。
ユンが悪魔を倒した。大魔法を使ったようだが、上手にやったようだ、問題なく、魔法は終了した。
エルミオは二人を降ろした。
「終わったみたいだ。ユンがやってくれた。少しここで待っていて」
ルキアはもう動けるが、頷いた。セルヴァはようやく目を開けることができるようになった。だが、まだ置いていくのは怖かったのだ。
エルミオは二人から離れると笑顔を消し、フィオリエに駆け寄った。
「フィオリエ、生きてるか?」
声をかけて膝をつき、脈をとろうと触れると、フィオリエは呻いた。
「…死、ぬ…」
目を開けないまま苦しげにそう言ったフィオリエに、エルミオは質問する。
「他に怪我はあるか?」
「…」
さっきの「死ぬ」は全力の空元気だったようだ。
エルミオは目を閉じて集中し、やがて唱えた。
「…キュア《解毒》」
エルミオは、魔法は不得意だった。本当に基本的な魔法も、全力で集中しなければ使えない。それでも今は、使わなければならなかった。少しは効果があっただろうか。
「…吐ぐ…」
フィオリエの言葉に、エルミオは彼の肩をぽんっと叩く。
「少しは元気になったね。ユンが本体を倒した。ユンが戻ったらすぐに帰ろう。フィオ、担ぐよ」
エルミオはさっさとフィオの剣を鞘に納めた。
フィオリエは顔をしかめたが、おとなしくエルミオに背負われるしかなかった。
「…う…」
*
風と炎が消えた後、ユンは疲労しながらも一階の子供たちの様子を見に降りた。
だが、足を止める。
おいしそうなにおいがしていた。そういえば、昼ごはんの準備をしていたところだった…。
なんて言えばいい?
あいつは悪魔だったから殺しました?
僕は魔法使いだ、そう言ったときの子供たちの恐怖する様子が脳裏に蘇った。
「…」
ユンは迷い、立ちつくして、やがて、二階へ戻った。そして燃えてしまった小さな部屋を通って、窓から外へ出た。
悪魔だった。だけど。
それでもきっと、あの子たちにとっては、ぱぱとままだったのだ。
ユンは外へ出ると、エルミオに背負われているフィオリエに駆け寄った。
「帰ろう、フィオのために急いであげないとね」
エルミオの言葉で最悪の事態ではないと分かり、ユンは少し安心する。
生きている。でも…危ない。
急がないと。ユンは、ルキアがもう動けると気付き、セルヴァを抱えようとして、訴えかけるような目に気付く。
何か言いたいのだ。その目は、何かしたいのだ。
その様子にユンは、あ、と思わず声に出す。
「セルヴァ、ルキア、もしかして動けないだけで意識ははっきりしてる? ってことはセルヴァ、解毒できる? できるんだな?」
ルキアも、あ、と言ってセルヴァを見る。セルヴァの目が輝いた。
エルミオはすぐに理解して、フィオリエを降ろした。
「ヒーラー《回復術士》か、良かった…フィオ、まだ終わらないよ。『北』へ行って同盟創るんだ。俺の同盟にはフィオが必要だ」
エルミオが語りかける傍で、ユンとルキアはセルヴァを支える。セルヴァの手をフィオリエに添えさせると、セルヴァは目を閉じた。心の中で詠唱しているのが、マナの反応で分かる。
セルヴァは、こうして誰かを助ける姿がよく似合う…ユンはそう思った。
(僕も、ヒーラーの技術ももっと身につけよう。セルヴァがいたから、これまでは必要なかったけど…)
ふとユンは思い至った。セルヴァはこれからも、きっと、こうなのだ。
予感がした…いや、予感、というにはあまりにもはっきりしていた。セルヴァは『西』に留まらない。いつまでもユンの傍にはいない。随分前から知っていた事実のようだった。
(きっと…僕らは、そのために出会ったってくらい、こう決まっていたんだ…)
離れない、という選択肢はない。ユンは既に、『仁』に留まる事を決めている。
ユンが考えているうちに、セルヴァの魔法が発動した。
薄緑色の淡い光が、セルヴァの手から、次いでフィオリエの体から溢れる。
それは、一分以上続いた。
フィオリエの表情は穏やかになっていった。セルヴァは最後には汗を浮かべていた。
光が消え、フィオリエが目を開ける。
「フィオ、まだ吐きそうかい?」
エルミオの声かけに、フィオは、お?と言ってゆっくり身を起こす。顔色は良くないし、しんどそうではあるが、危険な状態は脱したと分かる。
「あれ?まだここにいる…? てっきり帰って治療されたのかと思ったが…」
それを聞いてセルヴァが少し笑ったのを、ルキアが目ざとく見つけた。
「いいから寝ていて」
「え?」
目を向けたフィオリエはぐったりして見えるセルヴァに慌てた。
「俺が受け止めたエルフ男子! 大丈夫か!? お前がヒーラーだな? すまん、俺のせいだ、完っ璧に、戦闘中の判断ミス連発した俺が悪い…大丈夫なのか…?」
「セルヴァです。大丈夫ですよ、相手方の魔法がまだちょっと残ってて動けないだけです。治療も、セルヴァはヒーラー本業だから…ちょっと頑張ったかもしれませんけど」
ユンが代わりに応える。
フィオリエは少しほっとした表情になる。
「セルヴァか…助かった、ありがとう」
そう言ってフィオリエはセルヴァの頭をぽんぽんと撫でた。
「あとでちゃんと礼言わないとな」
「あ、多分全部聞こえてるんで、大丈夫です」
「え? そう、なのか?」
フィオリエはなぜかやべー、と言う。
「頭ぽんぽんなんて、嫌だろうに…俺絶対されたくない」
「じゃあなんでしたの」
エルミオに半分笑われながら突っ込まれ、フィオリエは、だってつい、年下の奴に助けられたらつい、とかなんとかと言い訳した。エルミオは軽く流して、立ちあがる。
「さて、戻ろうか。この家にはまた、『仁』のメンバーと来るといい。今は何もしないよ、ユン」
エルミオに先に言われ、ユンはただうなずいた。わざわざこう言うのだからきっと理由があるのだろう。