風の音
『琥珀の盾』フィオリエ。風の都に生まれ育った少年は、やがて青年となる。
漠然と思い描く将来。行く道を決断する時は突然やってきた。@1287頃(の回想@1680年よりも前)
生まれ故郷は、風の都と呼ばれるエルフの国。所々に銀色の岩が見え隠れする灰色の山の斜面に、彫り込まれるように白い建物が並ぶ。濃い青の葉が繁る樹が”設置”され、空と太陽のような色の花が咲き、都を飾る。山から湧く透明な川から引かれてきた清らかな流れが、街の所々で音を立てて輝く。シンボルである風の塔では、風向きや風力によって様々な音が鳴る――風の塔に開いた窓《風の道》を、山を下る風・昇る風がびゅうっと通り抜ける音や、塔の内部に吊られた数々の金属や宝石などの《鈴》が響く音。ヒュウッ、シャラシャラ、リンリン、カロンカロン。
都の高い場所に、広場があった。そこは、都のエルフが、子供時代に自由を見つける場所。わざとらしい飾りの”設置”や、手入れが成されていない、ただ空いた場所。
そこにも、風が吹いていた。風の塔がカロンカロン、リンリン、シャラシャラと鳴り、音を降らせる。
大人たちには用のない広場。青っぽい葉を茂らせた木がぱらぱらと生え、白めの土がたまって所々に草花が顔を出す。
フィオリエもまた、そこで過ごした。
もし、あの場所へ帰ることがあったら、違う心で見聞きし感じることができるだろうか――そう思ったことが、フィオリエにはあった。
*
エルフの国の中で、18歳というのは、赤子に等しい。風の都の最年少は、珍しく二人もいた。フィオリエと、クロヴィス。
エルフの少年たちは、大切に育てられた。そんな中でも、周りのちょっとした雰囲気を察知して、二人はお互いをライバルなのかと思っていた。
二人共都を守る守護団に入団する予定だが、二人の戦い方は違っていた。フィオリエは剣士、クロヴィスは弓士だった。
少しずつ関わるうちに、お互いがライバルというより、都で一番身近な存在であると感じるようになっていった。
ただ、少しだけ…決定的に違う部分があるとも感じていた。
「守護団に入ったらさ――」
クロヴィスは、こう話し始めることがあった。守護団での明るい将来を思い描いているのだった。
クロヴィスが守護団に入ると決めていると知ったとき、フィオリエは少しがっかりした。
「俺、守護団には入らない。もし入ったとしても、いつか必ず出て行く」
フィオリエの告白に、クロヴィスも驚いた様子だった。きっと、フィオリエと同じように、少しがっかりしたのだろう。
「入らないで、どうするんだ?」
クロヴィスの問いかけに少し不愉快になりながら、その感情は隠して答える。
「冒険者。俺、名前ばっかりの冒険者じゃなくて、本当に冒険者になる。で、都ばっかり守るんじゃなくて、世界で戦ってく」
言ってしまってから、フィオリエはすぐに反省して付け加えた。
「守護団も立派だとは思うんだけど、俺はちょっと合わないんだよ。旅がしてみたいし」
「そうか…」
残念だな、と思っているのはお互い様だと分かった。一緒にいる時間は、きっともうすぐ終わるのだ。
「まー、たまには帰ってこいよー。土産持ってな」
「呪われたアイテムでも持ってくる」
「やめろよ」
クロヴィスはばしっとフィオリエの肩を叩いた。フィオリエは真顔で「痛えなこのやろー」と叩き返した。叩き合いは取っ組み合いになり、そのうち二人でころがって、大笑いした。
大人たちには用のない、都で一番高いところにある広場。青っぽい葉を茂らせた木がぱらぱらと生え、白めの土がたまって所々に草花が顔を出す。都のエルフたちのほとんどが、そこで子供時代の自由を見つける。フィオリエとクロヴィスもまた、そうだった。
「精霊とは通じ合えるようになったのか」
父親は風の都周辺の治安を守る仕事をしていた。守護団の魔法使いだ。フィオリエも、一応、守護団に入団する予定だ――そういうことにしておけば、実戦経験ができる。実際、何度か簡単な実戦には付き添っていた。ただ、剣を振るのは専ら訓練の時だ。
夕食の席、仕事以外で久しぶりに会う父親からの問いかけ。守護団ですら、フィオリエは前衛、父親はヒーラー・アシスターの役割を担う後衛魔法使いなので、あまり会わない。
フィオリエは淡々と答えた。
「いいえ。気配はするのですが、通じ合ってはいません」
父親の表情なんて容易く想像できる。フィオリエの思うとおりの声色と口調で、父は言った。ため息混じりに始まる、抑揚のない低音での説教。
「明日にはマナの冒険者試験を受けるのだろう」
そう。精霊を試験管とする冒険者試験があり、フィオリエもそれを受ける予定だ。守護団に入るにせよ入らないにせよ、マナの冒険者証は持っているに越したことはない。マナの冒険者資格を取り、マナの冒険者証を得れば、それだけで、悪魔との契約をしていない証明となる。契約すると、マナの冒険者証は蒸発してしまうのだ。守護団に所属する父親も、マナの冒険者証は持っていた。
「精霊の力も扱えずに、名だけの冒険者資格を持っていても意味がないぞ」
「…はい」
精霊の力は、使えたほうがいい。いざという時、それがあるかないかで生死が分かれることもある。フィオリエは実戦でそれを見た。風の精霊が、名を呼ばれることもなかったのに、戦士を助けた。あの一瞬の光景は、脳裏に焼き付いている。
魔物に追い詰められた戦士。死んだ、とフィオリエは思った。だが、そうはならなかった。風が、魔物を押し返し、裂傷を与え、戦士はその隙に魔物に止めを刺した。
精霊に呼びかけたようには見えなかった。戦士が精霊に助けを求めたというより、精霊が反射的に戦士を助けた、というように感じた。
フィオリエは、自分の精霊に毎日呼びかけていた。そろそろ出てきてくれよ、一緒に戦ってくれ、あの戦士と精霊みたいになりたいんだ、父上も俺とお前2人なら認めるだろう。
まずはそこからなんだと、フィオリエは思っていた。精霊と通じ合って父に認めさせる。そして、マナの冒険者資格も取る。この資格は守護団で活動するにしても、取っておけば信頼度が増す。もちろん、フィオリエの本当の目的はそれではない。
風の都に留まるつもりはない。
なんだか生きにくい。ここにいるつもりはない。冒険者になって、どこか遠くで生きていくんだ。
全部、そのためだった。守護団だって実戦経験を積むためだ。
まずは精霊と通じ合うことだった。
だが、毎日、呼びかける時、あの戦士と風の精霊のことが頭をよぎる。そして、自分のしていることと、あの理想像に、何かズレを感じるのだった。
*
マナの冒険者試験を受けるその日は、19歳の誕生日でもあった。誕生日を祝う習慣はエルフにはない。ただ区切りとして、その日に受けようと決めていた。
その日までに、精霊と通じ合えるようになろうとも決めていた。それは叶わなかった。
とにかく、マナの冒険者資格だけは取ろう。
試験を受けるには、特定の場所に行かなければならなかった。その場所に、試験官である精霊が居るのだ。マナの冒険者資格は、精霊が授けるもの。試験内容は人によって違うという。滅多なことでは落ちないらしい。…大丈夫だと思うが、落ちるわけにはいかない。
風の都に一番近い”試験会場”は、都よりも山頂寄りのところにあった。
山の反対側には、竜使いの国がある。エルフではなく、ヒューマンと小人が主な住民の国だ。山を乗り越えなくても、試験会場の近くのトンネルで向こう側とは通じている。
都からその場所までは道がある。細い道、坂道、凸凹道、様々だが、今も使われる生きている道だ。使われる頻度は低いが、それほど荒れてはいなかった。一本道で迷うことはないし、二時間ほどで目的の場所へ着いた。
白っぽい岩の急な上り坂を登ると、まず目の前に平らな地面とトンネルが現れた。山の向こうへ通じる道は真っ黒い口をぽっかりと開けて、微風を吐き出していた。平らな地面は、左手のほうに細長く続いていって緩やかな昇りとなり、その先に、山に彫り込まれた白い建物があった。山に隠れて全体が見えないが、あれが試験会場だろう。
太陽が真上に昇るにはまだ遠い。山陰になっているこちら側を、風が下っていく。
強い風ではないが、弱くもない。継続的に降りていく風に山の下へ下へ誘われるようだった。
フィオリエは、ここに来るのは初めてだ。試験会場までの最後の道の幅は一人で歩くには十分だったが、はるか下を見ることは絶対にしなかった。そんな行動を取っていることが気にかかったフィオリエは、帰り道では景色を一望してやろうと決めて、坂道を大股で登っていった。
5分程歩いただろうか。道は一旦細くなって、また十分な幅になった。そして斜面が緩やかになって、いつのまにか平になり、試験会場へ続いていた。
会場の半分ほどは山の凹みに隠れるようになっていた。それほど、大きくないし、本当に山を削って造ったのかもしれない。
全体的に円柱のような形で、それをさらにいくつもの円柱が支えている、山と同じ白や灰色だけの建物。
フィオリエは剣を確かめるように柄に触れ、入口へ歩を進めた。
扉はないが、どうしても魔法陣を超えなければ入れないようになっていた。やたら複雑な魔法陣だ。どういう効果の魔法陣かフィオリエには分からなかった。入口にあるのだから、普通の家であれば防犯とか、外気よけとかだが…それなら見たことがあるので、少しはわかるはずなのだ。
不用意に魔法陣に近づくべきではない。わかっていたが、ここまできて何もせずに帰るわけにもいかなかった。
扱える数少ない魔法のひとつを、フィオリエは唱えた。
「―――《魔法守護》」
そして警戒しながらも、フィオリエは助走をつけ、魔法陣の手前で踏み切って、跳んだ。
着地した。
何も起こらない。拍子抜けして、ほっと息をつきながら、建物の中を見回した。
真っ先に、何か物足りない感じがして、不安を覚える。
ぼやっと光る魔法のトーチが、外観と同じ円柱の広間の壁にぐるっと並んでいる。床は、なんだか…先程までの白や灰色の石の地面ではなく、森の中の土の地面のようだった。いつか守護団に付き添って行った場所に似ている。そう、あの、風の精霊と戦士のことを見た、あの森のような。
そこまでで、フィオリエは物足りなさの正体に気がついた。
風が吹いていない。
都でも室内に入れば風は受けないが、風の音はする。どこにいても、風を感じている。ここには、それがない。
建物の中なのに、あの森の中のような不思議な空間の中、フィオリエは数歩足を進めた。
試験会場で間違いないはずだが、どうすれば試験が始まるのか分からなかった。見えないだけで、もう精霊はここにいるのだろうか。
「どなたかいらっしゃいませんか。私は、風の都から参りました、フィオリエと申します。マナの冒険者試験を受験したいと思い、参上しました」
声は、反響もせず、フィオリエは自分が1人でここに立っていることを強く感じた。しかし、その感覚はすぐに消える。
「フィオリエというんだな、君は」
ぱっと声のしたほうを見ると、誰かがいた。というのも、はっきりしないのだ。見えない距離ではないのだが、なんとなくあの戦士に似ているという印象だけで、はっきりしない。夢の中のようだ。あるいは、フィオリエの記憶の中の戦士が具現化したような…。
「あなたは…」
その人物は、話しやすい距離までフィオリエに歩み寄った。やはり印象が伝わるだけで、はっきりしない。
「うん、私だ。名前は、フィオリエが知っている名前で呼んでくれて構わない」
あの戦士の名前は知らなかった。それに結局、これは誰なのだろう。
「あなたは、精霊ですか?」
「うん。そうだ。なんなら、風の精霊と呼んでくれ」
風。ここには、風がないのに、この人は風の精霊らしい。精霊だというのに、人にしか見えない。少しの疑いと、驚きとがフィオリエの中で混ざり合った。こんなにも、人に近づける精霊がいるのか。固有精霊でも、普段から都にいる精霊でもないだろうに。
普通は、精霊と人がコミュニケーションを取ろうと思うと、お互いに歩み寄らなければならない。あるいは、どちらかが、相手に上手に合わせなければならない。精霊と人の世界は、同じ”場所”に存在しているものの、波長のような、何かが噛み合っていないのだ。
この精霊は、人の世界に歩み寄ってフィオリエに合わせてくれているのだ。それができるほど人が好きか、力のある精霊なのだ。
「風の都から来たのだな。あの塔はまだあるのか?」
いい笑顔でそう聞かれて、つい、いい笑顔でフィオリエも応える。
「風の塔ですか? もちろん。好きなんですか?」
「うん。好きだ。あそこを通るのは楽しい。エルフの住む場所では一番だ。今年は私がここの当番だから、あまり遊びに行けないのだが」
「へえ、当番制なんですね、ここ」
「うん。ああ、そういえば、フィオリエ、ここがちゃんと冒険者試験の会場だし、私が試験官だから、安心してくれ」
「合っていたんですね、良かった」
「あとまだ試験始まってないから安心してくれ」
「…安心しました」
心からそう言うと、精霊は笑った。
「フィオリエは面白いな。フィオリエと旅をすると退屈しないだろう」
「そうですか?」
「うん。そう思う。だがフィオリエ、今何か悩みが頭をよぎったな?」
図星だった。
この風の精霊とはこうやって楽しく話せるのに、どうして、毎日語りかけても自分の固有精霊とは通じ合えないのだろう。
「いや、ええと…」
「うん」
「風の精霊であるあなたに言うのは気が引けるのですが」
「うん、言うてみい。見えてるとおりの人物だと思えば、話しやすいか?」
気が引けると言ったのに、精霊は独特な口調で促す。たしかに、あの戦士だと思えば話せる気がした。あの戦士のことをよく知らないからこそ、思い込むのは簡単だった。
「精霊と通じ合えないんです」
「…うん?」
風の精霊はそれだけ言って、あとは無言で先を促した。
「毎日、呼びかけてるんですが。気配はするのに、会話もできないんです。あなたたちの…あの戦士と風の精霊のようにはなれないのかもしれません」
「うーん。なぜそう思う?」
なぜと言われても。フィオリエは繰り返す。
「だから、毎日呼びかけてるのに、全然ダメなんですよ。答えてくれない」
多分、嫌われてるんだ…そんな考えが浮かぶほどだった。
「そうなのか」
「そうなんです」
「フィオリエのほうはどうなのだ? 精霊からの呼びかけに応えたことはあるのか?」
「え? …呼びかけ?」
フィオリエは戸惑った。精霊からの呼びかけなんて、なかった、と思う。気配がしている、それだけだった。それだけだったはずだ。
「うん、それだな、フィオリエ」
「それ?」
「うん」
混乱したフィオリエに、風の精霊は丁寧に話した。
「フィオリエの精霊に、「お前はどうなのだ、フィオリエの呼びかけに応えたことはあるのか?」と尋ねれば、きっと今のフィオリエと同じ反応をするだろう。
エルフと精霊は共に生まれ、共に生きる。フィオリエは、フィオリエの精霊に一番よく似ている。フィオリエの精霊も19歳だ」
言われてみればそうだ、フィオリエの精霊も同じ19歳になったのだ。自分の誕生日は、精霊の誕生日でもあったのだと、今更ながらフィオリエは気がついた。
エルフは、生まれながらにして、精霊の世界を知っている。あとはいかに、意図してその感覚を呼び起こし、精霊に歩み寄るのか、というだけなのだ。精霊の世界に触れる感覚を知らないヒューマンや他の種族とは違う。
「フィオリエ、呼びかけに応えて欲しいなら、まず、呼びかけに応えようとしてみてはどうか?」
「…だけど、呼びかけなんて、聞こえないのに」
「聞こえないのか?」
「…はい」
風の精霊は、決まり悪そうにしたフィオリエを、じーっと見て、笑った。
「では、きっとこれからは聴こえるだろう。フィオリエは、私と話すことができるのだから」
あっさり言われてフィオリエは困る。風の精霊は姿が見えているし、話しやすいし、声がちゃんと聞こえる。人と話すのと変わらない。
「人と話すのと変わらないだろう?」
まさに考えていたことを言われて、フィオリエは頷いた。
「でも、それは…見えるから」
「ならば、目を閉じなさい」
「え」
「ほら、閉じなさい」
フィオリエは従って、目を閉じる。不思議だったのが、目を閉じる一瞬前に、風の精霊の姿がほつれるように滲んだことだった。気のせいだろうか。
「これで、見えないだろう?」
「それはそうですが…」
「フィオリエは、私がまだ目の前にいると思うか?」
答えようとして、フィオリエは喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
声は、目の前から聞こえたような気もするし、後ろから聞こえたような気もした。気配は…居るのはわかるのだが、どこにいるのだろう。
「まだ開けてはいけないよ」
風の精霊が釘を刺す。フィオリエはつい、問いかけた。
「どこにいるんですか?」
「知りたいか?」
聞き返されたので、フィオリエはもう一度、風の精霊がどこにいるのか見つけようと感覚を研ぎ澄ました。
だが、分からない。四方八方、いたるところに居るような気がする。
「どこにいるのか教えてください」
「うん。その前に、フィオリエは、私がどこにいると思った?」
「分かりません…どこにでもいるような、妙な感じです」
「そうか。フィオリエ、私はフィオリエの目の前にはいない。それだけ言っておこう。目を開けて、そして引き続き目以外で私を探しなさい」
目を開けた。反射的にあたりを見回そうとして、思いとどまって視線を足元に落とした。
足元は、森の土ではなく、白っぽい岩の床だった。目を閉じていた時、そういえば地面が硬かった。
風の精霊はどこにいるのだろう。
目を閉じていたときと同じく、どこにでもいるような感じがする。
「どこですか?」
「フィオリエ、私はここだよ」
声は、どこから聞こえたのか…よく分からない。悩んでいると、風の精霊が笑った。
「フィオリエは、自分の感覚よりも、経験から培った”常識”を信じるようだ。今は素直に自分の感覚を信じてみてはどうか?」
「…素直に自分の感覚を信じると、あなたはどこにでもいる、という答えになります」
「うん」
「…え?」
「うん、違うのか?」
「え?」
「目で探してはいけないよ。私のことを全身全霊で探したままでいなさい」
視線を上げかけたフィオリエは、風の精霊の言葉で留まった。
これで合ってるのか? どこにでもいるのか? どこにでもいるってどういうことだ?
「人の姿に見えたから、私に人の常識を当てはめたのではないか? 精霊は、フィオリエたちの言う”魔法”に近いものだ。その元であるマナは、空気のように存在している、そうだろう、フィオリエ?」
そうだった。フィオリエは言われて思い出した。人と話す感覚よりも、マナを感じるような感覚のほうが、精霊を感じるのと近いのだ。
「そうでした…」
「うん」
だけど、とフィオリエは思う。いつも、自分の精霊に話しかけるときには、どうだっただろう。少なくとも、人と話す感覚ではなかったと思う。だが返事はなかったのだ。
「フィオリエ。私が言いたいのは、それではないんだ。だって、フィオリエはもう魔法やマナのことは分かっていただろう?ここに来る前に、魔法も使っていた」
「はい」
「フィオリエは、私と今話しているように、フィオリエの精霊とも話すことができる。はじめは静かなところで、目を閉じて、今やっているようにイメージしてみてはどうか?」
「今やっているように…ですか…」
「うん。焦らずとも、フィオリエは絶対にできる。さてそれでは――」
その前振りに、フィオリエはここへきた本来の目的を思い出し、顔を上げた。風の精霊はどこにも見えない。目を閉じる前は森のようだったその場所は、今や樹も土もなく、白と灰色の建物の中だった。
「マナの冒険者資格を授けよう」
フィオリエは耳を疑った。聞き間違いだと思ったから、風の精霊の言葉を待った。
「水をすくうように、両手を前に出しなさい」
話がよくわからないが、言われた通りにする。
すると、周囲で風が起こり、何かが手の上に集まるような気配がした。やがて風が止むと、手の上には、銀の石のブローチがあった。父親がもっているそれとよく似ている。
「フィオリエ、これからも頑張って」
「…え? …これ、マナの冒険者の証ですよね?」
「え、うん」
「試験してませんよね?」
「あ、うん。いいかなと思って」
「い…いいんですか…」
「うん。精霊の試験なんてこんなものだよ。フィオリエが思う試験らしい試験は、きっと人がやってくれているから、そちらも受けてみてはどうか?」
「そうですか…」
本当に試験をしていないのか、気づかないうちに何かを試されたのか、全くわからない。とにかく、受かったというか、マナの冒険者には、なれたらしい。
「フィオリエ、道中気をつけて。下り坂のほうが、上りより怖いからね」
「はい、ありがとうございます」
知っていることだったが、素直に忠告は聞くことにして頷いた。
風の精霊は、相変わらず姿は見えないままだ。ここに入ったときには吹いていなかった風が、今は吹いている。
「フィオリエと話すことができて楽しかった。大事なことは、人でも精霊でも変わらない。フィオリエと話しながら私が何よりも嬉しかったことは、フィオリエが私のことを探して、私の言葉に耳を傾けてくれたことだよ。フィオリエが歩み寄ってくれたから、私とフィオリエは意思を通わせることができたんだ」
ああ、そこか…!? ようやくフィオリエの心に精霊の言うことがすとん、と落ちた。
フィオリエの脳裏には、あの戦士と風の精霊のことが浮かんだ。あの二人にあって、フィオリエに足りないものを、風の精霊から教わったのだ。なんというか、もっと歩み寄ることだ。精霊のことをもっと知りたいと思うことだ。言葉にしてしまうと、なんとありきたりなことだろう。やってみないと、今はまだ実感がわかない。目の前にあって掴みかけてはいるが、しっかりやらないと逃げられてしまう…そんな感覚だった。
「ありがとうございました。やってみます。身につけます」
「うん、フィオリエなら大丈夫。さようなら」
「また、風の都にも遊びに来てくださいね。ありがとうございました!」
フィオリエはマナの冒険者証を胸元に付け、学びを胸に刻んで、風の精霊と出会ったその場所を後にした。
あなたと、あなたから学んだことを忘れません。心の底からそう思うのは、もう少し先のこと。