エナ -師匠のこと Ⅱ.始まりの師匠
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行き帰りで4日。リーフがいなくなってから、5日だ。
一月も戻ってこなかったことがあるとはいえ、気にはなる。幸い、大きな街グラス。バイト先は比較的見つけやすいので宿代の心配はしなくていい。ダークエルフに偏見のある一部の人を避ければ、十九歳の冒険者はいい働き手だ。働く期間が不明なのが一番の難点ではある。
だめだと言われれば引き下がる。この街で短期間宿生活ができないなら、別の場所に移るだけだ。それに、地域によるが、自給自足でもいい。
何件かよさそうな店を見つけた。まだ声はかけない。声をかけるのなら、空いている時間を狙わなければ。夕方のこの時間は忙しいというだけで一蹴されてしまうし、なにより、先に見ておきたいものがあった。
エナは冒険者ギルドに向かう。この街には、冒険者ギルドの支部がある。依頼を見に行くのだ。なにかいい依頼があれば、それをこなして稼ぐほうが、リーフが戻ってきた時に動きやすくもある。
メア国のギルド本部があるクロスローズよりも幅の広い大通り。クロスローズは冒険者が多いが、グラスは商人が多い。両端には店が並ぶ。枝のようになった道の先もしばらくは店が続く。行き交うのは、商人と荷台と、住民。夕方のこの時間なので、荷台は少ない。母親たちや、カゴや袋を持った子供が夕飯の買い出しに来ている。いたるところで楽しい話し声や笑い声、すこし控えめな噂話の声もする。いらっしゃい、と呼び込む声が通る。
夜が来る。暖かくなりはじめた夜が。
さっさと明日からの仕事の目星をつけてしまおう。
冒険者ギルドはもうじきほとんどの窓口が閉じる。同盟のロードや高レベル者が利用するような、特殊な窓口だけが空いている時間。エナには関係ない。関係あるのは、人が少なくて掲示板が見やすい時間だということ。依頼が貼ってある掲示板はホールにあるので、それは見ることができるのだ。
軽い足取りでギルドに向かう。
時々、明らかに冒険者だな、という人も見かけた。同じ宿かな、仲良さそうなパーティだな、うわ強そう、など思うともなしに思う。
(あの人は誰かに似てるな)
そう思った何人目かが、エナを見つけて驚いた顔をした。
エナもあれ? と思って立ち止まる。
あれっ…似てるんじゃなくて本人か!?
「ルイスさん!?」
「エナか! 背ぇ伸びたなー!」
エナは思わず笑う。身長はちょっと気にしていることなのにいきなりそれか。久しぶりの再会だというのに。流石はあの父親の親友だ。
ルイスはエナの、いわば一番初めの師匠だった。
冒険者になる前、10歳頃に知り合った。父親はなんにも教えてくれなかったが、ルイスは戦い方や、旅や、魔法の基礎などを教えてくれた。ヒトの冒険者試験に受かったのはルイスのおかげだ。
ディル族の冒険者なのに、ツーハンドソードを背負っている。クラスは剣士だ。曰く、「魔法使いであることは前提」だから、あえて剣士なのだそうだ。
エナが13歳で冒険者になって、それから会う機会がなかった。
整った顔立ち、どこか愛嬌のある笑顔は相変わらず。青い瞳はディル族の特徴でくっきりしている。淡い金髪は耳よりは下に毛先がある。以前と違ってオールバックにしていて、服と同じ紺のバンドで留めている。ディル族も十年程度ではあまり外見が変化しないが、髪型のせいでかっちりした印象になり、すぐには気がつかなかったのだ。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
「ああ、この通り。エナも、元気そうだな。ギルドに依頼探しに?」
「はい。ちょっと、軽めで近場のやつを」
「へえ。さては…金が尽きて遠征できなくなったな?」
「いつの間にか…って、違いますよ」
リーフさんじゃあるまいし、と、冗談めかして内心付け加える。容赦なくウマイ店に入ったりしない。
「人待ちです。いつ帰ってくるか分からないんで、長期の依頼は受けられないんです。なければ、そのへんでバイトしようかと思ってます」
「なるほど、人待ちかあ。でも、仕事探してるってことは、それなりに長期になりそうってことか?」
「そうっすねえ…一ヶ月いなかったこともあります。三日で帰ってくることもありますけど、多分、今回は長いんじゃないかと思います」
「ほう? …あ、ギルドに行きながら話そうか」
「あ、そうですね」
通りの談笑する人々に紛れていたふたりは、歩き出す。掲示板が見られるのもあと2時間ほどだ。積もる話は依頼を見てからゆっくりのほうがいい。
「ついこの前も、数日いなくなったばっかりだったんです。帰ってきて、すぐ翌朝にいなくなりました」
「…えーと? つまり、何も言わずに突然いなくなると」
「あ、そうです。もう慣れすぎてしまって、説明不足でした」
「長い付き合いなのか」
「そう、ですね…3、4年?」
「苦労してるなぁ」
苦労。そうでもない気がした。が、少し意地悪な気持ちが顔を出した。
「そうですね、すっげえ苦労してます。好き勝手行動する人っすからねー」
「ははは、なーんだ俺のことか?」
「あっはっは、俺の師匠はふたりとも自分勝手なんすよ」
そう言ってからふと尋ねた。
「ルイスさん、ずっとお見かけしなかったですけど、どこか遠くに行かれてたんですか? 親父は一緒じゃないんですか?」
「俺? 俺は色々。ラーカスは、俺のほうが聞こうと思ってた。あいつどこに旅行してるんだか」
親友でありエナの父親であるラーカスのことを愚痴って、ルイスはやれやれと息をつく。
(ルイスさんと一緒にいるかと思ってた…)
少しがっかりした。父親のことは、好きじゃない。だが…家になかなか帰ってこなかったあいつは、あの冒険者はきっと、多分、帰りたくても帰れなかったことだって、あったはずだ。最後は…母親の最期には、帰ってきていたんだから。
リーフとは話し合える。もっと話し合える。それが出来たら、父親とだって、なにか、もうちょっと話し合えるのではないかと微かに期待していた。でも会えなければどうしようもない。
(ほんと、どこ行ってんだよ)
あいつのことだから、とルイス。
「突然、思いもしないところで会いそうだな」
思いもしないところ、か。エナは内心繰り返す。
「例えばギルドのトイレとか」
「はい?」
「最高にダサい再会を考えてた」
「それ多分最悪っていいます」
ははは、とルイス。
「最悪で面白い状況を考えておくとさ、いざ最悪らしき状況になったときに、あぁアレよりはマシか、って笑えるだろ? 笑顔で再会出来るように、最高にダサい場面を考えておくといい。師匠からのアドバイスだ」
冗談として聞いていたが、途中からは意外と印象深い言葉だった、気がする。エナは頷く。
「そう、かもしれませんね」
「ひとつ欠点があって」
「え?」
「本当に真面目な状況の中では、うっかり思い出して吹き出さないようにするんだ。恨みを買う場合がある」
笑っていいのか迷った。ルイスが先に笑ったので、エナも吹き出した。
「冗談はさておき」
ルイスはこの一言で、さっきまでの妙な説得力も印象深さも、全てを葬り去った。
もうじきギルドにつくというところで、立ち止まる。
「そういや俺、調査依頼をひとつ受けてるんだけど、それ一緒に行かないか?」
***
ところが、ルイスの予想とは違う反応だった。
「調査依頼っすか…。お誘いは嬉しいですけど、どんなやつですか? 俺、相変わらず魔法は全然で、スペルストラップ頼みなんすよ。足引っ張るかもしれません」
そうか、十九歳だった。すっかり冒険者なのだ。ルイスは微笑まずにはいられなかった。
次の言葉を考えて、口に出す瞬間、ずきりと心の奥が痛む。
「そんな難しいやつじゃないさ。魔物らしきものが出るらしいんだが、それがなんなのか調べて欲しいってだけの依頼だよ。シンプルだからこそ面白そうだろ?」
「それ、難しいって言いません?」
「そうか? 要は出会えればいいんだよ。どうやって出会うか、だ。情報によると、冒険者を警戒するらしい。そこで、だ! 俺とエナの連携が光るわけ」
どういうことかとエナが目で先を促す。
「俺、うっかり冒険者資格取り上げられてさー」
「はあ!?」
エナは驚いて、何したんすか、とたずねる。
「油断してたら、レベルひっかかっちゃった。いや、働いてたぜ? 色々あってしばらく魔法使いしてたんだよ。でも俺、査定は剣士の基準だろ? ちょっと足りなかったんだよレベル」
驚きと納得を表情ににじませて、ああ~、とエナは頷く。「魔法使いは前提だからあえて剣士」の欠点を見た、とでも思っているのだろう。
よくもまあ、一部事実を含むとはいえ、口からでまかせが流れ出るものだ。ルイスは自分に皮肉めいた賞賛を送る。
「ということで。俺は今、一般人。エナは冒険者。エナが魔物っぽいやつを追い込んで、その反対らへんのエリアで、俺が迷子装ってうろうろする。完璧だろ?」
一時エナは反応に困った。
「ルイスさん…剣は背負ったまま行くんですか? ルイスさん見た目からして強そうだから、正直、微妙だと思うんすけど…」
「お前な~。やる前からそんなでどうするんだよ~。とりあえず夕飯でも食べながら考え直そう」
真顔で言うと、エナはちょっと笑った。ルイスもにやっとする。
もうちょっとうまいこと言わなければ。
――…もうちょっとうまいこと言わなければ…エナは来ないだろうか。エナが来ないと決まれば、どうなるだろうか。少しはマシな未来にたどり着くだろうか。いや…リーフは恐らく、ルイスとエナに接点があることを知らない。まして、エナの最初の師匠がルイスだったなんて知らないはずだ。こんなふうに繋がってしまうなんて。エナはもう危険に触れた。誰がエナを守ってくれる? ラーカスはこの大変な時にどこにいっているんだ。やはり、リーフしかいない。リーフがこのことを知らなければ。リーフの言葉や振る舞いの上手さに期待するしか、ない、のだろうか…。
『フュリオス』
契約相手の声がする。
(なんだ?)
『日が暮れる』
(無茶言うなよ。冒険者資格もない、何年も会っていなかった俺だぞ? その上、リーフの弟子。疑われたら元も子もない。夜出るのは無理だ。今夜決めて、明日、昼までに連れて行くさ)
言葉遊び合戦だ。
***
そろそろグラスの《転移先》が機能しなくなる。
空間転移で帰る最後の機会、リーフは片手をポケットに突っ込み、リングタイプのスペルストラップ――一般的にはテレポートリングと呼ばれる――に指を通した。
集中して一言。
「グラスの転移先へ《空間転移》」
《転移先》の建物から出る。するとすぐに、見張り役の担当者が、緊急避難ですか? と尋ねてくる。そこでリーフは、あ、と気がついた。
(冒険者じゃないと面倒なんだよなぁ。詰が甘かった)
仕方がないので依頼を受けた旨を話し、どのような状況だったかも多少大変そうに盛って話し、なんだかすごく大変で緊急帰還したことにした。実際、今まで幻術の迷路の中にいて、それを破ろうとしていたのだ。不思議なことに魔法封じはかかっておらず、空間転移でこうして抜け出したのだが。
とにかく冒険者証がなく、商人でもなく、ここの住民でもないとなると面倒なのだ。結局、ギルドまで行って、依頼を確かに受けたのだということを証明して、それから解放された。
やれやれ、と宿へ向かう。夕食…エナはもう食べてるだろう。部屋があるだろうか。
宿が見えるところまで来て、リーフは立ち止まった。見知った人物が宿に入ったのだ。見間違い、ではないと思う。
窓越しに何気なく覗く。
エナと、…契約者だ。
この4年間、何度か対峙した。水を操る悪魔セレスタイトの契約者、ディル族の魔法剣士、ルイス。
今日、今までリーフがいた場所も、恐らくセレスが関わっていたはずだ。目撃情報がある。
リーフは窓から離れて考えた。
(じゃあ、あの幻術迷路はなんだったんだ? セレスだけが泉のほうに残っていたとか? セレスはこんなに単独行動ができるのか? ルイスはどうしてあんなにエナと自然に一緒にいるんだ? あの幻術迷路や目撃情報はただの餌と足止めだったとか? 足止めにしては詰めが甘いが…。
とにかく、僕はここに戻ってきた。
エナがルイスと一緒にいる。知り合いなのかもしれないな。
セレスは僕がここにいることにもう気がついているだろうか。あいつは割と僕を殺そうとするけど、今回の詰の甘さはなんだろう。ルイスが足止めするための魔法に何か欠陥を作っておいたのかな。エナを助けるために?)
目まぐるしく考えながら、その裏でぽつりと後悔の声がした―――僕は3年目で、いや、もっと早く、消えるべきだったか…。
リーフの脳裏に、白い光が過ぎった。あれのせいもある。あれをエナに譲って、なにかを、期待した気がする。だから、別れるという選択肢が浮かばなかった…。
我ながら言い訳がましい、と、リーフは鼻を鳴らした。
理由は不明だ。
だが、いつかこうなることはどこかで予測していた。エナはひとりでもやっていける。教えるのは、何もリーフでなくてもいいのだ。でもエナはリーフを望んだ。リーフはそれに応じた。それはリーフの意思だった。
ならばこの先のこともどうにかしなければならない。
乗った船は途中で降りない。それだけだ。
***
「討伐数3? Lv45で、いい経験してるなー。魔法使いでもないのに」
ルイスに感心されてエナはちょっと誇らしくなる。悪魔の討伐数はカウントされて、冒険者証に刻まれる。仕組みは、知らない。魔法使いならば間接的な援護で討伐数を稼ぐことが出来るが、剣士となるとなかなかそうはいかない。
「リーフさんがいるからですよ。スペルストラップも、お借りしてるんです」
「あっ、そういえばお前スペルストラップ使えるようになったのか! 《送る炎》?」
「あ、はい」
「《照らす光》も使えなかったのになあ~びっくりした!」
ルイスに言われて思い出す。そういえば、そうだった。ルイスに魔法を習った時、全然習得出来なかったのだ。
混み始める前の街食堂の一角、食べ終わる前にエナはふと思い出して、小包を取り出した。
「先日、ヴァースに帰ったとき、近所に住んでた方から貰ったんです。一緒に食べましょうよ」
「いいのか? これ、シェリーさんから?」
「いえ、シェリーさんは旅行中でした。どうぞ」
リーフさんにも、と貰ったが、いつ帰ってくるか分からない。感想をあげて、それから、なにかの折にリーフを連れてヴァース村へ行ければいい。
旅行か、とルイス。
「あの御夫婦、元気だなぁ」
ほんと、とエナは笑う。小包を開けると、一口サイズの香ばしそうなクッキーが顔を出す。移動で割れてしまわないか心配だったが、多少欠けたくらいだった。
「これは、リオナさんからです」
「ああ! お菓子上手い人だ!」
ルイスがすぐに思い出したので、エナは驚く。自分は覚えていなかったが、大人たちの間では有名だったのだろうか。
「ありがとう! あの人のところ、絶対魔法道具あるぜ。いいオーブン使ってると思うなぁ」
早速ふたりはクッキーに手を伸ばす。
一口食べた後、あ、とルイスが思い出す。
「リオナ? お菓子の? …『琥珀の盾』のセルヴァと関係ある人だっけ?」
「え? 『琥珀の盾』?」
『琥珀の盾』といえば、このメア国の王手の同盟。
(ああ、でも、Lv144だもんな)
考えてみれば、納得だ。
「あー、そうかもしれません。セルヴァさん…Lv144だったし」
「会ってきたのか!」
はい、と頷くとルイスは何も言わずにクッキーをもうひとつ口に放り込んで、しみじみとこう言った。
「なんかお前、すごい道に立ってるな」
青い瞳が真っ直ぐで、エナを見透かすようだ。
「そ、そうっすか?」
偶然周りがすごいだなんだけどなぁ、とエナは首をかしげた。
うん、とやはりしみじみ頷いて、ルイスは、にっと笑った。
「頑張れよ。何があっても」
その一瞬、心の底からの激励を、エナは感じ取った。冒険者として、師匠としての気持ちに違いない。
はい、とエナは受け取った――無視できる程度の不安が胸を掠めた。ディル族は、意図しない・予知に満たない、予感をすることがあるという。ディル族のルイスは、今、どういう気持ちで頑張れと言ったのだろう。
ルイスがいつもの調子に戻って、これから、と切り出す。
「冒険者やってると、とんでもない悪魔や契約者が…ん? エナ、契約者と戦ったことはあるのか?」
「一応、何回か。ほとんどリーフさんのおまけみたいな感じですけど」
契約者がいるときは、リーフが止めを刺していた。これまで相手にした契約者は、最終的にほとんど魔物みたいな姿になってしまっていた。それを、リーフは迷いのない攻撃で、出来るだけ早く片を付ける。
契約者は人の姿を保たないことのほうが多いのだろうか。エナには分からないが、魔物に近いもので幸いだったと思う。
「そうか。ま、リーフ師匠は優秀みたいだから、心配ないだろ」
エナは頷いた。たしかに、Lv45に不相応なくらいいろいろな経験はさせてもらっている。ふと、”力になれないか”という考えはやっぱり贅沢すぎるのかもな、とも思う。
「エナも相変わらず素直みたいだし。まだまだ伸びろよー」
「…頑張ります」
なんだかくすぐったい気持ちになりながら、エナは少なくなったクッキーをつまんだ。
ルイスはエナと同じ宿、少し離れた部屋をとっていた。
また明日、と別れて、エナは部屋に入る。剣はベッドサイドに。ベッドに腰掛けて、ここ数日でいろんな人に会った気がする、と、なんだか不思議な気持ちになる。頑張ろ、と、ベッドに伸びた。
それからすぐに、誰かがやってきた。
ノックと共に聞こえた声。エナは、ガバッと起き上がり、急いで部屋のドアを開けた。
(リーフさん!)
何か言う前に、リーフは指を立てて黙るように指示した。部屋へさっと入ってドアを閉める。宿というこの場に合わない、戦いのときの雰囲気がまだ残っている。
「どうしたんすか?」
「さっき、誰かと一緒にいたか?」
「え? はい。ルイスさんです。元冒険者で、親父の親友なんです。冒険者になる前、俺に基礎を教えてくれた先生なんですよ」
エナの回答に、ああ、と、リーフはため息混じりに頷く。なるほど、と。不穏な予感がエナの胸を掠める。ルイスと話していたときに過ぎった不安も蘇った。
「挨拶したいな。部屋はどこだ?」
「もう遅くなりますし、明日でいいんじゃないですか?」
「いや、早いほうがいい」
「…そうですか?」
「うん、あと、警告も。僕がいろいろ呼び込んだかも」
えっ、と思わず言うと同時に、エナは直感した――嘘だ。それはただの言い訳だ。リーフさんは、呼び込むくらいなら帰ってこないはずだ。
どうしてそんな嘘を言うのか――…エナの不安など知る由もないだろう、リーフは頷く。
「警戒しておけ。それは装備しておいたほうがいい」
リーフが示したのは、まだエナが外していなかった、ベルト型の魔法防具だ。白い剣のあとに、リーフが譲った。悪魔の魔法に対して優れた防御性能をもつ。
「とりあえず挨拶行ってくるから、部屋教えて」
――…そんな嘘をついて、そしてどうして今、ルイスのところに行くのか。
「俺が伝えに行きすよ、知り合いだし」
「いや、お前はここにいろ」
その言い方は、戦闘中の言い方に似ていた。リーフは間を開けずに言う。
「僕も知り合いなんだよ。何年も前に、掲示板の前で会ったんだよね、ルイスに」
淡々とした台詞だったが、それはエナの胸騒ぎを助長した。
――「僕が直接説明したほうがわかり易いから。危ないからおまえはここにいろ」じゃないのか。
そう言ってくれたなら、もうちょっと信ぴょう性があったのに。
言葉を選ぶ余裕がないくらいの事態なのだと、そう思わざるを得なかった。
*
「契約者を助ける方法は、ないんですか?」
誰しも抱く疑問を、エナもリーフにたずねたことがある。
「僕は知らない」
一言目はそれだった。
何か言葉を続けようとした気配はあった。エナは待った。
リーフは虚空を見つめていた。これまで何人を相手にしてきたのだろう。エナと同じ問を繰り返したのだろうか。
「僕は契約前に悪魔を滅ぼす方法しか分からないけど、どこかにそんな方法もあるかもしれないね」
エナは頷きながら、そうですね、と応えるしかなかった。
だから今、自分の推測を、いくら可能性が低くても、直視したくなかった。
契約者は冒険者になれない。ルイスはもう冒険者ではない。
今、行けば、白か黒かはっきりするだろう。
白ならばそれでいい。黒ならば…。
(黒なら…)
いや、そんなはずはないという心の声を押さえて、冒険者としてのエナが覚悟の準備をする。
(…誰だってありえるんだ。…覚悟しなきゃいけない)
今すぐには出来るはずもなかった。
それでも今見に行くしかない。すべてが終わったあとにリーフに尋ねたとして、素直に答えてくれる気がしない。だからわざわざエナを部屋に残して行ったのではないか。エナには手に負えないからと、今度こそ、このままエナの前から消えるのではないか。
力不足だろうか。そうだとしても、冒険者としてではなくても、ルイスに憧れたひとりの人として、行くしかない。
パタン、と閉じたドアにすぐ歩み寄る。ドアノブを握って数秒待った。リーフはもうルイスと会っているだろうか。廊下で戦闘になりえるだろうか。
ぐ、と、ノブを回し、そっと廊下を覗き見る。
バタン、と勢いよくルイスの部屋のドアが閉まったのが見えた。エナは出ようとして、思い出してベッドサイドの自分の剣を掴んだ。 白い剣は、今は、まあいい。
急いで廊下を進み、息を殺してルイスの部屋の前で耳をすませた。
何か話しているのは聞こえるが、声が小さい。ドアから遠くないところにいるようだ。
「足止め? あれで? 大丈夫ですか?」
リーフの声が聞こえた。
「あれ? あー…――じ組み込んでなかったっけ?」
これはルイス。
どちらも、非常事態でも落ち着いているような人だから、これだけではよく分からない。足止め?
ますます集中して聞き耳を立てる。音使いなら全部聞こえるんだろうなぁ、とエナはちらりとデインを思い出した。
何か話している。
(普通の会話? 大変な状況ならそれっぽい声で話せよな~)
ところどころ聞き取れる会話。エナ、契約、殺すとか殺さないとか――…この単語は、どう解釈すれば楽観視できるだろう。ルイスが契約者かは確信を得られないが…。
少し長い問答が続いた。
やがて、微妙に声色が変わる。
「そんなの、…巡り巡って自己満足のためだよ」
ルイスはそう言った。力が込もっていた。
にわかにドアの向こうで動きが激しくなる。仕掛けたのは、ルイスだろうか。何を。
「どういう、ことだ…? あんたは…」
「またな、リーフ」
珍しく驚きが滲むリーフの声を、ルイスが遮った。
エナは思わずドアノブを回す。開きかけたドアから手を離して、剣に手をかけた。そして、ドアを静かに押す。
そのまま、立ちすくんだ。
飛び散った血が床を汚していた。どう見ても軽傷ではない。
リーフはそのすぐ傍に膝をついていた。
ゆっくりと開いていったドアが、キイ、と音を立てた。リーフがぱっと振り返ってエナに気がついた。手には血まみれのダガー。返り血を浴びて、何も知らずにこの光景を見れば、まずはリーフを悪人と認識するだろう。刺されたであろう相手がこの場にいないという明らかにおかしい点があるのに。
血の匂いがする。とにかく、たぶん、リーフの怪我ではないようだ。それでもエナは尋ねずにはいられなかった。
「リーフさん、大丈夫ですか?!」
慌ててリーフに歩み寄って膝を付く。
するとリーフは、何が意外だったのか、一瞬呆けた。そして小さく笑った。意味がわからない。
「お前は僕が思ってたよりずっと強いな」
「えっ」
こんな状況で何を言っているんだ、と思いながらも、こんな状況でもどきりとする。褒められたということでいいのだろうか。
「大体状況は分かったか?」
分からん、と一刀両断したかった。
リーフはたぶん、刺すつもりはなかった。ルイスはこの大怪我で空間転移した。リーフは戸惑ってそれを見送った。”巡り巡って自己満足のため”に、ルイスは、…。
まだ確定ではない――…いや、これは人の業ではない。
推測でしかないが、状況は、解らなくはない。
エナは頷いた。小さく何回か。
「…はい」
いろんなことを聞かなければ。流石にリーフも話してくれるだろう。エナの狙い通りだ。リーフは話してくれるはずだ。これは事実。エナが知るか、知らないか、それだけだったこと。事実だ。
「これ片付けないと」
汚れた床に目をやって、リーフがぼやいた。
「あーあ、まったく、弁償したらいくらかかると思ってるんだよあいつ」
相変わらず飄々としている。
(片付け終わったら色々話そう)
エナもそう思って、目下の現実問題に目を向けた。
ところが、文句を垂れながら立ち上がろうとしたリーフが、途端によろめく。
「リーフさん!?」
咄嗟に支える。意識はあるが、体に力が入らないようだ。
(なんだよ? なんか怪我してた? なんだ?)
焦りながらも、ぐったりしているリーフの体をさっと目視で確認する。返り血。返り血。返り血…特にない、と思う。原因が分からない。
エナの耳に、いつも通りのリーフの声が届いた。
「寝る…」
立とうとするのは諦めたようだ。
「片付けといて…」
そんな指示を呟いた。なんだ、平気そうだ。疲労していたのだろうか? あるいは、ルイスが逃げる時にリーフを弱らせた?
「分かりまし、え、…はい?」
少し安心したエナは返事をしかけて、指示を思い返す。
(片付けといて?)
状況説明とか、謝り倒すとか、弁償とか。そんな現実が頭に浮かんだ。状況説明って。どうすれば。ありのまま話す? 理解のある宿屋ならいいが、そうでない場合非常に面倒だ。
「悪い、任せた…」
リーフは最後にそう言い残して、完全に、寝た。
エナはまずどうしようかと、考える。誤解されるのは困る。ありのまま話すとしても、上手に話さなければ。リーフやエナに疑いが向く可能性だって、こんな状況、大いにありうるだろう。魔法や冒険者や悪魔に詳しい人を呼びたいところだ。
リーフを寝かせたいが、なにしろ血まみれだ。
(ちょっと待ってて下さいよー)
とりあえず、エナは部屋に戻ろうと、リーフを綺麗な床の上に寝かせた。幸い、ここはグラス。冒険者ギルド支部がある。そこの誰かを呼んでくるのが一番よさそうだ。窓口は閉じても、まだ残っている人もいるだろう、たぶん。そこに行くまでに、エナ自身もマントを着用したほうがよさそうだ。黒っぽい服だし、夜なので外では目立たないが、念のため。
エナは部屋を出た。
ドアを閉めて、自分の部屋に戻ろうとすると、魔法使いらしき女性がこちらを見ていた。初心者だろうか。いや、初心者じゃなくても、そうなるだろうか。彼女の表情がひきつっている。
マジかよ、と、顔には出さずにエナは内心呟く。そして焦った様子で彼女に呼びかけた。ほどほどに詰め寄る。
「あんた! 冒険者だな! 悪いがギルドのやつ、できれば魔法使いを呼んできてくれ! 仲間が倒れたんだ、頼む!」
「はっ、はい!? た、倒れた!?」
反応が初心者だった。悪いことしたな、と思いながらエナは演技を崩さない。
(っていうか嘘付いてねえし、ちょっと演技じゃねえし)
「頼むよ、ギルドもう閉まっちまう、人が帰る前に! そこの部屋だから!」
「わ、分かりました!」
大慌てで走っていってくれた彼女を見送りながら、なんとなく、悪い、と心の中で詫びた。あとでなにかお礼をしなければ。
ルイスのいた部屋に戻ると、リーフは穏やかに寝息を立てていた。
(ったく…全然状況が分かんねえ!!)
「早く起きてくださいよ、ほんとに、…はぁ」
あの初心者魔法使いちゃん、大丈夫かな、人見つけたかな、と、エナは彼女の心配ばかりして、そわそわと待つ。
その心配をよそに、エナの言ったとおり、ギルドの魔法使いを連れてきてくれた。説明はしたが、どうやっても不十分で、また後日リーフの目が覚めてから、という話になった。
疑いはかからなかった。刺された相手がいないことと、リーフの体力が著しく奪われていたことが決め手だったらしい。
「相手は契約者ではありませんか?」
冒険者ギルドの魔法使いはエナに尋ねた。
「どうして、そう思うんですか? 俺には…まだ分かりません」
エナはびっくりして聞き返した。
ベテランらしきその魔法使いは、やわらかい口調で言った。
「マナの量と、リーフさんの状態から、独特の魔法ではないかと推測したのですよ。《再現》の魔法によって、眠らせる魔法等の弱い魔法ではないと分かっています。気絶させるだけの魔法もありますが、これは発動と共に効果が即発現します。成功率は高くありません。
体力というのは、操作しにくいものです。回復魔法はよく誤解されますが、体力の回復なんて出来ません。呪魔法には体力を奪うものがありますが、人が行う呪魔法では、短時間で気絶させることは難しい。それだけに、扱うマナも多い。
ところが、契約者や悪魔は、人よりも容易く呪魔法を扱う傾向があります。衰弱させることや、体力を奪うという魔法について、彼らは一番の術者です」
エナも知っていた。悪魔の扱う魔法は、エナの知っている冒険者たちが扱う魔法と、何か違う。詳しくなくても分かる。言われた通りだ。
エナは頷いた。
「たぶん、契約者です」
舌が、声が、唇が、そう紡いだ。
ルイスは、そういう魔法使いでは、なかったはずだ。エナは知らないが、でも、ルイスは、エナの父親の親友なのだから。悪魔の魔法なんて、使わなかったはずなのだ。
*
「よう! 勉強はかどってるか?」
冒険者試験を受ける寸前だったから、十三歳の時だろうか。ルイスはまだ冒険者証を所持していた。契約はしていなかったはずだ。
「優秀な魔法使いとパーティ組めよ」
散々そう言い聞かされた気がする。
魔法も、教わろうとして、でも結局《照らす光》すら習得できなかった。その後冒険者になってから使えるようになった。
最後に会ったのは、その十三のときだっただろうか。
そんなに長いあいだ一緒にいた人ではなかった。だけど最初に憧れた剣士だった。最初に憧れた冒険者だった。
*
「来るなと言ったら絶対に来るなと、言ったはずだ。今回は偶然結果が良かっただけだ」
ルイスと再会したあの日の後、部屋に居るように言ったのに、どうして来たのかと、やはりリーフは尋ねた。エナは真っ直ぐそのまま言葉にした。
「行かなければ、リーフさんは俺に何も話さずにいなくなって、ルイスさんのことも何もわからなくなると思ったからです。そんなのは納得いきません」
リーフは何も反応を示さなかった。宿の一室、気だるそうに椅子に座ってじっと考えている。
「…納得いかない、か。…あの時、剣を持ってきたのは、何のためだったんだ?」
何のため? 答えは見えなかった。あの状況で、剣を携えたところで、誰に剣を向けることができただろう。ルイスを斬ることなんて、薄々どこかで思っていても、出来たはずがなかった。ただ、癖のように剣を携えただけだ。
その程度の思いで、契約者との戦いに剣を持ち冒険者として居合わせたとして、それでは挑むこともできずにただ”居合わせた”だけになる。
防御のために、という苦し紛れの言い訳も思いついた。それなら有り得る理由だ。だが、事実ではない。エナは言葉を探した。思いの核心は、どこか、と。
「…どうにか力になりたかったからです」
リーフの力に、そして、ルイスの助けに。
リーフはしばし考えてから口を開いた。
「僕はセレスを倒す。その過程でルイスを斬るだろう」
分かっていることでも、言葉となると現実味を帯びる。斬るだろう、リーフはそうやって戦ってきた。エナはその姿を見てきた。
「来るか?」
これまで、戦いに来るかと尋ねられたことはなかった。来るな、あるいは、行くぞ。どちらかだ。
ルイスと対峙して、剣を握れるのか?
「行きます」
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