エナ -師匠のこと Ⅰ.旅人と剣
( 1 / 2 )
朝早く起きて、畑仕事。
冒険者になる前、そうして近所のおばあちゃんを手伝っていた。ヒューマンのおばあちゃんは、しわしわの手でも吃驚するくらいの力があって、ちょっと腰が曲がっていて足が遅いのに仕事は早くて、どんなに慣れても必ず挨拶とお礼をする。
「おはようございます!」
デインと別れた翌朝、エナはおばあちゃんに学んだようにした。
「おはようございます。お早いのね」
カリスタの家には客に貸すための部屋があった。一人で過ごすにはちょうどいい、落ち着きのある色合いの秘密基地。エナはそう感じた。ふかふかさわさわしたベッドは乾いた草と、微かな太陽の香り。
安心する…。
整った客室は家主の優しさを写していた。カリスタさんは、おかあさんや、おばあちゃんのようだ…。
今だって、お早い、と言いつつ、既に朝食を作り始めていた。石の竈に、火が炊かれている。
「おはよう」
手伝います、と言う代わりにエナは驚いて小さく飛び上がった。ばっと振り返る。
リーフは何事もなかったかのようにエナの横を抜けて、カリスタに、おはようございます、と挨拶した。装備を外していること以外は昨日の印象のまんまで、なんとなく不自然に感じられた。見えない。日常生活の中にあっても、見えない人だ。
「朝食までにやっておくことはありますか?」
口調は、印象より穏やかだ。こういうものなのだろうか、この人は。エナは内心首をかしげる。
この人は一体、何を思ってやってるんだろう。誠実さは、この見えなさの奥深くに、由来するのだろうか。
「それじゃ…」
カリスタが、手伝いの内容を伝える。
水汲み、その帰りに近くの畑から野菜、果物を少し採ってくる。エナとリーフの最初の手伝いは、それらだった。
畑での動作。リーフは、意外にも、手馴れていた。
(そうか、これまでも、こうやって手伝いとかやってきたからか)
エナが見ていると、リーフもエナのほうを見て言った。
「意外と手馴れてるんだな」
え、とエナ。なんだ、お互い同じこと思ってたのか。
「村のおばあちゃんのおかげっす。手伝ってたんで」
ふうん、とリーフ。
「リーフさんも馴れてるんすね」
「ん。農業やってたから」
「ええ? へえ…! じゃあプロっすね!」
「プロ、って…でももう何十年前だろうな」
「旅する前ですか?」
「うん」
「へええ。リーフさんってメア出身なんすか?」
「まあね」
「俺、ヴァース村出身です。近くですかね?」
「いや、遠い。ディアだ」
「…えーっと。…東のほうの…?」
「よく知ってたね」
「リーフさんは、どうして」
「君は意外とお喋りなんだね。カリスタさんを待たせてるよ」
「あ、はい」
どうして旅人なんですか? これはきっと、まだ訊く機会があるだろう。
(俺、そんなに、普段はお喋りってわけじゃないと思うけど…見えねえなぁ)
*
地の守り主のような精霊がいる。
このメア国全体の主精霊。この村の一帯の主精霊。規模はどうあれ、その守り主を主精霊と呼び、そこに住む人々は精霊とうまくやっていく。
村や町には、最低でも一人、魔法使いがいる――少なくともメア国ではそれを実現している。ただ、問題が起こったときに対処できるかというと話は別だ。精霊と対話出来る者は、ほぼエルフのみ。その上、誰と契約しているわけでなく、人に合わせることもあまりない地域の精霊と対話するには、精霊に歩み寄らなければならない。出来る者の数は少ない。
「暴風が多い? って、このへんの精霊のせいなんですか?」
村の外れ、森の手前。開けた場所がある。剣を持ってそこへ向かって歩きながら、エナはたずねた。
ふたりとも装備は最低限。…というより、エナは剣だけ。リーフはガーダーとベルトは装備していた。やはり高価なものなんだろう。
横を歩くリーフは、否定も肯定もなく、言葉を正した。
「精霊のせい、というか、精霊に何かあったのかもしれない」
精霊に何かあった? エナはしばし考える。
「…精霊の機嫌が悪くて~とか、聞いたことありますけど、そういうんじゃないんですか?」
「ああ、その可能性もあるかもね。それにしては連日のようだけど。被害ももっと大きくなってよさそうだ」
「ふうん…そうなんすね」
このあたりは経験の浅いエナでは太刀打ちできない。ふと聞いてみた。
「そういうの、どこで学んだんですか?」
「…そう、だな」
考えた横顔の、“仮面”が一時取れた、気がした。「あれ、そういえばいつの間に学んだんだっけ」という疑問が見えた。経験しいつの間にか、だろうか。
「まあ、どこで学ぶかはあんまり心配しなくても、関心をもち続ければいいんじゃない」
関心を持ち続ける。エナは頷いた。
村の出入り口は、森の間を縫う道へ続く。外へ出て、道へは入らずに、出入り口の脇の方の開けた場所へ歩を進めた。
さて、とリーフが立ち止まる。打ち合いには十分な広さ。
「とりあえず、軽くやってみようか」
軽く距離を取って向かい合い、リーフは柄に手をかけた。そういえばなぜか2本帯剣しているが、手をかけたのはそのうちの、白くないほうだ。白いほうはなんだろう、2本握って戦う剣士もいるらしいが、それにしては両方とも長い気がする。
エナはまたひとつ増えた疑問をひとまず頭の隅にしまって、剣を抜いた。
「いきます」
「どうぞ」
まだ剣を抜かずに、リーフはさらりと応えた。どうぞと言ったのだから、いいのだろう。エナは、とりあえず、正面から向かう。
振った剣はさっと抜いた剣に受け流され、ついでに足を引っ掛けられた。
「っわっ!?」
突然で驚き、起き上がるのも遅れたエナを、リーフがやれやれと言いたげな目で見ている。
うわあ、しまった。エナはぱっと立ち上がって構えた。
「様子見いらないよ」
言ったのはそれだけ。あとは、やはり、見えないが、呆れ顔は分かった。
でも、そうか…この人は、練習だとか実戦だとか、関係ない。やるなら全部本気の人だろう。
「いきます」
「いつでも」
姿勢は、低く。平均よりも小柄なことは、自覚していた。短所だって活かすのだ。そういう今の戦い方を見てもらうために、今、打ち合っているんだ。
地面を蹴る強さも、先ほどとは異なっていた。
刃がぶつかる、それを受け流される…これ受け流すか…!?と思ったら、さらりと脇を抜けられる――あ、背中から刺される――…。
悟っても、諦めることだけはしない。速さは、そこそこ自信があった。
振り向きざまに振るった刃が、受け流されることなくぶつかった。リーフの目が少しだけ、面白そうに輝いた気がして、エナはにやりとしそうになる。
次の瞬間、刃がすべって、からまり、剣が手から飛んだ。げ、と思ったときには背中をどつかれて叩き倒されていた。
「剣技はともかく」
リーフが呆れたふうな微笑を浮かべながら言った。
「その油断はどうにかしたほうがいい」
エナは何も言えず、恥ずかしくなりながら起き上がり、剣を拾った。まさか手放すなんて。
「何年冒険者やってるの?」
「2年…2年と半年くらいっす」
「…これまでは、パーティを組んでいたのかな」
はい、とエナは頷く。二年半でレベル26。前衛にしては、早いとは言えないペースだ。パーティを組んでいたら、どちらかといえば止めを刺す機会や攻撃の機会も減るから、経験値も減る。とはいえ、レベルも聞かずにどうして分かった。
「あなたがどこを目指しているのかは知らないけど、自分の身は自分で守れないと。どうして冒険者になったのかも知らないけど、Lv50までに辞める人なんてたくさんいるらしいし、そうなってしまうよ」
「辞めませんよ」
むっとして言い返した。
腹立つ。だが、何も間違ってはいない。
冒険者になる前に、魔法や剣を教えてくれた人にからかわれたのを思い出した。腹立つ。しかも言ってることは間違ってないんだ。
すぐ腹を立てるなよ、ド直球に真顔で注意するより傷つかないと思って言ったんだよ、悪い――素直なあの先生はそう言って、それまでの通り、生意気なガキにきちんと教えてくれた。
リーフさんはこっちの事情なんて知らない。今打ち合って、今後のための警告や助言を、率直に、くれた。それだけだ。少し冷静になってみれば、腹を立てることなんてなかった。
「…すみません。もう一度お願いします」
リーフは構えて、承諾した。
余計なお世話でしょうけど、と、エナはやっぱり内心付け加える――話し方はちょっとどうにかしたほうがいいと思います。
平和な午後が過ぎていった。何度も流され、何度も地面に転がった。素っ気ない言い方をしながら、リーフの目はしっかりとエナの動きを捉えていた。
やがて、まだ夕方の気配は遠い時間、リーフは剣を収めてさらりと言う。
「今日はこれくらいにしよう。洗濯物を取り入れに戻ったほうがいい時間だ」
最初よりは多少まともに打ち合って――打ち合わせてもらって――、すっかり息の上がったエナは、剣を収めて頭を下げた。
「ありがとうございました」
「うん」
やはり素っ気ない。と思ったら、ちゃんとエナのほうに目を向けた。
「よく体格を活かしてたし、いいんじゃない。独学?」
急に、見えた気がした。リーフという人が。
エナは思わず、にっと笑った。
「冒険者になる前に、基本的なところは教わりました。あとは独学っす」
ふうん、とリーフ。ぱん、ぱんとエナの背中をはたいた。土がついていたんだろう。何回転がされたか分からない。
あ、すみません、と言ったエナに、リーフまたも簡単に、うん、とだけ返した。
帰り道をたどり始めた。ふとエナはたずねる。
「リーフさんって本当は二刀流なんですか?」
「ん? …。どうして?」
妙な間。また見えなくなった。表情は変わらなかったが…。いや、だって、とエナ。
「二本、帯びてるから…でもどっちも長いっすよね」
リーフは立ち止まった。まだ歩き出したばかりなのに。なんだ?
微かに眉を寄せて、なんだか、突然意味不明の難題を出され問題文すら理解できないような、そんな顔でしばし考えた。
リーフはおもむろに二本目をホルダーから外した。打ち合いでは使わなかった、白い握りの、灰色っぽい布で包まれた剣だ。そういえばどうして布で包んでるんだろう。
その剣を突き出すようにエナに見せながら、リーフは問った。
「これのことか」
「あ、はい」
というか、それ以外何があるんだ。
リーフはまっすぐ、剣越しにエナを見ていた。
「これは…まだ一度も抜いたことのない剣だよ。いつからこれに気がついていた?」
わけがわからない。しかし、リーフが真剣だから、エナは真面目に考えてみた。
そういえば、昨日は、なんとも思わなかった、かもしれない。
「今日、打ち合いの前、くらいですかね…? 昨日は別に、なんとも思ってなかったです」
変だなあ、とエナは首をかしげた。
「そう」
リーフは剣を帯び直した。はあ、と息をついて、力が抜けた。
「気が向いたら話すよ。ただ、この剣のことには、人前で触れないでくれ」
「あ、はい」
全く構わない。構わないが、どうして? 興味を隠しきれないエナに、リーフは少し説明してくれた。
「とても大切な剣なんだ。僕が憧れた人から頂いた。多分、価値も高いと思うから人目に触れさせたくないし、かつ、遠くに置きたくない。たとえずっと装備してても、何も言わないでくれる?」
意外だ。そんな感想を抱いた。たとえ愛用の剣でもなんでも、必要とあらばすっぱり変更しそうな印象だったのに。いつも素っ気ないのに、やっぱり、憧れた人もいるし、頂いた物に愛着も沸くのか――…と、思ったところで、どんだけ心のない人だと思ってたんだ、と自分のことながら突っ込んだ。
本当は、何を心の奥にもっているのだろう。誠実、だろうけれど、その由来や、ほかの熱も、ありそうなのに。
「分かりました」
”気が向いた”とき、どんな冒険談が飛び出すのか。それと一緒に、何が、見えるだろうか。
*
一度も、だ。
二泊目、風に流される雲の合間から、月の光が注いでいる。外気避けのよくある陣が描かれたカーテンを開けると、部屋は薄明るく照らされ、冷たい微風が巡る。白い剣はくっきりとした輪郭で、リーフの瞳に映った。
この剣とも長い付き合いになる。過ごした時間のためだろうか、リーフは物に愛着はもたないほうだが、まるで剣に意志があるかのように感じていた。戦う、戦わない、抜く、抜かない、その咄嗟の決断の時、特に感じるのだ。
鞘は全て灰色の布で包まれ、柄の部分で紐が結ってある。物理的にもこのままでは抜けない。
紐には封術が、布には人目避けがかかっている。人から意識されないのは布のせいだし、簡単に抜けない・抜かせないのは紐のせいだ。そのはずだ。そのはずなのだが、どうしても、その魔法たちすら白い剣に影響されているような気がする。布は人目を避けるが、主であるリーフの目は避けない。紐はたしかに刃を見せることを拒んでいるが、なぜだか本当に拒んでいるのは白い剣自身のように感じられる。
(お前はどうして僕の手に渡ったのかな。一度も抜く機会、無かったんだけど。本当に剣なの?)
もちろん物言わない剣、ただ白く存在し続ける。干し草ベッドの上にあぐらをかいて、リーフは若干不満げな視線を投げかけた。
(失礼、なんて言わない。剣なのか疑われるのはお前のせいだ。僕の技量不足かもしれないけれど、フィオさんにだって抜かせる気ないようだったし、そういうことじゃないんだろう)
かつて共に戦った、『琥珀の盾』の双剣士の名。圧倒的なレベル差があった。彼に抜かせないというなら、一体誰になら抜かせるというんだ、この剣は。
「挙句の果てに」
やつあたり気味に言葉を浴びせた。
(お前は僕の意識の中から消えようとする)
白い剣は目の前にあった。たしかにそこにある。リーフが置いたのだから。だが、視線を逸らした後もそうであるかどうか、リーフには自信がない。
今朝だって、何かが足りないと思って考えに考え、白い剣の装備を思い出したのだ。
じっと視線を注いだまま、リーフはぼんやりと考える。
わがままなやつだ…剣にこんなことを思うなんて、馬鹿馬鹿しい。リーフ自身そう思っている。だが…。
戦友、と感じていたのは、自分のほうだけだったか。それとも、恐ろしく気まぐれなのか。両方だろうか。この剣は、主を変えようとしている。それを望んでいるから、リーフの意識から消えようとしているに違いなかった。
(エナだろ?)
呼びかけてみて、それが正しいと分かった。
会ったばかりのあの初心者剣士にこいつを抜けるのだとしたら、ちょっと癪だが、まあ、抜ける抜けないは技量には関係ないのだ。リーフだって白い剣を貰い受けた頃はただの村人だった。剣より鍬をよく使っていた頃だ。
(お前は剣のくせに、戦士は嫌いか?)
核心を突いた、気がした。同時に、これはエナに言えないな、と、にやりと笑った。
仕方がない。
だが会ったばかりの初心者にくれてやる剣ではない。ならば。
*
「リーフさんって、どうして冒険者資格取らないんですか?」
二日目の打ち合い。リーフと打ち合う際の”ルール”がわかっているから、お互いやりやすかった――とエナは思う。行きます、エナが宣言して、抜かないで待つリーフの、うん、という返事で始まる。剣技云々というより、手も足も鞘も小手も自由に使う、経験による戦いだ。今日は、エナは装備をしてきていた。革の腕当てと膝当て。
今日も今日とて、装備諸共土まみれだ。そろそろ帰ろう、という時間になって、エナは訊ねた。エナは息を整えて、地面に座ったままリーフを見る。
「Lv60とか、なってそうなのに」
「今資格取ったら、僕はLv1だよ」
「…」
それはそうだ。誰だって、どんなに強くたって、最初はLv1なんだから。微妙に噛み合わない屁理屈っぽい返答だと、リーフは分かっていて言っている。違いない。
なんとも言えず呆れ気味なエナに、リーフはもう一度応えた。んー、とため息のような声から始まる。
「取らない理由も特にないけど、取る理由もないから、かな」
エナはその不自然な返答に、曖昧に頷いた。そんな微妙な理由で、それだけで、こんなふうに旅人をやるだろうか。
少し迷ったが、言ってみることにした。
「でも、宿の割引とか、あるとこはありますよ。大きい街とか、宿代高いし、結構いいと思いますけど…。ギルド経由で依頼も受けれるし…」
当然知っているはずだ。経験がエナの比ではないのだから。案の定、リーフはさして反応しない。
「まあね。いい特典だけど、僕には必要ないものだから。…それにヒトの試験のほうだと試験代かかるし、受けるからには受かりたいからちょっとは勉強したいし、でもそうするとお金も時間もかかるだろ」
精霊の試験なら、試験会場に行けば受かる。リーフなら受かるに決まってる。無料(旅費だけ)で、証は悪魔と契約していないことの証明にもなる――リーフが知っていないはずはない。
こんなに強いのに。実績も、あるだろうに。
「…面倒ってことですか?」
身も蓋もなくたずねる。
「ああ、うん」
違った、とエナは直感した。リーフの生返事は、”訂正するのも面倒だしそれでいいや”という返事のようだ。面倒、という理由は違う。
「いつまで座ってるの。戻るよ」
聞き逃した。エナはともかく、急いで立ち上がると、さっさと帰ろうとするリーフを追いかけた。
なにはともあれ、貴重な数日、しっかり学ばせてもらう。
「リーフには、旅人のほうが似合っていると思います」
夕飯の時、カリスタが何かの拍子にそう言った。いつの間にか親しみのこもった呼び方に変化している。
リーフはふっと笑った。
「僕もそう思います」
どうして? とエナは二人の様子に理由を求めて交互に視線を注ぐ。分からん。あれだけ戦えて、冒険者まがいのことをしているのに、資格をもっていないから割引などが使えない。分からん。
畑で採れた野菜と、狩ってきた鳥のグリル。パンよりも平べったい、粉と水と少しの塩を混ぜて焼いたもの。保存してあったチーズを載せて焼いたほくほくの芋。
ぼーっと芋を口に運んでかじろうとし、あっちぃ! とエナは飛び上がった。
カリスタは可笑しそうに、しかし優しく笑った。
「決まりごとなく柔軟にさすらっているほうが、似合っているように思います」
リーフはあっさり頷いた。
「更新するのにも戻らないといけないし。更新長期免除の高レベルになるには、とんでもなく時間がかかるし。レベル不足で剥奪されますよ」
ちぎったパンモドキで野菜と肉を綺麗に巻いて、リーフはそれをぱくりと口に入れた。すげえ美味そうに食べるよな、とエナは不思議な気持ちになる。多分、この人の一番の楽しみは、食事なのではないか。
思わず見ていると、一時目が合った。さらりと視線を外し、飲み込んで、リーフは、まあ、と切り出す。
「本当言うと、僕が憧れた人が、旅人だったんですよ」
エナと目があったことをどう解釈したのか、リーフが多分本当のことを答えた。意図せず訪れた質問チャンス。
「憧れた人?」
エナはここぞと質問する。
「うん。それだけだよ。もう、ここまで旅人でやってきたら、半分意地みたいなのもあるかな」
どうやら本当に本当だ。
「負けず嫌いなんですね。真面目とも言いますか」
「そうそう、真面目なんです。何と戦ってるんだか」
カリスタとリーフが冗談を交わした。
「エナは、なんで冒険者やってるんだっけ?」
突然リーフから質問されて、エナは少し驚いた。先手取られた。
「俺、俺は、あれです、親父を見返そうと思って」
お父様を? とカリスタ。
「見返すって?」
リーフから聞き返されて、正直に答えすぎたな、とエナは少し困った。あんまり楽しい話じゃない。美味しい夕食なのに、話したらそれを壊してしまう気がした。
「いや、親父、冒険者なんですけど、…クソ親父なんすよ。全然帰ってこねえし。だから俺も冒険者になって、同じ職業だけど全然違う冒険者になって、その上親父より強くなってやろうって決めたんすよ。リーフさんは?」
間髪入れず。今度はリーフが困る番だった。あまり困ったようにも見えなかったが、一時考えたのは事実だ。
「僕はだから…その憧れた人が、村に来たんだよ。旅なんて考えてなかった頃に、村に来た。彼の冒険談を聞いて、憧れたんだ。懐かしいな」
そして今は、と続きそうだった。始まりと今とが遠い。おじいちゃんやおばあちゃんがたまにする、昔を見る目をしていた。そこで初めて、エナはリーフの実年齢が気になった。
率直に聞くことはしなかった。リーフは多分、何かのハーフのようだが…。
(ちょっ…とだけ、耳、とがってるもんな。ハーフエルフだとは思ったけど…エルフ、と? ヒューマンかな? ディルだったらもっと、こう、魔法使う感じ…スペルストラップ使ってたし、やっぱヒューマンかな。ディルならあれいらないもんな)
ということは。
(実年齢なんか分かんねえな)
とはいえ、そんなに、永く生きた雰囲気もない。なんとなく、せいぜいカリスタと同じくらいだろうと思う。
どう聞けば分かるか、と悩んだのは一瞬だった。ふと、白い剣が目に入った。そう、食事中だが、外していない。慣れているのか、邪魔そうでもない。その剣、何年前に、どうやって手に入れたのか。いい質問の口実。
(”憧れた人からもらったって言ってましたけど、昨日言ってた旅人のことですか? 何年前にもらったんすか? ”…えーと、”抜いたことないって、抜かずに何年帯びてるんですか?”…こうかな!)
翌日実行した。
「さあ。50年?」
本気なのか冗談なのか分からん。
昨夜吹いた突風で民家の屋根がひとつ飛んだ。その片付けを手伝って、あとは変わりなく3日目が過ぎていった。真偽のほどは分からないままだ。
*
「どうして冒険者にならないか。こいつを何年帯びてるのか」
4日目に、リーフのほうからそう切り出した。打ち合いは、途中だ。
肩で息をしながら見返したエナ。リーフは続ける。休憩がてら雑談でも、といった感じだ。
「冒険者は…《悪魔を倒すもの》とか《悪魔と戦うもの》とか言うだろ。僕はそういうんじゃないんだよ。ただひたすらに、奴らを妨害するだけだ。僕は冒険者じゃない。奴らと戦う人の一人だ。…悪魔と戦うなんてわざわざ言わなくても、みんなそうだ。毎朝起きて、活動する、その中の一つだ…僕はそう思う」
エナは、ただ、聞いていると示すためにこくこくと頷いた。どうして突然、ちゃんと答え始めたのか。なんで、今。
悪魔と戦うのが活動のひとつだなんて、そんなに身近に感じたことがエナにはなかった。
「それから、レベル制度は便利だけど、でも、実際共闘してみるほうが、早い気がするんだよね。経験は分かるし参考にはなるけど、今現在の腕は結局、さ」
ああ、と頷きながら、エナはリーフのひねくれた返答を思い出した。 “今資格取ったら僕はLv1だよ”。
「それから、こいつは」
帯びていた白い剣に手をやった。まるで旧友を思い出すような、やっぱり、ヒューマンのおじいちゃんやおばあちゃんがたまに見せるあの表情。
「僕が、十…いくつだったかな。村に旅人がやってきて、僕にこれをくれた」
そうですか、と終われる話ではなかった。
「…え? …なんでくれたんですか?」
リーフは肩をすくめる。
「さあ? 僕が聞きたい」
「えぇ」
なんだか特別な剣のようだ。そんなものを、理由もなく譲るのか。
多分ね、とリーフ。
「推測だけど…彼の近くには、あの時、悪魔の気配があったようだから、そいつに奪われるのを避けたかったんじゃないかな。それで見ず知らずの僕にくれた。出来すぎた偶然だけど…と、今までは思ってた」
リーフは白い剣を外して、それを眺めた。じとっと軽く睨んだようにも見えた。
「実際には、こいつが、選んだのかもしれない」
「選ぶ? 剣が?」
リーフは応えず、エナに剣を差し出すようにしてみせた。
「欲しいか?」
「えっ!? い、いや…」
いや、と言いつつ、なんとなく剣に目を奪われる。
「そりゃ、…綺麗だし、なんか、いい感じですけど、リーフさんの大事な剣じゃないっすか。いいっすよ。大体、俺、選ばれるようなやつじゃないですし」
「あ、そう」
リーフはあっさり、剣を下ろした。
「正直、僕もまだ譲りたくない」
なんだそりゃ、と混乱した。まるで、譲りたくないけど、譲らないといけない、と、言っているような…。
しかしいきなり欲しいかと聞かれて、他にどう答えれば良かったんだ。
白い剣の、優雅とも言える細めでなめらかな形が、柄の白さが、エナの心に残っている。
欲しいです、とお願いするほどでもないが、欲しくないです、というわけでもない。もしよかったら譲ってくれませんか…これくらいだ。だが、その返事は了承であってほしかった。だからもう、エナから尋ねることは出来ない。
*
アスクからの客人が来たのはその次の昼前だった。
畑仕事を手伝い、狩りを手伝い処理をして、戻ってくると、カリスタが振舞うお茶の香りが漂っていた。
エルフ族の女性とミユ族の男性が、カリスタとリーフとエナが囲んで食事したテーブルについていた。
人の良さそうなエルフの女性がすっと立ち上がる。紺色のローブ。胸元には、魔法協会の証だろうか、三日月の形に似たバッジに、逆三角の布が組み合わさったものを付けている。あまり笑わなさそうなミユ族の男性も同時に立った。音を操ることもできるというミユ族は、エルフよりも幅が広く、大きな耳をしている。彼も似たようなバッジを付けていた。
「こんにちは。アスクから参りました、魔法協会の精霊部魔法使い、ノーラです」
「同じく、シリルと申します」
リーフがにこり。なるほど、この笑顔は外行きの笑顔か、とエナはひとり気が付く。
「リーフです。よろしくお願いします」
なんか乗り遅れそうだ。エナは少し緊張していた。
「エナです。…よろしくお願いします」
リーフに戦いを見てもらうためだけに残ったわけで、自分が場違いのような気がしていた。
(でも、まあ、いいか、見学ってことで…)
自分をそう納得させて、割り切ることにした。
「冒険者ギルドさんが、魔法協会さんに話を回してくださったそうです。早速見てくださるそうですので、よろしければ滞在してくださったお二人も、一緒に行きませんか?」
リーフは頷いた。
「そうですね、お邪魔でなければ是非、見届けさせて下さい」
リーフが返事をして、なんだかそれで、エナも行く流れになっていた。
(魔法協会っていうのがあるのか。で、どこに、これから行くんだって?)
分からないが、今聞く空気でもないし、あとでリーフに聞こうと決めた。
しかし片方は、先延ばしにしたら意味がない質問だ。なんだか分からないがカリスタが外出準備を整えて、皆で家の外に出た。その少しの隙に、エナはリーフにこっそり訊ねた。
「どこ行くんすか?」
一瞬の間があった。
「地域精霊に会いやすい場所」
なるほど、分からん。
カリスタに付いて、魔法協会の二人と、リーフとエナは山のほうに歩いていった。デインと一緒に行ったのとは別の道だ。細い、獣道のようなそこを一列になって進む。迫る草が幾度も靴を掠めた。たまに目印のような木の板踏んだ。どれも半分土に埋もれている。山に合わせて、進みやすいところを縫うように道は続いていた。
次第に上り坂ばかりになり、傾斜も大きくなりだした。どこまで行くんだろう、と思った頃ようやくカリスタが立ち止まった。
「こちらです」
少し開けた場所だった。ただ、やはりそこらじゅうに草花が茂っている。
道の延長線上に、大樹があった。草を編んだ綱がぐるりと幹に結ばれている。ほかの木々は遠慮がちにそこを囲んでいた。
「やはり…ここまで、暴風もなく来られましたね」
魔法協会のノーラがにっこりした。
「カリスタさん、一緒に精霊さんに呼びかけてみましょう。多分、すぐに来てくださるはずです。シリルさん、音の操作を、よろしくお願いします」
「ああ」
ノーラとカリスタは大樹の前へ進んだ。リーフとエナと、魔法協会のミユ族の男性、シリルは少し離れたところで見守る。
精霊が来るのだろうか、と、二人を見守りつつも、エナはリーフの横に立つシリルが気になった。
(音の操作って、どうやるんだろう。全然何もしてないみたいだけど。っていうか、音の操作、今して何か意味があるのか?)
集中させてあげたいから、こっちから出る雑音を遮断するとか、だろうか。なら、静かにしていれば何もしないのか。
あれこれ考えているうちに、さあっと風が吹いてきた。山の方から、流れてくる。
(うわっ…)
何かが大樹の前に、ノーラとカリスタの前に、現れた。と言っても、目には見えないのだ。ただ草や葉を巻き込んで、風がゆるやかに回っているのが見える。
エナには、”それ”が感じられた。目に映る動き以外の、風の中心にいる、”それ”。
精霊がそこにいる。力のかたまりのような、エネルギーが集合した、とても強い魔法のような、かつ、それが安定し継続してそこに在るような。
(やば…こんなのいるんだ…)
体の芯が震えるような感覚。エナは呼び名を思いつかなかったが、それは畏怖だった。
カリスタとノーラは目に映らぬ精霊を見上げていた。二人の声は、エナたちに聞こえない。
エナは長いこと精霊に心を奪われていたが、ようやく、声の聞こえない状況を不自然に思い始めた。
(なんか、声じゃない特殊な会話の仕方があるのか?)
そう思って二人を見ると、いや、ノーラがカリスタに話しかけた。しかし、声は聞こえない。エナは閃いた。
(音の操作、って、このことか!)
思わずミユ族のシリルを見たが、彼はただ二人のほうを注視するだけで、特に何もしていないように見えた。デインはこんなことまで出来てただろうか。
観察していると、手元が動いていることに気がついた。何か、してる? ふと、カリスタたちを注視していたシリルが唐突にエナに目を向けた。びっくりして慌てて前を向く。カリスタとノーラが深く頭を下げて、そして上げるところだった。
渦巻いていた風が森の香りと共にふわあっと広がった。そして精霊は山を駆け上がるように去り、気配が遠くへ消えた。
精霊は、帰っていった。エナは、ふう、と無意識に息をつく。
「交代のお知らせでした。挨拶も、済みました」
ノーラが報告した。シリルは頷きだけで応えた。草の中を歩いて戻ってきたカリスタは、皆にお礼を言って、リーフと、エナに謝った。
「お騒がせしました。地域の精霊が交代になるそうです。それで、私に知らせてくれようとした結果の、暴風だったそうです」
「ああ、なるほど」
リーフが納得して頷いた。安堵の笑みがうっすら見えた。
「良かったです。何か悪いことでなくて、本当に」
「そう言ってくださると、ありがたいです」
「交代なんて、珍しいところに居合わせることができましたし。いい経験をしました」
ノーラも微笑んだ。
「そうですねえ、何百年も変わらない場所もあるくらいですから、本当に貴重な体験ですね。私も、ありがとうございます」
何百年も変わらない、のか。エナは自分がいま経験したことの貴重さに改めて驚いた。
帰路につく時、リーフがエナに言った。
「エナ、運がいいね」
同じようにこの経験をしたリーフへ、思わず言い返す。
「リーフさんもですよ」
*
魔法協会の二人は忙しなく帰っていった。地を駆ける空色の大型鳥のような召喚獣に乗って、「次の仕事がありますので」と。
シリルは一礼し、ノーラは、エナに言葉を置いていった。
「師匠に習って、頑張って下さいね。私も魔法協会の新人ですが、頑張ります」
正す間もない。一瞬困って、とりあえず、はい、ありがとうございます、とだけ返事をした。
師匠って。まあ、師匠か。短期間だったけど。
「師匠だってよ」
何を思ったか、ノーラたちを見送った後、隣に立ったリーフが言った。
「悪くないな」
それは独り言だった。だが何かを予感したエナは、無意識にリーフを見やる。リーフもエナを見返した。
「一緒に来る?」
それは、悪くなかった。今、これから、やることもない。帰る場所もとうにない。ならば師匠と呼べる人と一緒にいるほうが。
若者だけのパーティでこじれて解散した、デインはその頃の仲間だ。デインとはこじれてなかったから、再会できて嬉しかった。苦味もあれば、そうでない縁もある。
リーフは根はとても真面目だろうし、冒険者ではないが十分に、自然に師と仰げる。これからも教えてくれるというのか。
「いいんですか?」
うん、とあっさりリーフ。
「…ああ、でも、エナを連れていけない場所や相手のほうが、もしかしたら多いかもしれないけど。それで良かったら一緒に行こう」
それは“一緒に行こう”なのか? エナが微妙な顔をすると、リーフは付け足した。
「んん、依頼内容や相手によっては僕ひとりでいきたいんだ。そういう相手がいる。こっちから誘っておいてなんだけど、守ってほしいことがある。まず、急に僕がいなくなったら絶対に探さないこと」
随分不吉な。しかしリーフはこれまでになく真剣な目をして、わざわざエナのほうに向きなおってそう言った。
「僕が来るなと言ったら絶対に来ないこと」
エナは頷いた。
「戦闘中、特に悪魔が関わる場合は、僕の指示に必ず従うこと」
もちろんだ。
「食事は疎かにしないこと。…こんなもんか」
最後のはなんだ。
まあいいか。エナは頷いた。
「分かりました。これからも、戦い方とか指導お願いします!」
「んー。じゃあ、これ預けとくよ」
リーフは適当に返事をして、その流れで、白い剣をエナに押し付けた。うっかり受け取ったエナは驚き、リーフを見つめる。
リーフは、ああ、と思いついた。
「ホルダー調達しないと。とりあえず、それまで僕が持っとこうか?」
「あ、あ、…はい、これ、…い、いいんですか?」
「うん」
何か言葉を続けそうに口が動いたが、結局つぐまれた――「剣がそうだと言うから仕方ない。でも見ず知らずの君に渡したくない。だから一緒に行こうと言っているんだ」、そんな続きをすり替えたことをエナは知る由もない。
「もう、この剣があってもなくても、やることは変わらないからね」
( 1 / 2 )