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エナ -昔のこと 0.《花瓶》の村の

 

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 五時前。ぱっちり目が覚める。

 いつもの朝だ。

 お母さんが、もしかしたら起きているかもしれない、と思ったが、大丈夫だった。

 エナは着替えて、顔を洗って、そして朝の畑仕事を手伝いに外へ出た。ひんやりと気持ちのいい空気。上着を着ていないと寒い。まだ日は昇っていない。

 ダークエルフの目は暗い道を簡単に見せてくれる。軽い足取りでいつもの畑へ。

 そこから、いつも通りではなくなった。

 一人多かった。いつもはエナを含んで2人だ。畑の持ち主のおばあさんと、エナ。今日はもう一人いた。

(新しいバイト? 誰だ、でけえな、大人だな? なんでわざわざ早く起きて子供もできるようなバイトやってるんだ)

 まあいいか、と思う。暗い朝はなんだかとても気持ちが落ち着く。

「おばあちゃん、おはようございます」

 おばあちゃんはヒューマンだった。老人になるのはヒューマンの特性だ。エルフなんかは老人の姿にはならないし、ディルとかミユとかその他いろんな種族でも、ヒューマンほど早く老人の姿になるものはいない…少なくともエナは知らない。

 ヒューマンは年齢がわかりやすい。こんなにも細かく時間を刻んで姿が変わるなんて。良くも悪くもあると思うが、エナはうらやましいと思っていた。

(ヒューマンだったら、俺、きっと背が高いんだ)

 早くに一生を終えてしまうけれど、それだけは、エルフたちのほうが良い気がするけれど、でも、エナはおばあちゃんの独特な柔らかい雰囲気が好きだった。

「はい、おはようございます、エナ。今日もよろしくお願いします」

「はい」

 おばあちゃんはヒューマンの老人なのにとても目が良かった。そして元気だった。手伝いを始めたのは、一度、腰を痛めたことがあったからだ。

「ああ、今日はね、もう一人手伝いに来てくれてますよ。何日かお手伝いしてみたいとおっしゃられてね、ありがたく、お願いしました」

 さっきの大人だ。小柄なおばあちゃんの横に立つと、とても背が高く見える。実際、高いほうだろう。男は淡い金髪を肩につかないくらいの長さにしていた。エルフではないようだ…耳はどちらかというとヒューマンに近い。

 目が、不思議だった。薄暗い中でもわかる、青い目…光っているわけではない。ただ、きれいで印象的だった。男はほほ笑んだ。

「俺はルイス。しばらく、世話になる。よろしく、エナ。いろいろ教えてくれな」

 大人だ…大人のほほ笑みのようなのに、どうしてだろう、大抵感じる壁を感じない。本心の、やわらかい笑みのように感じた。大人は全くの他人に対してもこんな風に笑えるものなのだろうか?

「あ、ああ…はい、よろしくお願いします」

 不思議だ――それが、エナが抱いたルイスの第一印象だった。

 

 

「毎朝5時か…よく寝坊しないなあ」

 畑を後にし、ルイスと一緒に歩いた。どうやら変える方向が一緒らしい。

「いつものことだから。…明日から毎日来るんですか?」

 とりあえず話しかけておく。ルイスは、ああ、と笑う。

「足引っ張らないように頑張るよ。畑仕事な、初めてなんだ。知識としては知ってたが、実際やると、ありがたみがわかるよな」

 いい人なんだろうな。こんな素直で大人やっていけるもんなのかな。…ひねくれたエナの思考には全く気付かず、ルイスは続けた。

「おばあちゃん、いい人だな。俺、あの人好きだぜ」

 エナはちょっと笑う。

「俺、あんなにいい人知りません。大人になっても、あんないい人に出会えたらいいな」

 ルイスはエナを横目で見る。

「大人になったら、いい人に出会えないと思ってるのか?」

 素っ気なく聞かれて、エナはつい素直に考えた。

「大人になったら…なんか、もっと…素直じゃ無理なんじゃないかなあって思います。…そうでもねえのかな?」

 ルイスは、どうだろうなー、ととぼけた。エナがルイスを見ると、ルイスは穏やかな笑顔だ。

「周りが素直かどうかはわからんが、俺は、素直でいたいときだけは、素直でいられたらなあって思ってるよ。ま、素直じゃなくてもいい奴たくさんいるしな」

「ルイスさんは素直じゃないの?」

「俺はだから、素直でいたいときは素直でいるように頑張ってるんだよ。んや、頑張るってのは変だなぁ。ごちゃごちゃ考えなきゃならないときは考えるし…ま、素直うんぬんというか、なるようになってるな」

「はぁ」

 結局良く分からないが、まあどうやら適当らしい。

 そうして話すうちに、いつのまにか家に着いた。

「俺、ここなんで。また明日…」

「おお、俺もここだぜ。あれ? フィアーナから聞いてねえの?」

「…え?」

 え? え? ええと?

「俺、おまえの親父のともだち。やー、昨日来てたんだけど、お前寝てたから挨拶し損ねてさ。悪い、驚かせるつもりはなかったんだが」

「あ!!」

 ルイス!そうだルイス!! そんでもってこの声!

――「ニンジンケーキ。ちょっと癖があるけれど、ルイスならきっと好きになるはずだわ」

「お?」

 エナは一瞬固まって、ぶんぶんと首を振る。

「し、知らねえ!」

「へ?」

 ルイスはガクっとして、いやいや今のは知らねえじゃねえだろ、と突っ込んだ。

 エナは家のドアを開けると、ただいまーと叫ぶ。

「かーちゃん! かーちゃん! なんかクソ親父のともだちって人来てるけど!?」

 エナは、怒られるかも、とか、心配してたかも、とか、そんな思いが吹き飛んでしまって、叫んでからそのことに気がついた。

 気まずさを抱えたエナを迎えたのは、いつも通りの朝ごはんの匂いと、おかえり、の言葉と、言葉遣いを叱る母親だった。

 

 

 

「剣士!?」

「おう」

 あっさりと返事をして、ルイスは野菜スープを飲む。なんでか動作がしなやかで上品に見えるのが不思議だ。

「なんだ、意外か?」

ルイスがにやっと笑った。エナは、そりゃ、と言い返す。

「だってディル族だったら、普通、魔法使いじゃないんすか?」

「そう、普通に魔法使いなんだよ」

 ルイスの言葉にエナは内心首をかしげる。ルイスは麦パンをちぎって一口食べた。

「魔法使いであることは前提だ。俺がディルであることと同じくらいにな」

「…!」

 かっけえ…! けどずるいなあ…! 全く威張る様子もなく、当然のように言ってのけた。剣士であることは前提だ、とか言ってみたい…。

「お前も剣士だろ?」

 ルイスに当然のようにきかれて、エナは背筋を伸ばした。

「も、もちろん! 剣士…剣士を目指してるんすよ!」

 本物の剣士の前で、「剣士です」と言いきれず、エナはちょっと口をへの字に曲げた。

「でもぜってえ、強い剣士になるって決めてるんです」

 ルイスを真っ直ぐ見て付け足した言葉。ルイスはなんだか眩しそうにエナを見て、微笑んだ。

「そうか」

 なんとなく会話が途切れて、2人は朝食を食べ進めた。

 食べ終わる頃に、ルイスが唐突に言った。

「エナ、俺でよければ、何日か剣を教えようか。基本的な剣術は、覚えておいて損はないと思う。やるなら当然本気でやるが、どうする?」

 青い不思議な瞳が、エナを見つめていた。ルイスはほほ笑んでいるのに、目だけは、揺らがない、本気の目だ。

 ルイスは一人の剣士に話しかけているのだ。エナは全身が興奮で熱くなるのを感じた。

「教えて下さい!」

 

 

 基礎の基礎から、ルイスに教わった。すべて自己流でやってきたエナは、何もできていないことに気がついたが、それを深刻に考える間もなかった。大変…とは思わなかった。充実していた。

 ルイスは、冒険者試験の受け方と、冒険者になる利点をエナに話した。

 試験は二つあり、精霊が行う試験と人が行う試験がある。

 精霊の試験は、受ける者によって内容が違うため、なんとも言えない。ルイスの場合は、ソードファイターの資格試験だったが、軽い剣の実技と、いくつか問答をしただけで、10分程度で終わったらしい。

 人の試験は、冒険者としての基礎知識を問うペーパー試験と、それぞれのクラスに応じた実技試験がある。勉強せずとも常識があればどんなに運が悪くても3割は堅いが、合格は8割からだ。悪魔やモンスター、戦闘に関する知識、クエストに関する常識、冒険者の心得、地理、歴史、言語、医学。いずれも初歩の初歩。試験は100分、100問で○×問題。

 精霊の試験でもヒトの試験でも、冒険者証と呼ばれるものを授かることができる。

 さらに、ルイスの場合は、試験終了後にマナの石を1つもらうことができた。レアアイテムだ。ただ、精霊は必要な者に必要な物しか与えないらしい。また、マナの冒険者証を得ることで、国によっては国境を越えることが簡単になる。国境に存在する精霊壁をほぼどこからでも越えることが出来るようになるからだ。

 冒険者には年数やレベルに応じて定期審査があり、長く冒険者を続けていれば信頼が生まれる。それだけ魔物や悪魔を討伐してきた、ということになるからだ。そのうち、クエストだけで稼いでいけるようになる。さらに、マナの冒険者証が無くても国境のゲートは人の冒険者証だけでパスできる。

 冒険者の欠点をあえて挙げるならば、レベルに応じた定期審査があることと、試験代がかかること、そして当然のことながら、魔物と対峙する場合真っ先に駆り出されることだ。

「どの国にも一か所以上は受験場所があるからな。精霊たちのやつは、まあ、ヒトの試験の受験場所に行けば、冒険者ギルドの…試験主催してるとこなんだが、そこの魔法使いだか精霊使いだかが、送ってくれるはずだ」

「ふーん。送ってくれるんすか」

 魔法使いが送ってくれる?じゃあ案外近くに精霊の試験も会場があるのかな…と、考えるエナの思考を遮って、ルイスが言う。

「ああ…テレポート《空間転移》でな」

「へ!?ああ、そっちっすか」

 テレポート。テレポートって、日常会話に出るようなもんなのか? 冒険者になればそうなのか ?――エナは冒険者ルイスと世界のズレを感じる。

「テレポートって、大丈夫なんすか?」

 エナが不安そうに訊ねると、ルイスは少し面食らった。え?と少し考える。

「まあ、ちゃんと範囲指定すればな。そこさえ間違わなければ…される側は、じっとしてることが一番だな」

 にこり、とルイス。エナは不安でしかなかった。

「体感してみるか?」

「え!? 今? ルイスさんがするんですか!?」

 慌てるエナに、ルイスは意地悪な笑みを浮かべる。

「ああ、俺がする。動くなよ? 絶対に動くなよ?」

「や、ちょっと待ってくださいよっ」

 本気で怖がって後ずさったエナを見て、ルイスは笑った。それから、悪い、と謝った。

「大丈夫だよ。範囲指定は、他のいろんな魔法にも必要だ。魔法使いの能力は関係なく、まず空間を認知する。それから実際にマナを操る…そこだな、腕の見せ所は。空間魔法は、難しい部類に含まれる。だがまあ、使えない奴は使わないし、使える奴は無茶をしない。普通はな。緊急事態は別だが。普段は自分の力の届く範囲よりも、ずっと内側で魔法を使うんだ」

 初めて、ルイスが魔法について語った。はじめて聞く、魔法の話。よく分からないが、つい聞き入ったエナを横目で見て、ルイスはにっと笑う。

「俺に魔法を語らせると長いぞ?だが、うん、たしかに基礎くらいは知っておいてほしいな、魔法使いと組むこともこれから何度もあるだろう」

 うんうん、と頷いたルイスを見て、エナは、聞き入ったことを少し後悔した。でも、ためになる話は聞けるだろう。

 聞く姿勢になったエナに、ルイスは微笑む。

「エナは前衛だ。前衛は、戦って倒せばいいってだけじゃない」

 それくらい分かってる。後衛を守らないといけない。そう思いながらエナは急かすように頷く。

「魔法使いにも色々タイプがある。前衛が扱う武器が様々であり、戦い方がそれぞれ違うのと同じようにな。

 サポート一筋のやつもいれば、俺みたいな、中衛や前衛みたいな魔法使いもいる。それに、戦闘には全く不参加で回復に徹するやつ、逆に、後方からばんばん攻撃魔法打ちまくるやつとか、あとは、大砲だな」

「…大砲?」

「ああ。大人数の討伐とか、戦争とか、そういうところでしかなかなか活躍しないが。前衛が食い止めているうちに、後方で大魔法を準備する。魔法陣描くなり、詠唱するなり…例えば、気候を味方につけて竜巻を発生させることも、出来なくはない」

「出来なくはない?」

「そう。気候条件が良くないと流石に厳しい。まず不可能だろうな。たとえ魔力があったとしても、マナが足りないだろう。せいぜい雲を発生させて、風を吹かせて…さて、どこまでできるものやら。とにかく、そういう大砲タイプの魔法使いや、前衛ができない魔法使いはとことん守ってやらないとまずい」

 エナは首をひねる。最後のは分かるが…分からん。魔力やマナがあるのは知ってるが、それが何なのか知らない。ルイスはエナの気持ちを察してか、たずねた。

「何が分からない?」

「いや…。…全部?」

 エナは難しい顔をする。全部か、とルイスは考えた。

「だいぶ話が逸れるが…この際だ、魔法の基本も話しておこうか。いつかエナも魔法を使うかもしれないしな」

「俺は魔法無理っすよ」

「そうか? それは誰にもわからないぞ。

 さて、あらゆるものには魔力がある」

 エナは一応頷く。そんな話は聞いたことがある。ルイスはエナの様子を見て、どうした? と問う。

 エナは仕方なく、くだらないかもしれない質問を投げかける。

「魔力って、何すか? …魔力があるのは分かってるんすけど…」

 ルイスは微笑んだ。

「それは、最も難しい質問だ。

 一般的には…万物の源、とか、魂を形成する物、とか…はじまりの樹と同じもの、とか、はじまりの樹が生み出したもの、とも言われている」

「はあ…」

「要するに、分からない。

 俺たちの中には、秘められた魔力と、開かれた魔力があるといわれている。魔法に用いることができるのは、開かれた魔力だけ、とも言われている。俺たちは、どうやってか、その魔力に意志を乗せて、マナに届ける。そしてうまくいけば、マナは応じて、魔法として現れる――ティア《光》」

 ルイスはすいっと空中に指をすべらせる。指先は光の線を描いた。

 エナは息をのんだ。

「どうやったんすか? 言えばいいんすか?」

「いいや、言葉は…俺にとっては、ただのサポートだ。イメージしやすくするためのな。複雑で、強力な魔法ほど、詠唱が必要な場合が多い。あとは、マナに伝えるために言葉を用いる場合もある。今は、分かりやすくするために唱えただけだ」

 ルイスは今度はなにも唱えずに、右手から炎を、左手から何か…飛んでいるそれを見るのが初めてですぐには分からなかったが、水が出現して、交わるはずのない二つが螺旋を描いて絡まり合い、やがて結び合って、互いを消した。シュウっという音がして、そして湯気が散っていった。

 エナはすげえ、と素直に感心する。それが実際どれだけすごいことか分からないまま。

「なんでもできるんすね」

「なんでもはできないよ。マナにも、魔力にも、限りがある。それに加えて、魔法には想像力が必要だ。

 便宜上、魔法を大きく二つに分けるとすると、魔法屋で習うことができる魔法と、自分の自由なイメージを形にする魔法がある。

 魔法屋で習うことができる、定形魔法は、術者のイメージが大雑把でもある程度扱うことができる。

 魔法屋では、呪文と、実際に手本を見ることでイメージ、そしてよりしっかりイメージするための資料を上手に提供してくれる。魔法の教師に受講料を払うって感じだな。

 一般的に広まっている、例えばライト《照らす光》…これは前衛でも、半数以上の冒険者は習得しているだろう。イメージしやすいし、マナ使用量も少なく、魔力も大してなくても大丈夫。魔力に意志を乗せるコツさえつかめば誰でも扱えるくらいだ。こういう、イメージが定まっていて、呪文とイメージと効果が結びつきやすい魔法は、わりと簡単な魔法だ」

「へえー。じゃあ俺も冒険者になったら習いにいったほうがいいんすか?」

「そうだな。まあ、ライトくらいなら後で教えるよ。

 それで、もうひとつの魔法が、自分のイメージを形にする魔法。これができない者は、率直に言って魔法使いには不向きだろう…そんな魔法使いが意外に多いのが現状だが。パーティ組む時はレベルだけで選ぶなよ?」

「はい。でも、なんで駄目なんすか? 別に、魔法屋の魔法だけでもいい気がするんすけど…だって、いっぱいあるじゃないっすか」

「まあなあ。古代語と魔法の効果、長年の研究成果だ。最初のうちは、魔法屋の定形魔法だけでいいかもな。だが、実際に悪魔と対峙したり、難しい依頼に挑戦したりすると、定まった形のある魔法だけでは対応しきれないこともある。

 ただの暗記で、応用問題が解けないように。

 さて、ここでマナの話をしよう。

 世界にはマナが満ちている。ただし、均一ではない。

 そしてマナにも性格がある」

「性格?」

「そう。炎になりやすいやつもいれば、風になりやすいやつもいる。不思議なことにな。大抵はその場所の環境と一致している。恐らく、精霊の影響だろう。例えば火山では炎の魔法が使いやすい。雨が降れば水の魔法が使いやすい。

 さて、例えばクエストでダンジョンに入るとしよう。外とはまたマナの濃度が変わる。マナのタイプも変わる。いざ戦闘になり、例えばウィンドエッジ《風の刃》を唱える…すると、術者が思う以上のマナが用いられ、それに応じて術者の魔力使用量も増えているから、消耗が大きくなる」

「…マナがウィンドエッジになりにくいから、たくさん要った?」

「その通り。

 さらに、同時にもう一人の魔法使いが回復魔法を使おうとする…だが、魔法は思うように発動しない。どうしてだと思う?」

「ええ? …マナがもう全部使われちゃってるとか?」

世界にはマナが満ちている。ただし、均一ではない…そうルイスが言ったことを思い出す。

 ルイスは頷いた。

「そうだ。いくら魔力があって、どんな強力な呪文があっても、その場のマナは限られている。

 ある魔法使いが攻撃魔法を使う。するともう一人の魔法使いが回復魔法を使おうとしたとき、マナが足りずに十分な回復ができないことがある」

「まじっすか」

「まあ、魔法は、発動が終わればマナに戻るから、それから使えばいいんだが。戦闘中に、しかも回復魔法ならなおさら、そんなこと言ってられまい?」

 エナは呻いた。

「やっぱ俺、魔法使い無理っす。性に合わねえ…そんなごちゃごちゃ考えてらんねえっすよ」

 ははは、とルイスは笑った。

「そうか? まあとにかく、そういうことに対処できる魔法使いとパーティ組めよってことだ。自分のイメージを形にできる魔法使いなら、例えヒール《癒し》のためのマナが足りなくても、回復する箇所を絞って、できるだけ少ないマナで応急処置することもできる。集中力のある魔法使いなら、いちいち《風の刃》を唱えなくとも、その場にあるマナを最大限利用しながら、《風の刃》が最大5つになるように連続発動することもできる。

 悪魔と対峙するときは大抵、闇魔法ばかりが使いやすくなり、回復魔法なんかは特に使いにくくなる。無駄に、威力調整ができない《癒し》を使うのでは効率が悪い。特に魔法使いが複数いる場合は気をつけないとまずい」

「すげえなあ…魔法使いがすげーのは分かりました。もう俺、前衛でいいです」

 疲れた顔のエナに、そうか、とルイス。

「残念。じゃ、せめてライトは覚えようか」

「はい、それくらいなら…」

 

 しかし、一日目にはライトの習得すらできなかったのであった。

 

 

 それから一週間ほど、ルイスはエナに剣技だけでなく、素手でどう戦うか、魔法なしで魔法使いとどう戦うかなどを教え、冒険中のおもしろい話を聞かせた。

「それだけ動ければ、そのうち遠距離攻撃は敵じゃなくなるな」

「えぇ? 矢をかわしたりするってことっすか?」

 テレポートとか言われた時も思ったが、別世界だ。

「出来るさ。不意打ちは分からないが」

(出来るのかなあ。ルイスさんが言うんだから、出来るんだろうけど、出来るのかー??)

 

「魔法は常に研究され続けているから、魔法も、魔法を防ぐすべも発展してるんだよ。

 冒険者は大抵、《魔法防御》《物理防御》は常に掛けてる。一撃目は、ほぼ確実に防ぐか軽減することができる。

 だが、それを破るくらい高い威力の攻撃をされたり、連射されると、破られる。

 さらに、《魔法防御》には穴があって…例えば、毒を空気中に撒かれたら、防ぐには息を止めるしかないし、広い範囲で継続時間の長い魔法を使われたら、《魔法防御》が解ける前に自力で逃げないといけないし…つまり、その場しのぎにしかならないんだ。

 そうさせないために、スペルストラップなどの魔法道具や、魔法に耐性のある装備を整えておくんだ。あるいは、優秀な魔法使いとパーティを組むことだな」

「結論はやっぱそこなんすねー」

 

「《魔法破り》っていう、魔法に近い、技がある」

「なんすかそれ!」

「うーん。…俺から言わせれば、ただの気合だ…」

「へ?」

「魔法で動きを封じられた時、気合でどうにかするんだよ」

「…それって…技なんすか?」

「うーん…。でも、相手の魔法よりも強い魔力で応じないと、破れないらしい。

 使ったことないからわからないけど、一応、原理は、形のない魔法と同じなんだろうな。自分の意思を魔力にのせて、マナを変化させる…。…多分、相手の魔法をどうこうするんじゃなくて、周囲のマナに、相手の魔法を引き剥がさせるんじゃないかなあ」

「へえー…」

「魔法と同じだとすれば、とっても大雑把だから、効率悪いし消耗するだろうな。それでも捕らわれてるよりマシ、という場合に使うといいんじゃないか? この、技は、多分、魔法の基礎ができてないと難しいだろう。

 この原理でいけるなら、十分なマナと魔力と精神力があれば、どんな魔法でも跳ね返せるはずなんだが…ま、人には無理かな」

 

 

 ルイスは7日程村に留まってエナにさまざまなことを教えると、あっさりと去って行った。

「あ、今日帰るわ」

「え? 帰るんすか?」

「ああ。仕事仕事。また来る! 上達してないと怒るからな」

「しますよ!」

 ははは、とルイスは笑って、少ない荷物を持って、フィアーナに軽く挨拶して去って行った。

 

 

 また来る、と言ってルイスがやって来たのは、エナが12になったときと、13になったときの2回だけだった。

 

 

「よう! 勉強はかどってるか?」

 13になった日に、ルイスはやってきた。

 勉強、というのは、冒険者試験の勉強だ。マナの冒険者試験だけならペーパー試験はないが、それではレベル表記がないし、宿の割引なんかも適応外のところがあったり、ところどころで不便なのだそうだ。

 前回やってきたときに、ルイスは試験勉強道具をエナにプレゼントと言って置いて帰った。8冊の分厚い本…高価なものだろうに…冒険者になるならいつかは見なければ、と思って、エナは開いてみていた。

 冒険者の心得は、一番薄かったから最初に手を出してみたが、前半は人として当然のことしか書いてなかった。後半になって、冒険者についての基礎知識が書いてあり、試験のこととかクラスのこととか、色々と詳しくなった。冒険者技術一般は、常識だと思えることから、言われてみればそうだ、と納得すること、知らなかったことがあった。一般、ということは本当に基本なんだろうなあ、と思って、覚えるつもりで読んだ。

 歴史の本は3冊もあって、種族や、地理、悪魔のこと、有名な魔物のことが書いてあった。これは面白かった。魔法使いの戦争とか、 エルフとヒューマンの戦争がどうして起こったのか、それも分かった。一番びっくりしたのは、『東』の星の砂漠についての記述だった。空にはリリエンタール《星人》がいて、樹が空の天井を破って枝を伸ばした時に、《星人》たちが樹に枝を縮めるように言ったそうだ。そのときに《星人》たちが落ちてきてしまった場所が、星の砂漠。砂漠の砂は、《星人》の命が終わった後の姿なのだそうだ。

 古代語と、医学は、フィアーナから学んで知っていたが、知らないことはたくさんあるようだ、とすぐに分かった。

「冒険者試験に年齢制限はない。文字はフィアーナに習ったか? 人語は読めるな? エルフ語と古代語は習ったか?

 古代語は少しか…。じゃあ古代語の本も置いていこう」

 はじめは、全部を読むのかと思うと気が遠くなった。

 だけど、冒険者になると決めていた。

 12歳で使えるようになった《照らす光》を使いながら、エナは夜には必ず本を開いた。絶対、読むのに時間がかかるにきまっている。なら、早く読みはじめようと思ったのだ。それに、ルイスがきっと抜き打ちで見に来るに違いない。がっかりされるのは嫌だった。

 幸い、案外楽しく読むことが出来た…古代語以外は。

「古代語は覚えておいた方がいいぞ。相手の詠唱を聞いて効果が分かれば対処の仕方も変わる」

 ルイスに言われたが、実感が沸かない。そんなことが必要になる時が来るのか?分かったところで対処なんてできるのか?

 ルイスは仕方なく、エナが13歳を迎える前日に、最低限覚えておきたいページや単語を教えてくれた。

 

 半年後、エナは冒険者資格を取得した。

 すると、忙しなく日々は、冒険と戦いと、仲間と、ややこしい人間関係なんかで絡み合って、あっという間に過ぎていった。

 父親のようにだけはなるまいと、故郷を拠点にしてしょっちゅう帰った。父親とはほとんど会わなかった。

 母親とはずうっと連れ添って生きてきた。支えていた。そのはずだったのに、数日ぶりに帰ったある日、父親と家で鉢合わせた日、母親は息を引き取っていた。

 待ってくれなかった。看取れなかった。さいごに母親の隣にいてあげられたのは、あいつだった。

 出発したときは、大丈夫だったのに。

「今更帰ってきやがって…!冒険者なんて、やめちまえばよかったんだ!今更になって…なんで冒険者なんか…!」

 父が冷静すぎて腹が立った。ずっと傍で母を支えてきたのは自分だったのに、最後を看取ったのは父だった。母はとても穏やかな顔をしていた。

 だったら、ずっと一緒にいてあげれば、よかったのに。

 そして母は、穏やかな顔で、どこか遠くへ行ってしまった。

 なんだそれ、と思った。

 なんだそれ、そんなんで良かったのか。

 

 当時パーティを組んでいた冒険者の仲間が支えてくれたが、それも半年後には、色々こじれて解散になってしまった。

 苦味を知った。

 ルイスさんは何をしているだろうと、憧れであるあの剣士を思いながら、エナはひとり、冒険者ギルドの掲示板で手頃な依頼を探すのだった。

 

 

 

 

 

 

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