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セルヴァ Ⅱ.ロイ

    1314年、『琥珀の盾』のはじまりの5人。

    魔法使いに憧れるパウリ族のロイは自分からセルヴァを師匠と呼んだ。@1313~1321頃

 

 Ⅰ / Ⅱ / Ⅲ / Ⅳ )

 

 

 

 

 

 パウリ族、という種族があるのだと、知識だけはもっていた。エルミオから学んだことだ。

 小人族の一種なのだが、その寿命は短い。魔法が確立する前、ドマール族の一部の者が質の悪い呪いをかけたために、そのようなことになってしまったのだそうだ。徐々に呪いの効果は薄くなっていっているものの、せいぜい十年の命だという。

 その代わり、半年もあれば身体的に自立することができる。生まれて最初の1,2年は精神的にも成長が早く、覚えも早い。

『南』に住まう小人族だから、『北』で会うことはまずない。

 はずだった。

 

 

 

 

「師匠!見て!できた!師匠!」

 小さな弟子の興奮気味の声に、セルヴァはぱっと立ち上がった。直しかけの布鞄は、糸と針がつながったまま小さなテーブルの上へ投げ出される。数歩で、開け放たれた窓へ歩み寄り、身を乗り出して宿の中庭を見下ろした。

「うわあっ師匠ひっこんで!」

 わ、とセルヴァは顔をひっこめる。小さな草切れを巻き込んだ風が渦巻きながらセルヴァの前髪を掠め、空へ昇って拡散した。

 《風の槍》。セルヴァは笑みをこぼして、再び窓から身を乗り出した。

「師匠ごめん!大丈夫!?」

「ロイ!」

 喜びが溢れる声に、謝っていたロイは一転、にこーっと笑った。

「やった!師匠!」

「やったな!」

 セルヴァは部屋を出て、階段を駆け下り、弟子の元へ走った。

 

 

「へえ、あんたこないだ失敗してたやつ、出来るようになったんだ?」

 ロイの隣に座った小人族の女性が、嫌味っぽい台詞をさっぱりと言い放った。いつもこんな調子だ。

 がやがやと騒がしく狭い町食堂で、5人は夕飯を食べていた。後に『琥珀の盾』始まりの5人となる、エルミオ、フィオリエ、セルヴァ、そしてパーティを組んで一年ほど経った、二人の小人族。パウリ族のロイと…。

 小人族の女性は、高い位置で結んだツンツンの桃色がかった茶髪を揺らし、気の強そうな猫っぽい目をちらりとロイに向ける。戦士小人とも呼ばれるゴブリン族の冒険者だ。

「これで後ろからククルを守れるね!」

「…ふうん、まあねえ、セルヴァじゃ不安だし、あんたでも多少はいいんじゃない」

 これまたさらりと吐くが、これはククルの大きな譲歩の結果なのだった。大事なことは、ロイをいかに遠まわしに褒めるかということだ。セルヴァはどうでもいい。

 セルヴァの隣に座ったフィオリエが、そっとセルヴァの背中を叩いて元気づけた。二人のエルフは苦笑しつつ、憎まれ口ばっかりのククルと、素直すぎるロイを見守った。

「へへ、師匠のおかげだよ!俺やっと魔法使いっぽくなってきたよね!?」

 ロイが目を輝かせて得意げなので、セルヴァは嬉しくなる。

「もう立派な魔法使いだよ。そろそろマナの冒険者試験を受けてもいいかもね」

「ほんと!?やった!精霊様に会いにいくんだよね!?どこにいるのかな!?」

 冒険者の証を手に入れるには、特定の場所で精霊に会って試験を受けるか、人が行う定期試験を受けて、受からなければならなかった。

 フィオリエはずっと前に精霊の試験を受けて冒険者になっていたし、セルヴァとエルミオは、数年前に冒険者として再出発した。ついでに、人が行う試験も受けた。精霊の試験とは”比にならないくらい難しい”試験だったが、エルミオの知識に助けられた。これに受かると、レベル表記の機能が冒険者証に追加されるし、割引が効く宿が少し増えるし、色々便利だ。ククルは、出会う前から両方とも取得した冒険者だった。

「海のほうに行ってみようか」

 エルミオが提案する。

「かなり南のほうになるけど、引き潮の時にだけ入れる試験会場があるって聞いたよ」

「ひきしお?」

「ひきしおって?」

「ひき…?」

 三人の声が被った。小人族の二人と、セルヴァだ。

 海は、とエルミオ。

「水が増えたり減ったりするんだよ。聞いた話では、世界の淵から水が溢れこぼれて減り、それをはじまりの樹の根が受け止めて、再び海に戻すことで増えるそうだ」

 壮大な話に目を丸くする面々。フィオリエも初めて聞いた話なのか、すげえ、と感嘆した。

「だから、いつ引き潮になるか予測できないんだけどね」

「はあー!?」

「じゃあ行ってみようよ!」

 正反対の反応をして、ククルとロイはお互いを見合った。すぐにククルがふいっとそっぽを向く。

「ね、行ってみようよククル。海は見たことあるけど、俺、引き潮って知らなかった。ちゃんと見てみたいんだ」

「うん、まあ、いいんじゃない」

「じゃあ、行ってみようか」

 エルミオの決定に、フィオリエが、そういえばさ、と提案する。

「馬車の護衛かなんか、依頼出てたと思うぜ。人数がどうだったかなぁ」

「ちょうどいいね。見てみようよ。ギルドの掲示板?」

「そそ。ルサックまで行けた気がする」

「港町じゃん!」

 目を輝かせたのはククルだ。言ってしまって注目を集めてから、我に返って言い訳を探している。

「急ぐわけでもないし、ルサックまで行ったら、街を見てまわろう。もしかしたら、誰かが引き潮の時期を知っているかもしれないし、ちょうど、試験会場もルサックの近くだって話だ」

 エルミオが何気なく言って、ロイに微笑んだ。その横で、そっぽを向きながらも嬉しそうなククルには、見て見ぬふりをする。《戦士小人》だって、賑やかな港町や買い物や甘いものや、そういうものが好きなのだ。

 

 

 空色と、輝く海が眩しい。港に向かう白い船を見ながら、掌よりも大きい魚の串焼きを頬張った。

「おいし~!」

 白っぽい石を積み上げた防波堤に腰掛けて、ククルは足をぱたぱたさせた。束ねたツンツンヘアーが涼しげに海風に揺れる。傍らには、まるっこいとげとげの着いた、色とりどりの星のような粒。小さな布袋から覗くそれは、金平糖というお菓子だ。

「砂糖の他に何か混ざってるのかなぁ、ちょっと変わった味がする」

 フィオリエが手を伸ばして、空色の星をひとつつまんだ。片手には綺麗に半分ほど平らげた魚の串焼き。

「なんだろうね。色付けに混ぜたものが、味を変えたのかな」

 言いながらも、セルヴァはまだ食べていない。魚をかじっている途中で甘いものを食べる気にならない。フィオリエは気にせず金平糖を噛んだ。

「見た目がいいから値段が高いのかと思ったけど、それだけじゃないかもな」

 ひょい、とエルミオも金平糖をつまむ。

「保存もきくから、いいね」

 ククルの横、金平糖の袋をはさんで防波堤に座ったロイは、骨について残ってしまった魚の身を上手に取ろうと奮闘していた。みんなの会話に振り返って、金平糖の袋を見て、ククルに笑いかけた。

「それに、綺麗だよね」

 間があった。不自然になる前に、エルミオが応えた。

「そうだね」

 その返事とともに、ククルが何気なく、ため息とも返事ともつかない相槌をうった。

 ロイは満足そうに笑って、振り返ってエルミオと笑い合った。

 

 

 引き潮の時期は近かった。とはいえ5日間ほど待たなければならず、人手の足りなさそうな仕事や、冒険者ギルド・ルサック支部で依頼を探し、それをこなして過ごした。食べ物は安いが、宿はそこそこの値段だったのだ。

 

「師匠、あのさ、まだ早いかもしれないんだけどね、」

 空いた時間、街から少し離れた浜辺で魔法の練習をしていた。すっかりコツを掴んで《風の刃》を2つ同時に発動させることに成功したロイは、顔を輝かせて切り出した。胸いっぱいの興奮、頭いっぱいの夢がにじみ出ている。

「俺、いつか精霊使いになれるかなあ?」

 なれるよ、と、即答してあげられたら良かったのに。セルヴァには答えられなかった。なれない、とも言い切れないが、そもそも、エルフ以外の精霊使いはほとんどいない。いたとしても、ディル族かドマール族、あるいはエルフの血が混ざっている者だろう。セルヴァやフィオリエは固有精霊がいるが、自在に精霊の力を扱うには至っていない。精霊使い、と自称しては恥をかく。

 それに、パウリ族の寿命は十年程度。

 セルヴァは言葉に詰まり、結局、正直に言うしかなかった。

「…分からない」

 ロイはただ、その言葉を受け入れた。一時理由を待っていたようだが、すぐに頷いた。

「そっかー。やっぱりすごいものだもんなー。師匠やフィオリエみたいな精霊使いになりたいなぁ」

 セルヴァは首を振って笑った。

「私たちもまだ、精霊使いではないよ」

「えっ、そうなの?」

「固有精霊がいても、自在には、扱えていないからね。本当の精霊使いは、もっともっと精霊のことを理解して、一心同体になってるんだ。僕たちは、…うーん、兄弟、みたいなものかな…」

 兄弟?親子?セルヴァは悩む。ともかく、とても近い存在ではあるものの、一心同体というにはまだ遠い。

「そうかあ…!」

 感動したような声。見ると、ロイは目を輝かせていた。

「俺、それでもいいなあ…!精霊と一緒にいるってどんな感じなのかなあ…」

 セルヴァは一瞬戸惑った。眩しい。ロイはときに、セルヴァが信じられない方向に考えを進める。今だってそうだった。精霊使いにはなれないのか、と落胆するかと思いきや、この反応だ。

 この前向きな思考が出来るロイに、セルヴァは一目置いていた。自分にはありえないものだ。

 だからセルヴァは、どうにか、応えてやりたかった。

「精霊使いになるにしても、まずは精霊と出会わないとね」

 ロイが嬉しそうにセルヴァを見上げた。セルヴァは微笑んだ。

「手伝うよ。固有精霊って伝手もあるし、他の精霊に呼びかけて、ロイと出会えるようにやってみよう」

「そんなことできるの!?すげえー!」

「やってみたことはないけれど、できるはずだよ。試験会場の精霊様にも、出来れば助言を頂こう」

 ロイは両腕を突き上げた。

「おーっ!」

 

 

 引き潮、断崖の下の洞窟が姿を現した。

 街から離れ、砂浜が岩場に変わった場所、そこを回り込んだところに、ぽっかりと暗い穴が開いていた。魔法使いたちは、マナの濃さを感じる。

「入ってる間に海が上がってきたら、出れなくなるのか…?」

 濃い海の香りに不安を掻き立てられたのか、フィオリエが不吉なことを言う。

 フィオリエとセルヴァ、それにロイの《照らす光》は、薄い色の岩が続く道の最奥には届かない。足場は悪くないが、所々に海水が残っている。

「パッと行ってパッと帰ればいいだけじゃんか」

 ククルが鼻を鳴らした。

「何日もこもらない限り、閉じ込められることはないよ。はじまりの樹が水を吸い上げて戻すのも、時間がかかるからね」

 エルミオの言葉で安堵の空気が広がる。

「なーんだ、先に教えといてくれよな」

 フィオリエが思わず言った。

 

 五人はただただ続く道を進んでいった。貝のようなものがまとまって張り付いていたり、海に置いて行かれた海藻が残っていたり、つい最近まで海の中だった痕跡を見つけて不思議な気持ちになる。

「なんかすごいなあ。来れなかった場所に来て、歩いてる」

 ロイはそう言うと、勢いをつけて大きな水溜りを飛び越えた。その端に着地して、水溜りを揺らめかせる。

「あー惜しい!」

 先に跳んでいたククルも同じ結果だった。エルミオや、エルフたちは問題なく飛び越える。ひとまたぎに少し勢いをつければいいのだ。

「風の魔法を応用したら、飛び越せたかもしれないよ」

「ああっ、そっか、攻撃じゃないふうに使えば、もっと色々出来るもんね!」

 師弟は、どうイメージしたものか、どう唱えたものかと、話し合い始める。

「呑気ね~」

 ついていけないククルが聞き流しながら呟いた。

 

 やがて、終点の広場にたどり着いた。少し下りになっていて、空間の奥のほうは湖のようになっている。

「ここだね」

 エルミオは見回すと、ロイを振り返った。

「”入口”はいつの間にか通り過ぎていたみたいだ。ここに精霊様がいるはずだよ、行っておいで」

「うん、行ってくる!」

 ロイは軽快に駆けてゆき、“湖”の辺に立った。

「精霊様、こんにちは!俺は、ロイです!冒険者になりたくて来ました!試験よろしくお願いします!」

 元気のいいロイの声が反響した。それが消える寸前、ロイは誰かに呼ばれたかのように、湖へ近づいて、膝をついて覗き込んだ。後にセルヴァたちが聞いた話では、精霊に呼ばれてそうしたのだそうだ。

 

 覗き込むと、そこには当然、自分の顔が写っている。その顔が、にっこり笑って言ったのだ。

「ようこそ!」

 ロイは目を真ん丸にして、驚くとともに感動した。

「精霊様っ!?」

「そうだよ。こんにちは、ロイ。私は、”水”」

「水?水様?」

 映ったロイの顔が面白そうに笑った。

「名前というより、性質だよ。ごめんごめん、まだ不慣れなものでね。ええと、名乗るなら、…私は、海の精霊だよ」

「海の精霊様?って呼んでいいですか?」

「どうぞ。ごめんね、まだ名前というものが、どうしたものか…。いやいやそれはともかく、試験を受けに来たんだったね?」

「はい!」

 大きく頷いたロイを、水に映ったロイ――海の精霊はまっすぐ見つめた。

「冒険者になりたい?」

「なりたい!」

「冒険者の、何になりたい?」

「精霊使い!」

「ほう!」

 口調はロイのそれではなかったが、海の精霊はロイそっくりに顔を輝かせた。ロイは得意げだ。

「いいでしょ!」

「いいね!」

「まずは、魔法使いになって、それから、精霊と出会うことから始めるんだ!」

「それはいいね。私は主を持たないと決めているけれど、あなたと契約したい精霊もきっといるよ」

「うん!」

「精霊のこと、好きでいてね。すぐには上手くいかないかもしれない。でも、あなたが精霊を好きでいてくれたら、精霊もあなたのことが好きだよ」

「うん、わかりました!」

「頑張って!」

「ありがとう!」

 水の中のロイ、海の精霊は、手を差し出した。それは水面だけに留まらずに、湧き上がる。不器用に手を象って、水が差し出したのは、銀の丸いブローチのようなもの――冒険者証だ。

「魔法使い、ロイ。応援しているよ」

「はいっ!頑張ります!」

 ロイは冒険者証を受け取った。海の精霊がにっこり笑うと、水の手はぱしゃ、と音を立ててただの水に戻ってしまった。

 水面には、海の精霊がもういなくなってしまったのかと覗き込むロイ自身が映っている。

 にっこり、笑い返した。

「ありがとう!」

 ロイは立ち上がると、仲間のもとへ駆け戻った。冒険者証を誇らしげに持って。

 

 

 ところが――セルヴァにとっては”ところが”という接続詞が相応しかった――二年が過ぎても、ロイはまだ精霊使いになれなかった。それどころか、精霊と出会っても契約せずにすぐ別れてしまう。

 当然といえば当然だ。そもそも小人族は、エルフ族とは違って精霊の世界を知らない。魔法使いだからそこそこは分かるのだが、まだ”向こう”の表面に触れた程度にすぎない。ロイは魔法使いとしては腕を上げていたが、精霊のほうからも少し”こちら”に合わせてもらわなければ、話すことも難しかった。

 そんな状態で契約などできるはずもない。

 それでも、練習にはなっているから、セルヴァは穏やかで人好きな精霊に呼びかけては、できるだけロイと引き合わせた。

 ロイに焦りは見えなかった。

「師匠ありがとう!いろんな精霊さんがいるけど、みんなすごくいい人だね!」

 だからセルヴァは焦りを隠した。

 パウリ族の寿命はせいぜい十年。出会った頃は五年目の始めだったそうだ。…あと一年?あと二年?

 

(ロフューレ…)

 夜、宿の裏手、静かな場所でセルヴァは呼びかけた。父親のような気配をもった固有精霊に、言葉もないまま不安や焦燥感をさらけ出す。どうしよう。どうすればいいんだろう。

(…冒険者試験のとき、試験官の精霊に、止められるかもしれないって思ってた。精霊使いは無理だろうって。でも、そうはならなかった。やりとりは聞こえなかったけど、応援してくれたとロイが言っていた)

 無理だなんて、セルヴァは思いたくなかった。一番、ロイを応援していたかった。

 それとは反対の気持ちを、絶対に出すまいとしてきた。でもそれは、いつも消えなかった…。

『たしかに、精霊使いになるのは難しいことだろう。種族による不利は残念ながら確かに在る』

(うん)

『セルヴァ、もっと根本的な話をするよ。どうか聴いておくれ』

 なんだろう、とセルヴァは精霊の声に耳を傾けた。関心をそそる前置きだ。

『精霊使いになるというのは、最終的な目的なのかな?』

 

(ん??)

 予想外の言葉にセルヴァは混乱した。本当に根本を覆す質問だった。

(最終的な目的なのか?)

 一度繰り返して、セルヴァは問いを飲み込む。最終的な?目的?なのだろうか?

 答えという答えが出てこないまま、セルヴァは首をひねりつつ、思ったことを返してみる。

(でも、なれたら、ロイは喜ぶと思う)

 自身も納得しないまました返事だったが、その返事だって本当の気持ちだ。

(最終的な…目的?)

 また繰り返してみる。ロイの最終的な目的?それを考えることは、ロイの生きる意味を――ロイがなんのために生きているのかを、考えることのようだと、セルヴァは頭を悩ませた。

『それも大事だけど、問いが広くなってしまうね。まだそれはゆっくり考えていかないかい。

 精霊使いになることは、最終的な目的だと、思うかい?』

 穏やかに繰り返された。

 セルヴァは単純に、ひとまずその問いだけに向き合った。

(いや、そんな気は、しない)

 目的、ではないように思う。ひとつの目標ではあるかもしれないが、最後は、そこではないだろう。セルヴァの脳裏には、ロイの喜ぶ顔があった。無意識に浮かんだそれを、ロフューレは感じ取ったのだろうか。

『一番大切なことは、精霊使いになることというより、ロイがやりたいことをやれるということや、喜ぶことだね?』

 衝撃と混乱の波が押し寄せた。

(あっ。あ、あれっ?ん?)

 集中力を切らしてしまい、セルヴァは一人になって考えた。自分で言葉に直すことが出来ていなかった理由を、ロフューレが形にした。それが、かっちりと、セルヴァの気持ちに当てはまりそうなのだ。しかし、精霊使いにならせてやろうと思ってやってきたのに、これまで形もなく無意識だった気持ちをすぐに受け入れるのは難しかった。

 確かにそうなのだ。ロイが、精霊使いになったら、喜ぶと思うから。ロイが、なりたいと言って、本当に目指しているから。だからセルヴァは、それを叶えてやりたいと思っている。

 それは間違っている?…いや、それは、間違っているわけではないと思う。

 でも、ロフューレと話した今、何かが違う気がしている。

(ああ、そうだ、そう、最終的な目標ではないんだ。それなのに、精霊使いになるってことばかり考えていたんだ)

 そこまでは納得した。すぐに次なる混乱が訪れる。

 精霊使いを目指すのは、多分、いいと思う。何が、この違和感を生み出しているのだろう。

 焦りすぎということ?

(でも、焦るよ…)

 セルヴァは目を閉じた。ロフューレの優しい気配がする。

『そうだね』

 間があった。

『精霊使いになれたら、それはそれは、嬉しいだろう。でも、これまでもロイは笑ったし、幸せに顔を輝かせたし、セルヴァに、ありがとうと、言ったね』

 そうだ。セルヴァの脳裏に、それが蘇る。幸せそうなのだ。いつだって、ロイは楽しんでいる。意識してそうしているのか、本当にそうなのか――多分、本当にそうなのだ。

”師匠ありがとう!いろんな精霊さんがいるけど、みんなすごくいい人だね!”

 ロイはなにも嘆いていない。セルヴァがしたことに、嬉しそうにして、楽しそうにして、感謝をした。セルヴァはそれをなくしたくない。もっと与えてやりたい。

(ユン…)

 不意に自分の兄とも師とも言える人を思い出して、セルヴァは少し昔の自分に戻った。

 魔法を、戦い方を、生き方を、教えてくれた。そうして生きるしかなかったとはいえ、それは、嬉しかった。ユンが喜べばもっと嬉しかった。

 ロイはセルヴァと違う。だけどきっと、基本的には同じだろう。いろんなことが新鮮で、セルヴァから学ぶ魔法、それを習得することにわくわくする。使えれば喜ぶ。きっとセルヴァが喜んだとき、ロイはもっと嬉しいだろう。

(心から、…ロイのように、楽しみ、喜んで、心からそう振舞うことは、出来るかわからない。…だけど…)

 自分の師匠と、弟子の、笑顔が脳裏をよぎる。

(やってみるべきだね)

 ロフューレは、やや考えたような間を空けた。

『難しいことを言うようだけど、無理を、しないように』

 微妙な空気をまとうその言葉で、セルヴァは、自分がなにか履き違えているような気がした。そのかすかな惑いを察知したロフューレは、続けた。

『セルヴァが無理をすることも、ない。無理をしては、それも伝わってしまうし、セルヴァも疲れてしまう』

(…うん。…でも…)

『だから、』

 師と弟子の笑顔、それを求める、だから。

『ロイが精霊使いになるのを、ただ心から応援して、手伝ってあげてはどうかな?』

 それは、これまでもしてきたことだった。ただし、今は、精霊使いになること自体が本当に一番重要なことではないのだと、分かっている。

(そうか、それでいいのか…)

『結果はおのずとついてくる。過程を幸せなものにするかどうかは、セルヴァが大いに関わることだ』

 過程。過程までで終わるかもしれない時間。それが全てかも知れない。それを無駄でも残念でもない、少しでも幸せな何かにしてやりたい。それしか出来ない。それなら、してやれる。

 目指す気持ちは本気だ。焦りだって、消えたわけではない。しかし今は、大事なものは何か、ついさっきよりも分かっていた。

 ふと、ロフューレがささやいた。

『私たちも、お別れするのは、辛いと感じるのだよ。……契約という関係まで至らなくても、彼は多くの”幸運”を与えられるだろう』

 セルヴァは目を閉じたまま、精霊の気配を感じたまま、立ち尽くすようにじっとしていた。

 それでも出会った自分と、ロイと。ククルと。迎えたエルミオやフィオリエと。

 父から離れたトゥールバロン、ロフューレとなった精霊の気持ちと。

 どちらが良いなどと言えることではない。精霊がロイと出会って、共にいられたなら素敵なことだと思った。それは変わらない。

 別れが目前であることも、変わらない。

 セルヴァは、精霊ほどではないだろうが、長命な種族に生まれたのだ。

 それだけが違うだけだ。選べないのは、そこだった。選べないことなのに、悩ませるのだ。

「それでも、私は出会ったんだ。ロイは私の弟子だ」

『そうだ、誇らしきものだ』

 ロフューレも、ロイを愛しているのだ。セルヴァと共に、彼を教え、見守っている。

 セルヴァはゆっくりと目を開けて、次に何を教えるべきか、考えを巡らせ始めた。目指すは、精霊使いだ。

 

 

***

 

 

 『琥珀の盾』の名前はね、と、秘密の話をするように、小さな弟子は楽しそうに教えてくれた。

 ロイが冒険者となった翌年、『琥珀の盾』は誕生した。

「俺、琥珀っていうのを見たことがあるんだよ!琥珀って、本当は、もっともっと、世界よりも長生きな場所じゃないと出来ないんだって。樹が何か関係して、時間が経って、できるんだって、偉い人が言ってた。

 時の魔法を使ったりしないと、琥珀はできないんだって。他の物が壊れて砂や風になっちゃうくらい時間が経ってやっと、琥珀が出来るのかもしれないんだって」

 

 

 こんな試験会場もあるのだな、と、驚嘆の言葉を漏らしながらフィオリエが見回した。

 そこは、大樹の虚の中だった。

 一見すると地面が隆起して中が空洞になっているかまくらのような気がするのだが、それは大樹が根元のほうだけ残して枯れた姿だった。枯れた、といっても、若い芽や花や、蔦、草木に覆われ命に溢れている。

 一箇所だけ、崩れたのか、意図して開いたのか、大樹の虚へは入れる場所があった。数段、木の根を登り、蔦の這う短いトンネルをくぐると、意外にも明るい緑の世界が目に飛び込んできた。

 天井にあたる部分は穴が空き、木や蔦、その葉で縁どられ、降り注ぐ光がそよそよと優しく揺れる。少し湿気が多く、緑の匂いが濃かった。

「すごいなあ。この樹は、すごいなあ…」

 ロイは感極まったように度々そう言った。目を輝かせているのはロイだけではない。5人の誰もが、こんな光景は初めて見たのだ。

 草や苔が薄くなってできた道を、5人は歩いた――それほど広いのだ。横切るには、30歩も必要だろうか。ロイとククルには40か50歩かもしれない。

 先頭にいたエルミオは、光の注ぐ中心の手前で止まった。

「樹を司る精霊、ラルフィリース様」

 エルミオが静かに呼びかける。声は緑に吸い込まれ、後には鳥や虫の声、草花の揺れ擦れる音が続く。

 しばらく待った後、エルミオは再び口を開いた。

「冒険者の、エルミオと申します。私はかねてから同盟の創設を考えて参りました。

 ラルフィリース様に私たちの同盟の創立の立会人となって頂きたく、ここへ参上しました」

 さわさわっとこの葉が鳴った。樹が、古代から響いてくるような重い音で鳴いた。暖かな気配とともに、どこからともなく声がしてくる。

『ようこそ、エルミオ。そしてお仲間の方々。不思議な方、ひとつ聞かせてください。なぜ私がここにいるとお分かりになったのでしょう?』

 単純に興味がある、といった様子でラルフィリースはたずねた。

 それは、精霊とともに生きるエルフ族のセルヴァやフィオリエも気になっていたことだった。エルミオがなぜ、ラルフィリース、と呼びかけたのか、全くわからなかったのだ。

 マナの冒険者の試験会場には精霊がいるが、それが誰なのかは分からないのが普通だ。フィオリエだって、自分の試験会場にいた風の精霊の名前を知らない。

 エルミオは逡巡した。

「…ラルフィリース様の気配がしたからとしか、お答えできません。私にとっては不慣れな感覚ですが、ラルフィリース様の気配を存じ上げているのに、どこで知ったのか、思い出すことができません」

 ラルフィリースは何も言わなかった。ややあって、さあーっと葉が鳴った。まるで、何かに気がつき、納得し、喜ぶか楽しんでいる、そんな様子だった。

 ざわめきの中に、呟きが混じる。

”マナ エナディ … マナ…”

 マナエナディというのは、はじまりの樹から古代語を学び、定形魔法を広め、冒険者という概念まで作り上げ実現した、ディル族の魔女。伝説的な存在だ。誰だって名前は知っている。

「マナ…」

 エルミオが呟いた。

 ざわめきが収まると、ラルフィリースはヒトの言葉で伝えてきた。

『エルミオはあのヒトに似ています』

「…そうですか」

 ラルフィリースが何を意味して言ったのか分からず、エルミオはただ相槌を打つ。それだけかと思いきや、冗談なのか真剣なのか判断が難しい真顔と素っ気無さで言った。

「マナエナディが私の親なのかもしれませんね。時期としては、可能性がありますから」

 だが、エルミオはディル族ではない。魔法もたいして使えないし、ディル特有の明るい瞳をもっていない。

 ラルフィリースも具体的なことは何も言わず、「そうかもしれませんね」とだけ言った。

『同盟創立の宣言を、ここで行うのですね?』

 ラルフィリースの確認に、エルミオは頷く。

「はい」

『わかりました。冒険者エルミオの同盟の誕生を見届けましょう』

 その言葉と共にはらはらと、葉や花びらが舞い降りてきた。若草色、萌黄色、千歳緑、深緑に、桃色、水色、黄色と混ざる。一枚一枚だったものが重なり合い、それはひとつになって、ばさっ、と一度羽ばたいた。

 精霊ラルフィリースは――気を遣ってくれたに違いないのだが――鳥の姿となってエルミオたちの前に現れた。

 鳥は、動くたびに葉の擦れる音をさせながら、エルミオの前へ降り立った。三十センチほどの鳥だ。

『エルミオ。あなたの同盟は、何を成しますか?』

「我が同盟は、秩序を守ることに貢献します。

 悪魔や魔物の討伐は冒険者の本業。そして、心をもつのが人。我らが向き合う相手は人であるということを肝に銘じ、冒険者としての努めを果たします」

 心をもつのが人…永く生きると、大前提ですら、意識しなければ忘却の彼方に消えかねない。エルフの二人、セルヴァもフィオリエもまだヒューマンにすら「若い」と言われる程度しか生きていないが、他人を見て時折それを感じていた。

『あなたたち自身も人であるということを、忘れないで下さいね』

 ラルフィリースは暖かくそう言った。エルミオは少し面白そうにしながら、頷いた。

「そのお言葉を、時折思い起こすことにします」

 微笑んだエルミオに、様々な緑が混ざった鳥は、ぱささっと少し羽ばたいた。

『それでは、エルミオ、名付けをしてください。聞き届けます』

 名付け、とエルミオは呟いて、4人を振り返って見た。

 考えてきたんじゃないのか、とでも言いかけたのだろう。フィオリエがそんな気配をみせたが、結局は留まった。エルミオがあまりに落ち着いていたからだ。

 エルミオは4人を順番に見て、最後にロイに目を向けた。ロイはきらきらした目でエルミオを見返す。

「ロイ」

 エルミオに呼ばれて、うん、とロイは元気に返事をする。

「同盟のガーディアン、パウリ族の戦士、ロイ。名付けを引き受けてくれるかい」

 ロイは急に振られた大役に、さらに表情を輝かせ、大きく息を吸いこんだ。嬉しくて笑みがこぼれそうな表情で頷くと、メンバーを、ロード・エルミオを、剣士フィオリエを、魔法使いの師匠セルヴァを、そして、ククルを見た。

「エルミオ、名前はね」

 エルミオを見て、ラルフィリースを見て、ロイはにかっと笑った。

「琥珀…琥珀の、盾。俺たち、ずーーーっと冒険者して、守っていくんだ!」

 ロイの宣言に、エルミオは力強い笑みを浮かべた。そして、鳥に向き直る。光の中でマントが翻った。

「『琥珀の盾』の創立を、ここに宣言します。私、エルミオはロードとして『琥珀の盾』を率いる任を勤めます。ここにいるメンバーを同盟幹部であるガーディアンと認め、精霊によってマナの冒険者証に同盟の証を与えられることを望みます」

 鳥は羽ばたき、飛び立ちながら、はらはらと、再び葉と花弁に戻っていく。光を反射し輝き、太古の響きが祝福の音楽のように鳴り、その中でラルフィリースが唱えた。

『 《 『琥珀の盾』ロード・エルミオとガーディアンに 証と、祝福を。

 あなたたちの旅路に 幸多からんことを 》 』

 祝福の中で、『琥珀の盾』の冒険者たちの証に変化が訪れた。マナが収束し、光を放ったかと思うと、紋様は変わり、宝石が――琥珀が、埋め込まれていた。柔らかい、温かみのある輝き。

『 あなたたちの未来が とても 楽しみ。 またいつか会いましょう、『琥珀の盾』 』

 太古の響きが収まってゆき、精霊の気配は消え、森の音が戻ってきた。

「さあ」

 エルミオはガーディアンたちを振り返った。

「行こう。これからだ。よろしく頼むよ」

 思い思いに返事をし、心を一つに、『琥珀の盾』は進み始めた。

 

 

「その未来まで、なにかが無くなっても、琥珀みたいななにかが出来ていたら、すごいよねえ。

 わからないけど、ラルフィリース様のいた場所とか、それに、みんなのことを考えてたら、なんだかそう思ったよ。それでね、琥珀の優しい感じを思い出した。ん~…あれ、なんだかうまく言えないなぁ。

 でも師匠、俺たち、そういう感じの何かになれたらいいなって思うんだ」

 

 ロイの言葉を部分的に繰り返して、それから『琥珀の盾』の名を思う。

 セルヴァはただ、そうだね、と頷いた。

 優しさを内包した輝きが、眩しかった。

 

 

 

 

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