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セルヴァ Ⅰ.ロフューレ《舞いし葉の風》

    人攫いと戦う集団、『仁』。そこで育ったセルヴァの常識と、

    仲間の思いと、最も身近な精霊ロフューレ《舞いし葉の風》の昔話と――…。@1300~1302頃

( Ⅰ / Ⅱ / Ⅲ / Ⅳ )

 

 

 

 

 太陽は、東の海から昇って、西の海に沈む。『西』の夕方は、太陽が最も近い時間だった。

 橙色の高原。左手を見れば眩しく、右手を見れば自分よりずっと背の高い影が伸びている。

 この三人で迎える夕方は、もう何十回目だろう。ふとそんな不思議な気持ちがセルヴァを満たす。

 ユンやルキアはどうしているだろうか。もしセルヴァが家族と呼ぶなら、彼らがそれだった。どうしているだろうか…。

 遠い。これからもっともっと遠くへ、『北』へ行くのだ。

 前を行く二人のマントが緩やかに翻る。剣士二人、エルミオと、フィオリエ。彼らと共に、セルヴァは行く。

(”がんばってね”…)

 兄、師匠…そんなユンから貰った一言が何よりの力。思い起こせば、セルヴァは強くなれた。

 

 

 セルヴァは回復術士だ。といっても、攻撃や補助もそれなりに扱う。

 対人戦であれば、魔法使いを最初に狙うのは定石だ。そしてそれを利用するのも、作戦だ。8年も対人の組織にいれば、その流れを体が覚える。少なくともセルヴァはそうだった。人攫いと戦う『仁』という集団で学んだ。

 狙われることには、恐怖を全く感じないわけではないが、かなり慣れていた。まして、信頼する仲間がいるならば、思った通りの戦いの流れにある種の安心感すら覚えた。自分を狙って敵が来る、それを仲間が切り伏せる…流れが見えている。

 今だってそうだ。

 セルヴァの目は真っ直ぐに敵を捉えていた。牙を剥き、飛びかかってくる狼のような魔物。この数秒、逃走を考える意味はない。

 なぜなら――…。

 

 狼の脇腹にフィオリエが体ごと突っ込んだ。剣で貫き、そのまま魔物と地面に倒れる。

 魔物が息絶えたことを確認して、フィオリエは息をついた。

「はあ、危なかったな。セルヴァ、大丈夫か?」

 セルヴァは頷く。

「うん」

 フィオリエは、そうか、と言って手の甲で汗をぬぐった。

 少し離れた場所で、エルミオがもう一匹、いや、二匹を仕留めて、戻ってきた。

「怪我はない?」

 フィオリエとセルヴァはそれぞれ頷いた。エルミオは微笑むと、セルヴァに目を向けた。いつも穏やかな目が、今は、何か言っている気がした。

「回復術士セルヴァがいなくなったら、俺たちの怪我も治らない。気をつけて」

 今更の注意に、セルヴァはともかく頷いた。

 おい、とフィオリエは突っ込む。

「そんな言い方だと、なんか、違うだろ。ちょっと頭の回る敵は、もちろん後衛狙いにくる。それをさせないのが俺たち。そうだろ?

 それに、回復術がどうとかじゃなくて、セルヴァが怪我するのは嫌だからな。だからセルヴァ、俺たちも気をつけるが、お前も気を付けろよ」

 それを聞いて、すこしだけ、何か意味を取り違えてしまっている気はした。それでも、やることは変わらないかな、と思ったので、セルヴァは頷いた。

 全員が生きて戦闘を終える可能性が少しでも上がるなら、この作戦をやる意味はある。セルヴァを狙った――セルヴァを狙うよう仕向けられた魔物は、尽くフィオリエかエルミオが斬る。打ち合わせていないからこそ、効果的だ。

「うん。ありがとう」

 なんとなく口をついて出た、ありがとう。…守ってくれて、ありがとう?

 

 

 馬車が止まっていた。乗る予定はなかったが、運行しない理由が重要だった。

「魔物だよ。目的地まで遠いから、途中で襲われたら困る。あんな道中じゃ自警団もいない。あんたたち、剣持ってるなら、自分たちで倒して進めるんじゃないか?」

 馬車を出すのは御免だがな。そう言わんばかりだ。

 少し釣り目のエルフ族が腕を組んだ。困ったように、ふうん、と虚空に目をやって考える。短い金髪が揺れた。

「そりゃ…俺たちの本業ではあるが。流石に、3人ぽっちで挑むのはなぁ」

 双剣を携える冒険者。フィオリエは中級者といったレベルだ。

 魔物が出るという場所は、ちょうど町と町の間のようだ。町の自警団を送るには、躊躇する程度に遠い。まして、あまり使う道ではない。

 こういう時こそ冒険者が活躍する…のだが。

 なにしろ、剣士、剣士、回復術士の三人だ。一見バランスが良さそうだが、攻撃魔法の手段がほぼ無い。

 悪魔が関わっていた場合、討伐に攻撃魔法は必須だ。それに、回復術士は14歳の初心者…セルヴァ。馬車が止まって話題になるほどの魔物相手に挑んで、無事でいられるのか怪しい。

 倒せるものなのだろうか、と、御者に魔物について聞いても、なんだか厄介そうだという雰囲気しか分からなかった。

「もう少し情報を集めてみよう」

 一番のベテラン剣士、エルミオが提案する。冒険者証こそ持たないが、フィオリエよりも実戦経験豊富な剣士だ。穏やかな声や雰囲気。言葉にはなんとなく説得力がある…セルヴァもフィオリエも、そう感じていた。ただ、時々突拍子もないことを言うから、鵜呑みにするのは危険なのだ…と、セルヴァはフィオリエに言われていた。

「手分けする?」

 セルヴァの提案に、そうだなあ、とフィオリエは微妙な肯定をしつつ悩む。一方、エルミオは頷いた。

「じゃあ、フィオとセルヴァは二人で回ってくれ。太陽が二時を示す頃に緑のテントの魔法屋で」

「あれ魔法屋だったのか!」

 派手な緑一色の大きな三角テント。フィオリエの驚きに、エルミオはあっさり頷く。

「旅の魔法屋だったはずだよ。以前見かけたものと同じならね」

「えー、どこで見たっけ?」

 見てないよなあ、という視線をセルヴァに向けた。セルヴァも見ていないと思う。首をかしげた。

「いや、俺が一人旅してた頃だよ」

「なんだ百年前か」

「いや、五十年前くらいかな」

「洒落にならんな」

 

 

「自警団に訊くのが一番早そうだな」

「そうだね」

 フィオリエとセルヴァは北門へ向かった。自警団なら、魔物討伐に行かないとはいえ、把握くらいはしているだろう。

 門の近くにある、木で組んだやぐら。

 その背景の空に、フィオリエは目を凝らした。エルフの目が、遠く遠くを見つめる。

 フィオリエの顔を見上げたセルヴァは、不吉なものを感じて彼の視線を追った。

 何もないかと思われた数秒。攻撃魔法のような光が微かに見えて、それに追い払われるようになにかが上昇して現れた。鳥?大きな、鳥のような…。目を凝らすうちに、それは一匹ではなく複数、入れ替わり立ち替わり空に現れる。地上にいる何かを襲っているのだ。

「やばいな」

 セルヴァは頷く。魔物がいる。こっちに来る。

 

 ちらりと目を合わせ、すぐに北門へ走り出した。

 二人は北門に走った。この街にエルフは少ない――いないかもしれない。早く迎撃準備をすれば、早くあの鳥の下にいる誰か、何かを助けに行けば、怪我一つ、命一つ、結果が変わるかも知れない。今気づいているのは、エルフの二人だけかもしれない。やぐらからでも、ヒューマンが発見するには、多分、もう少しかかる。まして、昼時。若干人手が少ない時間だろう。

 あの鳥は、魔物は、街に近づいてきている。逃げている何かが街に向かっているからだろう。自警団を頼りにしているに違いない。つまり、自力で倒せないのだ。

 日中、門は開いている。黒っぽい石と補強する木とで組まれた塀。門は木で、内への両開きだ。

 街魔法使いが街の周囲に魔物よけとなる魔法を展開するから、普通なら魔物は近づいてこない。来るとすれば、何かを追って間違えて近づいたり、魔物よけが意味を成さない強い魔物だったり、明確な意図を以て街へ来たり、そういう場合だ。ほとんどない。

 ゆえにだろうか、昼休みと被った自警団は、やぐらの上に一人、門のそばに二人、たったそれだけだった。

 走ってきたエルフ二人に、槍を携えた門番が目を留める。

「門番さん、魔物が来る!相手は鳥型だ。弓士と魔法使いは?」

 え、と突然のことに門番は戸惑って、やぐらを見上げた。おい、魔物が見えるか?、と悠長に尋ねる。見えたから言ってんだろ、とフィオリエはそんな言葉を飲み込んだ。

「俺たちはエルフだ、この目で見た。誰かが魔物に追われて、こっちへ逃げてきてる。あんたたちが動かないなら俺たちが出るが、空中戦は見ての通り無理だ。俺たちが街に戻るまでに弓士と魔法使いを配備して、念のため門を閉じられるようにしておいてくれ」

 この槍使いのおっちゃんだけじゃ頼りないなあ、と、フィオリエはもうひとり、門の傍らで様子を伺っている剣士にも呼びかける。おい、頼んだからな、門番さん!

「行こう、フィオリエ」

 セルヴァが呼びかけて見上げた。ほんの一瞬、フィオリエは戸惑う。十四のセルヴァは戦いとなると、子供らしさから程遠い、腹をくくって毅然とした魔法使いになる。セルヴァが知る由もない戸惑いを乗り越え、フィオリエは改めて冒険者の意志を取り戻す。

「ああ。セルヴァ、援護頼む。引いて戻ってくるぞ」

「わかった」

 君も行くのか?と、門番はセルヴァをまじまじと見た。セルヴァは少しだけむっとした。

「行きます。僕は魔法使いです」

「大事な戦力なんで。自警団の迎撃準備、頼みます」

 フィオリエもさらりと言い返す。セルヴァはそれを証明するように、集中する時間は取ったものの慣れた様子で《早く》を自分とフィオリエにかけた。

 

 二人は駆け出し、門をくぐった。《早く》のおかげで、飛ぶように走ることが出来る。一歩が大きい。

 馬車が走る道は、それなりに整備されている。濃いめの茶色い道は平らだった。街を出てすぐに、木々がまばらに、やがて密になり、森となる。

「あっ」

 セルヴァは思い出したように立ち止まった。ざ、と地面が鳴ってえぐれる。森に入ってしまう前に、この事態をエルミオに知らせておいたほうがいいと思ったのだ。

 光を打ち上げて知らせる方法は、エルミオやフィオリエと出会う前にいた場所で学んだ。この方法は、多分、エルミオも知っている。

「 上がって、輝いて、…ティア《光》 」

 セルヴァが投げるように挙げた手の先から、しゅんっ、と静かに光は打ち上がる。空で瞬くのをちらりと確認して、セルヴァはフィオリエを追うべく振り返った。

 フィオリエは数歩先で待っていた。にっと笑ってぐっと親指を立てる。追いついたセルヴァと共に、走り出した。

 森の道からでは、相手が見えない。目指す場所については、そんなに道が蛇行しているわけではないから、近くなれば分かるだろう。それよりも合流した後のことが懸念された。枝葉の間から空は見える。つまり、空からこちらも見える。間違いなく、地上から空を見るより、空から地上を見たほうが有利となるだろう。

 道から逸れて森に入りやり過ごす…これが出来るなら、きっととっくにやっているはずだ。

(カルスペ《刹那の白き雷》…)

 フィオリエは自分の固有精霊に声をかけた。エルフ族は精霊と共に生まれ、生きる。フィオリエもそのひとりだ。

(頼むぜ)

 走りながら念じると、あまり集中していないせいで言葉としての返事は聞こえなかった。なんとなく肯定の意志が返ってきて、フィオリエは頷きを返した。

 

 数分、走っただろうか。

 ゆるい曲がり道の先から猛烈な勢いでそれが走ってきた。正面衝突を見越して二人は思わず立ち止まる。

「あれ何??」

 初めて見るものにセルヴァは困惑する。魔物?それとも自分たちが助けるために走ってきた、その理由?

「助けたほうがいいんだよね?」

「竜の一種だ、たしか」

 砂と似た色合いの、竜の一種だというそれは、四本足で地を蹴り、駆けてきた。鞍と手綱があって、人がまたがっている。おっきい犬、と、虎を知らないセルヴァは自分の知識の中で一番近いものを思い浮かべた。

 それが、あっという間に近づいてくる。2頭――竜族を、”頭”と言っていいのかわからない――いたが、そのうちの1頭が急に速度を上げて、半ば飛ぶように走ってきた。ざっ、と土煙を上げて2人の前で停止する。

 しなやか、かつ、たくましい、白に近い砂色の、竜族。太い角がぐるんと正面に向かって尖り、顔の側面にふさふさと、立派な白い毛がある。鱗はない。顔以外はやっぱり大きな犬――セルヴァはちらりと思う。

 背にまたがっていたのは、弓を担いだヒューマンの戦士だ。見た目はフィオリエと同じように見える。ヒューマンだと、20か、30歳くらいだろうか?短い茶髪。力強い茶色の瞳が、竜の背の上からふたりを見下ろした。

「ああ、エルフか。誘導して自警団が来られる街の近くまで行くつもりだ。お前ウィズ《魔法使い》か」

 時間がない。町の近くまで行く、それはフィオリエもセルヴァも同じことを考えていた。

 助けに来たはずの相手は竜の足を持っていた。《早く》をかけていても圧倒的にエルフの足より早い。足手まといになる。どうする。セルヴァはとにかく答えた。

「ヒーラー《回復術士》です」

「じゃあ相棒のほうに乗ってくれ、負傷してる。こっちでフォローする。剣士、乗れ!」

 ほかのやりとりの時間はない。弓使いのヒューマンはフィオリエに手を貸す。フィオリエも上手く合わせて飛び乗った。

「聞こえたろリィリス?!グランに乗せてくれ!」

 弓士は、恐らく、遠くに居る相棒に呼びかける。この距離で声をかけるということは、相棒はミユ族かラーク族だろう。音使いならば、聞き取る。

『先に走り出すけど、待っていてね。私たちの相棒をお願いします』

 優しい声を聞いた気がして、セルヴァははっとした。弓士が乗った竜族の黒くて綺麗な目、一瞬視線が合った。すぐに彼女は――セルヴァはその竜が”彼女”だと思った――走り出す。後ろ姿は、しなやかで綺麗だ。

 ややあって、ざっ、ともう一度あの音がした。もう1頭の竜がすぐにセルヴァのところへ走ってきて止まった。オレンジに近い茶色の目の竜、乗っているのは女性、ミユ族。白い布でひとつに束ねた白金色の長髪を揺らし、手を差し伸べた。

「乗って」

『乗れ、ちび』

 鈴のような女性の声と、少し乱暴な声が一緒に言った。ちびじゃない、僕はセルヴァだ、と脳裏を過ぎったが、そんな場合ではない。

 手を借りて、屈んでくれた竜の背に、セルヴァは這い上がった。

「しっかり捕まっていないと本当に落ちるよ」

 ミユ族はそう言いながら強引にセルヴァの腕を引っ張って自分の腰に巻きつけた

 白金の髪がセルヴァの頬を撫でた、と思ったのも束の間のことだ。ちらりと背後、空を見ると、翼のある黒い影がこちらへ下降してきている。危ない、とセルヴァが口を開く前に、竜は地を蹴った。

 飛んでる!

 ぐん、と体が前に進んだ。予想外の速さで、飛ぶような一歩で、竜は駆ける。掴まる腕に力がこもった。ちょうどその時彼女が半分振り返って、強く捕まりすぎたかとセルヴァは申し訳なくなる。だが、彼女が振り返った理由はそれではなかった。

 詠唱、破棄。マナが集い、迫る魔物に、白く輝く激流が襲いかかった。冷たい空気を感じてセルヴァは身をすくめる。

 魔物が空に退く。だが相手は一体ではない。

 迫った別の魔物に向けて、白い雷撃が飛んだ。先に走り出していた竜がほぼ横に並び、フィオリエの目が魔物を捉えている。

 

 セルヴァは不意に思い出した――相棒のほうに乗ってくれ。負傷してる。

 しっかり掴まったまま、セルヴァは探した。

 腕も、体の前面も、今見ている背中も、なんともなさそうだ。どこをかばって動いている?ふと視線を落として、右足、焼け焦げたズボンに気がついた。しがみついたままだとよく見えない…。

 それでもセルヴァは試みた。大雑把な魔法になるが、街へ到着するまでのおそらく一分程度で、この人が立って歩けるようにはしておきたい――それが、今、セルヴァの一番の使命。

 しがみついている腕をしっかり組み直してから、集中する。揺れも、風も、意識の外になる。代わりに、マナの動きと、精霊の気配が強く感じられる。

( ロフューレ《舞いし葉の風》、力を貸してください。僕たちが治すのを手伝います。…――《癒しを》 )

 できるだけ、早く、早く…。

 無心で魔法を継続していたが、すぐに、慣れない振動を感じて集中を切らしてしまった。時間の経過がわからない。すぐだった気がするが、一分くらいは過ぎたのだろうか?

「リィリス入っとけ!」

 ヒューマンの弓士が叫んだ。

 状況が分からず、セルヴァはきょろきょろする。気が付けば、街の門の前まで戻ってきていた。半分閉じかけで止まっている門。フィオリエが言っておいた通り、門を閉じられるようにしておいたのだろう。

 セルヴァたちから離れた森寄りのところで、フィオリエと弓士が竜から降りて、魔物を迎え撃とうとしている。

 リィリス、と呼ばれた女性は、門の前で一度振り返ったものの、そのまま門をくぐった。直前に、体をひねって振り返ると、魔物はすぐそこだった。鳥、五体、だろうか。

 街に入って竜が止まると、自警団の人が駆けつけた。竜はゆっくり脚を折ってかがむ。リィリス、を気遣っているのが分かる。あの短時間では、やはり回復は不十分だ。

 セルヴァはリィリスよりも先に、どうにか竜から降りた。見ると足は、やはり火傷。回復術である程度治っていて、深くはないが、まだかなり痛いはずだ。

「足、大丈夫?」

 リィリスが頷く前に、兵士が彼女に声をかけた。

「ここまで引っ張ってくれたら、あとは俺たちに任せてくれ。色々すまんな、ありがとう」

「いいえ、」

『迎撃準備が整っていたのは意外だったな』

 少し皮肉っぽく言ったのは、やはり、竜だ。自警団の男は竜に敬礼した。

「すぐ治療師を手配する」

「ありがとう」

 その会話を聞くなり、セルヴァは門を振り返った。ここはもういい。外が問題だ。フィオリエは、魔法使いじゃないし、弓士も多分違う。魔法使いが必要なのは、外だ。

 

 駆け出した。リィリスが呼び止めたが、セルヴァは聞かない。

 門の近くでは、自警団が何人も待機している。やぐらの上からは弓士が魔物を攻撃している。

(魔法使いは?)

 疑問と不安が脳裏を過る。いない?一人では、セルヴァだけでは、倒しきれない…。

 門を駆け抜けた。

 弓士と、フィオリエと、竜。それに自警団の何人かが魔物を見上げている。矢を受けた魔物が低空になったところへ、竜が飛び掛かった。舞い上がろうとする魔物を、砂が巻き込んだ。さらに地面が、ず、と沈み込む。

 竜の魔法に違いない!セルヴァはいくらかほっとする。ひとまず一体、数秒後には倒されている。

 あと四体。一体が倒されるのを見てか、降りてこない。

「ここで倒しとかないと、また被害が出る。馬車も動かない」

 誰かが言った。

 魔物は、まだ逃げる様子はない。

 すい、と不意に街のほうへ飛んだ。ひやりとしたが、そこでようやくやぐらから魔法が飛んだ。街へ来ることも見越して温存していたのだ。白い、リィリスが使ったような魔法が勢いよく噴射して魔物を押し返す。半ば落ちるように低空になったところへ、弓士たちが集中砲火を浴びせる。これで、すぐに、あと三体。

 だがセルヴァはなんとなく思う――ああ、まずい。

 倒されるのを見て降りてこない。魔法の射程を超えれば、街に飛んでいける。

 まずい。

 すぐにでも引きずり下ろして倒したい。

 どうする?囮?

 人攫いと戦った過去の記憶が、ふと脳裏を過ぎった。自分は力不足でも、やり方次第で役立つことができる。経験がある。フィオリエやエルミオと出会ってからここまで、何度かそうしたこともあった。ふたりは、気づいていないようだけれど。特に言う必要も感じなかった。作戦はそのほうが上手くいく。結果的に多くの人を助けることができる。

 

 フィオリエとの距離。弓士たちがどのへんにいるのか。それをざっくり確認した。そして魔物を見上げる。

 囮になる。魔物を引き寄せる。マナを操るそれは、つまり魔法だ。セルヴァはそれをいつの間にか身につけた。思うだけだったことが、強いイメージとなり、魔力がマナへ伝達し、セルヴァの思うとおりのその影響を相手に及ぼす。

( 来い。僕が相手だ。お前は殺戮者か、ただの弱虫か? )

 いつだったか、それを魔法として改めて学んだ。それに適した古代語が効果を確固たるものにする。

「《 挑む。受けるか?…受けないのか? 》」

 多少は知能が高いと思われた魔物たち。だから詠唱までして効果を上げた。

 様子を伺っていた魔物たちは、明らかに動きを変えた。一体がすぐに降下し始めた。やるなら集団で、とでも考えたのだろうか、あとの二体も続いて急降下する。

 ああ、三体一度に来るのか…。それも予想していたとはいえ、怪我は覚悟した。迫り来る魔物を鋭く見据える。防御の魔法を、意識する。

 矢が飛んだ。降下が早い魔物を落とすには至らない。あと数秒。次いで視界がぱっと白く染まった。フィオリエの雷撃だ、セルヴァには分かった。あと二体。

『伏せて』

 それは声というより、意志だった。はっとしてセルヴァはかがんだ。

 足元の地面が、下がった。セルヴァを囲むように大地が隆起し、岩の剣が魔物を迎え撃つ。

 セルヴァのすぐ頭上で魔物は貫かれ、一体は断末魔すらなく息絶えた。剣越しに見上げると、舞い上がろうとした魔物に竜が飛びかかっていた。魔物を地面に押さえつけた竜を見て、セルヴァは意識で話しかける。おそらく竜がそうしてくれていたように。

(そうか、あなたは、地を司る竜なんだ…)

 すぐに魔物は倒され、姿が薄らいでいった。大抵の魔物は、倒されると消滅する。

 竜は振り返ると、黒い瞳でセルヴァを見つめた。大地の剣は地面に引っ込んでいき、それに伴ってセルヴァの立っている地面がもとの高さへ戻ってきた。

「うわあ」

(すごい魔法だあ…自由自在なんですね…!)

『あなたは随分、賭けのような魔法を使うのね』

 竜の意志は、心配と不安を内包していた。

 でも、とセルヴァ。

(あなたや、フィオリエや、弓士がいたから――…)

「セルヴァ」

 

 呼ばれて振り返ると、フィオリエだった。あれ、とセルヴァは不安になる。フィオリエの表情はなんだか余裕がなかった。

「怪我はないか?」

「う、うん。フィオリエは…?」

「俺は大丈夫」

 答えたものの、フィオリエは厳しい表情のままだ。

「…おまえ、魔物を引き寄せたのか?」

 頷くのを躊躇ったのは…だって、作戦の効果が下がりかねないから。

「…早くしないと、街に被害が出たかもしれない。竜のひともいたし、フィオリエもいたから、こうした方がいいと思ったんだ」

 そうか、と、フィオリエは少し表情を緩めた。その代わり、少し、悲しそうに見えた。

「僕、怪我した人のところに行ってくるね」

「セルヴァ、今までのは?」

 逃げる前に、フィオリエが真っ直ぐ問いかけた。え、と、なんのことかとセルヴァは立ち止まる。

「これまでも、やたら狙われてた。後衛狙う魔物もいるが…セルヴァの魔法だったのか?」

 嘘を、ついても良かった。セルヴァの兄や師匠のような存在だったユンなら、上手な嘘で、これからも上手に作戦を展開しただろうか。

 フィオリエの目を見たら、セルヴァはいつの間にか頷いていた。

「何回か…」

「なんで。俺たちがいたんだから、そんなことしなくても倒せただろ?」

 少し俯いたセルヴァ。フィオリエは膝を折って屈み、真っ直ぐ問った。悲しい表情も、厳しい表情も、なくなった。いつもよりも少しだけ、真面目な声なだけだ。

「言わなくって、ごめんなさい…」

「んーん。…いや、それもだけどさ…。…どうして魔物を引き寄せたりしたんだ?」

「僕は…それが一番、安全に倒せると思った。…僕は、怪我は治せるけど、死んじゃったら、どうしようもないから…だから絶対…怪我させないくらい、って思って」

 じっくり聴いていたフィオリエは、数秒何か考えて、やっぱり少し、困ったような顔をして口を開いた。この困ったような表情、小さな子を見るようなそれを向けられる度に、セルヴァの心は曇る。

「俺たちも、お前を守りたいよ」

 フィオリエは続けた。

「旅に出たばっかりのセルヴァを、一人前の魔法使いとはいえ子供のお前を、絶対に守りたいんだよ。それで、この先も一緒に冒険者やっていきたい。

 なんていうか…その、魔物引き寄せるのはセルヴァなりの作戦だったんだって分かる。だけど、この先もずっとそれじゃあ、俺は心配しっぱなしだ。それじゃやってらんねーや」

「…うん」

「他のやり方、見つけらんないかな。防御の魔法とかさ。時間も、消耗も、今より上がるのかもしれないが、セルヴァの安全には代えられない」

「…あのね」

 セルヴァは言わずにいられなかった。

「僕は、回復術士だよ」

 どうしてそう言ったのか、どうしてもやもやしているのか、自分でもわからないまま、セルヴァは話した。意図を掴みかねているフィオリエに向けて、まだ言葉を紡ぐ。

「絶対に助けるって気持ちでやってるんだよ、フィオリエ。僕は…怪我を治すのも僕の役目だけど、それよりも、怪我をさせない」

 譲れないなにかが硬い刺のようになって、声に隠れていた。

「人って、殺そうと思っても結構死なないけど、死なないって思ってた人が、ふっ、て死んだりするんだよ」

「なっ…あ…」

「僕には、フィオリエやエルミオがいるから、大丈夫でしょ?僕は、敵に隙を作れるよ」

 絶句しているフィオリエを残して、セルヴァは街へ向かった。リィリスというあの人は、大丈夫だろうか。

 

 

 リィリスよりも先に、エルミオがいた。自警団と話していたが、セルヴァに気がついて振り返る。

「セルヴァ。よかった。怪我はない?」

 うん、と頷く。きょろきょろとリィリスを探した。

「怪我した人がこのあたりにいたよね?」

「ああ、魔法使いの少ない街だったけど、治療師はいたから大丈夫だよ。セルヴァ、手伝ってあげてくれるかい?」

「うん」

「向こうの…ああ、フィオリエ、出遅れて悪かった」

 セルヴァはどきっとして振り返った。

 フィオリエは、走って追ってきたのだろう。少し息を弾ませていた。

「いや、大丈夫。…セルヴァ」

 真っ直ぐな目を、セルヴァはどうにか見返した。

「そういうことじゃない。あのな…そういうことじゃないんだよ。ええと…」

 わしゃ、と頭を掻いて、フィオリエは言葉を探した。

「守りたいって思うのは、セルヴァも、俺たちも同じなんだよ。だから、…ただ、やり方が…囮になるなんて、セルヴァに危険が降りかかるかもしれないやり方は…そういうやり方を簡単に選ばないでほしいんだよ」

 簡単に、とセルヴァは内心繰り返した。

「簡単にじゃない。フィオリエやエルミオが相手を倒せるようにちゃんと見てやってる」

 そうじゃなくて!言わずともフィオリエの表情が叫んだ。

「万が一があるかもしれんだろ!?俺たちが近くにいても、だ。何かあったらどうするんだ。セルヴァが死ぬかもしれないんだぞ?」

「分かってる。でも僕は後衛、回復術士だよ。そうならないようにしてるし、誰かが死ぬよりいいよ!」

 思わず言い放った。いつもは言わないところまで、口をついて出た。

 フィオリエの表情が凍って、右腕がぴくりと動いた。殴られる、セルヴァは覚悟して待つ。

 手の代わりに飛んできたのは、押し殺した声だった。

「そういうことを、やめろって言ってるんだ」

 

 怒らせた。ものすごく怒らせた…それは分かった。

 でも、誰かが死ぬよりはいいんだ。守れる範囲にいる誰かが目の前で死ぬなんて、許せない。絶対にゆずれなかった。大体、剣を取って体を張って守る事ができる前衛と違って、後衛は、こうやって方法を考えないと、難しいんだ。まして、回復術士。囮作戦は、タイミングを間違えれば前衛に余計な危険が及ぶ。でもちゃんとやれば、早く、怪我なく相手を倒せる。

 唐突にエルミオが口を開く。

「死ぬならどっちがいいなんて考えるより、どう守っていかに生きるか考えたほうが、有益だと思わないかい?」

 ぽん、と、予想外のところから奇妙な物が転がってきたようだった。セルヴァは妙に気を引かれて、エルミオを見上げる。

 天気の話でもするかのように、エルミオは言った。

「フィオリエは、セルヴァのことが心配なんだよ」

 改めて言われなくても、どこかで分かっていた。でもそれは、なんだか、あまり心地よいものではなかった。

 エルミオは続ける。

「同じように俺のことも心配だろうし」

「えっ?ああ、まあ」

「でもセルヴァにはやけにしつこく言うよね。なんで俺には、セルヴァにしたようにしつこく言わないかっていうと、長い旅の中でどの程度無茶するか知っているし、俺もフィオリエと一緒にいるときにどこまで無茶していいのか学んだし」

「いや、おい…」

「それに、なんにも言わなくても、仲間のことを心配するのは、当たり前のことだ。俺とフィオリエは、お互いどれくらい心配してるかもなんとなく分かってる。きっと、セルヴァも、俺たちや周りの誰かが無茶するのは嫌だろ?」

 頷いた。だから、囮だってやるんだ。

「それもお互い分かってる。だから、可能な限り安全なやり方を探す。少なくとも俺はそう心がけているよ。…セルヴァ、どうかな、囮以外の方法も取り入れられないかい?俺たちも出来るだけ、セルヴァが無茶する場面を減らせるように頑張るから、頼むよ」

 あ、うん、とセルヴァは曖昧に頷く。危険だったとはあまり思わないが、そう言われれば確かに、心配はかけたと思う。

 ユンと一緒に戦っていた時とは、環境も仲間も違う。戦い方も、ちょっとは変えたほうがいいのかもしれない。

(でも、僕にはエルミオもフィオリエもいるし、ロフューレもいる…)

 そういえば、固有精霊のロフューレには、止められたことはなかった。囮のことは、最初から知っていたのに。

 ふと精霊のことを意識すると、聴こえてきた。

『もちろん私も心配だがこれまでのあなたを見ているし、それに、彼らがついているからね。あなたは全く勝算がない時にやっていたわけではない。

私はあなたを止めない。それに、もちろん、あなたを守ろう。今の状態では大した干渉は出来ないが、それでもだ。

あなたが何をしても、私は全力であなたを守る、それだけ覚えていてくれ』

 馴染みのある声。竜の”声”と同じように、意志のようなそれが伝わる。ロフューレはあらゆる危険も、不運も、失敗も、考えていた。ありえないと言い切れない可能性を。それでもセルヴァを止めなかった。そして、守ると言った。

 

 私はあなたを守る――たとえ、消滅することになろうとも…。

 

 嫌だ――セルヴァは内心で叫んだ。ロフューレは本気だ。それは絶対に嫌だ。

「やめなさい」という言葉よりも、それはきついものだった。

 つまり、もしかしたら、そういうことだったのかと、ようやく言葉はセルヴァの頑固な理論を突き抜けて心へ届く。

「分かった…」

セルヴァはエルミオを見上げた。

「攻撃や防御をもっと混ぜてみる。疲れるのが早くなるかもしれないけど…」

「うん、最初は様子見が要りそうだね。でも、そのほうが後々良さそうだ。よろしく」

 うん、と応えて、フィオリエに目を向けた。

「あの…ごめんなさい」

 うなだれると、すっかりいつも通りのフィオリエが、頼むぜ、と笑ってセルヴァの肩を叩いた。

 精霊は、さっきの本気の想いが嘘のように、穏やかに優しく応じた。あなたを置いて消えたりしない、と。

 

 

 次の町まで遠い。馬車が通れる道は一本。連絡がなく、しびれを切らした隣町が行動を起こした結果の、今回の戦いだった。

 ソイル、という地を司る竜と共に、魔物との戦いも見越して出た。予想外だったのは、魔物が翼を持ち、五体もいたこと。

「小道のほうからでも、せいぜい七日あれば連絡取れただろう。そしたらソイルドラゴン《地の竜》だけでなくフェセクドラゴン《灰の竜》にも協力を仰いで、街に来る前に倒せた」

「すまない。こっちで対処しようと思ったんだが、ちょうど人員がいなくて、どうにもならなかった。使者は多分、明後日あたりそちらに到着予定だったんだが…」

 

 

「――っていうことだったらしいよ」

 なぜかちゃっかりその会議というか口論というか、その場に居たエルミオが語った。

 宿の一室、エルミオの部屋。唯一ある椅子はエルミオが座り、フィオリエとセルヴァはベッドに腰掛けている。

「なんだ、行き違いか!」

 フィオリエが呆れる。どこで見つけてきたのか、手のひら程度の木片を片手で弄んでいた。

「よくあることだ。ちょっと気を付けないとね」

 文句のひとつでも言おうとしたフィオリエは、すぐに口をつぐんだ。そういえば、咄嗟に街を飛び出したものの、結局ほぼ舞い戻っただけのエルフ2人がいたではないか。行き違いというわけではないが、なんとなく口ごもる。

「いや、うん…まあ、分からない部分もあるしな。気をつけつつ、許しつつだな」

「翼のある魔物だったから、フィオリエは精霊との訓練としていい戦いだったんじゃない?」

「ああ、それはそうだな」

 フィオリエは続けた。

「でも、咄嗟の場面ばっかりだったから、向こうがかなり合わせてくれてたんだよ。そうだろうと思って謝ったら、文句言った後許してくれた。俺ももっと上達しないと、あれ以上は厳しいなあ」

 フィオリエがそう話すのを聞いて、セルヴァはきょとんとした。

 セルヴァだって、ロフューレの”声”を聴いたことはあった。それに、精霊はセルヴァの呼びかけに応じてくれる。しかし、人と話すように会話はしたことがない。

「精霊と話せるの?」

 フィオリエもきょとんとした。抑えてはいるが、信じられない、という気持ちが言葉や表情に滲み出る。

「ああ、まあ、何年か前にやっとできるようになった、ってとこだけど…。セルヴァも固有精霊いるだろ??」

 少し肩身が狭いような気がしながら、セルヴァは頷いた。

「ええと…話せるんだよ」

 どうにか言葉を紡ぎながら、フィオリエは思い至る――セルヴァには、精霊と対話することを教えてくれる人がいなかったんだ。

 両親からも故郷からも離されて、それから一緒にいた魔法使いの青年、ユンはディル族だ。エルフの血も入っていただろうか?とはいえ、あの種族は魔法に長けているが、精霊と対話できる者は多くない。その点、エルフは生まれながらにして精霊というものを感覚的に分かっている。二、三十年のうちには精霊と対話できるようになって当然だった。

 フィオリエはエルフの都で生まれ育ち、精霊との対話について学ぶ機会に恵まれていた。が、対話出来るようになるまでが遅かった。魔法使いではないし、いろんなことを勘違いしていたのだ。一方、セルヴァは魔法使い。マナを扱うのは、フィオリエより数段上手なはずで、人よりもマナに近い性質である精霊のことだって、感じることができるはずだ。ただ、精霊について教えてくれる師はいなかった。

 どうやって教えればいいか、フィオリエは少し悩む。

「うーん、固有精霊がいる、っていうのは感じられるんだろ?」

「うん…」

 セルヴァは頷いた。

「僕が呼んだら、来てくれる」

 ん?とフィオリエ。対話できなかった時期、フィオリエは、気配を感じることしかできなかった、はずだ。呼んだら来てくれる、というのは、通じ合って対話出来るようになって、その後のことじゃないのか?

 段階がわからなくなって、フィオリエはますます難しい顔をする。セルヴァは少し申し訳なさそうにそれを見上げている。

 あー、うーん、とフィオリエは考えた。が、すぐに結論する。

「とにかく一回やってみりゃいい!どっか集中出来るところで、魔法を使う時みたいにマナを感じて、精霊を呼んで、話しかけてみるんだ。だってもう居るってことは分かってるんだろ?」

「う、うん」

「じゃあ大丈夫だ!あとは人と話すのと似てる。相手がいるって思って、相手に合わせれば出来るさ」

 つまり、よくわからないが、やってみるしかなさそうだ、ということがセルヴァには分かった。

「そっか…やってみる」

 素直に頷いたセルヴァに、フィオリエは若干申し訳なさを感じる。雑な教え方しかできなかった。失敗してまた聞いてきたら、なんて教えてやろうか…早速悩み始めていたことを、セルヴァは知らない。

 

 

 話しかける必要を感じていなかったから、話しかけられるなんて思いもしなかった。

 ロフューレは、セルヴァの一部で、セルヴァが詠唱でその名を使うときに必ず来てくれる”力”という存在だった。ユンにとっても、多分そうだったのだろう。

 フィオリエはエルフ、精霊とともに生きる種族の中で育ったから、精霊に話しかけることを学ぶことができたのだ。

 セルヴァは、精霊の気配を感じることができるし、確かにそれが居ると分かっている。だがそれは、魔法を使うときだけだ。

(どうやるのかな…)

 落ち着ける場所を探した結果、宿の小さな庭にたどり着いた。

 木陰に座ると、セルヴァはひとまず目を閉じる。魔法を使う準備をするように、周囲のマナを感じる。

(こんにちは、ロフューレ…なんて声を掛ければいいのかなぁ。ずっと一緒にいたあなたに、初めて話しかける、今…はじめまして、というのは、おかしいだろうし…)

『そうだね、はじめまして、セルヴァ』

 びっくりしたセルヴァは思わず目を開ける。これまでは、意志のような声だった。今は、言葉として聴こえた。はっきり聴こえた。こんなふうに話せるのか。あまりにも簡単に、いつも通り、魔法を使うときの感覚と同じように、声が聞こえてしまった。

 集中が切れた。

 セルヴァは一旦落ち着いて、再び目を閉じた。

(はじめまして、ロフューレ《舞いし葉の風》。あなたに言いたいことが沢山あるよ。お礼を言いたいし、僕と一緒にいたあなたといろんなことを話たいよ)

『私もだ、セルヴァ』

 ロフューレはどことなく、セルヴァよりも成熟している話し方をした。この精霊がずっと一緒にいてくれたのだと思うと、セルヴァはなんだか心が温かくなった。

(なんだか…)

 その先は、言葉にしなかった。それでもロフューレには伝わる。なんだか、ロフューレはセルヴァの固有精霊なのに、とても歳上で大人っぽくて、お父さんみたいだ。本当のお父さんもお母さんも、6歳のときまでしか知らないのに。

『それはね』

 ロフューレは秘密話を明かすように切り出した。

『私の半分は、セルヴァのお父さんとともに生まれて生きてきた精霊だったからだよ』

 意味が飲み込めず、セルヴァは沈黙した。

 

 ロフューレはセルヴァの固有精霊。セルヴァとともに生まれて、一緒に生きていく精霊…の、はずだ。そこまで考えたとき、セルヴァの脳裏にある名前が過ぎった。

(ルフィーユ。僕はロフューレのことを、そう呼んだことがある?)

『それは私の以前の名前。私の半分で、セルヴァとともに生まれたものだ』

(ああ、そうなのか…)

 セルヴァは、自分でも少し驚くくらい、冷静にその事実を受け止めていた。本当は心の奥底で知っていて、今思い出しただけ、という感じがした。ただ思い出す機会がなかっただけなのかもしれない。

 ただやはり、よく分からなかった。ロフューレはセルヴァの固有精霊だ。しかし、ルフィーユと呼んでいたことがある。ロフューレは、半分はセルヴァの父親と生まれ、半分はセルヴァと生まれたという。セルヴァの固有精霊なのに。

『セルヴァ。不思議かな?私は…精霊は、ヒトよりも魔法に近いものだ。魔法よりもはっきりした個を持っていて、ヒトよりもずっと曖昧なものだ。

 私の名は、今、ロフューレだ。でも、セルヴァとともに生まれたとき、私はルフィーユという名前だった』

 セルヴァは頷いた。たしかに、固有精霊はルフィーユだった。

『私がロフューレになる前、私のもう半分は、名をトゥールバロン《空へ吹く螺旋の風》といった。セルヴァのお父さんの固有精霊だった。

彼は、とても慎重で、心配性で、セルヴァが生まれたときには、トゥールバロンに頼みごとをしていた。自分が死に瀕したときには、セルヴァの精霊となってくれと。トゥールバロンは、その頼みを拒絶したい気持ちがあった。だってトゥールバロンの主は、彼以外にいないのだから。

 彼は、ルフィーユにも語りかけていた。きっとトゥールバロンがいつか、そなたの元に行くから、その時には、セルヴァを守る新しい存在になってくれと。

その頼みを聞くかどうか、決断の時は、誰も予想していなかった早い時期に訪れてしまった』

 早すぎた…セルヴァはぽつり、心の中でそう思う。ロフューレはその思いに頷くように寄り添いながら続けた。

『トゥールバロンは、頼みに従った。そして頼みは、約束となった。トゥールバロンの主は、いつまでも、彼しかありえないからだ。

 ルフィーユは、主を守るためにトゥールバロンを受け入れた。そして、ふたつの精霊は、私になった。その時から、私はロフューレとなった』

 セルヴァはまた、ただ、頷いた。せっかく話せるのに、セルヴァは何も言葉が出てこなかった。

 トゥールバロンがいかに主を愛していたか、よくわかった。どんな強い気持ちでロフューレが守ってくれていたのかも。セルヴァは、ただただ胸がいっぱいだった。

『私はセルヴァの精霊、ロフューレ。トゥールバロンとルフィーユは、私であり、私とは異なる。私の主は、セルヴァしかいない』

 精霊はそう締めくくった。何も言えないでいるセルヴァから、一歩引いたところで、穏やかに見守り、待ってくれているのが分かる。

 セルヴァは、まだ何も言えそうもなくて、一旦目を開いた。

 樹に寄りかかって空を見上げる。木漏れ日が輝く。風が穏やかに枝を揺らす。

 随分長い間、セルヴァは見るともなしに注ぐ光を見ていた。

 

 やがて、ぽつり、と呟く。

(そっか…)

 ロフューレ。その名の意味、生まれた理由。遠い遠い、知ることのない時に生きた人の思いの欠片を、運んで来た者。

(そっかぁ…)

 セルヴァは、目を閉じた。

(ごめんなさい)

 ロフューレは、やはり暖かで穏やかに言った。

『その気持ちは、ありがとう、という言葉で伝えるといいよ』

 

 

 

 

 

 

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