旋風 Ⅰ.ケイン
アルルと出会って一年。
冒険者試験を受けたケイン少年は、夢から醒めるのだった。@1436
( Ⅰ / Ⅱ / Ⅲ / Ⅳ / Ⅴ )
『旋風』のサブロード、武闘家のケインにも、少年だった頃があった。
ケインは魔法に優れた種族であるディル族だが、『西』生まれだった。『南』にはディル族の国が多くあるそうだが、行ったことはない。
ケインがアルルに一目惚れしたのは、『仁』という、同盟と似た、ある目的をもって戦う集団でのことだった。
*
可憐だった。美しいエルフ族だった。言葉遣いも、立ち居振る舞いも美しい。いつでも完璧で、笑うと花のようで、世界が変わるのだ。それでいて、『仁』の魔法使いとして戦闘参加し、アタッカーとして前線で活躍する。雷の魔法を放つときの彼女の凛々しさときたら…!同じ魔法使いとしても尊敬する。雷の攻撃魔法の威力も、コントロールも、抜群だ。
こんな理想的な女性が、この世に存在していいのだろうか!?
そしてそんな彼女が、都合よく、声をかけてくれて、よく一緒にいてくれるだなんて!
「ケイン、私…冒険者資格を取得しようと思っているの」
『仁』のテントが集まった場所から少し離れた木陰で、アルルは打ち明けてくれた。その頃、ケイン少年はまだ武術を身に着けていなかった。
「ケインも、一緒にとらない?あなたほどの魔法使いなら、きっと取れると思うわ」
冒険者資格には二種類あった。今アルルが言っているのは、精霊が試験官を務めるマナの冒険者資格のほうだ。人の冒険者試験と違って、知識を問うような問題や技術を試すことはあまりないと聞く。個人によって内容が変わるらしい。それに、滅多なことでは落ちないとか。それでも、マナの冒険者資格は信頼につながる。悪魔と契約していないという、絶対の証になるからだ。
「そうだね…。たしか、明後日あたり、試験会場の近くを通るはずだね。その時にとる?」
「ええ。リーダーにはもう伝えてあるの。キャンプの移動も、追いつける距離だし、いい機会よね」
にっこり。ああ、可憐だ。
―――と、まあ、十六歳のケイン少年は、年上のお姉様に付き添ってあげて(付き添ってもらって)、言われるままに冒険者資格を取りに行った。
アルルと出会って一年。まだまだケイン少年は夢の中だった。
*
山の麓の、洞窟が試験会場になっていた。
光を宿す不思議な植物が地面や壁面に張り付いていた。道は深くへ続いている。下って、奥へ。ひんやりした空気は心地よい。マナの濃度は、薄まるどころか、少し濃いめだった。試験官である精霊が奥に居るためだろうか。
「待って」
薄暗い中、半歩後ろを歩いていたアルルが声をかけた。数歩先の地面を見つめていた。視線を追うと、その薄暗い中に、何か模様が見える。ディル族のケインは目を凝らした。
「…魔法陣!」
アルルは頷く。エルフの目にはよく見えるのだろう。
「何の魔法陣かしら…」
アルルが言うので、ケインは張り切って魔法陣に近づいた。魔法の知識なら負けない!多分。
ところが、それは見たことがない形だった。
「いくつか組み合わせてる、んだと思うけど…。人避け…と似てる形があるな…ちょっと違うか。悪魔除け…?…このラインは、…魔法封じ…じゃなくて、魔法解除…!?初めて見たけど…」
「つまり、害は無さそうなのね?」
「えっ?ああ、大丈夫そう。攻撃魔法とか、空間魔法とかでは…」
ケインはもう一度魔法陣を見直した。
「…ない」
「そう。なら、行きましょう」
「あ、僕が先に行くよ」
ケインは慌てて言って、アルルより早く魔法陣の上を通った。
「大丈夫?」
「うん、なんともないみたい」
「そう。ありがとう」
アルルも魔法陣を超え、“ありがとう”を脳内でリフレインさせて喜んでいるケイン少年の横を通り過ぎた。
暗闇を見通して、エルフはそこが行き止まりだと知る。これまで歩いてきた通路よりずっと天井が高い。周囲は岩の壁、壁、壁。
「こんにちは、精霊さま。冒険者試験を受けに参りました、アルルと申します」
気がついたケインは急いでアルルの横へやってくる。
「同じく、ケインです。精霊さま、はじめまして」
「やあ、はじめまして、仲良しさんたち」
少年のような声がした。足元から。
え、と思った二人はぱっと足元を見る。
岩の塊がある。
それが、まるで紳士が丁寧にお辞儀するように動いた。
「おおっ?」
ケインは思わず言って、アルルの前に出ようとするが、そんなスペースはなく、アルルも全く下がろうとしなかった。ケイン少年はひとりで少し恥ずかしくなりながら諦めた。
「ははは、少年、気を落とすな、これからだ」
わざわざその岩の塊はそう言ってくれてしまった。
「あなたが精霊さまですか?冒険者試験の?」
アルルの問いかけに、岩の塊はコクンと頷いた。
「そうそう、わしだよ、わし。地の精霊。大地くんでええよ。ところで二人共、冒険者になって何をするのかな?お嬢さんはどう?」
大地くんって、とケインは言いかけたが、その前に話が進んでしまった。
アルルは微笑んだ。なぜだか戦場の凛々しいアルルを連想する笑みだった。
「『北』へ行って同盟を作ります」
ええ!?と驚いたのはケイン。ほへー、と間の抜けた返事を楽しげに返したのは大地くん。
「私は今、『仁』に所属しています。『西』に蔓延る人さらいどもと戦うのが『仁』です。しかしこのボランティア集団では救えないものがあります。
助けた人たちに帰る場所があるとは限らない。戦力になる者ならまだしも、そうでない者をいつまでもかくまっていては、自滅の道を辿るだけ。
人さらいのねぐらを潰すたびに、盗賊まがいの行動で財源の足しにしているのが現実です。報酬を請求する先もありません。国と契約すべきだと私は考えますが、私個人にそんな伝手はまだありません。それに、契約相手国は一国ではいけない。『西』の多くの国と契約しなくては、ある国の民についてだけ報酬をもらうという不公平な結果になります。
また、助ける相手はエルフ系やミユ系が多いですが、特にエルフの国が契約に応じるとは考えにくいでしょう。エルフはエルフで、行動しているのです。『西』のエルフは排他的。こんなに種族が多い世界で、よく言えば文化や伝統を大切にしている、悪く言えば頑固な引きこもり。『仁』とは相容れない国が多いはず。
国と契約するにはまず信頼関係から作っていかなければなりませんが、今の『仁』はそんなことをするよりも目の前の人さらいを滅ぼすことを大切にしている印象です。確かにそのほうが、内部にも外部にも、ちゃんと機能している印象を残せますから。本当は幹部の誰かが行動しているのかもしれませんが、少なくとも私にはそんな動きが見えません」
アルルは一旦言葉を切った。
「私の創る同盟は」
アルルの表情はいまや真剣だった。その瞳は、未来を見つめる。
「少数精鋭です。私が、継続して付き合っていけるのは数人です。冒険者ギルドというのが『北』にはあるそうですのでそれに登録します。依頼をこなし、依頼主から報酬をいただきます。
活動は、常に。自由に。臨機応変に。実績を残し、ギルドや依頼主、ほかの冒険者や戦士たちと信頼を築くのです。いつかは、公募でメンバーを揃えて大規模な討伐も可能にしたいと考えています。それが冒険者、悪魔と戦う者の本業でしょう。
動きやすく。そして人員収集もできる。個人を助けるために小回りも効き、多くの人を苦しめる元凶を断つ力ももつ。それを、三十年で作り上げてみせます」
言い切った。ケインは驚き、凛々しい横顔を見つめた。この人の胸の内に、こんなにも熱い思いがあったなんて。
「ほーおう。未来のロードちゃん。今にも触れることができそうな未来を描いてるね」
ぽてぽて、と大地くんは歩いて、アルルの足を、とんとん、と励ますように叩いた。
「頑張って、気張っていきなよ。だけど、同盟の幹部になるその数人はね、無理して選ばなくたって、出会えるから、だからそこは、無理しなくたってええ。宿命なら、出会い、別れ、再会する。ロードちゃんが思うよりも、あなたの時間は長い」
そこで言葉を切ってくれればよかったのに、大地くんは間髪入れずに続けた。
「あと、たまにはデレてほしい。な、少年、そうは思わないか?」
「えっ?で…れ…?」
「むっ。伝わらんか。素直にこう、こうー…いやーん暗いこわーいっ、という感じ。そこまでじゃなくてもこうな、…別にあんたのため」
「精霊さま、私たち、試験を受けに参りましたの」
アルルにきっぱり、にっこり笑顔で言われて、大地くんは笑った。
「ははは、ロードちゃん。もうちょっと面白いかわし方を学ばないとな。ロードちゃん、人付き合いにはユーモアも非常に重要だ。そうなー例えば、あえてデレデレで返すとか、もっとトゲトゲで返すとか。うん、ロードちゃんならトゲトゲでいけそうではないか、ほれ、やってみなよ」
「蹴り飛ばしますわよ」
「ははははっ、そのほうが面白いわ。だが目が怖い」
ケインはこの時初めて、笑顔のアルルに黒い影を見た。あれ?可憐?あれ?
「ところで少年。あなたはなぜ冒険者になりたい?」
あ、とケインは口ごもった。
「あ、僕は、あー」
そもそも冒険者になりたいのではない。アルルが行くと言ったから、来たのだ。しまった。
「僕は、そう、ええと、そう、アルルがよかったら、なんだけど…同盟に、協力できないかなー…なんて」
アルルは少し怪訝そうにケインを見た。
「ほーおう。隅に置けんなー少年~」
「い、いやぁ、あの…」
「ほれロードちゃん。言いたいことがあるなら言わねば。少年はロードちゃんの同盟に入りたいそうだからな。ロードちゃんがトゲトゲしても大丈夫じゃないとやっていけんぞ。ほれ!トゲトゲする前に、”こいつは論外!”とか思って試さないのはもったいないぞ!」
アルルは、冷めた目で大地くんを見て、それから、なんともクールにケインへ言った。
真っ直ぐに、視線と言葉が飛んでくる。
「話、聞いてた?私は、あれだけの思いを持っていくの。それなのに、あなたのように一時の感情で着いてこられても迷惑なだけよ。同盟を創るの。話した通り。覚悟はあるの?『西』には戻る予定はないわ」
びっくりしたケインは息を呑んだ。さっきから薄々、こういうアルルを感じていたとはいえ、実際にそれが自分に向けられると、なかなかショックだ。
ほれ!と大地くん。
「少年!どうした!こんなことでへこむのか!情熱を叫べ!」
叫べ、と言われても!
ケインが何も言えないでいるうちに、アルルはさらに言った。
「冒険者に誘ったけれど、別になりたくないならならなくていいのよ。あなた自分の意思がないわけじゃないでしょう?『仁』ではちゃんと動けているもの」
さっきよりは柔らかく、アルルは言った。呆れているのだろうか。
「ああ…うん…。今は、冒険者になろうとも、なりたくないとも、思ってないよ。ただ、アルルがなるなら、僕もなろうかなって思っただけだ。
だけど…よくわからないよ。『仁』でやっていくと思ってたからさ」
『仁』で、アルルと。
「それに…あの、もうひとつ言ってなかったことがあるんだけど」
アルルは目線だけで問い返した。
「多分、アルルは、魔法使いとして僕を連れてきたんだと、思うんだけど…」
「…ええ、もちろん」
「その…僕は、魔法も使える前衛やりたいなって思っててさ。ちょうどこれから、習おうと思ってたところなんだ、武闘家としての技術」
アルルは目をぱちぱちっとして、口元に手をやって、しばらく言葉もなかった。ほへー、と大地くんの声が楽しそうだ。
「…まあ…」
ようやくそう言ってから、アルルは落ち着きを取り戻す。
「なら今日は冒険者資格は無理ね。そういうことは、来る前に言いなさいよ。なんのために口と声と言葉があるの」
「ごめん…」
吹っ切れたアルルは、ケインの前で猫をかぶるのをやめたようだ。容赦ない。
「ロードちゃんは魔法使い志望でしょ?あげるよ冒険者証」
大地くんのあっさりした言葉を、二人は理解しそこねた。
「…試験は?」
「いらんいらん。終わり。楽しかったから。あ、じゃあーロードちゃん、デレてくれる?」
「さっさと冒険者証下さる?」
「はははは、だから目が怖いって」
大地くんは、腕のようになった岩をぐっと組み合わせた。ぎゅーっと握っていたかと思うと、不意にアルルを見上げた。
「ほれ、ほれ。受け取って」
アルルはかがんで、両手を差し伸べる。大地くんはそこに、ポトンと銀のブローチを落とした。
「これ、まだ宝石はついてないけど、またどこかの精霊に同盟創立の宣言をしたら、もらえるから。頑張ってな」
アルルは素直に頷いた。
「はい」
「お、デレた」
「…」
「そこはこうだ、まずはあなたのような精霊に当たらないように同盟創立の場所について悩むことにしますわ…目が怖いって目が」
大地くんはまた笑った。
「少年!あなたはまた、武闘家になって、冒険者になる気が起きたら試験を受けるといい。今はまだその時じゃないな?」
「はい…」
「しょげるな少年。ロードちゃんの本性も見えたことだ、これからだぞ!」
ケインは、なんとなくアルルに目をやった。アルルもあまり元気がない…と思っていたらアルルもこちらを見て目が合った。ケインは、なぜだろうか、ふと笑った。なんだか、これで良かったのかも…そう思った。
そして、大地くんにも笑った。
「前衛頑張って、出直します」
「うん!頑張れ少年!」
ケインは、アルルに向き直った。
「多分、僕、冒険者資格とって、やっぱり一緒に行くと思う。一時の感情かどうかは、その…」
「そんなの、これから分かることだわ」
アルルはあっさりと言い切った。
「今すぐ『北』に行くわけじゃないもの。まだしばらく…『仁』で修行を積んでから。気が変わったら別についてこなくていいのよ」
「うん。それもきっとこれから分かるね」
「そうよ」
それからアルルは大地くんに頭を下げた。
「ありがとうございました」
「うん。じゃあね、ロードちゃん。少年」
大地くんはそれだけ言って、あっさりと、ただの岩の塊に戻って崩れた。
「うわ」
なかなかショックな光景だった。
「帰るわよケイン。キャンプに追いつかなきゃ」
「あ、ああ」
ケインは最後に、大地くんがいた場所を、感謝を込めて振り返り、目を軽くとじた。
四年後、ケインはファイターとして冒険者資格を取得した。
二人で十分戦えるようになった。アルルはさらに『仁』などの組織を観察した。
そして、二人だけで、『仁』を出た。
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