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エナ -師匠のこと  Ⅳ.強い人

     リーフ。『緋炎の月』。力の強い悪魔を相手取る者。

         無力感と、優しさと、むかしの戦いのあとと。@1805頃

 

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 リーフは動じなかった。エナが、”夢”で苦しむエナが現実でもまた悶えても、そのように見えた。

 またおまえのせいで死ぬぞ、と、セレスが酷薄な笑みを浮かべた。そのセレスに向けて、リーフは言った。

「僕を支配したいんだろ?」

 仕方のないやつだ、と言わんばかりだ。

「セレスタイト。おまえはリューノンに似てるけど、全く及ばない」

 旧敵と比較して事実を告げると、橙の瞳は不愉快そうに細められる。

 セレスタイトが軽く両手を広げた。水が集い、なめらかに透明な刃を形成する。それは冷気を纏う。防ぐには水魔法に強い装備ではなく、氷の刃を通さぬ盾を要すると分かる。

 ふ、とリーフは笑う。そうするしかないだろうな、とでも言いたげだ。

 セレスタイトは微かに首をかしげて、にいと笑った。

「リーフ。剣なら勝てると思っているの? 自分は全く動じていない、と、思い込んでいるの?」

「そうであってほしいか?」

 リーフは改めて剣を構えた。

「そうだったら、僕はあなたに勝てないかもしれないね」

 鋭い眼差しがセレスタイトを捉える。橙の瞳には殺意が滲んでいる。リーフは笑みこそないが、無駄な力もなく、悪魔と対峙してきたこれまでのように今回も、幕開けの瞬間を待った。

 息遣いが聞こえてきそうなほどの静寂。

 殺伐とした灰色の部屋を照らす魔法の光は揺らぎもしない。

 その炎色の光を反射させるセレスタイトの水の体が、そしてリーフの剣の輝きもまた、ふうっと青白く変わった。炎色の光が青く変わり、冷気がすうっと忍び込んだ、その瞬間、水の刃がリーフの背後に出現した。

 ぱっと振り向きざまにリーフはそれを斬り払う。そして人間離れした速さで飛び迫ったセレスが振るった氷の剣を器用に捌いた。

 受け止めることはしない。拮抗して時間を与えてしまえば、氷の刃は瞬間的に水となり、そしてまた氷になる。斬られる。

 セレタイトは余裕だ。無理をして追い詰めなくとも、止めを刺されない限りルイスが再召喚できるのだから。つまり、リーフはこの斬り合いの中で悪魔に止めを刺す《送る炎》や《聖なる光》を使わなければならない。あるいは、セレスタイトを引っ込めさせた後、再召喚の隙を与えずにルイスを倒すか、ルイスの所持するであろう召喚道具を破壊しなければならない。

「リーフ。ここまで愚かだとは思わなかった。どうして勝てると思ったの?」

 すうっと空中に身を引くように浮かび、セレスタイトは幾つもの透明な針を放った。攻撃というより、ただの戯れだ。

 容易に動作から意図を先読みしていたリーフは、スペルストラップで《盾》を使い針の全てを無効化した。バシバシと鋭い音が連続し、爆発音のように響く。

「勝つ前に勝ちを確信することと、勝つのだと心に決めることでは、全く違う。セレスタイト、…――インシニエイト《送る――》」

 唐突な《送る炎》の詠唱。セレスタイトは急降下して氷刃を振り下ろした。

 見極めて、リーフは紙一重で躱す。瞬きなく、青い炎の光を反射した瞳がセレスを捉えている。反撃したリーフの剣はセレスタイトの首を飛ばすような軌道を描いた。人相手ならば、少なくとも重症を負わせていただろう。セレスタイトは咄嗟に氷刃を延長させて受け、剣の勢いを殺した。一瞬の隙に、まさに流れるように横へ飛ぶ。

 離れた場所で一度氷刃を消すと、切られて形を崩した髪をなでた。クスクスと笑う。数秒で、切られた形跡もなくなった。

「勝つのはお前の心の中でだけ! お前の体は死ぬ。命は還る。生者の世界において、お前は負ける」

「じゃ、どうなるかやってみようか」

 完全に元に戻ったセレスタイトは再び氷刃を出現させた。

 セレスタイトは、リーフに勝ちたい。リーフに”負けた”と思わせて、支配したいのだ――リーフは思うともなしに思う。

(だからお前は、僕と“戦って”僕を負かすために、同じ土俵に立たなければならない。くすみのない優越感が好きだから。特に仕返しは、完膚なきまでにやりたいから。せっかくエナを捕まえたのに、僕を揺することが思ったより上手くいかなかったから、もう何も妥協できない。勝たなければならない…完璧に)

 斬り結ぶ。膠着させない。刃が滑る。不意に見舞う拳、セレスタイトがなびくように躱す。

(だからお前は剣士として勝負するしかない)

 一時距離が開き隙があればリーフは《送る炎》を詠唱しようとした。しかし、それに対してはさすがに水の針が飛んできた。

(魔法には魔法で。こうだから僕ひとりのほうが戦いやすい。僕が死なないだけで、死人ゼロだ。…しかし…)

 斬り合う。互いに致命傷にはならない――セレスタイトに至っては、少々”大怪我”をしてもすぐに回復できる。そのために人では考えられない動きをする。

「…困ったな。悪魔も剣の鍛錬なんかするの?」

 リーフの問いかけにセレスはにこりと笑う。

「魔法使いとしては私が圧勝でしょう? 剣士としても潰してあげる」

 セレスタイトが水の中にいるように髪や服を模した水の体をぶわりと膨らませなびかせて迫った。リーフは橙の瞳を鋭く見据える。

 間合いに入る――寸前、突如、結ばれた視線が断ち切られた。

 ふたりの間に闇が球状に広がった。お互いに後退する。暗く渦巻く闇がセレスタイト側に広がり、セレスタイトはそれに片腕をもっていかれて形を崩しながらも逃れる。

 リーフはふと笑って言った。

「じゃあ僕は、おまえを魔法使いとして潰してやろうか」

 闇が消えると、すでにセレスタイトは、焦りはないが笑みもない表情でリーフを見下していた。崩れた体は徐々に形成しなおされていく。すぐに、部屋の唯一の出入り口のほうへ目をやった――それは今セレスタイトの斜め後ろにあった。

 忌々しさを滲ませ、セレスタイトはかすかに目を細める。

 そこには『緋炎の月』サブロード・ココルネと、音使いであり剣士のフィルが立っていた。こちらに向けられたココルネの腕、その肩には恐らく彼女の使い魔である烏のような生物がとまっている。

 はは、とリーフは笑った。

「びっくりした? 僕がこんな魔法使えるわけないだろ」

 舌打ちせんばかりの表情だったセレスはだが、リーフを無視した。

「…仲間を置いてきたのね。哀れなあの人は孤独の中で果てる」

 無情な言葉をココルネに投げかける。

 ココルネと一緒のはずのグレース、フィルと一緒のはずのゼル、レイラがいない。

 ココルネもフィルも動じない。その態度に現れた不動の意思は、圧倒的な力をもった”音”として響いた。

「 我らは戦士だ。あの人の志を、胸に抱いてここまで来た 」

 音使いのフィルの声が、青白く照らされている部屋全体に通る。

 頷きこそ無かったが、ココルネの黒目がちな瞳がきらりと輝いた。リーフは穏やかに笑み、セレスタイトを見据えた。

 ルイスは表情を変えずに、ただ結んだ口の下で微かに歯をぐっと噛み締めた。

「 志…綺麗な言葉。そうして死や離別や凄惨な結果や孤独を、ごまかすことしか出来ない。あなたたちは、逃れることは出来ないと、知っている 」 

 セレスタイトはそう言葉を紡いだ。わざわざ言葉を紡いで、フィルに対抗せざるを得なかった――リーフはそうとすぐに分かった。やはりリューノンほどの相手ではない…ちらりと思いながら、セレスタイトに言ってやる。

「逃れる必要はない。僕たちは、自らを決めることが出来る。あなたたち《悪魔》は、人と共に在り続けるものだ。”敵”ではない。

 いつでも向き合ってやる。やりすぎるなら斬ってやる。セレスタイト、お前はやりすぎた。

 僕が知ってるだけの罪状、読み上げようか?」

 ふざけた問いかけ。セレスタイトは幾つもの氷の刃を出現させた。

 そう、ココルネとフィルが参戦した今、剣だけで戦う理由はなくなった。魔法には、魔法で。

(これは、また、誰かが死ぬな…)

 ふっと湧いて聴こえた声…これは闇の声だ、と、リーフは察する。悪魔が近くにいると、どうしても、こういう思考が忍び込んでくるのだ。その声に被せて、リーフは言う。

「これで本気で来れるだろ?」 

 応じたのは、ため息混じりのルイスだった。

「仕方ないな」

 刃が滑る音がする。金属同士が擦れあう…いや、少し、変わった音だ。

 暗闇の中でしばし考えたあと、リーフとセレスタイトが戦っているのだと思い至り、エナはどうにか薄く目を開けた。

 どうやら魔法戦も行われている。ココルネたちも、無事だったのだろう。ともかく、リーフは戦えている。

 俺も加勢に――…と反射的に思ってしまってからエナは後悔する。同時に、やはり、重く冷たい痛みが体の中心から、ずん、と頭にまで響いた。立ち向かうような思いを抱く度、何かしらの――何種類かあり、予想しにくい――苦痛がもたらされるようなのだ。

 声を殺して、なんとか呻くに留める。

(あれ? けど、…)

 これまでほど、ひどくない。

 頭ががんがんして世界が揺れているが、死ぬほどではない。体の真ん中から氷の樹がいくつも枝を伸ばして突き刺したような感覚も、すぐに薄らいでいく。

 どうして? と、また浅く考えた。戦いによってセレスタイトの注意が逸れたからだろうか?

(なんでもいいや)

 まだ荒い呼吸のまま、エナはまたどうにか目を開けた。生理的反応で滲んだ涙のために視界が霞む。

(こういう…のも、…ルイスさんが言ってた、気合で魔法破りみたいなやつ、出来るのかな…いや、出来る気がしねえな…どう、する…何ができる…)

(何も出来ない…何も、出来ないよ…)

 闇の声が泣きそうに言った。

(痛い…死んでしまう…)

(リーフさんが負けないと言った!)

 目をつぶり歯を食いしばり、全身痛みに対抗すべく構えてから強く念じた。力が欲しい。リーフを助ける力が。セレスタイトを倒す力が。苦痛の波の中で、エナはさらに唱えた。

(俺は武器も取り上げられてない! 動けないだろうって踏んだんだろうけど――…)

 脳裏を、不意に白い光が過ぎった。

 灰色の布で包まれ、紐で封じられた剣。紐が解け、布が開き、まぶしいほど白い鞘が現れる。柄を掴めば、抜けそうだ。

 力だ。

 

 エナは感じた。

(――…リーフさんから受け継いだ白い剣だって、まだ俺は帯びている)

 その瞬間、まるで誰かが取ってくれたように、痛みを忘れた。その一瞬で良かった。勝ってやると、決めるには。

 開き直った。痛くて痛くてもう多分死ぬんだろう。だが、それを差し置くくらいに、セレスタイトを倒してやると、強く思った。すると不思議な思考がぱっと浮かんだ。

(あの剣をリーフさんに渡そう。今、俺は剣握れねえから、代わりに)

 エナ自身そう考えたのか、誰かがそう言ったのかも分からない。不思議なことにその動作だけに集中できた。ほかの何も認知しないま ま、エナは仰向けに転がり白い剣をホルダーから外し、体の痛みと重さを何者かに奪われたまま、ふらりと上体を起こしてリーフを見つけた。

 布を取り払う。握った白い剣が、不思議な存在感を示す。まるで光っているかのようだ。

 リーフもそれを見つける。

 エナは、剣を投げた。力の限り。届かないだろう。それでも投げたのは、リーフが受け取ると、誰かが保証してくれたから…のような気がした。

 白い剣がエナの手を離れた瞬間、すべての痛みも重さも戻ってきて、エナは声すら上げられずに身を震わせて崩れ落ちた。

 

 

 リーフはその光を初めて見た。

 そして不意に悟った。リーフはもう、その剣を抜くことを求めていなかった。

(だって反則みたいじゃないか)

 だが今の持ち主はエナだ。何をしようとしているのか分かる。今のエナは戦うほどの力は残っていないはずだ。ならば、この場であの剣を握るとすれば、リーフしかいない。

(仕方ないな。お前の力になってやろうか)

 エナが投げる動作に移った。セレスタイトはココルネとフィルに対応していて気が付くのが遅れた。斬り合いの合間、一瞬の魔法のやりとりの時に、リーフは駆け出す。

 それを追う橙の瞳。不意にリーフは振り返ってセレスタイトに向けて外套を投げ被せた。

 ――今、白い剣を受け取りに行かずに、斬ったら、このまま勝てるだろうか――だめだ、ルイスが前に出てくる。

 ”もしも”をちらりと想像しながらリーフは剣を収めセレスタイトに背を向けた。

 ――斬っても魔法を使えなければ勝てない。ココルネですら数秒は必要だ。

 ルイスは魔法使いとして参戦していた。一歩も動かない。リーフからすれば、仕方ないから手を出している、といった様子にみえる。だが状況によっては剣士としても参戦してくるだろう。今は細々とココルネを妨害していた。この場で《送る炎》を使えるのは、ココルネか、リーフだけだ。

 ルイスは、エナを妨害しなかった。うっかりココルネたちのほうを見ていたせいで、妨害できなかった――…。

(…ってことにしといてあげるよ!)

 エナが投げた白い剣が、宙を回転しながら落ちてくる。

 目測で届かないはずだったその光を、リーフはしっかりと掴み取った。

 握れば手になじむ。今、白い剣とリーフはひとつの力となっていた。

 すらりと抜いた片刃の剣は、白く白く、ぎらりと輝いた。まるで、青い光を反射したのではなく自ら輝いたかのように、白く、白く。

 セレスタイトの表情が凍りついた。

「トゥーラの剣…!? なぜ、ここに…? お前が…!?」

 リーフは一瞬で間合いを詰めた。不思議だ、身体が軽い。

 水の体を横一文字に斬る。綺麗な斬撃では逆に崩すことができないはずが、まるで喰われるように水の体に間が空く。

 セレスの驚愕した表情。リーフは自分の頬がゆるんだことに気がつかなかった。

 もう一撃。

 鋭い金属の音が響いた。

 振るわれかけた白い剣に向けて、ルイスの大剣が振り下ろされていた。

(折れたか? いや――)

 オリハルコン製ならば耐えられる――…ちらりと冷静な思考が過ぎった。

 だがすぐに、根拠のない確信がリーフを満たした――材質に関わらず、この剣ならば折れない。

 リーフはそこから離脱する。白い剣は、無傷だった。それどころか、より白く光っている気がする。

「セレス、やめだ」

 言いながらルイスは、恐らく《聖なる光》の詠唱を終えかけたココルネに魔法を見舞う。

 セレスタイトもまた、憎々しげな表情で、斬りかかってきたフィルとリーフに水の針を飛ばした。

 リーフは剣を振るった。剣は喜んで水の針を喰らった。

 まだ体が崩れたままのセレスタイトに再び迫る。割り込んだルイスがリーフの剣を受け止めた。

「おい、退くって言ったろ」

「セレスタイトを置いてってよ」

 リーフの言葉にルイスは眉をひそめる。

「お前…」

 ルイスの声にココルネの詠唱が被さった。

「――《送る炎》!」

 はっ、とルイスがようやく気が付く。

 ココルネは確実に止めをさせる《聖なる光》からレベルを下げて、確実に使用できる《送る炎》に賭けたのだ。

 ああ、だが、このタイミングならば、仕留められるだろう――ルイスがセレスタイトの召喚を止めなければ。

 そして、《送る炎》がセレスを焼くのを待つ必要もない。

(セレスは僕らが斬る…)

 リーフは金の炎から逃れようと動いたセレスに向かう。炎に飛び込む形になるが、問題ない。《送る炎》が焼くのは悪魔や、悪魔と結びついた契約者だけなのだ。

 

 ところが、金の炎を目前にして、リーフは足を止め、後ずさった。

「あ、っつ、…!?」

 戸惑いと共に、リーフははっとして目を上げた。

(どうして斬ろうとした? ココルネさんの魔法で十分じゃないか。大体、ルイスに防がれるし…召喚道具は? それを探すほうが有意義じゃないか?)

 その一瞬の間に、ルイスはセレスタイトを引っ込める。自らにも迫ってきた炎の熱に顔をしかめながらも、唱える。

「シュッツェ《守護》」

 《盾》ではなく、《守護》。魔法に詳しいであろうルイスの選択。リーフはなんとなく嫌な予感がした。《盾》は物理的な攻撃を防ぐ。炎もそれに含まれる。《守護》は呪いなどを防ぐ。契約者が、自らと共にいる悪魔を守るために使うこともある。

 ココルネも恐らく同じ可能性に気がついた。リーフよりもはっきりとした危険として気がつき、《送る炎》を必死の表情で中断させた。

 金の炎が消えたあとに、ルイスが膝をつき俯いていた。悪魔を焼く炎は、ルイスの体へのダメージもあるらしい。中断したものの、普通なら、このままだと、助からない。

 まずい――…リーフは踏み出す。”他者の体力を使って自分を回復する”ならば…。ルイスの一番近くにいたのは、炎の影響を受けず、セレスを斬ろうとしていた、フィルだった。

 対象は誰になるのか? 一番近い人になるのか? ダメージを負わせた者になるのか? あるいはルイスが選択できるのか? 

 分からないがともかく、今、ルイスが人の体力を使って全身の火傷を治すのなら、その負担がひとりにかかるのはまずい。

「フィルさん少し離れて!」

 フィルは察して後ずさった。だが、そのままよろけて膝をついた。リーフは望みをかけてさらにルイスに近づく。感じ始めた疲労感が、フィルを助けるものなのか、ただの戦闘の疲労なのか判断がつかない。

「リーフ」

 ルイスが小さな掠れ声で呼んだ。見るに耐えなかった皮膚が、徐々に再生し始めている。

「エナ、死ぬぞ」

 リーフは立ち止まった。思い出したように呼吸をして、ルイスが続きを紡ぐのを聞いた。

「上手に呪いの剥奪でもしないかぎり、一年で体がおかしくなって死ぬぞ」

「…。…剥奪」

「剥奪したとしても、剥奪したやつが死ぬだろうから、どの魔法使いも望んで助けてくれないだろう。…セレスタイトらしいやり方だ」

「…相変わらず悪趣味なことで」

 リーフはルイスに歩み寄った。セレスタイトの召喚道具を、今なら見つけてしまえるかもしれない。

 ところが、ルイスは完全に身体が治る前に唱えた。

「――…へ、テレポート《空間転移》」

 姿を消した。

 立ち尽くしてリーフはため息をついた。

「丁寧に教えてくれて、どうも」

 虚空に呟いた。

 眠っていた。

 ふと違和感を覚えて、不安で目を覚ます。ただ暗いだけ。朝はまだ来ない。周りになんの気配もない。

 目を凝らし、耳を澄ませていると、ぴきぴきと、氷が割れるような音がしてくる。怖くなって起き上がろうとすると、胸が重くて動けない。なんだ? と手をやると、ちくりとなにかが刺さる。手のひらになにかが刺さって、見ると、血が滲んでいた。

 ぴき、ぴき。

 音は大きくなっていく。胸が重く、痛く、冷たくなってくる。だめだ、どうにかしないと。自分の胸を見下ろそうとどうにか視線を向ける。

 え、と、思わず弱い声が漏れた。氷だ。氷の木だ。それが胸を苗床にしているのだ。

 嘘だろ、と喋るのも苦しかった。嘘だ。そんなこと。嘘だ。

(夢に決まってる。そうだ。そうだ、思い出した、きっとまだルイスさんがなんか魔法で作り出した夢の中にいるんだ。そうに決まってる。

 だけどこれ以上はやばい。起きろ。起きなきゃ。起きなきゃ!)

 目覚めを望むほどに、冷たさと苦痛が現実味を帯びた。

(嘘だろ? 嘘だ。嘘だ。早く。誰か起こして…起こしてくれよ…! リーフさん! リーフさん! ルイスさん! 俺のこと殺させないって言ったじゃねえか! ルイスさん! リーフさん!)

 

「 リーフはそばにいる 」

 

 不意に夢の音を消して、誰かの声がした。

 

「 右手が暖かいのは、リーフが握っているから 」

 

 意識してみると、右手だけは確かに暖かかった。

 

「 リーフはそばにいる。一度目を閉じて 」

 

 言われるままにエナは目を閉じた。

 

「 次に目を開けると、そこはティークの町の宿の一室。エナ、あなたはベッドで寝ていて、傍らにはリーフがいる。三つ数えて、目を開けると、その通りの世界があなたを迎える。

 1…2…3…」

 

 目を開けた。氷の木も闇もなかった。

 ティークの宿屋。その天井がある。

「 おはよう、エナさん 」

 すぐ近くであの声が聴こえた。

 音使いのフィルが、ほっとした様子で枕元で微笑んでいた。

 そのすぐ隣に、リーフがいた。ふたりに注目されていて、とりあえずエナは言う。

「…おはようございます…?」

 するとリーフが笑った。一瞬見えた泣き笑いみたいな表情に、エナは戸惑いながらも無意識に目を見張る。

 はあ、まったく、とリーフはいつもの調子に戻って言った。

「じゃ、僕は寝る」

「え?」

 若干遅れながらもいつもの調子で突っ込んだ。リーフはエナの様子を見て留まったようだ。いつもならとっとと寝に行くだろうに、と思いながら、エナは続けた。

「なんか、明るいですけど」

「もうすぐ昼だからな」

 素っ気なく返しながら、やはりリーフはまだ立ち上がらない。エナはまた戸惑う。何が起こっているのか考えて、そして尋ねた。

「どうなりました? ええと…」

 何からきけば、と、思い巡らせた。ルイス。セレス。…――氷の苦痛。

 雪崩のように光景や感覚が押し寄せた。

 

「エナ!」

 リーフの声で、エナは我に返った。

 気が付けばリーフに肩を掴まれ支えられて、エナはその腕を力いっぱい握り締めて震えていた。は、と慌てて手を離す。見たことないほど真剣な――心配を隠しもしないリーフを直視できずに狼狽えた。

「…あ、すみません…大丈夫です、すみません」

 リーフの手を離して、エナはゆっくり体を起こした。

「無理するなよ」

 リーフに言われてエナは頷く。

「大丈夫です」

 本当は体が重い。

「すみませんでした。俺、結構寝てました?」

 そう尋ねたとき、忙しい足音が聞こえて、ドアがノックされた。どうそ、とフィルが応える。

 ココルネがドアを開け、エナを見て安堵した。

「ああ、良かった。エナさん、気分はどうですか?」

「あ、んー、いいと思います。すみません、ご迷惑おかけして…」

「いいえ、お互い様よ。温かい飲み物を持ってきますね」

 ココルネはまたすぐに出て行ってしまった。

 しばしの静寂。ようやく、急に、ココルネによって現実に戻れた気がした。窓の外から小鳥の声がする。

 あ、とエナは思いついたように言った。

「すみません、リーフさんも、フィルさんも、休んでください。俺はいいですから」

 ふふ、とフィルは笑った。

「でも、昼間ですよ? 私、眠くありません。ここで話していてもいいですか?」

 そう尋ねてくれて、エナはなんだか安心した。素直に頷くことにする。

「ありがとうございます」

「僕も戻るの面倒になったからここで寝るから」

 リーフの素っ気なさすぎる気遣いに、エナは笑った。

「座ったままですか? 椅子から転げ落ちても知りませんよ」

「違う、椅子を連結させてソファーみたいにして寝るんだよ」

「あー、なんか、いつかもやってましたね、それ」

「寝床を譲らなかった誰かのせいでな」

「じゃんけん弱いのに仕掛けてくるからですよ、3本勝負に変更したのに」

 他愛もないやりとりをしていると、やがてココルネが戻ってきた。湯気の立つカップを3つ、トレーに乗せて。

 受け取って、手で包むと、熱が伝わってきてほっとする。

「今日はゆっくり休んでください」

 ココルネが言えば、リーフも頷いた。

「今日はここで休ませてもらって、」

 エナと、そしてココルネに向けて言った。

「明日、オルトさんを訪ねようと思います。…彼から授かった方法を試したのでその報告を。エナも一緒に行くよ」

「あ、はい」

 エナは頷く。フィルは不思議そうにリーフを見た。

「ウィザード・オルトの居場所を知っているんですか? ココルネが連絡した?」

 リーフは首を横に振る。

「メアソーマに拠点をもつ『盾』の知り合いがいますので、とりあえず彼を訪ねようと思います」

 え、とエナはびっくりする。まさか。

「『盾』って、『琥珀の盾』のことですか?」

 そうだよ、とあっさり頷くリーフ。

 『緋炎の月』のロードと知り合いで、さらには『琥珀の盾』ともつながりがあるとは!

(ああ、そういえばリーフさん、メア城の悪魔の事件に関わったって言ってたっけ…)

 エナが生まれる前の事件だ。メア国の王手同盟『琥珀の盾』『緋炎の月』、そして『旋風』と、『空の鈴』も協力した、国を揺るがす大事件だったらしい。

 その一件で繋がりができたのだろうか。あるいは、その後、冒険者のように悪魔や契約者を相手にする中で?

(でも、誰と繋がりがあっても不思議じゃねえもんな。…『盾』の拠点をいきなり訪ねに行けるのはすげえ)

「では、メアソーマの《転移先》まで行けるようにしておきましょうか」

 ココルネの申し出にリーフは頷いた。

「ありがとうございます、よろしくお願いします」

 少し意外だった。いえ、馬車とこの足とで行きますよ、急ぐ旅ではありませんから――そういう返答のほうが耳に馴染む。

(報告、って言ってたな。何か急ぐことがあるのかもしれないな)

 深くは考えなかった。

 まだ、考えられなかった。

 静かな町、窓の外から虫の声が聞こえる。

 エナは魔法灯を消して、部屋を出た。

 リーフは隣の部屋で休んでいるらしい。エナはドアをノックしようとして、一時手を止めた。硬い表情で、だが意を決してノックする。リーフさん、と呼びかける。

 かちゃりとドアが開いた。リーフがいつも通りの気だるそうな様子で、ん、とだけ言ってエナを迎え入れた。

「どうした?」

 リーフはベッドの上であぐらをかいた。エナは椅子を借りて座った。

「…俺は…力不足でした。分かってましたけど、足手まといになりました。すみませんでした」

 謝るならば、行動で示せ…リーフはどちらかというとそういうタイプだったし、エナもそれは分かる。ただ、謝ることが不要なわけではないし、今、エナはどうしても、謝らなければ気がすまなかった。

 リーフは謝罪を拒否することはなかった。

「力不足、か…。エナも分かっていたように、みんな分かっていた。悪魔と戦うときに最も大切なことは、そういうことじゃないってことも」

 それは、そうだ。エナも知っていた。剣や魔法などで戦う力だけが重要なのではない。かといって、それがあるに越したことはない。

「僕がセレスに大ダメージを与えられたのは、エナのおかげだ。あれ多分、無傷では済んでないだろうなぁ。力、削げたんじゃないかな」

 その言葉で、倒せてはいないのだと分かった。しかし、エナのおかげで、とは何のことだろうか。

「それに、あのタイミングの《送る炎》…倒せはしなかったけど、効果はあったはずだ。…今回は条件が悪かった。まさか再構築を利用してくるなんてな」

 それは、確かに。エナは頷く。あのテレポートも、と付け加えた。

「ルイスとは、話せた?」

 リーフにきかれて、エナは首を振った。

「少しだけ。でも、ちゃんと答えてくれませんでした。だけど…俺を殺そうとは、ルイスさんは思ってなかった、ような気がします。今回はセレスの勝手だって言ってました。お互いの望みを叶えるために、協力してるらしいです。…多分、セレスタイトはリーフさんを殺したかった。でも成せなかった」

 その点だけは、良かった。エナは自分で言いながら少しほっとした。

「やっぱり、ルイスはまだ、わりと正常だな」

「俺もそう思います」

 それでも、望みを叶えようとすることはやめない――ルイスは契約者だ。エナはため息をついた。なんで。何がしたいんだ。

「…悪かった」

 不意にリーフが謝って、エナは何のことかと顔を上げた。

「階段が再構築されたあの時、闇の中に気配を感じた。やつがいると…思わず飛び込んだが、完全に騙されたよ」

 あ、とエナは思い出す。セレスタイトに遭遇する寸前のことだ。

「いや、俺も、いると思いました。リーフさんが戦いに行ったんだってことも分かってました」

「パーティを分断する罠だったよ。あんな手にひっかかるなんて。ま、どっちにしても僕かココルネさんが落ちてたんだろうけど。上がらずに、向かっていくことを選んだのは僕だから一応謝っとこうかなと」

「…そうっすか」

 せっかくフォローしたのはなんだったのだろう。謝る気もあまり感じられなくなって、エナは脱力した。

「本当に、条件が悪かった。読みが甘かった。再構築や空間転移についてはココルネさんの魔法の知識と経験をもってしても分からなかったことだけど、魔法に無知だからこそ、恐れて色々想定しておけば避けられたかもしれない。今更言っても仕方のないけど、お前はこれからのことに活かしていける」

 妙な言い方だった。しかしエナが聞き返す前に、リーフがまたも、謝った。悪かったなと、今度は頭を下げて。

 今度はなんのことだろう。

「僕…僕たちが、フォローしなければならなかった。お前は一人の冒険者として参加した。とはいえ参加しても大丈夫だ、フォローできる、戦えると、判断したのは僕たちだ。僕だ。実際お前はよくやってくれた。ただただ読みが甘かったんだ」

「ち、違いますよ!」

 まだ頭を上げないリーフ。エナは思わず立ち上がった。なにが違うというのか。違うと言ってからエナは言葉を探してうろたえた。

「もっと…やり方があったはずなんです。っていうか、ルイスさんが来たのに、斬ったのがまずかったんです。セレスタイトの再召喚だと思って慌てすぎました」

 ひょいとリーフが頭を上げた。

「そんなことあったんだ。分かんないけど慌てすぎたと思うなら次は落ち着いてやりなよ」

 いつも通り素っ気ない。はい、と返事をした。今回は、条件が悪かったとしても、運が良かった。相手がルイスだったからエナは生きていられるのかもしれなかった。次もこうとは限らない。囚われた時点で死んでもおかしくなかった。活かさなければ、次同じことをすれば、終わりだ。

「読みは甘かったけど…。…エナなら大丈夫だと思った」

 不意にリーフが言った。なんでもないことのように、さらりと。

「僕は負けない。エナはその僕を信じるだろ? そしたら絶対大丈夫だろ? だからさ」

 たしかにエナはリーフの言葉を信じた。

(そんなこと、自覚してたのか)

 リーフが自信過剰、なのではない。いや、多少その気はあるかもしれないが、それくらい信じていないとくじけてしまうこともある。

 エナは頷いた。なんとなくおかしくて笑った。

「そうですね」

 リーフはさらに言う。

「で、実際、僕たちは負けなかった」

 エナは、また頷いた。まあ、負けでは、なかっただろう。

「討伐は出来なかったが、力を削いだ。あいつら相手なら上々だ」

「…皆さん無事でしたか?」

 ずっと無意識下にあった問いが、ふっと上がってきた。リーフは大して表情を変えず、教えてくれた。

「ココルネさんとフィルさんは見ての通り。レイラさんはほぼ無傷。グレースさんが重症。ゼルさんは亡くなった」

 指先がひやりとした。エナはしばし何も言えずに視線を少し落とした。冒険者だ、悪魔との戦いだ。死はいつだってすぐ隣にある、とはいえ。

「ルイスが手加減できるほど、『緋炎の月』は弱くなかったってことだ…ってココルネさんが言っていた。僕もそう思う」

 エナは無言で頷くことしかできなかった。

 手加減出来なかった…。ルイスは殺したいなんて、思っていなかっただろう。目的のための、手段。でも手加減が出来なかった。

 手段なんてなんでもいい、と言ったルイスの言葉が蘇った。ひやりとしたあの時の冷気も…。

「エナ」

 呼ばれてはっとする。リーフがじっとこちらを見ていた。

「もう休め」

 急だった。それに、どこか強い言い方だった。

(ああ、でもリーフさんも休みたいだろうし。明日、メアソーマまで行くもんな。テレポートだけど)

 その考えを裏付けるようにリーフは続けた。いくらか声が柔らかくなった気がした。

「明日は午前中に出るからな。寝坊するなよ」

「しませんよ」

 エナは立ち上がった。ありがとうございました、と部屋から出ようとして、立ち止まる。

 言っておかなければならないことがある。

 リーフさん、と呼びかけ振り返る。

「俺はもっと強くなります」

 茶化されるかもな、と思っていた。あるいは、とても適当で素っ気ない返事がくるだろうと。それでいい。伝わってはいる。

 だがリーフは、予想に反して、普段からは想像できないくらい真面目に受け取ってくれた――とエナは感じた。

「うん」

 ベッドの上であぐらをかいて頬杖をついたまま、目だけをエナに向けて。 

「おやすみ」

 それだけしか言わなかった。だがその瞳がきらりと輝き、微かに笑ったように見えた。

 おやすみなさい、とエナは部屋を出る。もっと強くなる――反芻しながら、心の内にいろんな人――リーフ、ルイス、『緋炎の月』の人たち…――の顔が浮かんだ。

 

 町の《転移先》までココルネが見送ってくれた。

「ともに戦うことができて良かった。いつの日か、また」

 どうすればいいか分からず、なにか言わなければと思いつめていたエナは、拳を握り締めた。

「はい」

 謝罪の言葉は胸にしまって、しかし、深く頭を下げた。リーフに宣言したことを、再び強く思う。

 一方、エナの半歩前でリーフは穏やかに応じる。

「ココルネさん。ありがとうございました。クレィニァさんにもよろしくお伝えください」

「ええ。…こちらこそ、リーフさんがいて心強かったですよ」

 その声に滲む淡い寂寥は、エナの気のせいだったのだろうか。

 『緋炎の月』のサブロードは、いや、悪魔や契約者を相手取る人々は、戦いの度、こうなのだろうか。

 リーフはずっと、この中で生きてきたのだろうか。

 どうやって生きようかってことしか、考えてないから――ふとリーフの言葉が蘇った。

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